1・
「何を言う!」
部屋に怒号が響いた。
「しかし、お見せした様に、日本には朝鮮を維持する意味はないんですよ。何かあれば手のひらを返す国なんです。なら、いっそイギリスに売り渡した方が債務返済にもなります」
1年まえ、宮城へと現れた不思議な5人組から未来の歴史を聞かされ、驚いた面々だったが、ちょうど行われていた日露戦争の出来事を尽く当てた事で信じる様になっていた。
しかし、講和に際して今後の政策立案のために呼ばれた5人組のメンバーから飛び出した言葉に、参加者が声を荒げたのである。
「あー、いいですか?」
5人組のひとりが挙手してそう尋ねる。
「何だ?まだゴタクを並べる気か?」
怒鳴った当人がそちらを睨む。
「はい。その場でハッキリと今後について決めたいと思います」
退かずにそう言う胆力を見せる発言者。
「まず、深山の案はナシです。韓国をイギリスに売れば、確かに債務返済には役立ちますが、日英関係も終わります」
「おい!東山!」
先ほどの提言を述べた深山も、東山を睨む。
「深山、確かにネット小説じゃあ、それでハッピーエンドなんだが、アレは紳士のひとりが日本人転生者だからなんだ。史実ベースで考えるなら、英国商船団に日本が呑まれて終わるハズだ。しかも、ロシアへの警戒を『物言う日本』から、英国植民地軍に代替できるなら、安上がりなんだ。そうなれば、日本は邪魔でしかなくなる。軍事上はもちろん、経済的にも」
東山は、深山に対してそう説明し、列席者を見回す。
どうやら、列席者たちはその意見に賛同らしかった。
「ふん。分かっているなら、何を言うつもりだ?」
先ほどより若干、機嫌が良くなった強面がそう尋ねる。
「温度差はあれ、皆さんもイギリスを全面的に信を置く身内とは見られていない。それはそうでしょう。ならば、朝鮮も身内と見てはいけません」
東山は、そう言ってまた見回す。
「ここに集まる方々は、問題ないようですね。しかし、国内には興亜論なる世迷言を鳴らす者達がいるかと思います。彼らは、本音はともかく論の建前として朝鮮を身内と論じます。大陸、朝鮮と手を組み欧米を東亜から追い出すと」
東山が見回すと、疑問符を浮かべる者が居る。
「確かに、スローガンとしては、これほどの正論はないのですが、東亜の盟主とは誰か?」
誰もが、口には出さないが顔をみればわかる。
「それが、罠です。マラヤ、インドシナでは、それでも通用はするんです。しかし、清や韓国にとっては、そうではない」
「以前、お見せした中にも、『戦後の歴史』が含まれていましたが、なぜそうなったかは、我々より、今を生きるお歴々の方が理解なさっておいででは?」
「なんだよ、勿体ぶんな」
5人組の中から不満が溢れる。
「小宮山、俺たちには恨や火病って理解のアレな、もっと無意識的な、この時代だからわかる理由がある。易姓革命だ」
小宮山は、ハァ?という顔だ。
「聞いた事があるだろ?『日本という母親は力尽きたが、我々は母親の姿を見て立ち上がった』ってアレ。本音は知らんが、東南アジアでは通用しても、中国や韓国では通用しないんだよ。李氏を廃して天皇家が朝鮮を支配し、溥儀の後見をして満州国を建国した。じゃあ、日本の敗戦はどう受け止めるんだ?」
小宮山は、間髪入れずに答える。
「東南アジアと何が違うんだ?戦後の支那、朝鮮なんて、ただの僻みだろ」
だが、東山はその答えに首を横に振る。
「いいや、易姓革命だよ。姓がないから便宜的に天皇氏と呼ぶが、敗戦によって天皇氏が倒れたんだ。日本に天皇氏が居座る事は、易姓革命の観点から、未だ革命は途上なのさ。中国や韓国から見れば」
「お歴々は、感覚的に理解されている事でしょう?我々が示した『歴史』の様に合邦するのはもちろん、李氏を廃して植民地とするのも、日本が欧米に勝っても負けても、禍根しか残しません」
理解は出来るが、不満があるという顔の列席者たち。
「李朝はそのまま残し、現状維持に務めるのが賢明です。外交権を持たせれば列強の介入を招くので、もちろん与えない。しかし、統監府は廃し、あくまで租界や租借を認めさせ、鉱山権益を得るに留めるべきです」
東山は、そう言って言葉を切った。
「では、列強へはどう説明するのだ?国内の連中にもだ」
列席者から、そんな質問が出る。
東山は、それにも卒なく答える。
「列強には、保護国でも属国でも、藩国でも、彼らの理解可能な説明をすればよろしいかと。国内には、福沢諭吉先生の『脱亜入欧』を、しっかり噛んで含めて分かりやすく説明すべきですね。『東亜の理』が如何に古臭く劣るものかを対比するのも効果的ですね」
そう言って見回すと、先ほどの列席者から異議が出る。
「それは些か被れすぎてはおらんか?」
その声音は冷静だが、圧を放っていた。
「いえ、何も散切りしろとは言ってません。契約よりも情理を優先せよなどという、儒学的な価値感を廃し、あくまで法の公平公正な支配下における道徳に徹せよと、それだけの事です。これは、徳川の世でも、本来そうだったのでは?」
列席者の、それも年嵩の者たちが顔を顰める。
「次に、関東州については、租借を続け、外相の意向通りで良いでしょう。ただし、租借期限が短いので、延長をお望みならば、今からその策を建てて置かなければ、『歴史』がそうである様に、袁世凱に利用されます」
東山は、深山が米国への売却を主張した遼東半島について、あまりに簡単にしか説明しなかった。
「君は、深山ほど関東州に対する熱意が見られんな」
列席者から、そんな疑問が投げかけられる。
「この問題は、日本が欧米協調を望むのか、中華皇帝になる袁世凱やその後継者達との協調を望むかという問題があります。興亜論と連携し、欧米を敵と定めるか、それとも、欧米への警戒と協調による現状維持を目指すか」
東山は、列席者を見回す。
「ふむ。話が見えん」
「関東州の租借延長を確たるものとする為、日本は我々の『歴史』で言う第一次世界大戦に参戦し、ドイツ租借地である青島を取得、これの返還を条件に、租借延長を袁世凱と交渉するんですが、興亜論者の想いとは裏腹に、彼は日本ではなく、欧米というガイアツを選びます。そんな相手を尊重し、欧米を敵とするのか、大陸や南方での列強のバランスを見ながら、彼らと協調し、日本の存立を優先するのか。そう言う話になります。如何に?」
列席者は考え込む。
そして、ひとりが問うてきた。
「どちらかを、今選ぶ必要があるのかね?10年先の話だ。その時の状況によると思うが」
それは確かにそうだった。
「はい、『歴史』を知らなければ、それしか取りようがないんです。しかし、幸運な事に、我々は10年先にどうなるかを知っています。仮に、ここで関東州をアメリカに売れば、5年先の予測すら不可能になります」
東山は、そう言って深山を見る。
遼東半島をアメリカへ売却するのは、小説では定番だった。
しかし現実的には、まるでその先に起こる事象が想像すらつかなかったのである。
歴史においては、日本とロシアが対米警戒で一致し、日露協約によって極東には安定が齎される。
が、それは日本とロシアの利害の一致によるもので、そこにアメリカという不確定因子が入り込んだ場合、日本が安定して経済振興に注力出来る保証はなかった。
或いは、米企業の日本進出を早め、日本までもが中南米化する恐れまで考慮しなければならない。
小説ほど、バラ色の予測は出てこないのが現実世界である。
「支那との関係を重視したらどうなる?」
列席者から、そう声があがる。
「それは『歴史』をなぞる事になります。欧米からは警戒され、敵視の対象となり、袁世凱やその後を担う者たちにも利用されるでしょう。興亜論は、大陸政治家に巧く煽て、神輿に担がれたナニカへと成り下がります」
歴史において、コミンテルン陰謀論が持て囃されたが、東山はそれには与せず、仮に陰謀があったなら、中国政治家に唆され、煽てられた興亜論者がヤラカシたものではないか。そう考えていた。
「大陸政治家など、日本でならば梟雄の類。そんな連中は、手を握ってもいつ裏切るか分からず、信用するなど以ての外。せいぜい、その場限りの利害協調が関の山です」
東山は、辛辣にそう付け加えた。
「なら、欧米と協調し、その稼いだ時間で刀を研ぐしかなかろう」
最終的に、列席者はその様な結論に達したのだった。




