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第38話 意気地なし

文藝サークルの部室を覗くのは、久しぶりだった。


そもそも、部室と呼んでいいのかも怪しい。


私たちの文藝サークルには、決まった活動日があるわけではない。


大学の空いている部屋を借りて、誰かが使いたいときに使う。


気が向けば来る。


気が向かなければ来ない。


そんな、いかにも野良サークルらしい場所だった。


今日は誰かいるだろうか。


別に、いなくてもいい。


小説が完成したことを誰かに話したくて、なんとなく寄ってみただけだから。


ドアを開ける。


「あ」


「あ」


いた。


早川君。


一人で。


「……こんにちは」


「こんにちは」


どうして。


こういうときに限っているのだろう。


いや。


別に困ることはない。


困ることはないのだけれど。


私は少しだけ迷ってから、中へ入った。


早川君は長机にノートを広げていた。


以前なら、何も考えずにその向かいへ座ったと思う。


でも今は。


どこに座るかで迷う。


迷ったことを悟られるのも嫌で、結局、以前と同じ向かいの席に座った。


「久しぶりだね」


「うん」


二人きりで話すのは。


互助関係を終わらせた、あの日以来だ。


そう思った途端、妙に意識してしまう。


「早川君、今日は?」


「ちょっと原稿を見直してた」


「小説?」


「うん」


そっか。


早川君も書いていたんだ。


当たり前なのに。


自分の小説でいっぱいいっぱいになっていて、忘れかけていた。


「そうだ」


私は鞄を膝の上に置いた。


「わたし、小説できたよ」


早川君が顔を上げる。


「完成したの?」


「うん」


言った瞬間。


なんだか、急に実感が湧いてきた。


「まだ細かいところは直すかもしれないけど、とりあえず最後まで書けた」


「そっか」


早川君が笑った。


「おめでとう」


「ありがとう」


たったそれだけなのに。


嬉しかった。


この小説を書き始めてから、いろいろあった。


書けなくなった。


悩んだ。


恥ずかしい思いも、たくさんした。


早川君にも、ずいぶん助けてもらった。


「早川君のおかげでもあるよ」


「僕?」


「うん。最初のころ、いっぱい相談に乗ってくれたから」


「でも、書いたのは綾瀬さんだよ」


「それでも」


あの時間がなかったら。


たぶん、最後まで書けなかった。


そう思う。


「ありがとう」


改めて言った。


早川君は少し照れたように笑った。


「どういたしまして」


その言い方が。


なんだか懐かしかった。


「早川君の方は?」


「僕もできたよ」


「え?」


「昨日、最後まで書き終わった」


「本当?」


「うん」


「じゃあ、おめでとう」


「ありがとう」


お互いに。


完成した。


同じコンテストへ応募するために書き始めた小説。


一時期は、お互いの原稿を見せ合って。


意見を言って。


土曜日になると、当たり前のように会っていた。


それも、もう終わった。


でも。


小説は残った。


「賞、獲れるといいね」


私が言うと。


「綾瀬さんもね」


「二人とも獲れたらいいのに」


「それだと競争にならないよ」


「あ、そっか」


二人で笑った。


久しぶりだった。


早川君とこうやって。


何も考えずに笑ったのは。


「…………」


笑い終わると。


急に静かになった。


さっきまで何ともなかった沈黙が、途端に気まずくなる。


早川君がいる。


目の前に。


好きな人が。


――言わないと伝わらないでしょ?


弁岳君の言葉が浮かぶ。


――俺も花音先輩に好きな人いるって分かってるけど、言いましたよ。


流留君の言葉も。


二人とも。


自分の気持ちを、ちゃんと言葉にしている。


私は?


「早川君」


「うん?」


顔を上げる。


言う?


今。


ここで。


私は早川君が好き。


ただ、それだけ。


付き合ってほしいなんて言わなくてもいい。


答えを求めなくてもいい。


自分の気持ちだけなら。


伝えても――。


「あのね」


「うん」


心臓がうるさい。


喉が乾く。


怖い。


もし。


困った顔をされたら。


もし。


ごめん、と言われたら。


それでも。


「わたし――」


ガチャ。


「お疲れー」


「…………」


「…………」


「…………」


ドアが開いた。


竹下先輩が立っていた。


「あ」


早川君が言った。


「あ」


竹下先輩も言った。


私は二人を交互に見た。


何だろう。


今の「あ」。


竹下先輩は、私を見る。


それから早川君を見る。


もう一度、私を見る。


「あー……」


今度は少し長かった。


「なるほど」


何がですか。


「じゃあ私、邪魔だった?」


「いや」


早川君の返事が異様に早い。


「全然」


全然なんだ。


ちょっと傷つく。


いや。


そうじゃない。


何を期待しているの、私は。


「竹下先輩は?」


早川君が聞く。


「ん? ちょっと寄ってみただけ」


「そうですか」


早川君がノートを閉じた。


早い。


さっきまで原稿を見直していたのに。


「じゃあ僕、そろそろ帰ります」


「え?」


思わず声が出た。


早川君が私を見る。


「綾瀬さん。また」


「あ……うん」


「応募、忘れないようにね」


「早川君も」


「うん」


早川君はノートを鞄にしまった。


そして立ち上がる。


竹下先輩の横を通るとき。


「先(・)輩(・)」


「なに?」


「余計なことしないでくださいね」


「何のこと?」


竹下先輩が、にっこり笑った。


怖い。


ものすごく怖い。


早川君も同じことを思ったのかもしれない。


「……じゃあ」


それだけ言い残して、部室を出ていった。


ドアが閉まる。


静かになった。


私は閉じたドアを見る。


あと少しだったのに。


あと少しで。


私は――。


「はあ」


竹下先輩が、大きなため息をついた。


「?」


「ほんっと、意気地なしなんだから」


「え?」


「ううん。こっちの話」


意気地なし。


誰が?


今の流れなら。


早川君?


「綾瀬さん」


「はい」


「隣いい?」


「どうぞ」


竹下先輩が、さっきまで早川君が座っていた椅子を引いた。


そこに座る。


近い。


親睦会のときも思ったけれど。


やっぱり綺麗な人だ。


大人っぽくて。


話し方も自然で。


私とは全然違う。


「小説、完成したんだって?」


「え?」


「聞こえちゃった」


「あ、はい」


「おめでとう」


「ありがとうございます」


「文剛も完成したみたいだし。よかったじゃない」


また。


文剛。


私は竹下先輩を見る。


やっぱり気になる。


前からずっと。


早川君のことを、文剛と呼ぶ。


早川君のことをよく知っている。


親睦会でも、何か話していた。


さっきだって。


早川君は竹下先輩が入ってきた途端、逃げるように帰った。


――余計なことしないでくださいね。


何を?


竹下先輩は、そんな私の顔を見ていた。


そして。


少し笑った。


「そういえばさ」


「はい?」


「綾瀬さん」


竹下先輩が頬杖をつく。


「私に何か聞きたいこと、あったんじゃない?」


「…………」


心臓が跳ねた。


どうして。


「親睦会のときから、そんな顔してたよ」


「そんな顔って……」


「聞きたいけど聞けない、みたいな顔」


「…………」


そんなに。


分かりやすかったのだろうか。


流留君にも。


弁岳君にも。


そして竹下先輩にも。


最近、いろいろ見抜かれすぎている気がする。


「別に、無理に聞かなくてもいいけど」


竹下先輩は笑っている。


でも。


これは。


もしかしたら。


ずっと聞きたかったことを聞ける機会なのかもしれない。


私は少し迷ってから、口を開いた。


「あの……」


「うん」


「竹下先輩と、早川君って――」


そこで。


一度、言葉を止めた。





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