第9話 懐かしい笑顔
その屈託のない笑顔を見て、もう一度、ルーファンは声を殺し涙する。
萌子はルーファンの肩に手を置き、優しく包み込むように抱き合うと、空白の時間を埋めるよう、互いの体温を感じた。
一頻り泣き、晴れ晴れした表情となったルーファンは、
「疲れたろう、さぁ、なかに入っておくれ」
ルーファンに促され、萌子達は敷居を跨いで後に付いていく。
掃除が行き届いた、埃一つない床には、反射するように、萌子達の姿が映し出されるほど磨き上げられ、旅人を持て成す、主人としての心意気が見て取れた。
複数の女中の無駄のない動き、仕事に精を出し、足早に、だが足音一つ立てず、忍びのように移動する姿を見て、加奈が、
「ママ、みんな、すごくカッコイイ!」
感心した様子で、生き生きと働く女性達の姿に圧倒され、フルフルと身体を小刻みに震わせ、その良質なオーラを感じ取って、テンションが自然と上がっていく。
「ふふ、こっちの女の人は、とっても元気があるのよ」
萌子は加奈に目を合わせて微笑むと、隣にいたルーファンが、
「ほぉ、セレーネが訪れた世界は、おなご達の活気がなかったのかい?」
顎を摩って、複雑な表情を浮かべる。
「この世界と違って、良くも悪くも物質的だったから、ね」
機械が発達し、システマチックな構造である、加奈がいた世界に於いて、物質的な利便性は、ルーファンがいる世界より、比較にならない、科学技術のレベルを誇っていた。
裏を返せば、その強大で、抗うことが不可能なほど、進化した管理システムによって、人間が本来持っている感性を、上手く発揮出来ない状況を作り上げていたが。
萌子の言葉に、ルーファンは深く頷き、加奈を見て、
「なるほど。この子には、此方の世界の方が合っておるわな」
目を細め、加奈の持つ特性を瞬時に理解すると、それ以上、何も言わず、受付の番頭の女性に、
「ベリルや、すまんが『鳳凰の間』の鍵を出しておくれ」
「え!」
番台で宿帳を整理していたベリルは、思わず声を上げる。
それは無理もなかった。
鳳凰の間と呼ばれる客室は、現代風に言えば、ロイヤルスィートに匹敵する貴賓室で、この国の名だたる王族や貴族も、一度は泊まってみたい、と憧れる極上の部屋であった。
しかし、館の主人であるルーファンが、ある時期を機に、その申し出を丁重に固辞し、長い間、開かずの間となっていたのだ。
その部屋の鍵を、突然渡せと言われ、ベリルが驚くのは無理もなかった。
「何を驚いておる、ほれほれ」
催促するよう、手を出すルーファンに、
「か、畏まりました、お館様」
壁に掛けられた、一般の客室の鍵が納められた木箱ではなく、番台の金庫に厳重に仕舞われた、桐箱を恭しく持ち上げ、金と銀の鮮やかな糸で織られた組み紐で封をされた箱を取り出し、慎重に解いていく。
パカッと開けると、番の鳳凰をあしらった鍵が現れた。
「……ど、どうぞ」
ベリルは緊張した面持ちで、鍵を落とさないよう、両手をお椀のようにして、ルーファンの前に差し出すと、
「うむ、仕事に戻りなさい」
「は、はい!」
緊張が一気に解け、ベリルは額の汗を拭う。
ルーファンは鍵を無造作に仕舞い、
「さ、付いてきなさい」
先頭を歩くルーファンは、どこか楽しげだった。
そんな彼を見たことがないベリルは、視線を萌子達に向け、
(この人達、何者なの?)
と、興味対象以上の好奇心に駆られ、後ろ姿を見ながら、探偵のように推理を働かせていた。
母屋から、外の離れへと続く渡り廊下を歩きながら、加奈は、自分の身体の変化を感じていた。
それは、自分がいた世界では、普通にしていても、HSPによって、激しい感情の波の作用で、体調が悪くなる症状が、この世界に来てから、殆ど感じなくなっていたことだ。
微かな、人間の思考の流れは感知出来るが、それも、自分から意識的に集中した時にしか解らないほど安定していた。
不思議に思いながらも、廊下に飾られた額縁の写真に、ふと目が止まった。
「え!?」
それを見て、加奈の足が止まる。
そこには自分と瓜二つの少女が、焼け野原となった大地で、鎧を纏った屈強な戦士、それに魔法使いなど、大勢の人間達に混じり、中央の大岩に凭れ掛かり、神々しい剣を手に持ち、力強く微笑んでいた。
「……これって」
先を歩くルーファンが踵を返し、加奈の目線に合わせるように、腰を屈め、
「カナや、それはお前さんの母の、若い時のものだよ」
「やっぱり、ママなんだー♪」
傷だらけになりながらも、その微笑みは、見る者を勇気付け、慈愛と勇敢さを持ち合わせた、絶対的な柱としての気風を、写真からでも感じ取ることが出来た。
「懐かしいわね」
萌子は、ソッと手を出して写真に触れる。
両隣には、二人の男性が、萌子と肩を組んで一緒に微笑んでいた。
一人は、まだ白髪が混じっていないルーファン。
もう一人は、子供みたいに活溌で、無邪気に拳を上げる青年が、血を流しながらも、そんなこと関係ない、といった憎めない表情で、萌子に抱き付いていた。
「……」
その青年を見て、萌子は懐かしさと、切ない気持ちが混在し、心が微かに揺らぐ。
その僅かな感情の流れを、加奈だけでなく、ルーファンも感じとるが、敢えて触れずに、
「いい丈夫だった」
「え?」
その一言は、今の加奈であっても、瞬時に感情を読み取ってしまうほど、重く、悲しみの感情を帯びた色。
自然とルーファンの心と同調していた。
「この人、死んじゃったの?」
その言葉を聞いて、ルーファンは、
「ああ、そうだよ」
短く、淡々と応えた。
だが、その目には、悲しみだけではない、熱く、親愛に満ちた思いが込められていた。




