プロローグ
教室の隅に置き去りにされた盤面の上で、ぼくらは誰もが「最良」と信じた一手を指し続けていた。
あの春の日、1年1組のドアをくぐったときから、すべては美しく仕組まれた罠だったのかもしれない。
北川冬馬という男の、器用貧乏で、自分の価値を信じ切れない卑屈な心が。
西沢秋葉の、素直になれずに強がる不器用な優しさが。
南野夏樹の、親友の背中を押そうとするまっすぐな誠実さが。
そして、東山春華の、誰よりもぼくを想うがゆえに飲み込んだ悲しい沈黙が。
全員が、自分以外の誰かの幸せを祈っていた。
自分を削り、本音を押し殺し、相手の笑顔を守るための一手を指し続けた。
——だが、その優しさこそが最悪の毒だった。
噛み合わない歯車は、静かに、けれど確実に狂いを増していった。
秋葉が見せた安堵の笑顔に浮足立ったぼくの浅はかな勘違い。
春華の瞳に宿っていた切ない翳りを「ただの心配」だと片付けてしまった鈍感さ。
親友を応援しているつもりで、その首に絞め縄をかけていた夏樹の純粋さ。
誰も悪くなかった。
悪意なんて、この小さな盤面のどこを探しても一欠片すら落ちていなかった。
それなのに、全員の「善意」と「思い込み」が重なり合った瞬間、逃げ場のない惨劇が完成した。
あの夕暮れの校舎裏。
屋上に響き渡った叫び声。教室の鍵を締め、全員で泥のような本音を吐き出した、あの地獄のような放課後。
王手をかけられたのは、一体誰だったのだろう。
いや、気づいたときにはもう、全員の王が詰められていたのだ。
二度と動かせず、誰も勝者になれない、歪で、愚かで、愛おしい「詰み盤面」。
あの日々の傷痕は、今もぼくの胸の奥で鈍く疼いている。
これは、優しさですべてを壊してしまった、ぼくたちの高校一年生の記録だ。




