↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
32/39

第32話 唐揚げが……ない

金曜日。


朝から、なんとなく落ち着かなかった。


講義を受けている間も、ライティングの仕事をしている間も、ふとした拍子に夜のことを思い出す。


今日は文藝サークルの親睦会がある。


別に、珍しいことではない。


サークルの集まりなのだから、私が参加して、早川君も参加する。


ただそれだけ。


なのに。


自分の気持ちに気づく前なら、こんなことをいちいち考えたりしなかった。


互助関係を終わりにしたのは私だ。


早川君も納得してくれた。


だから、普通にすればいい。


普通に。


その「普通」が、よく分からなくなっているのだけれど。




*




親睦会の会場は、先週下見に来た店だった。


あのときは美鈴と早川君と、三人だった。


同じ店なのに、今日はずいぶん騒がしい。


長いテーブルを囲んで、文藝サークルのメンバーが十数人。


普段の活動ではあまり顔を合わせない人もいる。


私は美鈴の近くに座った。


そして。


少し離れたところに、早川君がいた。


目が合った。


「……あ」


向こうが先に軽く手を上げる。


私も同じように返した。


これだけ。


これだけなら大丈夫。


やがて飲み物が行き渡り、三上先輩の乾杯で親睦会が始まった。


しばらくすると席も崩れ始め、それぞれ好きな相手と話し始める。


私も何人かと話した。


小説のこと。


講義のこと。


サークルのこと。


そして。


「綾瀬さん」


聞き慣れた声に振り向く。


早川君だった。


「……うん」


普通。


普通に。


「小説、どう?」


いきなりそれだった。


少し笑ってしまった。


「なに?」


「ううん。早川君らしいなって思って」


「そう?」


「うん」


少しだけ、緊張がほどけた。


こうして話してみれば、何も変わっていない。



……いや。



変わったのは、私の方だけなのかもしれない。


「書いてるよ」


「そっか」


「それでね、すごくいいアイデアをもらったの」


「アイデア?」


「うん」


電研のことを話そうとして、少し迷った。


最弱勇者マリリンの説明を、どこからすればいいのだろう。


「ちょっと変わった人たちからなんだけど」


「変わった人?」


「年下の男の子や、わたしの方を向いて話してくれない先輩」


早川君の表情が、ほんの少し動いた。


気がした。


「大学の?」


「うん。電研っていうサークルの人たち。図書館のパソコンが使えないから、美鈴に紹介してもらったの」


「ああ、パソコン」


早川君が頷いた。


「そうか。困ってないならよかった」


「うん」


その言葉が、少しだけ胸に残った。


それから私は、流留君から聞いた話を簡単に説明した。


読者が登場人物に何を感じるのか。


好きでも、嫌いでも。


何かしらの感情を持ってもらわなければ、どれだけ話を作り込んでも届かないんじゃないか。


「なるほど」


早川君は真面目に聞いてくれた。


以前と同じように。


「面白い考え方だね」


「でしょ?」


「うん。僕はそういう方向から考えたことなかった」


その言葉が嬉しかった。


早川君から教えてもらったことは、たくさんある。


でも。


早川君が知らないものを、私が持って帰ってくる。


それをこうして話す。


なんだか少しだけ、自分で歩けたような気がした。


「今度、書けたところまで――」


言いかけて、止まった。


読んでもらおうか。


そう続けそうになった。


もう、互助関係は終わったのだ。


「……ううん。なんでもない」


「そっか」


早川君も、それ以上は聞かなかった。


ちょっとだけ。


寂しかった。



*



開始から三十分ほど経ったころ。


「ごめーん、遅れた!」


聞き覚えのある声がした。


入り口を見る。


竹下先輩だった。


「お疲れさまです」


「竹下さん、こっち空いてますよ」


「ありがと」


何人かと挨拶を交わしながら、竹下先輩がこちらへ歩いてくる。


そして。


空いている席を見つけた。


早川君の隣だった。


「あ、ここいい?」


「どうぞ」


早川君が答える。


私は。


竹下先輩のお尻が椅子に着くより先に、立ち上がった。


「カノン?」


美鈴が不思議そうに私を見る。


「ちょっと、向こう行ってくる」


「うん」


別に逃げたわけではない。


ちょうど向こうの席の人とも話そうと思っていた。


本当に。


たまたま。


移動した先には、料理の大皿があった。


唐揚げが残っている。


私は一つ取った。


食べる。


もう一つ。


食べる。


少し離れたところに、早川君と竹下先輩がいる。


見ていない。


私は見ていない。


唐揚げを食べているだけだ。



ちら。



竹下先輩が何か言っている。


早川君が困ったような顔をした。


竹下先輩がさらに何か言う。


今度は早川君が目を逸らした。


なんだろう。


怒られている?


竹下先輩の口調までは聞こえない。


でも、笑いながら世間話をしているようには見えなかった。



ちら。



また見てしまった。


「…………」


唐揚げ。


私は三つ目に手を伸ばした。


何を話しているんだろう。


先週、この店で美鈴に「好きな人はいるの?」と聞かれたとき、早川君はいると答えた。


美鈴ではなかった。


そして、竹下先輩の名前が出たときも否定した。


でも。


本当に?


二人の距離は近い。


高校も同じ。


今でも二人で会うことがある。


それに――。


「食べるねえ」


「ふぁい?」


声をかけられて、口に入れた唐揚げを慌てて飲み込んだ。


「ご、ごめんなさい」


「なんで謝るの?」



竹下先輩だった。



いつの間に。


「隣、いい?」


「あ、はい」


竹下先輩が私の隣に座る。


近くで見ると、やっぱり綺麗な人だ。


服も髪も、何もかも自然に整っている。


私とは違う。


「あんまりちゃんと喋ったことなかったよね。綾瀬さん」


「そうですね」


「文学部の二年だよね?」


「はい」


「小説書いてるんでしょ?」


「え?」


思わず竹下先輩を見る。


「どうして知ってるんですか?」


「文剛から聞いた」



文剛。



一瞬、誰のことか分からなかった。


早川文剛。


早川君のことだ。


「……文剛?」


「うん」


呼び捨て。


胸の中で何かが引っかかった。


「あいつの部屋で書いてたんでしょ?」


今度は唐揚げが喉に詰まりそうになった。


「な、なんでそれまで知ってるんですか?」


竹下先輩が笑う。


「聞いたから」


「早川君から?」


「うん」


何を。


どこまで。


早川君は、この人に何を話しているのだろう。


「毎週行ってたんだって?」


「毎週というか……土曜日に……」


「それを毎週って言うんじゃない?」


「そうですね……」


何を答えているんだ、私は。


竹下先輩は面白そうに笑っている。


嫌な感じではない。


私をからかっているようでもない。


ただ。


近い。


早川君との距離が。


私の知らないところで、ずっと近い。


「あの」


「ん?」


聞きたい。


竹下先輩と早川君は、どういう関係なんですか。


高校の先輩と後輩。


それだけ?


本当に?


「あの、竹下先輩って――」



「はーい! ちゅうもーく!」



大きな声が店内に響いた。


「…………」


今?


みんなの会話が止まる。


声を上げた先輩が、グラスを持って立っていた。


「えー、本日の親睦会にお集まりの皆さん。ここで一つ、めでたいご報告がありまーす」


何だろう。


「本人たちから言うのも恥ずかしいそうなので、私から発表しまーす」


周囲から「なになに?」と声が上がる。


私の隣で。


竹下先輩が、片手で顔を覆った。


「ちょっと、やめてよ……」


「えー、このたび!」


嫌な予感ではない。


でも。


何かが来る。


「我らが三上先輩と――」


え?


「竹下さんが、お付き合いすることになりましたー!」


一瞬の静寂。


そのあと。


「えええええっ!」


歓声が上がった。


拍手。


口笛。


誰かがテーブルを叩いている。


私は。


隣に座っている竹下先輩を見た。


竹下先輩が少し照れたように笑った。


「竹下ー! こっち来い!」


上座から呼ばれる。


「はいはい。もう……」


竹下先輩が立ち上がった。


「あ、綾瀬さん」


「はい」


「またあとで話そ」


「……はい」


行ってしまった。


私はその背中を見送った。


三上先輩と。


竹下先輩が。


付き合う。


というのは本当だった。


竹下先輩は、早川君の好きな人ではない。


やっぱり違った。



じゃあ。



さっきの二人は何を話していたのだろう。


どうして早川君は、竹下先輩にあんな顔をしていたのだろう。


どうして竹下先輩は、私が小説を書いていることを知っているのだろう。


どうして。


私が毎週、早川君の部屋へ行っていたことまで知っているのだろう。


そして。


どうして早川君のことを――。


文剛。


そう呼ぶのだろう。


「…………」


私は大皿に手を伸ばした。


唐揚げは。





もうなかった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。