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第33話 デートの約束

土曜日の午後。


私は電研の部室で、パソコンに向かっていた。


昨日は親睦会だった。


帰宅したのも遅かったし、朝は少しくらい寝坊してもいいかなと思っていたのだけれど、目が覚めたら結局いつもと大して変わらない時間だった。


習慣とは恐ろしい。


それなら仕事でもしようと大学へ来て、昼までライティングの仕事を片づけ、そのあとは小説を書いている。


「花音先輩、今日も真面目っすねえ」


流留君が隣から覗き込んできた。


「流留君が不真面目なんじゃない?」


「俺、土曜日なのに大学来てますよ?」


「ゲームしてるだけじゃない」


「ゲームの研究っす」


便利な言葉だ。


私は流留君を無視して、原稿へ戻った。


紗栄子をどうするか。


最弱勇者マリリンから得たものは、思っていた以上に大きかった。


相変わらず、あのゲームを名作だとは思えない。


でも。


読者に登場人物を好きになってもらう。


嫌いでもいい。


応援したいでも、腹が立つでもいい。


何かを感じてもらう。


それを意識するだけで、紗栄子の見え方が少し変わった。



スマホが震えた。



美鈴からだった。


《カノン、今日の夜って空いてる?》


《空いてるけど、どうしたの?》


すぐに返事が来た。


《遥の彼氏が合コンやるんだけど、女の子が一人来られなくなったって》


合コン。


私はスマホを見たまま固まった。


昨日、親睦会があったばかりなのに。


今日も飲み会?


それに――。


《ごめん。今月もうお金ない》


本当にない。


親睦会だって、私にとっては決して安い出費ではなかった。


しばらくすると返信。


《高級イタリアン》


「…………」


続けてもう一通。


《女子タダ》


私は返信した。


《行く》


即答だった。


「花音先輩?」


「なに?」


「なんか、すげー決断早くなかったっすか?」


「人生には、迷ってはいけないときがあるの」


「何の話っすか?」


私は答えなかった。


高級イタリアン。


しかも、タダ。


行かない理由がない。



*



夕方まで電研で作業をして、私は美鈴たちとの待ち合わせ場所へ向かった。


そこで。


気づいた。


「あ」


自分の服を見る。


いつもの服。


大学へ来て、パソコンで仕事をするだけのつもりだったので、本当にいつもの服だ。


髪だって特に何もしていない。


化粧も最低限。


美鈴と遥は、ちゃんとしている。


「カノンちゃん、今日も可愛いよ」


遥が言ってくれた。


「それ、絶対フォローだよね」


「あはは」


否定しないんだ。


「大丈夫だって。カノンは素材がいいから」


美鈴まで言う。


「ミリン、それ褒めてる?」


「褒めてる、褒めてる」


二人を見る。


もう一度、自分を見る。


まあ。


食べに行くだけだし。


「ま、いっか」


「いいの?」


「だって、イタリアン食べに来ただけだから」


「カノン、合コンだからね?」


「分かってるよ」


たぶん。




*




結果から言えば。


高級イタリアンは、おいしかった。


ものすごく、おいしかった。


合コンは。


そうでもなかった。


「はあ~、最悪だったね~」


店を出るなり、遥が肩を落とした。


「ごめんね、カノンちゃん。急に呼んだのに」


「ううん。料理おいしかったから」


「そこ?」


「そこ」


実際、それだけで十分だった。


男性陣の話は、あまり覚えていない。


誰がどこの大学で、誰が何をやっていて。


一人はやたら自分の話をしていた気がする。


もう一人も、似たようなものだった。



ただ。



「でも、小机君はまともだったんじゃない?」


私が言うと、美鈴がこちらを見る。


「ああ、カノンの正面にいた人?」


「うん」


「確かに、あの中じゃ一番普通だったかも」


小机弁岳《こづくえべんがく》君。


同い年。


少し小柄で、やや丸みのある体形。


度の強そうな眼鏡に、きっちり分けた髪。


いかにも真面目そうな人だった。


合コンの間も、ほかの男子みたいに自分の話ばかりすることはなく、私の話をちゃんと聞いてくれた。


それだけで、かなり印象が違った。


「花音、小机君と結構喋ってたよね」


「たまたま向かいだったからだよ」


「ふーん」


美鈴が妙な笑い方をする。


「なに?」


「別にー」


やめてほしい。


私たちは新宿駅で別れた。


「今日は本当にごめんね」


遥がもう一度謝った。


「だから大丈夫だって」


「でも、急に呼んじゃったし」


「おいしかったから」


「カノンちゃん、それしか言ってないよ」


だって、本当にそれしかない。


私は二人に手を振り、京王線のホームへ向かった。


土曜日の夜。


ホームには、電車を待つ人の列ができている。


その横を歩いていると。


見覚えのある顔があった。


「あ」


さっきまで一緒にいた。


小机君だ。


どうしよう。


声をかける?


別に、かけなくてもいい。



でも。



せっかく一緒に食事をしたのに、知らないふりをするのも変な気がした。


「あの、小机君」


声をかけると、彼が振り返った。


「あ、綾瀬さん」


少し驚いたあと、すぐに笑った。


「さっきはどうも」


「こちらこそ。ごちそうさまでした」


「いえいえ。僕が払ったわけじゃないですけど」


「あ、そうだった」


二人で笑った。


「小机君って、聖蹟桜ヶ丘だっけ?」


「そうです。綾瀬さんは八王子でしたよね」


「うん」


ちょうど電車が入ってきた。


そのまま二人で乗る。


幸い、それほど混んでいなかった。


並んでつり革につかまる。


「そういえば、小机君の大学って日吉だよね?」


「はい」


「聖蹟桜ヶ丘からだと、かなり遠くない?」


「普段は電車じゃないんです」


「じゃあ車?」


「車のときもありますけど、最近は自転車が多いですね」


「自転車?」


頭の中に地図を広げる。


日吉。


聖蹟桜ヶ丘。


「……行けるの?」


「行けますよ」


「ママチャリで?」


小机君が笑った。


「ロードバイクです」


「ああ」


なんとなく分かった。


細いタイヤ。


変な形のハンドル。


そして、身体にぴったりした服。


私は小机君を見る。


想像する。


「……似合わない」


「え?」


「なんでもない」


危ない。


声に出ていた。


「でも、どうして聖蹟桜ヶ丘なの?」


一人暮らしだと聞いていたから、素直な疑問だった。


ところが。


「好きなんです」


小机君からは意外な答えが返ってきた。


「え?」


好き?


「僕――」


一瞬だけ。


心臓が跳ねた。


「『耳をすませば』が好きなんです」


「…………」


「映画の舞台が聖蹟桜ヶ丘なんですよ」


「ああ……」


びっくりした。


何を勘違いしているんだ、私は。


「主人公の女の子が好きで」


「へえ」


「読書が好きで、小説を書く女の子なんです」


「あれ?」


「どうしました?」


「わたしみたい」


言ってから、恥ずかしくなった。


自分で何を言っているのだ。


でも、小机君は笑わなかった。


「僕も思いました」


「え?」


「今日、綾瀬さんが小説を書いてるって聞いて」


そういえば合コンで、そんな話をした。


「なんとなく、雫が大学生になったら、綾瀬さんみたいな感じなのかなって」


「そんなことないよ」


「そうですか?」


「わたし、そんな主人公みたいな人じゃないし」


地味だし。


恋愛経験もないし。


官能小説を書いているし。


最後のは言えない。


「でも、今日話してて、いい人だなとは思いましたよ」


あまりにも普通に言うので、反応が遅れた。


「……え?」


「綾瀬さん」


「う、うん」


「話してる相手の話、ちゃんと聞くじゃないですか」


「普通じゃない?」


「今日のメンバー見てたら、そうでもなかったでしょ?」


それは。


ちょっと分かる。


「それに、小説を書いてる人って、僕は好きですよ」


「それは、わたしじゃなくてもいいんじゃない?」


「確かに」


あっさり認めた。


思わず笑ってしまった。


小机君も笑う。


なんだろう。


この人とは、話しやすい。


早川君とは違う。


流留君とも違う。


変に身構えなくても、向こうから会話を運んでくれる。


やがて電車は府中を過ぎ、席が空いたので並んで座った。


「綾瀬さん」


「ん?」


「来週の土曜日、空いてます?」


唐突だった。


「土曜日?」


「はい」


「今のところは……」


「じゃあ、ドライブ行きません?」


「え?」


あまりにも自然に言われたので、一瞬意味が分からなかった。


「奥多摩の方。車で」


「わたしと?」


「ほかに誰がいるんですか」


小机君が笑う。


「嫌なら全然いいですけど」


「嫌じゃないけど……」


「じゃあ、行きましょう」


決まった。


早い。


「八王子まで迎えに行きますよ」


「いいよ、そんなの。遠いでしょ」


「聖蹟からなら大した距離じゃないです」


そう言ってスマホを出す。


「連絡先、交換しません?」


「あ、うん」


流れるように話が進んでいく。


私は言われるままに連絡先を交換した。


「あと」


「なに?」


「同い年だし、敬語やめましょう」


「あ」


私はタメ口だった。


「そうだね。なんか堅苦しいし」


「じゃあ、花音ちゃんって呼んでもいい?」

「僕の事は『弁岳君』とでも呼んで」


「うん」



早い。



この人、見た目よりずっと早い。


「あ、次、聖蹟桜ヶ丘じゃない?」


「本当だ」


小机君――弁岳君が立ち上がる。


「じゃあ、詳しいことはあとで送るね」


「うん」


電車が止まった。


ドアが開く。


「またね、花音ちゃん」


「またね、弁岳君」


ホームへ降りた弁岳君が振り返る。


私もドアの前まで行って、軽く手を振った。


やがてドアが閉まる。


電車が動き出した。


ホームに立つ弁岳君が、少しずつ遠ざかっていく。


私は閉じたドアの向こうを、しばらく眺めていた。


走り出した電車が、弁岳君を小さくする……。



その姿がホームの人混みに紛れて見えなくなってから、私は席へ戻った。


そして。


「…………」


今さらながら、とんでもないことに気づいた。


私、デートの約束をした?


それも、男の子と二人きりでドライブ。


しかも。


「弁岳君……」


名前で呼んでる。


さっきまで小机君だったのに。


同い年だから敬語をやめようと言われて、花音ちゃんと呼ばれて、私も弁岳君と呼んだ。


その間、ほとんど迷わなかった。


「…………」


おかしい。


以前の私なら、こんなに簡単に男の子との距離を縮められただろうか。


流留君は違う。


あの子は最初から、私の中では『年下の男の子』だった。


妙に馴れ馴れしいし、距離も近いけれど、なぜか緊張しない。


もし弟がいたら、こんな感じなのかなと思ったくらいだ。



でも。



弁岳君は違う。


同い年の男の子。


今日会ったばかり。


それなのに私は、その男の子からドライブに誘われて、あっさり「うん」と答えてしまった。


なんなら、ちょっと楽しみでもある。


「……わたし、どうしたんだろ」


窓に映った自分を見る。


別に、弁岳君を好きになったわけじゃない。


そんなはずはない。



だって。



好きな人なら、もういる。


その人と話すだけで、今は余計なことまで考えてしまう。


隣に誰かが座れば気になる。


別の女の人と親しそうにしていれば、もっと気になる。


なのに。


弁岳君とは普通に話せた。


普通に笑えた。


そして、普通に誘いに乗った。


早川君を好きになってからの方が、早川君以外の男の子と普通に話せるようになっている。


なんだか、おかしな話だ。


もしかすると。


恋を知ったから、男の人がみんな『よく分からない怖いもの』ではなくなったのかもしれない。



好きな人と。



そうじゃない人。



少なくとも、その違いくらいは。


今の私にも、分かる。


「…………」


そこまで考えて。


もう一つ、気づいた。


来週の土曜日。


弁岳君とドライブ。


「早川君に……言う必要はないよね」


口に出してから、自分で首を傾げた。


どうして今、早川君が出てきたんだろう。



電車はそのまま、八王子へ向かって走っていった。



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