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ジャックとランタンが出会う~眠れるアリスとアカシャの鍵~ 上


 〝来館〟


 少女は今、館の前にいます。

 年は十四、五歳といったところだろう大きな瞳に長い黒髪をした美しい少女、人形のように完成された美のようでいて決して無機物では手に入らない生気と生々しさを併せ持つ彼女。

 そして、やや青みがある眼で見上げていたその館に足を踏み入れた。

 そこは両側を本の隊列に囲まれた法廷のような場所だ、綺麗にならんだ机や椅子、本の背表紙は茶色でゲシュタルト崩壊を起こしそうなほど周囲との変化を見つけられない。

 その中に……彼はいた。

「おや? これは、これは……お客様とは珍しい」

 その天上に届きそうなほど積み上げられた本に囲まれた、その中央にいる男は少女に気がつくわざとらしい驚きをした。

「このような古びた館にお越しいただき、誠にありがとうございます」

 古びた机の前に出ると、その燕尾服の男は慇懃に一礼した。

「ようこそ煉獄館へ、私はここの館長を務めております、リオン・ダアトと申します、以後お見知りおきを」

 その笑みは、美女と見間違う程に美しい。

「この煉獄館は〝彼女〟の思い描いた物語が収められた図書館でございます」

 両腕を広げて、ここにある本を見渡す様は舞台に躍り出た主人公のよう。

「さてお客様、当館のご利用は初めてでございますね? ここは一つ、私のお勧めする本をご紹介させていただこうと思います」

 すると、少女に近づいてきた男の手にはいつの間にかハードカバーの本が握られていた。

「この本は、当館一押しの物語となっております」

 それを受け取った少女は、男に導かれるままに男が座っていた椅子に誘われた。

「内容の程は、百聞は一見にしかずと言いますし、どうぞ心行くまで御観覧下さいませ」

 ふと少女が振り返ってみても、そこに男の姿は無かった。

「それでは〝アリスの夢〟の始まり、始まり」

 けど、男の美声が耳に届いた。

 少女はそのまま、その本に目を落とした。



 〝夢の始まり〟



 夢を、見ています。

 夢の中の彼は、妹を救えなかった可哀想な少年です。

 自責の念に捕らわれた彼は、生きる理由よりも死ぬ理由を探していました。

 しかし、少年は死ぬ事は出来ません。

 何故なら、それが運命だからです。

 私の見る、夢だからです。

 このままでは、彼は救われない。

 彼が救われるためには、生きる理由が必要です。

 そして、出会わなければなりません。

 生きる理由を探す可憐な少女と。

 死にたがる少年と、生きる目的を探す少女。

 彼らが出会って、初めて本当の運命が動き出す。

 果たして、その運命は彼等を殺すのか、生かすのか。

 見届けましょうか。


                       1


 夕暮れ、風の強い日だったと思う。

 急に妹から呼び出しを受けた、そこは親父たちとよく行った思い出の場所で親父たちがいなくなってからは、来たことがなかった。

「何やってんだ、歩兎(あると)、風の強い日にそんな所にいたら、落ちるぞ?」

 妹はただ眺めていた、そして自分たちの暮らす街を眺めながら答える。

「兄さん、来てくれたんですか……」

(また、この夢か……)

 何度も見た夢、その日が近づくといつも見る。

「来るも何も、お前が呼んだんだろ?」

「そうでしたね……」

「……おい、歩兎?」

「……」

「なぁいい加減夕日ばっかり眺めてないで、ここに呼んだ理由を説明しろよ――」

(何で気付けなかったんだ……)

「兄さん」

 だが後悔は、先に立ってはくれない。

「何だよ」

「ありがとうございました」

 初めてこちらを向いた妹の表情は、笑顔だった。

「は?」

「私の兄さんに生まれてくれて」

「お前、どうしたんだよ、急に――」

「さようなら、兄さん」

(本当は、止めてほしかったのか?)

「! 止せ! 歩兎」

 両手を広げゆっくりと妹が傾いて行く。

 傾いた先に、地面はない。

「くすっ……」

 微笑む大きな瞳から流れた(ひと)(しずく)の液体、あいつは笑いながら泣いていた。

「歩兎!!」

 慌てても、もう遅かった。

(守れなかった、落ちていく妹の手を掴めなかった。夢の中でさえ……止められなかった)

 それもそうだ。

 これは夢、夢だけど……現実なのだから。

「コラ(とう)()、ちゃんと聞いていたか?」

「え?」

 夏休みが迫った七月十日、そこにあったのは、有り触れた授業風景だった。

(佳澄さんの授業で寝ちまったか……)

 見上げると、我らがクラスの担任にして世界史教師の()(すみ)先生が席の横で仁王立ちしている。

 すっきりとした顔立ちでレディースーツの上から科学担当でもないのに真っ白な白衣を着ている。

 本人曰く、昔は女医だったらしく不思議と白衣に違和感はない。

 鋭い目つきであることもあり、見た目はバリバリのキャリアウーマンだが割と茶目っ気のある性格で男女問わず人気がある。

「まったく、そんなに汗をかいてまで寝るな……」

 先生の呆れの視線とクラスからの笑い声、何時もの日常だ。

 しかし、こんなに授業で寝てしまったのはこれが初めてだ。

 窓からは初夏の風が入ってくるそれは心地いい、心地いい筈なのに嫌な汗が止まらない。

 多分、あの時の夢を見たのだろう。

 もう記憶には残って無いが、きっとそうだ。

「しかし、お前が居眠りなんて珍しいじゃないか。もうすぐ夏休みだからって夜更かしでもしてたのか?」

「いえ、最近バイトが忙しくって」

「言い訳か? だからって私の授業を(おろそ)かにするのは感心しないな」

「はい……すいません」

「しょうがない、もう一度説明してやるからしっかり聞いとくように」

 そうして再開された授業を聞きながら、思い出す。

(そう言えば、もうすぐ、だったな……)

 忘れていたわけじゃない、むしろこの三年間、忘れたことなんてない。

(七月十三日――歩兎が死んだ日)

 再開された授業を聞きながら窓の外を見る。外は晴天の空、雲ひとつない群青色の空が広がっていた。


 キーン コーン カーン コーン


 ウェストミンスターの鐘が静かだった教室に響き、長かった授業が終わった。

 それと同時に生徒たちが次々と教室から飛び出していく。

 カラオケに行こうとするもの、図書館で勉強をしに行こうとするものと、各々(おのおの)事は違えども放課後を有意義な時間にしようとしているのだが、俺はここで有意義な時間が作れるとは思わない。

「帰るかな……」

 小さく呟くと一人席を立つ、今日はバイトもないし早く帰って寝よう。

 そう決めると、手早く荷物をまとめて廊下に出ようとした時、校内アナウンスが流れた。


「「生徒の呼び出しをします。二年F組の鬼火(きび) (とう)()君、至急、生徒会室まで来てください、繰り返し――」」

 自分の名前が呼ばれた。

 帰ろうとした矢先に呼び出しとは、あの生徒会は俺に嫌がらせをするほど暇らしい。

(行くのは……面倒だ)

 そう結論づけると玄関に向かう、途中クラスの奴らに見つかったが、クラスで俺に話しかける物好きは少ない。

 だから、容易に帰れるはずだったのに――。

「何処行くんだ? お前、生徒会に呼び出されただろ?」

「あ、佳澄先生……」

 まずい所でまずい人に遭ってしまった。

「今日緊急のバイトが入ったんで生徒会の方には行けないです」

「はい、嘘だね」

「いや、嘘なんかじゃ――」

「う・そ、だよね?」

「…………はい」

「じゃあ丁度いい、この資料、花蓮に渡してくれよ」

「会長に? 自分で行けばいいじゃないですか」

「ついでだろ? 私もあそこまで行くの、面倒だし」

「それが本音ですか……だいたいこれ予算の資料ですよね、一般生徒に渡すのはまずいじゃないですか」

「いいんだよ、花蓮とは幼馴染みだろ? 花蓮会長の信頼もあるし生徒会も一目置くお前なら問題はない」

「全員ではないですけどね、一部の人からはめっちゃ嫌われてますよ、俺」

「そうなのか? まぁどうでもいいや。とにかく、頼んだよ」

 そう言ってサッサと退散してしまう、これで逃げる選択肢は消されてしまった。

「しょうがない、か」

 重い足取りで三階にある生徒会室に向かう、同じ校舎にあるから三分と掛からないうちに、重々しい扉の前に立つ。

 生徒会室に来ること自体は嫌ではないんだが、あの円卓の生徒会の空気はどうも馴染めない。

 特に、俺を毛嫌いしている副会長には本当に困ってしまう。

 生徒会室の扉の前で、息を整える。

「こうなったら、副会長がいない事を願うだけだな」

 顔を合わせたらまた面倒なことに――

「貴様、ここで何をしている」

 なってしまったようだ。どうやら、今日は本当に厄日だ。

「ど、どうも桜井先輩」

 歪な笑顔で返す。

 相変わらず敵意を剥き出しだにしたこの人こそ副会長の桜井 (いずみ)さんである。

 キリリとした目つきに、物言わせぬ峻厳とした風貌から冷血副会長と呼び声高いが、女子には人気がある。

 斬鵺さん曰く、全女生徒の四分の一はこの人に告白したいと思っているらしい。

 面識は数えるほどしかないが、生徒会で俺を嫌っている人の筆頭がこの人である。

「挨拶が聞きたいんじゃない、どうして生徒会室の前にいるのかと聞いているんだ、それとその紙の束は何だ?」

 眼鏡を上げる仕草なんか様になり過ぎて、痛い腹を探られている気分になる。

「いや、何故と聞かれても……校内放送で呼ばれたんで来ただけです、それとこれは佳澄先生から預かった資料です」

「校内放送? 全く、会長にも困ったものだ、こんな奴を未だに生徒会に入れようなどとお考えのようだ」

「やっぱり、そう言うことだったんですね」

(花蓮さん、まだ諦めてなかったんだな)

 でも、その原因は俺なんだよな、俺の中途半端な態度がいけないんだろう。

 だから花蓮さんは俺を必要に誘うんだと思う。

 それは、俺に対しての気遣い……それは分かっているし嬉しいけど、正直その期待は重い。

 俺は人の為に働けるほど、出来た人間じゃない。

「安心してください、俺なんかが生徒会の仕事をこなせるなんて思っていませんから」

「また、そうやって逃げるのか?」

「…………さぁ? 何の事ですか?」

「貴様、いい加減にしろ! これ以上、会長を惑わすな!」

 先輩は今にも掴みかかってきそうな剣幕だ。

 すると、そこにタイミング悪く夕日に照らされた細長い人影が現れた。

「何事ですか?」

 鈴の音の様な凛とした声が響いた。俺たちを一瞥すると、すぐに状況を察したのか僅かに眉をひそめた。

 セミロングの髪を揺らし颯爽と帰ってきたこの人こそ、幼馴染みにして聖樹高校生徒会の頂点にいる、(あま)(はら) ()(れん)その人だ。

 黒く艶のある髪を流し、整った輪郭に、薄くほのかに赤い唇と白くも健康的な肌は日本の大和撫子を連想させる。

 でも、制服の着こなしは今どきの高校生らしく、少し短めに折ったスカートを履いている。

 本人いわく校則違反ではない長さらしい。

 おまけに、スタイルの維持には実家で行っている武術の稽古が役立っている。

 会長の家はこの辺りでも剣術や様々な武術を教えている名家なのだ。

 そして、彼女は自他共に認める正義の人であり日々、俺に無意味に突っ掛かる桜井先輩を一段と厳しい目つきで見据える。

(いずみ)、何をしているのですか?」

 勢いはないが、否定を許さない威厳ある声に、関係ない俺でさえ冷や汗をかく。

「会長、これは……」

「生徒会役員とあろうものが一般生徒を脅かすのは、どうかと思いますが?」

「申し訳ありません、しかし――」

「しかし、ではありません、灯夜を呼んだのは私です。いい加減、彼に突っ掛かるのはやめなさい、今日はもう帰っていいですから頭を冷やしなさい」

「……yes my Lord」

 不満顔のまま慇懃にお辞儀して去る桜井先輩、すれ違う時に殺気にも似たものを浴びせられ少し身を竦めた。

「ごめんなさい、少し来るのが遅くなってしまったわね」

「いいですよ、これ以上ないタイミングで来てくれましたから」

 それを聞いて会長は笑った。

 それだけで、さっきまでの張り詰めていた空気が和らいだ気がした。

 先生から預かった資料を渡し、立ち話もなんだと言うことで続きは生徒会室で話すことになった。

 幸い、二人を除いて威厳と静寂に包まれた生徒会室に生き物の気配はなかった。

 花蓮さんは椅子に座らず外を眺めているので、こちらから本題に入る事にする。

「それより会長、俺をここに呼んだ理由は? 言っときますけど生徒会には入りませんから」

「分かっていますよ、こんな簡単に入ってもらえるなら、もっと前に入っているはずですからね、それよりも……」

「何ですか?」

 軽く睨まれた。

 訳が分からず首を傾げる、すると会長はわずかに頬を膨らませて俺の顔を覗き込む。

 怒っているようだが先のやり取りでも分かる通り、普段のクールビュウティーのイメージとは違う、気心の知れた幼馴染みにしか見せない幼い表情だ。

 その手の感情に疎い俺でさえ、可愛いと思う。

「なんで怒ってるんですか?」

「私、前に言いませんでしたっけ?」

「? 何を?」

「私、前にお願いしましたよね? せめて二人きりの時は名前で呼んでって、確かに言いました。覚えてますよね?」

「ああ……」

 そうだった、確か俺が入学した時にそんな事を言われた気がする。

「いや、それはそうですけど学校でそれは不味いんじゃないですか?」

「どうして?」

「だって、誰が聞いているか分からないじゃないですか、そんな親しげに話してたら噂になっちゃいますよ」

「私は別に構いませんが?」

 悪戯っぽく笑った。

 けど、本人がいいなら他人がどうこうゆう筋合いでもない。

「それで、勧誘じゃないならどうして呼んだんですか? 花蓮さん?」

 名前を呼んで満足したのか、弾みながら離れる。

「確かに生徒会の話ではないんですが、(とう)(くん)と話したい事があるの」

「いや、花蓮さんそれは……」

 灯君って、それは小学校の頃のあだ名だ。

 高校生になってそう呼ばれるのは恥ずかしいしいし、それにこの人はその手の事になると嫌だと言っても言い続けるからここできっちりと釘を刺しておかないと。

「ダメ、ですか?」

「……………………好きにしてください」

 あなたにショボンとした表情されたら、断れる訳ないじゃないですか。

「卑怯ですよ、全く」

 それに、よく遊んでいた頃から花蓮さんには笑っていて欲しかった。

 それは、3人で遊んでいた頃も、今も変わらない。

 歩兎の分も……笑っていて欲しい。

「もうすぐですよね、歩兎ちゃんの命日」

 物思いにふけっていた俺に花蓮さんの声が届く、花蓮さんの瞳は遠くを見ていた。

 その横顔は、景色を見るように思い出を見ていた。

「そう、ですね……」

「それで? |今年も行かないつもりですか《・・・・・・・・・・・・・》?」

「それは……」

 痛いところを突かれた。なるほど、だから呼んだのか。

「未だに分かってないようなんで、もう一度言いますね、歩兎ちゃんが死んだのは君のせいじゃありませんよ」

「分かってます」

「そうですか? じゃあ何故、唯一の肉親である君が行かないんですか? 両親の命日には行くのに……あの子もきっと来て欲しい筈ですよ」

「……」

「やっぱり、分かってなかったんですね……」

 やっぱり、この人の前では言い逃れは出来ないし、したくない。

「だって――あんな死に方だったんですよ? 俺をわざわざ呼びだして……俺の、目の前で……」

 今日見た夢が、走馬灯のように断片的に過る。

 その時の歩兎が流した涙が、今でも忘れられない。

「それは分かります、ですが――」

「これ以上、この話はしたくありません」

「灯君……」

 悲しませたくはなかった。

 だけど、これだけは譲れない……歩兎の死から逃げているうちは俺に行く資格はない。

「話はそれだけですか? 終わりなら帰りますね」

「灯君、これだけは覚えておいてください」

 振り向かずに、立ち止まる。

「私は、いつでも君の味方です」

「……」

(ありがとう、花蓮さん)

 そうして俺は何も言わずに、静寂の生徒会を後にした。


「でもね、近いうちに君は……向き合うことになるんですよ? 歩兎ちゃんの死と……それは、〝アリスの夢〟が決めたことだから」




 生徒会室から出て玄関に向かう、さっきの事は忘れようとするが人間はそんなに単純には出来ていない、考え過ぎて知恵熱を出しそうだった。

 その時、階段を降りていると聞き馴染んだ声に呼び止められる。

(とう)()! 何処行くんだ?」

「……帰るんだ」

 簡潔に答える。

 こいつを相手にすると、いつの間にか何処かに行く流れになるのを何度も経験しているし、それに今ははしゃげるような気分じゃない。

「えぇ!? もう帰るのかよ。そうだ、暇だったら一緒にカラオケ行こうぜ」

「嫌だ」

「即答?! ちょっと待てよ、灯夜!」

「はぁ~なんだよ、海燕」

 溜息の後、仕方なくそいつを視界に入れることにした。

 同じ制服姿で立つこいつの名前は(たちばな) (かい)(えん)、メガネが似合うあたり容姿はいかにも学級委員長とかやってそうだし、人の前に立つのが上手い為クラスのムードメイカーを務めるほどなのにそのスキルを生かそうとしないあたり、非常に何かが残念な感じだ。

 加えて成績は中の下くらいで、決して悪いわけではではないので始末が悪ときている。

 俺とは、中学からの腐れ縁である。

「カラオケならこの間行っただろ? しかも名前も知らない女子と五時間も歌わされたし」

「いいじゃんか、とにかく行こうぜ~」

(聞いちゃいね……)

 渋っている俺に、ついには合掌までして懇願してきた姿に、目を丸くする。

「頼むよ~今日の昼に誘った後輩の()の友達がお前に興味があるんだって、そんでお前を呼ばなきゃその子も誘った子も来ないっていうんだよ」

「結局それかよ、俺をだしに使うな」

「そんなこと言わずに、頼む! 今度何か奢るからさ~」

 女好きの尻軽な友人の必死に頼み込む姿を見て深く、とても深く嘆息した。

 こう言った時に断る度胸のない自分が情けない。

「分かったよ、ただし二時間だけにしてくれよ……」

「ありがとう! 今度、絶対なんか奢ってやる」

「待ち合わせは昇降口でいいか?」

「おぉいいぞ、お前さんに興味ある子もよく図書館を利用するらしいし、意外とお前さんとウマ合うんじゃねーの?」

 それだけ言い終わると風の如く一年の校舎へと走り去っていった。

 その背中が見えなくなるまで見送って俺は三度目の溜息をついた。

「まったく……」

 今さら愚痴っても仕方がないので俺も待ち合わせ場所に向かう、この時間になっては流石に廊下には生徒の姿は少ない。

 でも、未だに何人かの生徒は友人たちと談笑している。

(ここに屯って、何が楽しいんだ?)

 ここで談笑するくらいなら、家に帰って何かをした方がよっぽど有意義だと思う。

「しかし海燕の奴、やけに張り切ってたな」

 あんな必死に遊びに誘う海燕を見るのは初めてだった、そのおかげで余計に断りにくくなってしまった。

「今日の子はよっぽどレベル高いんだろな」

 そんな事を思いつつ鞄から音楽プレイヤーを取り出す、音楽は聴くのは好きだが歌える曲となると途端に数が少なくなってしまう。

 だから、少しでも歌える曲をチョイスしておこう。

 そして、曲を聴き視界に映る生徒を追い越しながら考えるのはやっぱり歩兎の事だ。

 俺は幼いころから母さんや親父に勉強を見てもらい、なおかつ本ばっかり読んでいたためか学習面で苦労したことはないしインドアでも運動面でもこれといって苦手なものはなかった。

 しかし、だからといってそれを見せびらかしたりしたことはない。

 だが、昔から人と話すことが少し苦手だったから、あんまり人としゃべらなかった。

 けどそれが、周りの子供にしてみればお高く留まっていると思われていたのか、靴や筆箱を隠されるといった簡単ないじめを受けた事はあったがそれ以外は普通だったと思う。

 一方歩兎は大人の女をそのまま小さくした様なやつだ。

 大人しくも社交性がある。

 少女、そう呼ぶのは簡単だ。

 だが、それが年不相応であるなら少女と呼称するのは筋違いだと思う。だが、大人ほど完成された美ではなく、血色のよい肌、陶器の様に滑らかな素肌は生まれたて赤子の様にしか見えない。

 家族ひいきに見ても妹がいた学年の中では一番可愛かったと思う。

 今、ここに歩兎が居れば、きっとアイドルになっていただろう。

 この学校はそんなあいつが入りたがっていた、県内でも有数な進学校である。

 敷地と建物が無駄に広い、それだけが印象の校舎。

 俺がここを選んだ理由は一つだけ、ここは歩兎が入りたがっていた学校だったからだ。あいつが入りたかった学校を少しでも見ておきたかったからだ。

 いつかあいつに許された時に、話してやれるように。

 そんな事を思いながら、手入れの息届いた階段を降りて行くと海燕がすでに見知らぬ女子二人を連れてきていた。

 赤いネクタイを付けているから下級生のようだ。

 一人は短髪で、生気にあふれた表情で見た目からして元気のよさそうな子だ。背丈は俺より頭二つ分小さい。

 もう一人の方は、背丈は片方の少女と同じくらいだが、淡い白色の長髪をした文学系の少女で顔にはフレームのないメガネを()けている。

 いかにも気弱かつ儚そうで、さっきの活発な印象の子とは正反対だ。

(この二人か……確かに海燕が浮かれるのも分かる)

 印象こそ正反対だが、二人とも他校から美人が多いと有名なこの学校においても名前負けしない位の美少女である。

 海燕が浮かれるのも分かる。

 すると、階段を下りた俺を見つけた海燕が二人を連れてくる。そして、海燕が仕切る形で簡単な紹介が始まった。

「二人とも紹介するね、こいつは鬼火(きび) (とう)()つって、俺の男友達だ」

「よろしく」

 軽く会釈する、すると活発な印象の彼女が俺の顔をまじまじと見つめてきた。

 初対面の女子にまじまじと見つめられる覚えもなく、俺が僅か目を細めて聞く。

「何?」

「あっ……すいません、真澄が気になるのも分かるな~って思っただけですよ」

「かっ……カナちゃん!」

 すると何故かもう一人の気弱そうな子が慌てている、見ると顔が僅かに赤いような気がする。

「お前、大丈夫か? 顔赤いけど……」

「はぁっ……はい! 平気です!」

 思わず聞いた俺を見て何故かさらに委縮してしまった。

 そんな小動物の様な彼女を見て、三か月前の記憶が蘇る、この子には以前会ったことがあった。

「お前、(みなと) 真澄(ますみ)か?」

「先輩どうして真澄の名前をご存知なんですか?」

 今度は何故か活発な少女が詰めよってくる、右に左に忙しいことだ。

「今年の入学式の日にこいつが道に迷ってたから一年の校舎まで連れてってやったんだよ」

「あぁー私とはぐれた時ですな、真澄よかったね! 名前覚えてもらってて」

「もう……」

 笑顔で肩をたたく彼女を真澄が恨めしそうに睨みつけている。

 そして、赤い顔のままこっちに向き直り、姿勢を正した。

「では、改めまして、湊 真澄と申します、こんな髪をしていますが両親は日本人で二人とも国立病院に勤めています、どうぞこれからよろしくお願いします」

 両手を前に揃え礼儀正しく挨拶をする様はいかにも育ちの良さが伺える。

 海燕と顔を見合わせる、するとカナと呼ばれた子が馴れた感じのフォローを入れた。

「真澄、そんなにかしこまっちゃ先輩たちだって気遣っちゃうよ?」

「あ、そっか……つい癖で」

「もぉ~ここは屋敷の中じゃないんだよ? 普通の学校なんだから普通の話し方でいいんだよ」

「そうだよね、ごめんね、カナちゃん」

「いいよ、別に。ま、そっちの方が真澄らしいけどね」

 二人の会話が続いている。しかし、いい加減話を進めたい。

「ところで君は?」

 そう言って視線を移した時、突如視界に海燕が割って入ってきた。

「この子は(くろ)(ひめ) 彼方(かなた)ちゃんだ、愛称はカナちゃん」

 何故か海燕が張り切って他人の自己紹介を始めだした。

 困惑する中、彼方と紹介された少女が姿勢を正し、満面の笑みで言った。

「紹介にあずかりました黒姫 彼方です。父は商業サラリーマンで、母は専業主婦です、私の事はどうぞカナと呼んでください」

 二人の簡単な自己紹介を聞き終えると一行は学校を後にし、街に出た。そこは学校以上に(やかま)しい、まさに喧噪(けんそう)の一言に尽きる場所である。

 そんな賑やかな街を彼方と海燕達が先頭を行き、俺と真澄がその後に続く。

 長い沈黙ののち、先に喋り出したのは彼女からだった。

「その節はありがとございました」

 突然だったので一瞬意味を取り損ねたが、すぐにあの時のことだと気付く。

「ん? ああ、気にするな、もう随分前のことだし」

「ですけど、あの時まともにお礼も出来なかったですし……」

「礼なんていらないよ、俺はただ案内しただけだ」

「そうですか、そう言っていただけるとありがたいです」

 その後、他愛ない話で空気が少し和んできた所で、話題は海燕の話になった。

「鬼火先輩は橘先輩と仲がよろしいですね」

「まあな、中学で知り合ってそのままクラスもずっと一緒だったんでな、こうして放課後付き合わされることも多いんだ」

「そうなんですか」

「ああ……でも今日、本当は来るはずじゃなかったんだけど、どうしてもって言うもんだからさ……仕方なく付いてきたんだ」

「……すいません」

 すると何故か申し訳なさそうに顔を伏せる真澄。

「何故? なんで君が謝る?」

「私が我が儘を言ったせいなんです、海燕先輩が鬼火先輩のご友人だとゆう事は知っていたので、ぜひ鬼火先輩も誘ってほしいとお願いしたらカナちゃんも面白がってしまい、鬼火先輩を誘ってくれなきゃいかないと言い出してしまったのです」

「何故そこまで俺に? 最後に会ったのだって入学式の時が最後だろ?」

「お礼が言いたかったとゆうのもあるのですが……鬼火先輩ってよく図書館利用しますよね」

「それが?」

 聞き返す俺の顔をじっと見上げる真澄、そこには青く光る双眸があった。

「先輩って、いつも一人なんですね」

「そうだ、な……」

 気まずく黙り込む俺を見て、怒っていると勘違いしたのか真澄が慌てて訂正してきた。

「すっ……すいません! べつに先輩が暗い人とか友達がいないって言っているわけじゃなくって、私の勝手な妄想なんですけど! 先輩って何か悩みがあるんじゃ――」

「落ち着けよ、何を言っているのか分かんないよ」

 俺がなだめると、先ほどの元気も消え失せ落ち込む彼女を見て軽い罪悪感が湧く。

 俺が悪いわけではない気がするが、ここは話題を変えるべきかな。

「君も、よく図書館に行くみたいだな」

「え? そうですけど……どうして分かったんですか?」

「さっき自分で言ってただろ? 俺のこと図書館で見ていたってさ」

「あ……そうですよね」

 突然話題を振られて驚いたのかキョトンとする彼女だったが、さっきの発言を気にしていないことを悟ると、顔に微笑が戻った。

「まあ、君がよく図書館利用するってことは海燕から聞いたんだよ、でも図書館で俺のこと見てたんなら、何で声掛けなかったんだ?」

「え!? そ、それは……」

 急に口籠ったかと思うと今度は顔を赤くして黙り込んでしまった。

「あー、すまん、気に障ることでも言ったか?」

「い、いえ! 気にしないでください、私の問題ですから……」

「?」

 分からんが、気にするなと言うのだから気を使い過ぎても失礼とゆうものだ、そのまま放置することにしよう。

 再びの沈黙、だが先までの初対面の気まずい沈黙ではなくなった。

 お互い、沈黙を楽しんでいるとゆうとこだろう。

 彼女と多少は打ち解けられたその事に安堵していると、再び彼女から話し掛けてきた。

「あの……灯夜先輩?」

「何?」

「あの……えっと……」


 歩みを止めたのでこっちも止まる、夕日を背にした彼女の表情を窺うことは出来ないが彼女が緊張しているのは震える肩で分かる。

 けど、どうして緊張しているのかが分からない。

「も……も、もし……」

「??」

 途切れ途切れでよく聞こえないが、どうやら俺にお願い事があるみたいだ。

 何度も言葉に詰まる、それを二、三回繰り返し、意を決したのか大きく息を吸った。

「あの、もし――」

「二人とも~何ぼ~っとしてるの! 早く入ろう~よ~」

 言いかけたところでそれよりも大きな声に遮られた。

 声の方を振り向くと、海燕と彼方が目的地であるカラオケ屋の前にいた。

「行こうか、遅れると面倒だし」

「…………そうですね、行きましょうか」

 真澄はまだ何か言いたそうだったが、その言葉を爽やかな笑顔に隠してしまった。

 そして、逃げるように二人の元に駆けて行った。




 時刻は夕方、灯夜と生徒会室で別れてすぐに神秘の張る〝境界〟の発生を確認し駆け付けた時には周辺は悲惨な状態だった。

 辺りは〝境界〟に閉じ込められた老若男女問わず見境なく殺されていた。

「花蓮様!」

 一緒に駆け付けた(いずみ)の声が響いた、彼の視線の先に黒いローブ姿の人影がある。

 小柄で線の細さは年端もいかぬ少女のようだが、少女は手に持っていた人の生首を投げ捨てて逃走を図った。

「移動速度が速い……それに〝境界〟を張ったのに発見が遅れました、こちらの探知をすり抜けたとゆう事は……」

「恐らく、(コード)を使ったのでしょう、今のうちに私達も……」

 そう指示を出しながら、腰に伸びる柄に手を掛ける。

 すると、周囲の警戒をしていた(きり)()が後方に殺気を向けたのと同時に、斬鵺に負けないくらい強い殺気を背中に受けた。

「どうやら、そうはいかないみたいだぜ? 花蓮」

 斬鵺の声に振り返り、いつの間にか後にいた同じ黒いローブを睨む。

 数は一人、影のようにそこに佇みながらも、陽炎の様にゆらゆらと背後で揺れる(コード)は禍々しく風になびいている。

 先ほど追っていたローブよりも、少しばかり大きいがそれでもまだ中学校くらいの子供であろう。

 けど、そこに佇むのは子供ではない、何故なら子供が黒色のローブを真っ赤に染めている筈がないからだ。

「ユグドラシル、ですね?」

 私の言葉に、ローブから覗く口元がにやりと(わら)った。

 先に動いたのは小さな影、まっすぐこっちに向かってくる、顔は見えないが嗤ったままの口元は獲物を求める獣の笑み。

「させるか!」

「花蓮様! 下がってください!」

 すると、副会長二人がそれぞれの剣を構えながら前に飛び出す。

 それに合わせたかのように、公園を覆っていた〝境界〟が消える、どうやら先に逃げた敵は逃がしてしまったようだ。

「それなら……」

 鞘から剣を引き抜き、前方に向かって疾走する。

「静! 斬鵺! 場所を変えます!」

「どうしてだ?」

 構えを崩さないまま斬鵺が叫ぶ。

「〝境界〟の外にはまだ人がいます、そんな状態で戦闘に入ってしまっては見られる可能性も出てきます! 先にある公園まで敵を引きつけます、透過の(コード)を忘れないように掛けておきなさい」

「了解です」

「ちぃ! 仕方ねえ」

 そう言って後に続く二人と追跡してくる敵一人の気配を確認しながら、前方の人影に意識を集中する。

「妙です……」

 しかし、頭では別の思考を練る。

(今のところ、実行犯がどちらかは分かりませんが彼等はここ二週間の間に〝境界〟を張る前に民間人を殺害している)

 そもそも〝境界〟の外から人間が入る事は出来ない、この壁は神秘と人とを別つ為に作られた線なのだ。

 従って、人を殺すには〝境界〟の中に閉じ込めるかそのまま殺すしかない。

 だが、この街には鍵の守護者達がいるのだ。

 それは敵も分かっている筈なのに、こんなリスクを冒すやり方で力を得ようとするのは不自然だ。

(何かを狙っている? 鍵を探しているにしては姿を晒しすぎている)

 ここは、奴らを捉える事に専念しよう。

 敵をどちらか片方でも捕らえられれば彼等の目的が分かる。

「〝思話(テレパス)〟起動」

 思考会話の(コード)を起動させる。

(マーリン聞こえますか?)

(どうした?)

(ポイントFの公園の処理をお願いします、それから他の騎士達にポイントHに敵を追い込みますので捕獲の準備の指示を出しておいてください)

(被害は?)

 そう聞かれて、平静を装って状況を伝えた。

(おそらく公園にいた十人以上の民間人を全員殺害、それも大きな槌のようなもので殺しています)

(どうやら、最近出没している神秘に間違いないね)

(しかし、奴らの目的が分かりません、私達に姿を見せる事にメリットがあるとは思えません)

(奴らを捕らえれば分かるさ、それより体の方は大丈夫かい?)

(問題ありません、そんな事より急いでください……敵は思った以上に速い)

(……分かった、じゃあ現場に三人向かわせるよ、気を付けな)

(そうだ、後一ついいですか?)

(なんだい?)

(帰ったらお風呂に入りたいので、用意をお願いします)

(はは! 分かった、少し熱めを用意しておくよ)

「では、また後ほど」

 会話を切って前を見据えた。もうすぐ、ポイントに敵を追い込める。

「静、斬鵺、準備はいいですか?」

「「いつでも」」

 斬鵺が不敵に、静が冷静に同じ言葉を言った。

「行きます〝境界〟展開!」

 敵がポイントHに差し掛かったのと同時に、脇に控えていた騎士達が一斉に〝境界〟を張り、敵を囲う。

 ここならば人気もなく、私達の張った〝境界〟に誘い込む事が出来た。

 〝境界〟を張った五人に加え、静に斬鵺……そして私がいるのだ、勝つ事は勿論だが逃げおおす事も困難だ。

「これで、逃げられませんよ」

 八人の視線を受けても、なお不敵な笑みは消えない。

「あなた達の目的はなんですか? 鍵だけが目的ではないのでしょう?」

「さぁ? 何だと思う?」

「質問に答えなさい」

 殺気を込めて再び問いただすが、彼の笑みは消えない。

「答える義理はないさ、あんた達さぁ……街の守護者だからって調子に乗らない事さ」

 すると、敵の人影から異形の影が飛び出してきた、恐らくは使い魔だろう。

「仕方ありません、応戦します」

「承知しました、いくぞ……斬鵺」

「ああ、静」

 私の号令と同時に、騎士達が影の使い魔との戦いに突入した。

 使い魔の能力はそれほどでもない、騎士達の力の前では足止めにすらならない。

(おかしい……何かがおかしい)

 しかし、私の思考はやはり別の事を考えていた。

 使い魔を出した、それ自体は驚くに値しない。敵も力を使えるのだから……当然である。

 しかし、私達が驚くべき事は(コード)の発生が全く確認できなかった事だ。

(どうして――いや、どうやって? を考えるべきでしょう)

 鍵の守護者達の管理する地で(コード)を隠すことは困難だ。

 ましてやこいつらは神秘だ、存在自体に力を使っているのだから私達に気付かれるのは道理である。

(だが、ここ最近は(コード)の感知が遅れる事――いや、それどころか今の様に感知できない事さえある、一体何が起きているの?)

「へぇ~少しはやるもんだ、けど――」

 使い魔を出したユグドラシルは動かない、動揺した様子も見られない。

 すると、使い魔の最後の一匹が斬鵺の手によって影の肉片をまき散らしながら果てた。

 辺りには似た死に様の死体が広がっている。

(光に、影が落ちた?)

 直感が、走った!

「全員、上へ逃げなさい!!」

 私が叫んだ瞬間、敵がにやりと嗤った。

 変化は劇的だった。

 公園を覆うように散らばっていた影の死体達が繋ぎ合わさり大きな穴を形成し始めた。

 すると、そこに吸い込まれるように公園にあった遊具が煙を立てながら溶け始める。

「これは、毒!?」

 触れれば幾ら騎士でも無事では済まない。

 このままでは、奴を捕えるのは困難だ。

 空中に八人の騎士がいる事を確認すると、撤退を指示しつつマーリンに回線を繋ぐ。

(マーリン、一旦引きます――状況は見ていましたか?)

(ああ〝魔階〟の毒とはね)

(敵の様子は?)

(あんたらの撤退を見届けて、逃げていったよ)

(毒は何とかできますか?)

(時間は掛かるが、問題はないだろう)

(分かりました、今日の所は帰ります)

(了解……風呂は用意しているから、ゆっくり浸かりな)

 その声に頬を緩める、そして斬鵺達が隣に並んだ。空は段々夜になる、空が次第に青紫に変わってくる。

「今日はこれで終わりか?」

「そうですね、皆さんも今夜はもういいので……先に帰って下さい」

「花蓮様は?」

 静が心配そうに覗き込んできた。

「私はもう少し、異常がないか回ってみます」

「だったら、私も――」

「私一人で大丈夫ですから、あなた達は先に帰って下さい」

 静の気持ちは嬉しいけど、私の我が儘に付き合わせるわけにはいかない。

 他の騎士達は無言でうなずく中、静だけが納得していないようだった。

「一人で回っていたいんです、あなた達は帰りなさい……いいですね」

「……分かりました」

 静が納得したのを見て、他の騎士達がそれぞれの家路に着く。騎士達が解散したのを見届けて、私は再び黄昏の空へと掛けていった。


 三時間後 午後九時


「ホントご免ね、真澄」

 帰り道、この時間の電車にしてはやけに空席が目立っていたから私とカナちゃんは並んで座っている。

 酔っ払いのサラリーマンや他校の生徒がいる風景は、すっかり見慣れたものになった。

「いいよ、気にしないで。私も、何度も言葉に詰っちゃって、先輩に変な顔されちゃったしね」

 先輩達の申し出を丁寧に断ったのは、単に私の家がそういう事にうるさいからだ。

 カナちゃんはその辺りの事情を知ってくれているから、特に何も言わないでくれた。

 今だってカナちゃんは、邪魔してしまったことを謝ってくれている。

「でも惜しかったな~真澄の必死な顔、見たかったな~」

「もう……」

 そう私に、そんな勇気があったとは自分でも驚きだ。

 けど、結局は伝えられなかった。

「ま、元気だそう! チャンスはまだあるって!」

「ありがとう、カナちゃん」

 流れる景色を写す大きな窓から月を見上げる。

(先輩は、今、私と同じように月を見ていますか?) 

 いつか、貴方の隣で同じ景色を見たいです。

 そうしたら――。

「あの時みたいに……私の歌を聞いてくれますか? 先輩」

 先輩の前で告げられなかった言葉が、溢れだした。カナちゃんは、聞こえないふりをしてくれた。



 同時刻 午後九時


「約束と違うぞ、俺は二時間だけだと言ったはずだ」

「いいじゃん、たっぷりと彼方ちゃん達と愉しめただろ?」

「はぁ~」

 カラオケ屋の前で彼女たちと別れて俺と海燕は帰路についていた。

 送ろうかとも提案したのだが、家が近くとゆう事で二人とも丁寧に断ったのだ。

「お前なんてまだいいよ、彼方ちゃんから歌声綺麗だね~って誉められてたしよ、なんか少し妬けたね」

「どうせお世辞だろ?」

「けど、どうして真澄ちゃんは歌なかったんだろうな」

「さあな、喉でも痛めていたんじゃないか?」

 そう騒ぎながらいつもの別れる交差点に差し掛かった。

 俺は右、海燕は左に家がある、軽い挨拶をして家路を一人歩いて行く。

 薄暗い道中、きれいに舗装されたコンクリートの道を歩いて行く。

 この辺ならば、この時間でも人ともすれ違っていた。

 だが、自宅に近づくに連れて家の明かりが乏しくなっていく、その代わりに、闇の濃さが歩調に合わせるようにゆっくりと増していく。

「そう言えば、あいつも暗がりが苦手だったな」

 苦笑いが零れる。歩兎(いもうと)は、中学に上がる年齢になっても俺の布団に潜り込んでくるほど、暗がりが苦手だったのだ。

 本人がゆうには暗がりになると心が食われる様で怖いと、潜り込む度に言い訳してくるのだ。

 その気持ちが、今なら分かる。

 二人なら、闇の中でも乗り越えられる気がする。

「でも、もう……お前はいない」

 そして、(やみ)に自分が飲み込こまれた時だった。

「問おう、貴様が〝鍵〟か?」

 声に、戦慄する。

 重い、声だけなのに人を屈服させる感覚がある。

 声の方を向くと、そいつは、悠然と空から降り立った。

 ワイヤーでもCGでもなく、本当に空から降り立った。登場の仕方も、声も、全身を包む真っ黒なローブも全てが異質だった。

 そして、俺は今、開いた口が塞がらないというのを生まれて初めて体験(たいけん)していた。

「失礼、自己紹介が先だな、我が名はニーズ、ユグドラシルの《()》の者だ」

 重い声が体全体に圧し掛かる、呆然としながらも、この巨漢はヤバイ、その事は十七年付き添った体が悟っていた。

 自然と男を睨むが、言葉が発せられない。

「ユグドラシル? なんだか知らないが、宗教の勧誘ならお断りだ」

 ようやく口に出来た皮肉もただの強がり、それほどまでにこの男は(こわ)く、(こわ)かった。

「ああ……用が済んだらすぐに帰ろう、生憎と我もお前だけを相手にしている暇はないのでな」

 そんな皮肉もこの男には通じず、軽い嘲笑で返されてしまった。

「我が聞きたいのは、貴様が〝アカシャの鍵〟なのかということだ」

「何だそれ、そんな形も分からない、変なものになった覚えはない」

「そうか……貴様は〝鍵守〟の方なのか、だとしたらあいつらは鍵をいったい何処に隠したのだ?」

 訳の分からない話を勝手に呟いている。

「まぁいい、それより質問を変えよう」

(まずい、これ以上あっちのペースに乗せるわけにはいかない)

 恐怖心がないわけじゃない。

 人間かどうかも分からない、空から降りてきて、これほどの威圧を持っている奴に主導権さえ持っていかれては取り返しがつかなくなる。

 幸いかどうかは微妙だが、今までの会話の中でいくつか情報も手に入れた。

 でもまずは、こっちが対等に話せなきゃ話にならない。

「随分と急いでいるじゃないか、それを見つけないと困ることがあるのか?」

「貴様は我の質問以外、口を開くな」

「そう言う訳にはいかない、そっちから話し掛けておいて、今さら蚊帳の外はないんじゃないか?」

「ほぉ? 先までこちらに呑まれていたのにな……」

 嫌な嗤い方だ、面白い物を見つけた、そんな顔だな。

「それで? 貴様は何を知っている?」

「まず一つ、お前の探しているものは俺の事か、人物が鍵になる事だな?」

「その理由は?」

「俺を見て鍵と聞いたって事はそう言うことだろ? 物だったら鍵を出せって言えばいいしそれにあんた、もしかしてその鍵の形を知らないんじゃないか? 鍵か、なんて抽象的な事を聞いたって事はそうゆう事だろ?」

「……正解だ」

 これが嘘の可能性もある、何せこいつの本性が読めない上に目的も分からない。

(まぁ、ロクな事じゃないだろうが)

「安心しろ、貴様の問に対して嘘は吐かない」

 こちらの考えを読んだのか、ニーズが声を上げた。

「その根拠は――」

「この言葉、信じるも信じぬも貴様次第だ」

「……二つ目だ」

 確かに、根拠を聞いたところで、こいつ相手には意味はなさそうだ。

「お前がさっき呟いた、あいつらって言うのは恐らく、親父たちだな?」

「根拠は?」

「親父たちは考古学者だ、どっかの遺跡で不味い物でも見つけたか、お前らの所から盗んだかは分からない、だがお前らがその鍵とやらの在りかを俺に聞いたってことは、少なくとも親父たちは無関係じゃないよな?」

「……」

 静寂が二人の間を通り抜け、沈黙が訪れる。暗い闇の中で人が喋らない様子は、他人が見ればさぞ不気味に映るだろう。

「なるほど、どうやら少し、お前を甘く見ていたようだ」

 それは、さっきの問いの答えだった。

「……へぇ~それは、少しは認めてもらえたって事?」

「図に乗るな小僧、貴様など何時でも殺せる、だが貴様が鍵守である以上必ず鍵はお前の元にやってくる、その時は覚悟しておけ」

 黒衣を翻して去ろうとするが、まだ返すわけにはいかない。

「まてよ、お前にまだ聞きたいことが――」

「図に乗るな、と言ったはずだが?」

 そう言い終わる前に、いつの間にか、男は俺の目の前に来ていた。

 そして、大木の様な腕がまっすぐ自分の首に伸びてきたが恐怖に支配された体はゆう事を聞いてくれない。

 頭では、危険だと分かっているのに体には未だに恐怖がしみ込んでいたようだ。

「ぐ!?」

 指が首に巻き付く、体が宙に浮き首から上の酸素を絞り取っていく。

 何とか引き剥がそうとするが、指が蛇の様に絡みつきますます自分の首を絞めていく。

「ふん、この程度の動きにも反応できんとは、頭は多少使えても、体はゴミか……」

(くっそ、予想はしてたのに!)

 いざとゆう時に限って、体はゆう事を聞いてくれない。

 次第に視界が霞んでくる。すると、突然口から新鮮な空気が入ってきた。

 片膝をつき、男の顔を見上げた。

「はぁ――」

「いいか、忠告はした、賢明な貴様ならその時までどうすればいいか分かるな?」

(邪魔をするな、これ以上詮索するな、そう言うことか……)

 段々に瞼が重くなってきた、これ以上起きてられない。

「ごさ……だ…………か、きよたか……のむすこが……これほどとは……そうか……かぎはむすめ……にたくしたか」

 聴覚もすでにまともに機能してなかったがニーズの言葉の中に聞き捨てならない単語が出てきた気がした。

(きよたか? 親父の事か? それに……)

 娘ってまさか、歩兎の……ことか?

 けど、最後に頭が地面に落ちる感覚を最後に、意識は完全に、闇に落ちた。



 夢を、見ています。

 夢の中の彼はまだ救われません。

 まだ、死にたがる。また、死にたがる。

 だけど、もうすぐ……もうすぐ出会う。

 その出会いが、彼の運命を決める。

 それは絶望か、希望か……。

 それは、私のみが知っている。



                      2


 一年前 初夏


 その日は何事もなく放課後になった。

 そして、何事もなく学校を出る自分。

 この日も特に変わったことはなかった、何でもない、何処にでもある日常が黄昏色に染まり、駅前の大きなデパートの時計が夕方の到来を告げている。

 そんな、オレンジ色に染まる街の喧騒の中を一人歩いていた。別に目的があったわけじゃない、でも家に帰ってもする事が無かった。

 守る人もいないのだ、帰えたって仕方無い。

「結局、今年も行けなかった……な」

 妹の墓参りくらい行きなさいって、親戚や花蓮さんに毎年のように急かされるけど、やっぱり行く度胸は無い。

 闇夜に沈もうとする黄昏の街は美しかった、俺の住んでいるこの街は二十年前に四つもの市が合併して出来た巨大な一つの市町だ。

 そのわりに小中高の学校の数が少なくて合併や閉校が相次いでいた。

 俺の通う学校は四年前までは、ただの何処にでもあるしがない進学校だった。

 けど、入学する生徒が年々減少してしまい、ついに今年、近隣の学校に吸収合併された。在校生たちはそのままの校舎で授業を受けおり、そして俺も今年晴れてその一員となった。

 その高校の名前は、市の名前に由来される事になった。

 N県 聖樹町 聖樹高校第二分校、それが俺の通う高校の正式名称だ。

 まぁ心底どうでもいい話だ、学ぶ学校がどこであろうと関係ない、何処であろうと俺が変われるはずはなかった。

 このまま俺はただ生きていくしかない。

 無意味で、くだらないことを考え込んでいる間に、日はどんどん(かたむ)いていき、オレンジの空が次第に淡い紫色に変わってくる。

 すると、駅前が帰りのサラリーマンや買い物帰りの親子で賑わい出した。

 流石(さすが)に、これ以上騒がしくなるのは御免(ごめん)だ。

(帰るか……結局、無駄脚だった)

 そう思い、駅前の混雑を一人反対方向に進むが人が大勢いるため、うまく前に進めない。

 そのせいで信号に捕まってしまった。

「やれやれ……」

 一人愚痴りながら待つこと数分、ようやく信号が青に変わると、待っていたと言わんばかりに、一斉に人の群れが横断歩道を渡り始める。


 その時だった。


 プッププププ―――!!!


 耳が痛くなるほどのクラクションの音を捉える。

 後ろを振り返ると、信号無視の大型トラックが後方の人の群れに突っ込んできているのだとすぐに分かった。

 悲鳴をあげながら人々が退(しりぞ)いて行く中、三つ編みをした五歳位の幼い女がその場から動こうとしない。

 どうやら、恐怖で足が竦んでしまっているらしい。

「……見つけた」

 ここにいる全員が、これから起こるだろう惨劇(さんげき)に目を一斉に閉じたのと同時に、ドンとゆう鈍い音と共にトラックが通り過ぎる。

 そのトラックはバランスを崩し電柱に激突して停止した。

 やがて、人々の目がトラックの通り過ぎた方を見みると、そこには予想外の光景が浮かんでいただろう。

 女の甲高い悲鳴。

 女の子は動かない。いや、突然の出来事に尻餅をついたまま動けないのだろう。

 母親らしき人が泣いている。

 そして、面白がった野次馬が携帯で写メを撮る、その光景が目の前に広がった。

 すると、周りのざわめきが一層大きくなる。

 見れば先ほどまで惨劇に目を閉じていた奴らが周りを取り囲んでいた。

 その時、ひと際甲高い声の方を見ると近くにいた女子高生三人が携帯電話のカメラ機能で現場の惨状を興奮気味に撮影している。

「すごーい! いまどきドラマみたいなことあるんだねー」

「てゆうか、救急車(きゅうきゅうしゃ)とか呼ばないで大丈夫なの? あの男の子、かなりヤバくない?」

「大丈夫じゃないの? これだけ(さわ)ぎになってるから、誰か呼んだでしょう?」

 彼女たちの軽快な言葉はこっちにまで届いていた、彼女たちだけではない、他の人々もまるで事故を、お祭りを見るような眼で見つめている奴もいる。

 だが、人間とはそうなのかもしれない、当事者にならなければ他者の命など所詮ただの命、そこに感傷は生まれても傷は残らない。

 人とはそうゆうものだと、俺は理解していた。

(はぁ――はぁ――)

 虚ろな視界、口からの吐血、数か所の骨折、医学的に見ても素人目から見ても明らかな重傷だった。

 視界なんぞほとんどない、それでも耳だけは周りの音を余すことなく拾っている。

 サイレンの音、カメラのシャッター音、泣き叫ぶ子供の声、人々のざわめき。

 これほど一度に音を聞いたのは初めてだ。

 しかし、そんな事を頭から血を流しながら考えることではない。

 今、考えなきゃいけないのは自分の事だ。

(今度こそ……)

 なぜこうなったか、理由は簡単だ。

 俺は、信号無視の車から幼い少女を救った大バカ者だ、女の子に怪我はないみたいで泣きながら母親と抱き合っている。

(助かったか、よかった……)

 別に英雄になりたかったわけじゃない、そんな綺麗な理由で助けたんじゃないし金が欲しかったわけでもない。

 そんなことで命張って大怪我していたんじゃなんの意味もない。

(ただ、俺は――)

 〝死なないで……〟

 突如、頭に響く声、あれだけ五月蠅かった音がその声が響いた瞬間にピタリと止んだ気がした。

 いや、本当に唐突に騒音が一気に引いたのだと数秒経って気付いた。辺りは、何故か雪の降る夜のような静寂に包まれたのだ。

 〝死なないで…… ――さん〟

 風に乗って聞こえているのは、美しい異国の唄……のような声だ。人はいない、けど確かに、歌は……歌うような声は耳に届いている。

 すると、心なしか目蓋が重くなってきた、そろそろ限界が来たのだろう。

「疲れたな……この歌に――見送られるなら、悪くは……ない」

 この歌は胸に沁み込む歌だ、この旋律は心を鎮める歌。

 癒し、慈しむ力感じさせる旋律だ、ただの声の筈なのに何故か空っぽの俺に何かを注いでくれるような感覚。

 女? それとも少女? 声だけ聞くならば自分とそう歳は離れていない筈、だがその声色は幾年も生きた貫禄の様なものを感じさせる。

 何より、その声が……何故か懐かしい気がした。

 何とか姿を確認しようと視線を動かす。

 だが、声の主を見ることは出来ない、頭を強く打ったこともあるだろうし出血したせいで視界が赤を占めていることもあるのだろう。

 だが、どんなに視線を動かしても声が何処から響いているのか分からない。

 まともに喋ることも出来ない。次第に、視界の赤が黒に変わっていく、目を開けて何とか語りかけようとするが目は自然と閉じていく。

 もう開けてられなくなってきた。

 終わりが、近付いてきた。

 〝……さん…………死なないで!〟

 再び澄んだ声が響く。

 それが響いた時、閉じかけていた目に力が戻る。

 その声が、俺を救ってくれる神様なのかは分からない。

 状況だけに、気のせいってことだってあり得る。

 だとしても、生きたいか? その問いに対する答えは決まっている。

 ただ静かに首を横に振った。

 そう、俺は少女を助けたんじゃない。俺は、罰から救われたかっただけだ。

 不死という名の、罰から。

(この夢は……あの時のか)

 自分の夢を、俯瞰的に見る自分。

(何度も責めた、自分のせいで歩兎が死んだ。そう思ったんだ)

 だから、自分も死ぬ事にした。

 でも、無意味に死ぬのは嫌で何かに殉じて死ぬ事にしたのだ。

 だけどそれが、歩兎の答えを知りたくなくて起こした行為だ。

 これでは花蓮さんに分かってないと言われても仕方が無い、誰に責められても文句は言えない。

(悪夢でも何でもいい、これが夢であって欲しかった)

 だけど現実は残酷だ、夢の中でさえ現実を突き付けるんだから。

(何時もそうだった、死にたくても結局は生かされてきた……)

 この事故だけじゃない。

 どんな大怪我を負っても生かされてきた。だから俺は諦めた、死ぬ事も人並みに生きることも、何にもかもから逃げた。

 居るのは壊れた人形のようにぐったりと身を横たえている俺だけだ。

 生きる意志のない人の形をした自分。

 それを、俯瞰から冷めた目で見つめる自分がいるのを倒れている俺が見つめる。

(これは悪夢? なら……早く覚めてほしいよ)

 今だってそうだ、変な男に絡まれて普通なら逃げるところを、意地張ってわざと挑発するようにしたのだって結局死ぬ事を諦めきれなかったからだ。

(何が諦めただ、自分で言っといて吐き気がする)

 すると、宙に浮いたような感覚から徐々に暖かい感触で体の感覚が戻ってくる。

 でも、おかしい……何故温かい? 俺はコンクリートで寝ているはずだ……。

「……やくん、とう……くん」

(誰の声だ?)

 覚醒までもう少し掛かりそうだったが、声に加え、ゆする感覚まで加わってしまった為悪夢から引き上げられるように、眠りから覚めていった。

「灯夜君、灯夜君!」

「え?」

 目の前にあった顔は、実に意外な人物だった。

「リオン、さん?」

「目が覚めましたか?」

 目が覚めたことに安堵したのか身なりのいい紳士がにっこりと笑う。

 妙齢の美男子が今時、燕尾服を私服代わりにするのは時代錯誤だとは思うが、この人の服はこれ以外見た事がない。

 だが、リオン館長がいるという事は……。

「ここは……記録の間?」

 この古本の匂いは間違いない、何時も嗅いでいる臭い、俺のバイト先の図書館だ。

 煉獄館、そう呼ばれている謎の図書館である。

 けど、この図書館は無駄に広い、それもそうだ。

 ここには古今東西の俗なものから論文までありとあらゆる本が納められている、初めて入った奴は迷宮に迷い込んだような感覚になるらしい。

 だが、俺がバイトの時間は客が入っているところを見た事がない。

 館長曰く、ここは世界の知恵が詰まった場所だ、恐らく、一生かかってもここにある全ての本を読むことは出来ないだろう。

 そして、俺が寝かされているここは、その中でも記録の間と呼ばれている所で俺はここの本の整理を主な仕事にしている。

 ここを紹介されて一年が経つがここに来る度に新しい本が積み上がっているので、いくら整理してもキリがない。

 だが、大概の仕事はそれだけなので楽といえば楽だ。

「全く、心配しましたよ、たまたま灯夜君の自宅の近くに用があったので行ってみたら、首に青い痣を付けて君が倒れていたんですから」

「じゃあこの手当ても館長が?」

 綺麗に巻かれた包帯をさする、触るとズキリと痛むが命に別条はないらしい。

「館長、医療の知識もあるんですか?」

「いえ、あんまり専門の事になると流石に分かりませんが……応急措置の本を昔に読んでいたので」

「そうですか、ありがとうございます、助かりました」

「それはいいです、それよりも一体何があったんですか?」

「いや……それが……」

 さっきの出来事をかいつまんで説明する、もちろん大男が空から降りてきたなんてことは説明せず背後から話し掛けられた事にした。

 それに、親父たちが関係していることも伏せておいた、他人を巻き込むわけにはいかない。

「なるほど、事情は分かりました、それで? これからどうします?」

「警察沙汰にはしません、今日の出来事は無かった事にします」

 館長は少し心配顔だったが、取られたものは何もなかったのでいいと言ったとろそれ以上は何も言わなかった。

 すると、思い出したかのように先の俺の言葉を引き取った。

「今日? 何を言ってるんですか? 私が君を見つけたのが十一日の午後十時すぎ、今は七月十二日の午前八時三分ですよ」

「……え?」

 八時三分? てことは。

「やばい、遅刻だ! 今日外せない授業があるんだった!」

 慌てて体を動かすと、視界がたゆたうように揺れた。

「え……」

 急な目眩に襲われた、駆け寄ってきた館長に体を支えられなければ立っていられない。

「落ち着いてください、まったくあの子の言う通りですね」

「あの子?」

「花蓮の事です、どうせ目が覚めたら急いで学校に行こうとするでしょうし、報告はしておくからそんなに慌てなんでもいいと言っていましたよ」

「あれ? 館長、花蓮さんと知り合いなんですか?」

「ええ、昔から知っていますよ、彼女のお父様にはお世話になりましたから、君の事もよく話題になりましたしね」

「へぇ~あのおじさんにね」

 この辺りの地主でもある花蓮の親父さんは、身寄りの居ない俺の面倒も見てくれている。強面ではあるが、やさしいおじさんである。

「そんな事より、着替えと食事は花蓮が用意してくれましたから、学校に行ったらお礼を言っといた方がいいと思いますよ?」

 言われて視線を移すとそこには着替えと和食風の朝食が用意されていた。

「……」

「どうしました? やはり気分が優れないなら、無理に来なくてもいいとも言っていましたが?」

「いえ、大丈夫です」

 そう言って手早く着替えを済ませて朝食にありつく、少し冷めているけど花蓮さんの料理は味も俺好みで、相変わらず美味かった。

「そうですか、では私は、花蓮に連絡を入れておきます、それに、そろそろ開館の準備もしないといけませんから」

「分かりました、それじゃ着替えはバイトに来た時に持ってきますから、ここに置いといてください」

「バイトですか? 今日は無理しなくても……」

「いいですよ別に、学校にも行けますし、体も順調ですから」

「……分かりました、でも、くれぐれも無理はしないでください」

「分かってますよ、じゃあ行ってきます」

 食べ終わったのと同時に鞄を持って学校に向かう。外は相変わらずの快晴だった。


 誰も居なくなった図書館に静かに響いた私の声。

「やれやれ、本当に嘘が下手なんですから」

(無理しているのはバレバレですけど、空元気も元気のうちです)

 気丈に振る舞う彼を思い出して、思わず顔が綻ぶ。

 しかし、切迫的になってしまった状況を思い出して顔を引き締め直す。

「でもまさか、ユグドラシルがこれほど早く動き出したことは予想外でした」

(鍵が完全に目覚める前に接触するとは思わなかった。お陰で、こっちも早く動くしかなくなってしまった。といっても、私が出来る事はそんなにはありませんがね)

「さて、今夜、いよいよ鍵が目覚め〝徘徊の魔灯〟と彼が出会い、いよいよ止まっていた〝アリスの夢〟が動き出します……灯夜君? 君を中心に世界が動きます」

 それは、果てなき戦いの始まり。

「でも、私達は信じています。運命と、君の力をね」

 快晴の空を見上げた、風に乗った雲が……空を泳いでいる。

 まるで、運命が動き出したかのように、ゆっくりと。










 午後三時三十分 授業中


「君達、人間は何処に向かっていると思う?」

 古文の自習の時間、監督に来ていた新任の教師が突如、哲学的問題を提示してきた。

「はぁ……」

 この人はこうゆう事を平気で言い出す人だった。

 周りのクラスメイトもまたかという顔をしている。

 もうすぐ時間だし、あと三十分聞き流せば授業は終わる。

「私はこう考えているのだよ、進化の行きつく先は――」

 退屈な時間ほど、長く感じるとは本当らしい。

(夢、か……そう言えば、すっげー眠い、少し、目を閉じようかな)

 そして何時しか、鬱陶しい声が聞こえなくなっていた。

「灯夜? おい大丈夫か?」

「海燕? ……あれ?」

 寝ぼけ眼の先に何故か海燕の姿が映る。

 いつの間にか六時限目も授業が終わっていたようだ、それどころか完全下校のチャイムまで鳴っている。

 慌ててノートを確認する、今日の授業の内容は真っ白なノートを確認し復習することは諦めようと思う。

「お前、大丈夫か? 今日一日、死にそうな顔してたぞ?」

「単なる寝不足さ」

 顔は真っ青だろうが、強がってなきゃ痛みで潰れてしまう。

 オレンジ色に染まった教室を見渡せば残っているのは俺と海燕だけ。

「そうそう、会長がお前に用があるってさ」

「会長が?」

「ああ、何か話があるんだってさ」

「ああ……忘れてた」

 強がって図書館から出てきたのはいいが頭が尋常じゃないくらい痛くて、教室に着いた途端に爆睡を始めてしまったから、お礼も報告もしてなかった。

「お前いいよな~あんな綺麗な幼馴染みがいて、その上心配までされてんだから」

「そうゆうもんか?」

「自覚なしかよ……まぁいい、会長は屋上にいるらしいから、あんまり女を待たせるなよ」

 そう言って、それ以上詮索することなく海燕は帰って行った、いつもの友人の気遣いに少し感謝しつつ立ち上がる。

「さて行くか……」

 相変わらず頭は痛いし、息苦しいでとても大丈夫じゃなかったが、我慢できないほどじゃないと思う。

 敷地だけは無駄に広いし生徒数もこれまた無駄に多いため校舎も馬鹿みたいに高い。

 こんな時は、この学校を恨めしく思う

 ようやく、三年校舎に辿り着き、一旦息を整えてから階段を上っていく、すると屋上に近い踊り場で昨日の二人、真澄と彼方に出くわした。

「あ……灯夜先輩、昨日は楽しかったです」

 真澄が軽く会釈をする。

 すると、後からひょっこりと顔を出す彼方。

「先輩、屋上に何か用でもあるんですか?」

 彼方は元気よく聞いてくる。

 正直、今はちょっと頭に響く。

「ああ、ちょっと待ち合わせがあってね」

 すると二人の表情が変わる。真澄は少し俯き加減に、彼方は驚きに目を見開く。

「ひょっとして、花蓮先輩とお話ですか?」

 彼方が詰めよってくる、その目は真剣で思わずその気迫に押される。

「あれ? 君たち会長と会ったのか?」

「はい、ちょっと前まで屋上にいたんですよ、そしたら花蓮先輩が来たんでちょっと話をしてたんです。そしたら、待ち合わせしてるって言われたので、お邪魔にならないように席を外したんです。まさかその人っていうのが先輩だったんですね」

「ああ、なんか話があるから屋上に来いだってさ」

 彼方は何故か未だに驚きを隠しきれない様子だった。すると、先まで黙っていた真澄が俯きながらぼそっと呟く。

「灯夜先輩と……花蓮先輩って……どうゆうご関係なんですか?」

「関係って……まぁ、ただの幼馴染みだけど?」

「幼馴染み、そうなんですか……」

 さらに、元気がなくなってしまった。

「どうした? 気分でも――」

「先輩、すいません。これから用事があるので、これで失礼します」

「ちょっと! 真澄!?」

 そう言って足早に去っていく真澄を彼方が慌てて追いかける。

「なんだ?」

 背中が見えなくなるまで視線で追うが、自分が何かしたのか分からない。

 分からないけど自分が嫌な思いをさせてしまったようだ。

(今度、きちんと謝っておくか……)

 何に対する謝罪かは分からないが。

「さてと……」

 これ以上花蓮さんを待たせるわけにはいかない。

 急いで残り少ない階段を上がる、それだけの行為で激しい目眩に襲われるがここまで来て引き返せない。

 息を整え、錆びたドアを開けた、厄介に張り付いた汗を風が吹き飛ばしてくれた。

「すいません、お待たせしました」

「遅いですよ、三十分の遅刻です。お陰で、体が冷えちゃいましたよ」

 皮肉とは裏腹に花蓮さんは微笑みながら待っていてくれた。

(じゃあなんで屋上に呼び出したんだよ……)

 そう思ったが、遅刻したのは俺だったので何も言わない事にした。

 だけど、夕暮れの屋上でスカートをなびかせながら微笑む美女はそれだけで絵になっている。

 けど、何時までも見惚れている訳にはいかない、さっさと報告してバイトにいかなきゃならない。

「すいません、今朝一番に報告しようと思ったんですけど……」

「別にいいですよ、リオンさんからある程度の報告は受けました。君が警察に届ける気がないなら私は何も言いません。それに、佳澄先生から灯君の様子がおかしいのはそれとなく聞いていましたからね」

「そうですか」

「それで? 具合は今でも良くないのでしょ?」

 お見通しだった。

 伊達に、十年以上一緒にいるわけじゃないか。

「…………正直に言えば、かなり悪いですね」


「やっぱり、そんな無理に登校しなくても灯君が成績で困ることなんて見たことないですよ?」

「確かに、テストは問題ないですけど……」

「それに授業態度だって、最近は良くないみたいですけど、それだってきちんとした理由があります。だったら――」

「何が言いたいんですか?」

 俺だって、伊達に長い付き合いじゃない、花蓮さんが心配している理由は分かっているけど、答えが永遠に分からない以上、俺は永遠に自分を許せない。

 あの時、歩兎を救えなかった自分を……呪い続けるだろう。

 そう言われて向き直った花蓮さんは意を決したように自分の思いを口にした。

「灯君、もっと自分を大切にしてください、これ以上自分を傷つけないで……貴方がこれ以上、ありもしない罪で苦しむ姿なんて見たくない」

「…………ありがとうございます、でもそのセリフを歩兎から聞きたかった――」

「私では、ダメですか?」

「え?」

 突然声が変わった、それは何かを決意した声色だった。

「私では、灯君の心の闇を照らせませんか?」

「何を言ってるんですか?――」

「私では、貴方の生きる理由になりませんか?」

「どうしたんですか、さっきから変ですよ――」

「今の君は、歩兎ちゃんに許されるために生きている、だから……」

 そう言いながら一歩一歩自分との間合いを詰めてくる。そして、自分のネクタイに手を掛け、それを緩めた。その姿が余りにも自然であり、妖艶だった。

「な、何をしてるんですか!」

 慌てて体ごと背ける、けど白のワイシャツから見えた色白の谷間は、しっかりと網膜に焼きついてしまった。

「急にどうしたんですか、からかっているなら――」

 帰りますと言う前に、この世のものとは思えないほど柔らかな感触が背中を包み込んだ。数秒経ってからようやく、自分がいま、幼馴染みに抱擁されている事に気付いた。

「冗談だと、思いますか?」

「……」


 何も言えない、あまり力を入れずに振り解こうとするとギュッと腕に力を入れて逃がさないようにする。

 対応に困り視線を下に移すと、後から延びる腕が微かに震えていた。

 それは、彼女が決して軽率な行為でしている訳じゃないことを物語っていた。

「私は、君の生きる理由になりたい」

「……」

 これが冗談の類でないことは分かる、花蓮さんみたいな美人にこんな事をしてもらったら誰だって嬉しい筈だ。

 だけど、何故か花蓮さんの思いを今受けるのはただの逃げのような気がする。

 いや、この考えも逃げだ、俺はただ、大切な物を持ちたくないだけだ。

 だって……もう失うのは嫌だから。

「私の思い、伝えましたからね……」

 そう言って温もりが離れていく。

 だけど、その温もりをもう一度求めてはいけない。

 だから、ただ黙って屋上を後にした。背中に掛けられた言葉から、逃げた。


「灯夜、君は私の生きる理由です」


「はぁ~やっと終わった」

 今日はやけに本の入荷が多くて、館長も人手が欲しかったようだ。

 だが、実際、何度か倒れそうになったりしたので無理はしなくてもいいと言ってくれたが、妹の命日、謎の男、屋上での出来事、あまりに考えさせられる出来事が多すぎる。

 だから、少しでも気を紛らわしたかった。

 明日は生まれて初めて学校をサボろうと決意した。

「うっ!?」

 この一日で分かった事は頭痛には波があるようだ、痛い時には立っていられないが、今は何とかなっている。

(おかしい、あの時はただ首絞められただけなのに……)

 首の包帯を触る、痛みは引いたがあの巨漢の手形の跡がクッキリと残っている、騒がれるのも面倒なので仕方なく巻いているだけだ。

「鬱陶しいんだよな、いい加減取りたい」

 家に着いたら取ればいいか、そう思い顔を上げた。

 薄暗い道中、きれいに舗装されたコンクリートでの道を歩いて行く。

 この辺ならば、この時間でも人ともすれ違っていた。

 だが、自宅に近くに連れて家の明かりが乏しくなっていく、その代わりに、闇の濃さが歩調に合わせるようにゆっくりと増していく。

 すると、空から暗い道を照らしていた唯一の光が突然無くなってしまった。

 見上げると、月が雲に隠れてしまったようだった。

 まるで、昨日の再現の様に。

「月、隠れちゃったな」

 無いからといって別に困る訳ではないが、街灯も少ないこの辺では月明かりがないと頼りになるのは民家からしかない。

 だが、今日に限って周りの家からはほとんど光が漏れてこない、だから行く道の先は真っ暗のなってしまう。

 無意識に首の包帯を触る、もしかしたらまたあいつがいるかもしれない。

 その可能性に気付いてしまったら、もう心は昨日の恐怖を思い出した。

「ん?」

 その時だった、自宅の所に小さな影がある。一瞬身を強張らせたが、その影は昨日の男に比べれば遥かに小さかった。

(まだ七時くらいだし、近所の子が来てるのか?)

 それ自体は何の問題もない、いくら街灯が無いとはいえ周りに民家はあるのだ、人が居ても何ら不思議ではない。

 目を細め、闇の中に佇むその子を見る。

 その人影に見覚えがあった。

 だけど、頭を過った可能性として、そいつが居る事はあり得ない、はずだった。

 すると、薄い雲に隠れていた月光が道を照らしていく、その人影の足もとから、ゆっくりと光が上がっていく。

 そして、家を見上げる横顔を照らした。

「久しぶりだね、兄さん」

 声が響いた。

 もう二度と聞けない筈だった声、三年前に、失った声。

歩兎(あると)、なのか?」

 これ、誰の声だよ。

(それは、お前だ)

 俺? 俺の声が震えている? どうして?

(何を恐れている?)

 息が出来ない。

 目が霞む、立っていられない。

(どうした? 苦しそうだぞ?)

 嫌な汗だ、背中に伝って気持ち悪い。

(何故だ、死んだ妹が生きていたんだぞ? 嬉しくないのか?)

 嬉しいさ、嬉しい筈なのに。

(何故、苦しがるか分かるか? それはお前が罪人だと自身で分っているからだお前が殺したんだろ? 灯夜)

 違う! 俺じゃない俺じゃないんだ!

(嘘吐きが本当は自覚しているのだろ? 考えることが怖いんだろ? 認めれば楽になれるぞ?)

 うるさい! お前は誰だ何故お前が俺を責めるんだ!

(それすらも分からないのか? なら教えてやるよ俺は――)

(お前だ)

 黙れ!

「もうすぐ、夢が動き出します」

 すると、いつの間にかこっちを見ていた歩兎の声に救われた。

 でも、何から救われたのかは分からない、嫌な汗が止まらないまま改めて歩兎を見る。

 白のワンピース姿は俺が見た最後の時と変わらないのに、あの時より少し大きくなっているように見える。

 だが、歳不相応の落ち着いた声は変わっていない。

「夢?」

「はい、それはアリスの夢が、始まった証」

「アリスの夢?」

 理解できない単語が続々と出てくる。ひょっとしたら、させないようにしているのかもしれない。

 口を挟むな、そう言われているのだろう。

「今の兄さんには言っても仕方ないかもしれませんね」

「何、だと」


「今の兄さんはただの敗者、死を悼むだけで前を向こうとしていません、そんな人に〝神の秘め事〟を理解できるとは思えません」

「……」

 何も言えない。言いたいのに返す言葉が見つからない。

「お前は……死んだはずだ、俺の目の前で」

 苦し紛れの言葉が溢れた、この言葉で自分の傷を広げている。

「…………兄さんは、生と死の境界は何だと思いますか?」

「いきなりそんなことを言われても、分からない。だが、医学的にいえば――」

「心臓が止まった時ですか? 脳死した時だと思いますか? だったら――」

 こっちの考えを読んだのか歩兎が言葉を引き継ぐ。

 そして、表情が見えないように僅かに俯いた。

「兄さんは、|とっくに死んでいると思いますが《・・・・・・・・・・・・・・・》?」

「! まさか――」

「残念ですが、時間です」

「いや、待ってくれ歩兎」

 謎だらけの言葉を残し去ろうとする妹を慌てて引き止める。

「……」

 何も言わずに立ち止まる歩兎の背中に、掛ける言葉が見つからない。

 いや、多すぎて何を聞けばいいのか分からない。

「お前は、誰なんだ?」

 震える声で問う。

「…………誰だと、思いますか?」

「俺は、お前が歩兎だと思いたい」

「そう、私は私です……けど、今の私は生きているとは言えません、私はただの力。伝え、そして助けるだけです、兄さんを……」

「俺を、何から救うんだ?」

「今に分かります、私が何故兄さんの前から――いや、この世から去らなければならなかったのかね」

 やはり分からない。

 その時、ここにきてようやく自分と妹の距離の事に気付き、近くで確認しようとしたとき、再び月が雲に隠れようとしていた。

 徐々に、静かに足もとから妹を隠していった。ゆっくりと……飲み込むように。

「歩兎! 行くな!」 

 離れてしまえば、もう会えないかもしれない。

 そんなのは嫌だ、俺はまだお前に何も聞けていない。

「また会いましょう兄さん、私は今でも兄さんの事を――」

 しかし、無情にも闇は妹を飲み込んだ、静かに、雲が月を隠すように。

「やっぱり、俺は……お前に恨まれているのか?」

 さっきまでいた、そこにいた筈の妹はもういない。

 誰も、俺の問いに答えてはくれない。

「俺が、何をしたんだ? 教えてくれよ……歩兎」

 俺だって分からない罪に苦しむのは、もう沢山なんだ。




 月夜のきれいな夜……久しぶりにいる兄の顔は、悲壮に満ちていた。


「ごめんね、兄さん」

 悲しみにくれる兄、その悲しみを与えているのは私、私の死を今でもこんなにも悼んでくれていることに、嬉しさと悲しさが入り混じる。

「私だって、本当はこれ以上苦しんでほしくないよ? でも、まだ駄目なの、兄さんが心から生きることを望まなきゃその苦しみからは逃れられないの」

 兄はそれを罰と考えている、ありもしない罪に苦しんでいる。

 その事に、心苦しさを感じる。

「でも、私から答えを教えてあげるわけにはいかない、あくまでも兄さんが気付かなきゃいけない……自分の役割が、何なのかを」

 私が教えては〝彼〟が目覚めてしまうかもしれない、それだけは避けなきゃいけない。幼い日に知った、〝彼〟の存在を……そして、自分と兄に課せられた運命を。

「〝アカシャの鍵〟である私が完全に目覚めるためには、鍵守になった兄さんが心から生きたいと願わなきゃいけない。でもそれは、今の状態ではとても叶わない、このままじゃ〝徘徊の魔灯〟と出会う前に潰れてしまう」

 それでは意味がない、彼女は〝アカシャの扉〟を閉めるためには絶対に外せない欠片であり、兄を守るため、私の命を賭して手に入れた力であり、私の……夢だ。

 でもここまで来てしまっては、後は祈ることしか出来ない。

 七月十三日に全てが決まる。

「気付いて兄さん、私は兄さんを恨んでなんかいないよ? 私は兄さんを……」

 この言葉を生きているうちに言いたかった。

 でも、届かないから大きな声で言える。私の思いを素直な気持ちで言える。

「大好きだよ……兄さん」



『行こうランタン、約束の地へ』



 二度とこの地を踏むことはないと思っていた、あの声を聞かなければ。

 あの時、妾を助けたあの声を聴かなければわざわざロンドンからここに来るとはなかった。

「やれやれ、思った以上に時間が掛ってしまった」

 箒にまたがり、落ちそうになる帽子を押さえながら町を見下ろす。

 そこには、人間達の文明の結晶が立ち並ぶ。

 その明りは、深海に浮かぶ宝石か――

「あるいは彷徨(ほうこう)する(たましい)だな」

 感傷的になるなど妾らしくない。

 きっと、かつてこの地にいた記憶がそうさせるのだろう……その記憶は、酷く醜くも懐かしかった。

 だが、妾には感傷に浸る時間も資格もない。

「さて、まずは〝図書館〟に顔を出していくかの――」

 そう思った時だった。

 鼻孔を掠める、焦げた臭いが風に乗ってきた。

「なんじゃ?」

 目を凝らすと住宅街の一角が濃いオレンジ色に包まれている。

 よく聞けば、サイレンの音も鳴り響いている。

「火事、のようじゃの」

 別に火事事態に興味はない。

 そのまま過ぎ去ってもよかった。

 だが……今のこの街を歩いてみるのは、悪くないかもしれない。

「少し、寄ってくか」

 進路を火事の現場に変える。

 風を切り、数分としないうちに到着する。

 そこで一旦、人目のつかない狭い裏路地で箒から降り辺りに人の気配がないことを確認する。

 幸いな事にこの辺にある気配はすべて火事を見にきた野次馬達だけだ。

 人の事は言えないが、こいつらは暇人らしい。

「さてと……」

 そう言って堂々と裏路地から出ると、火事を見にきた新しい野次馬達と鉢合わせになった。

 だが、誰も妾の事に気付く事はない。それもそうだ、今の妾は人の目には映らない。  

 だから、この姿を見ることが出来るのは同族だけということになる。

「しかし……綺麗な街並みだ。妾が居た頃より、随分と変わったものだな」

 綺麗に舗装された道や家を眺めながら思う。

 もしこの時代に生まれていたのならどんなに良かったか、普通の家に生れ普通の学校に行き、普通に人と会話する。

 そんな人としての当たり前の生活、もうどんなに望んでも、絶対手に入らない。

 当たり前の幸福。

「だけど、そんな当たり前でさえ、手に入れられなかった……そして、代わりに手に入れたのは――」

 その名は、自由。

 貪欲に欲したもの、大切な人を犠牲にして勝ちとったもの。

「だから……後悔はしない」

 立ち止まり、後悔を振り払うように顔を上げた時、そこには夥しいほどの人がひしめき合っていた。

 十人、二十人、いや……もっといるだろう、道路にまではみ出す始末だ。

 これだけ多いと、人を見に来たのか火を見に来たのか分からない。

「いつの時代も変わらんの……」

 妾の居た時代にも火事はいくつもあった。

 むしろ、今よりも多いくらいだ。

 その度に興味津々に見に来る輩も当然のことのようにいた。

 だが、今のようにカメラが電話についている時代ではなかった。

 だけど今は違う、今は……その小さな機体に、人の不幸の瞬間を永久に残すことが出来る。

「何が楽しいんだかな」

 心配顔をしている奴らなど殆どいない、大概が面白がってきた野次馬達だけ。

 見ているだけで不快になる。

「来るだけ、無駄だったの」

 そう呟いて立ち去ろうとした時、新しくきた野次馬と目が合った。


 七月十二日 午後十一時三十分


 死んだはずの妹に出会ってから数時間、夕飯も食う気にもなれないが部屋に戻っても眠気も来ない。

 あいつの残した言葉が頭から離れない。

「なんだよ、アリスって……」

 その言葉の意味は相変わらず分からない。分からないが、歩兎(あると)が何か大切なことを伝えたかったのは分かる。

(体、何を伝えたかったんだ?)

「…………なんだ、この臭い……」

 涼しい風が嫌な汗を撫でたのと同時に何処からか焦げ臭いにおいが入ってきた。

 カーテンを開けると遠くの景色がオレンジ色に染まっている。

「この方角は確か、住宅密集地だったな……」

 あそこで火事が起これば隣の家も無事では済まない。

 しかし、自分が駆け付けたところで何が出来るわけでもない。

 救急の邪魔になるくらいならここで大人しくしていた方がましだ。

「でも、このタイミングは出来過ぎだ」

 死んだはずの妹から告げられたメッセージの後に起こった火事、あまりにもタイミングは出来過ぎである。

 これも何か、意味があるのだろうか?

「行って、みるかな」

 そう言って制服姿のまま家を出る、補導される心配はあったが、幸いなことに教師の姿はなかった。

 途中近所の何人かとすれ違う。大方、火事を見に行った野次馬だろう。

 帰ってくる顔には興奮の色が窺えた、こいつらはこの顔で見てきたんだろうか? 燃え盛る家を……人の不幸を。

「何が楽しいんだかな……」

 他から見れば俺だってその物好きに見えるのだろう、だが俺は他の奴の死なんぞに興味はない、要はこの火事が今までの出来事に関与しているか分かればそれでいい。

「意味が分かるのか? そこに行けば……」


 一体、何が起こっているのか? そしてどうして歩兎が死に再び自分の前に現れたのか、それが分かると言うなら俺は喜んで嘲笑の対象になる。

「お願い! あの子を助けて!」

「落ち着いてください! お子さんは必ず助けますから!」

 顔を上げた。

 気付けばそこは火事の現場だった。

 野次馬、消防隊員、泣き叫ぶ母親、人とゆう人で溢れかえっている。

「これは……」

 想像以上の現場に思わず声が漏れた、母親は隊長らしき人にしがみ付き大粒の涙を零しているし野次馬は現場を掻き乱し、警察官や消防隊員はその対応に追われている。

 火事を背に行われているこの風景はさながら地獄絵図のようだ。

 だが、特に変わった様子はない、有り触れた火事の現場だった。

「無駄足だったな」

 興味も失せたので帰ろうとした時、反対側から来る野次馬と目が合った。


 七月十三日 午前0時


(なんだ? コイツ……)

 火事に集中しているからか周りの野次馬は気付いていないようだ、でも今の時期にその格好はないと思う。

 それは、ハロウィンの魔女そのものだった、先の折れたとんがり帽子、黒いハイヒールに黒いマント、肩が剥き出しのフリルのあしらったドレス、おまけに背中には本人の背丈の倍はあろうかとゆう箒を背負っている。

 唯一の救いはその女の子が十代前半くらいだとゆう事位だろう。

 まだ、無邪気が許される歳だ。

(しかしでかい箒だな、あれで空でも飛ぶつもりなのだろうか)

 考えれば考えるほど奇妙な女の子は、こちらの視線に気付いたのか、少し眉を寄せる。確かに、見ず知らずの男にジロジロ見られたら気分は良くはないだろう。

 だが、そんな恰好で出歩いている時点で目立つ事を考えてないのはおかしいと思う。

 少女はしばし考えているように顎に手を当てている。

「どれ、試してみるかの」


 やけに古風なしゃべり方をした少女は、真っ直ぐこちらに向かってきた、それを黙って見つめていると顔を見つめながら、自分の周りをぐるぐると回り始めた。

 どうやら、恰好だけじゃなく頭もおかしいようだ。

 三周ほどした所で、満足したのか再び正面で対峙した。

 俺の胸のあたりにある大きな瞳が自分を見つめている、吸い込まれそうな瞳の中にこいつを見つめる俺が映っている。

(似ている……歩兎に……)

 顔が似ている訳じゃない。

 だけど、家の前で再会した歩兎と纏っている雰囲気が似過ぎている。

 もしかしたら、この子なら何か知っているかもしれない。

「君――」

「お主、見えているのか?」

「お前、何言ってん、だっ!?」

 足に鈍い痛みが走った。

「お、お前、何すんだよ……」

「ほぉ~、本当に見えているのだな」

「それを確認するためだけに、その硬いヒールで弁慶の泣き所を蹴るな、不意打ちだったからマジで痛いぞ」

「しかし、いつの時代も変わらんの……」

「何が――」

 涙目でよく見えない。

 だけど……その子が何故か悲しそうな顔をしている気がした。

「まぁいい、それより今すぐここから離れろ」

「それは――」

「グァァァァァァァァン!」

「くぁ?!」

 突如、(みみ)()くほどの咆哮(ほうこう)が空から響く。

 思わず耳を塞ぐが、耳を塞いだのは俺だけで他の野次馬は叫び声に気付いていない。

 相変わらず興奮しきった顔で現場を見ていた。

(俺だけ? あれだけ大きい音だったんだぞ!)

 頭痛に加え、さっきの衝撃で目の前が霞む、立っていられずその場に膝を着いた。

「しまった、遅かったか……」

 少女の声は、後悔にも似た呟きだった。

 その目線を追う。

 すると、顔を上げたその視線の先、舞い上がった炎が変化していく。

「なんだ、あれ……」

 最初に出来たのは白く濁ったような丸だった。

 生気の感じられない人形の目のようだ、だが人形ほど無機質なわけではない。

 むしろ、そこからは明らかな敵意と殺意が滲み出ていた。

 次第に炎が固まっていく、何か分からないのに恐怖に足が竦む。

 だけど、その二つの点から目を反らせない。

 そして、舞い上がった炎が一匹の蛇をかたどった。

「グゥゥゥゥゥゥゥ……」

 呻き声をあげながら蛇は真っ直ぐこちらを見ている、焼け付くような視線を浴びせられ思はず息を飲む。

 だが、野次馬達の表情に思ったほどの変化は見られない。

「まさか、見えてないのか?」

「だろうな、奴が見えているのは妾とお主だけだ」

 だとするなら説明が付くが、そうなると、ここに留まるのは危険だ。

 少女の忠告通りにこの場から離れるべきだ。

 それは分かっている。

 だけど――

(あいつなら、もしかしたら……)

 この期に及んでそんな事を考えている自分もいる。

(手は尽くした、常識で俺を殺せないなら、もう頼る物は他にないじゃないか)

 自分で言って呆れる、歩兎が生きていた原因を確かめたくて来たのに結局自分の死を望んでいる。

 今までの事で悟った筈だった……自分は死ぬ事は許されないと。

(でも、ひょっとしたら歩兎も、本当は俺の死を望んでいるのかもしれない)

 だったら、迷うことはない。

 俺のせいで歩兎が死んだのなら、生きていることが罪ならば目の前の業火に焼かれて死んだ方がいい。

(でも……)

 何か、違う気がする。

 でもそれが何かは分からない、答えが分からない事に苦しむのは、もう沢山だ。

「お前なら、俺を殺してくれるのか?」

 聞こえる筈のない声で炎の蛇に問う。

「何をしている、今ならまだ間に合う、お前だけでも――」

 同じく蛇を睨んでいた少女が、俺に向かって何かを叫んだ。

 けど、その叫びが届く前に体の方に異変が起きた。

「うぁ――あ、頭が!」

 頭痛が一層激しくなった。

 目が霞む、なんてレベルではない。脳をそのまま鷲づかみにされているような感覚、五感すべてが遠のいていく。

 脂汗も止まらない。火事の音も野次馬達の声も少女の声も聞こえない、いや聞いている余裕がない。

 けど、そんな中聞こえた、二年前にも聞いた、声。

 懐かしい、声。

 〝死なないで……さん〟

(…………お前、誰なんだよ……)

 呟いても、答えを知っている奴などいなかった。

「おい! どうした!」

 異変に気付いた少女が耳元で叫ぶが、耳鳴りで遮られてしまっている。

「どうした、しっかり――」

 そう言いかけた時、炎の蛇が二度目の咆哮を上げた。

「グヲオオオオオオオオオオ!」

「くっ……しまった!」

 少女が唸った、するとそれと同時に蛇を中心に濃い霧が生まれた。

 色は紅色、その霧は瞬く間に隣接する家を四軒ほど飲み込み、やがてドームを形成した。

 その中はさっきまでの赤い色じゃなく、モノクロの世界、色とゆう色をすべて抜いてしまったかのようだった。

「逃がさんぞ〝徘徊の魔灯〟」

 蛇が絞り出すような言葉を放つ、だけど、どうやらそれは俺に向けた言葉ではなく少女に向けた言葉のようだ。

 霞む目で周りを確認すれば、そこには野次馬も警察も消防隊員もいない、ただ物だけが取り残されていた。

 そこに生きているものは俺を含めて喋る蛇と奇抜な格好の少女だけだ。

「やはり、気付かれておったか……」

「最初は気が付かなんだよ? だが、お前がそこの小物と喋っているのを見つけたからな、だから、逃げられないよう囲ませてもらったよ」

「それで? 〝精霊(せいれい)(かい)〟に名を連ねる神秘、サラマンダーともあろう者が、こんな火事を起こして何になる?」

「これか、まぁ~いいじゃないか……これから起こる厄災に比べたら瑣末なことだよ」

「何じゃと?」

「知らぬ振りをする必要はない、お前も〝アカシャの鍵〟を求めてきたのだろ?」

「目覚めたのか!?」

「まだ完全に覚醒したわけはないらしいが確実に目覚めつつある、何せあのユグドラシルの〝根〟が鍵守と接触したらしい」

 あいつの事か、どうやらニーズとか言う巨漢はこいつらの世界では有名人らしいな。

 それに、俺が鍵守とかゆうものだってこともまだ分かっていならしい。

 すると、少女がとんがり帽子越しに視線を向けてきた。

「お主、動けるか?」

 小声で話しかけてくる。

「正直、あまり大丈夫じゃないが……ちょっとは……な」

 よろよろと立ち上がる、痛みは少し引いたが、起き上がるだけでズシリと重くなるから、多分走ることは出来ない。

「そうか、何が起きたか知らんが、ここから少しでも離れろ」

「お前は、どうすんだ?」

「お前が逃げるまで時間を稼いでやる」

「…………」

 確かに、俺がここにいても出来ることなんて無い。

 むしろ、邪魔になる可能性の方が高い。

 なら、助けてくれると言っているんだから、ここは大人しく従った方が利口だろう。

 頭では分かっている。

 でも――

「簡単に、逃がしてくれる相手なのか? それに、このモノクロの空間はあいつが作ったんだろ、ならいくら逃げても意味はない」

 ここに残る選択を選んでいる、自分がいる。

「そんな遠くに逃げろとは言ってない、大体、今のお主に遠くに逃げろなんて、無駄な事言いはせん、見たところ怪我はないんだから引きずってでも離れろ」

「でも――」

「ええい、五月蠅い! グダグダ言ってないでさっさと逃げろ! それが出来ないならせめて邪魔にならないところに隠れておれ」

「分かった…………お前みたいなのに言う事じゃないと思うけど、無理はするなよ」

「お主、よくお人好しと言われないか?」

 その笑顔はここにいる誰よりも人間らしかった。

 ここで何も出来なくても、見届けたかった。

 それだけじゃないここにいれば分かる気がする、歩兎の言葉に隠された本当の意味が。

「何を相談しているか知らないが、私はどちらも逃がす気はないぞ? 貴様はもとよりそこの男小物とはいえ喰えば〝(コード)〟を補給できる」

「させると、思うか?」

 そう言って立ちはだかる少女は、背負っていた箒を手にしていた。

「それが貴様のコードか、しかし何故だ? 貴様が〝()(かい)〟に落ちて数百年もの間一度も世界に干渉せずにいたのにどうしてそこの小物を助けるために刃を向ける?」

「人が人を助けるのに、理由がいるか?」

「魔に落ちた者が人を語るか……滑稽だな」

「そうかの? 叶わぬ夢を追って無闇に人を喰らうお主の方がよっぽど滑稽に見えるがな」

「ほざくな!!」

 その言葉がサラマンダーの逆鱗(げきりん)に触れた。

 くねらせた体を伸ばし、こちらに向かってくるそれはまさに炎の濁流だった。

 だが彼女は動かない、そればかりか目を閉じ手に持っていた箒を構えた。

 その時、月明かりが彼女のみを照らした。

「(断罪の力ジャッジメントコード)〝魔女(まじょ)狩り(がり)鎌魔(かま)発現(トレース)――」

 何かを呟いた時、持っていた箒が粒子に包まれる月光に照らされその存在がさらに神秘的になっていく。

 そう思った刹那、手に握られていたのは茶色い箒ではなく、巨大な鎌。

 細かな装飾の施された柄に、月光を反射させたのは満月の夜に映える三日月型の刃。

 まさに、死神の持つ鎌そのものだった。

「それが、貴様の力か!」

 だが、蛇は特に動揺した様子もなくそのまま飲み込もうとする。

 だが、それを難なくかわし百メートルほど前方にあった電柱に降り立った。

 モノクロの世界で唯一生きた光を背にした彼女は、壮絶なまでに蒼く、美しかった。

「慌てずとも、ゆっくり相手をしてやる」

 そう言って彼女は微笑んだ。

 しかし、その笑みは決して温かくはない、この夜にふさわしいまさに冷笑だった。

 すると、蛇がもう一度雄叫びを上げるのと同時に巨大な口を開けた。

 そして、その口から体と同じ色をした巨大な塊を吐きだす、吐き出された火球は離れている俺でさえ体が焼け付くように熱くなる。

 きっと、触れる物をドロドロのバターのように溶かすだろう。

 だが……彼女は逃げない、それどころか笑みすら崩さない。

 冷静に右手で持っていた鎌を両手に持ち直し呼吸を整えている。

 そして、火球との間合いが一メートルまで迫った。

「(断罪の力ジャッジメントコード)〝魔女(まじょ)血涙(けつるい)〟」

 短い言葉を発した。

 それと同時に、鎌を横に薙いだ時だった。

 女の悲鳴のような音と共に真紅の波動が火球もろともその一帯の空間を一気に切り裂いた。

 波動は留まることなく、一瞬でサラマンダーの体に横一門の傷を付けた。

 そして、その勢いのままサラマンダーを地面に叩きつける。

 見れば、彼女の鎌はさっきまでの白銀の刃ではなく鮮血のような真っ赤な色に染まっていた。

 まるで、幾千の血を浴びたかのような禍々しい色。

「ば、馬鹿な……」

 一瞬の出来事に、奴自身も理解が追い付いていないようだ。

 何とか起き上がろうとするが、その前に少女の刃が蛇の喉元に当てられた。

 下手に動けば、彼女は躊躇いなく蛇を殺すそう雰囲気が物語っていた。

「勝負あったの」

「くっ! まさか、これほどの力とは……」

「感謝するがよい、この力を使ったのは、お主で三回目だ」

「何故だ! これほどの力があるのに、何故貴様は、さらなる高みを目指さない?! その力ならば人はおろか神秘でさえ抹殺し力を得られるとゆうのに!」

 息も絶え絶えに蛇が叫ぶ、だが少女はただそれを冷たい目で見下ろす。

「すまんが、(わらわ)は神秘としての自分の存在意義に興味はない、だから自分の存在を高めたいとも思わんし力を誇示する気もさらさらない、妾はただ……自由になりたかった」

 遠い目。

 そして、思い出を憎むように睨みつけたそれは誰に対しての憎悪なのか俺には分からない。

「た、助けてくれ……頼む……」

「……」

 蛇の懇願をランタンは無表情に見下ろしている。

「焼き殺された娘も同じ事を言ったか? お主に助けてと懇願したか? 仮にしたとして、お主はそれを助けたか?」

 感情のない声、見下ろす目は冷たい。

「た、頼む……」

 数秒の沈黙ののち、静かに鎌が下ろされた。

「見逃して、くれるのか?」

「さっさと消えろ、これ以上妾を不快にするな」

 そう言って振り返らずに告げる、鎌も元の箒に戻っていた。

 自由になった蛇は、何も言わずに飛び去っていった。

「お主、大丈夫か?」

「何とか、な」

 安堵の息が漏れた、ひとまず落ち着いたと思った。

 その時、視線の先の空がオレンジ色に輝いた。

「甘い、その甘さが自らの敗北を招くのだよ」

「まさか!」

 振り向いた時にはもう遅かった。

 オレンジ色の火球が降り注ぐ、それをかわす術を持っていない俺はただ見ているしかなかった。

 やがて、降り注いでいた火球が止み、視界が戻ってきた。

「くっ……」

 最初に目に入ったのはモノクロの地面、次に入ったのは少女の顔、自分の顔との距離は数センチの所にある。

 だが、その顔にさっきまでの表情はない、代わりに浮かんでいるのは苦悶だった。

「おい、大丈夫――」

 この時点でようやく気付いた、俺が庇われている事に……そして、庇ったせいで少女の背中が焼けただれている事に。

「なんで、俺なんかを……」

 あまりの事に愕然とする。

 こいつは、さっき会ったばかりの男を庇って大怪我を負った、俺が負わせてしまったのだ。

 自分のために死にたい、そんなエゴを持った男の為に避けることの出来る攻撃を避けなかった。

「本当に愚かだ〝徘徊の魔灯〟あの時止めを刺せば、こうはならなかった……それに、そんな小物、放っておけば私に喰われる事もなかった」

 蛇は本当に嬉しそうだった。

「さて時間を掛け過ぎた、いい加減騒ぎを聞きつけたハイエナどもに先を越される前に済ませてしまうかの……」

 そうして蛇は、再び俺達を飲み込もうとする。

 このままでは二人とも死ぬ。

(もういいじゃないか、楽になれ)

 それで、いいのか?

(このまま何もしなければ、お前の望んだ死が待っているぞ)

 でも、この子はそれを望むのか?

(こいつが勝手に助けただけだ)

 だけどまた見捨てるのか? また助けられないのか? また後悔するのか?

(ならば、お前はどうしたい?)

 助けたい、俺じゃなく――この子を助けたい。

 もう、後悔はしたくない。

(なら聞く、お前は、死にたいか?)

 俺は……俺は!

「死なない、死ぬわけには、いかない!」

 そう呟いて、鋭く、蛇を睨みつけた。

(遅いよ、兄さん)

 その時、歩兎の声が聞こえた、気がした。

「ふん、小物に何ができ――」

 そう言いかけて、蛇が、固まった。

「ま、まさか! 貴様は!?――」

 その場を包むのは、ただの静寂だ。

 だがそれは、自分から溢れる(せい)の気配、こいつが作り出した空間を俺が支配していく感覚。

 ふと、近くの窓ガラスに自分が映った、癖のない黒髪も細い眼もいつものままの筈だった。

 俺の両眼は、深い紫色に覆われていた。

 そして、その目をまっすぐ蛇に向けた。

 そして……目に映るこいつを握りつぶすように、拳を固めた。

「(鍵の力(アカシャ コード))〝始まりの無(アイン)〟」

 自分ではない声で呪文を唱えた瞬間、そうそれは刹那の事だった。

「ぐぎゃぁぁぁぁぁぁ!?!?!?!?!」

 突然に蛇が苦悶の声を上げた、視界にいる蛇の表面がだんだんに消えていくのが、はっきりと分かる。

 自分が起こした現象だとゆうのに、俺はそれになんの感情も抱かなかった。

「貴様が〝アカシャの鍵〟だっただと!?」

「……

「む、無念……」

 その言葉を最後に、モノクロの空間とサラマンダーは無くなった(・・・・・)

 代わりに現れたのは星の瞬く夜空だった。

「……」

 何をしたのか分からなのに体が疲労を訴えている、目を開けてられない。

「あいつ……無事かな……」

 少女の事も心配だったが、今は考えている余裕はない。

 目が覚めてから、ゆっくり事情を聞こう。

「お休み、歩兎」

 無事であることを願って、目を閉じた。

 自分の声が自分の耳に届いた時、無邪気な少女の声が聞こえた。

 それは楽しそうな、無垢な声で。

『おはよう』

 けど、俺がその姿を見る事は出来なかった。

 何故なら、瞼は重力に従って閉じてしまったからだった。

「やっと、目覚めましたね」

「ええ、とても、長かったわ」

「それで? これからどうします?」

「とりあえず、兄さんにすべてを話してください、今の兄さんには、あまりにも情報がなさすぎるから」

「分かりました」

「兄さん……」

(名残惜しい……何時までも眺めていたい、眠った貴方の顔を……でも、これからは何時でも会える)

「では、後はお願いします、リオンさん」

「お任せを、アルト」

 兄さんの顔を焼きつけるようにゆっくりと、目を閉じる。

「お休み、兄さん」

 寄り添うように眠る。

 子供の時は、よくしていたのに……今やると、なんだか照れくさい。

(もう、何処にも行かないよ、兄さん)

 瞬く星に見守られながら、愛おしいあなたの横で目を閉じた。





「一足遅かったですね……」

 神秘の気配を感じ急いで現場に駆け付けたが、既に灯夜と徘徊の魔灯はいなかった。恐らくリオンさんが保護したのだろう。

「花蓮様」

「どうしました? ガウェイン卿」

 隣にいた副会長に視線を送る、戦闘衣に身を包んだ(いずみ)が眉をひそめながら尋ねてくる。

「ここを襲った、神秘の気配が跡形(あとかた)もの無く消えていました」

「おそらく、鍵の力でしょう、とうとう覚醒しましたね」

「はい……」

 その夜は、月の見えるいい夜だった。

「灯夜、君は私が護から」

 呟きつつ、腰に伸びる柄に手を掛ける、黄金に装飾された剣の王たる証。

「君と、この街を脅かす者は〝王と認めし聖剣(エクスカリバー)〟と〝剣王(アーサー)〟の名において、粛清します、これから〝円卓の騎士(せいとかい)〟も忙しくなりますよ」

「はい……全ては主と、この街の平和の為に」

 きらりと光る刃を見つめながら、月光を切り裂くように振るう。

 後悔を、振るうように。




 夢を、見ています。

 ついに出会った、彼等が出会った。

 これで、本当の私の夢が動き出す。

 これからが、本当の、私の夢。

 どうか夢の中の、彼の夢が幸せなものでありますように。

 静かに、眠るように祈っています。


                    3


 夢を見ている。

 黄昏色に染まってきていた廊下を歩く一人の少女の姿が映る、その顔はまだ幼さが消えないあどけない少女だ。

 少女は大きな紙袋を抱えていた、中には着替えや夕飯のお弁当なんかが入っていたと思う。

(この夢か……)

 そこにいる少女はかつての自分、まだ剣王の使命など毛ほども考えていなかった頃の姿だ。

 今の自分にもこんな時代があったなと……まだ、世界が平和であると疑いもしなかった無知な自分が見ていてとても危うく感じる。

 しばらく歩いているとある白いドアの前に止まった。

 そこには手作りの木の文字で『アトリエ』と書かれたプレート。

 間違いない……何度も来た、母さんが絵を描いている場所だった。

(やめて、そのドアを開けないで! 開ければあなたは……)

 そう念じても届くはずはない、何故なら……これは夢であり、この夢は現実に起こったことだ。

 今さら変えられるはずもない。

(分かっているわ……でも!)

 しかし、私の願いとは裏腹にその小さな手は扉をノックする。

「母さん? 着替えと夕飯を持ってきたよ」

「……」

 沈黙。

「母さん?」

 再びノック。

「……」

 また沈黙。

「居ないの?」

 不審に思いドアノブに手を掛ける、すると……ガチャッという音を立てて扉が開く。

「母さん? 居るんでしょ?」

 数センチの隙間から扉の奥を覗く。

(やめて!)

 最後の願いも空しく幼い私はドアの向こう側を見る。

 そこにあったのは、夕日で真っ赤に染まった小汚い部屋と散らばった未完成の絵、吹き抜ける風。

 そして……部屋の真ん中で倒れ込む母、その体は自分から流れた血だまりに浮かんでいた。

「母さん?」

 震える声で呼びかける、でも返事はない。

 次に頬に触れる。

 いつもは温かい頬は冷たく、まるで石を触っているかのようだ。

「なんで? どうして?」

 昨日まで自分を包んでくれた腕が今は力なく地面に横たわり血の海に浮いている。

 もうその腕が自分を包んでくれることも、その口が自分を叱ってくれることも、その顔が自分に微笑みかけてくれることも、お弁当を持ってきて一緒に食べることも。

 二度とない……幼いながらも分かってしまった。

 それが、完全な死であることを。

「きゃぁああああああああああああああああああああああ」

 もう二度と見たくはなかったこの夢は、私を現実へと引き戻していった。

「んん……」

 寝返りをうった顔に、ほのかで温かなぬくもりを感じてまどろみから覚める。

 窓から初夏の日差しが差し込み、早く起きろと急かしているようだ。

 何か嫌な夢をみたような気がするけど、それは冷や汗が消えるのと同じように静かに消えていってしまった。

「今日の予定は……」

 体を起こして今日の予定をぼんやりとした頭で確認する。

「あ……」

 軽い目眩が起きてベッドに倒れ込む。

 手の甲はひんやりとしていて、このまま二度寝をしてしまいそうだったがまどろみに入りそうだった頭に三度のノックが響いた。

「お嬢様、お目覚めですか?」

 すると柔和な笑みを浮かべながら、いつも私の身の周りを世話してくれる気のいい使用人が入ってくる、それはいいが今日はどうやら目覚めの悪い朝のようだ。

 一体何をしているのだろうこの人は。

「お嬢様? どうかなされまし――」

「はぁ~マーリン? どうして貴女がそんな恰好をしているのですか?」

「な、何の事でしょう――」

「貴女はいつも来てくれる使用人の方ではありません、その人は休暇中ですのでここにいるはずはありませんよね?」

 しばらく無言が続いたが、不意に豪快な笑い声が響いた。

 とても女性とは思えないほど男勝りな笑い声だった。

「そう怒るなよ花蓮、ちょっとしたお茶目じゃねえか」

「貴女のお茶目は度が過ぎてます、変身術をなんてことに使っているんですか」

「いやいや、最近お前が張り詰め過ぎだったから、ちょっと息抜きしてやっただけだろ?」

 そう言って五十歳の使用人の姿からいつもの姿に変身する。

 その姿はとても賢者とは程遠い姿である。

 黒のスカートに赤と黒のストライブの服に全身を赤と黒で彩った見た目二十代の女性こそアーサー王伝説に登場する偉大なる賢者、魔術師マーリンである。

 諸説あるアーサー王の話の中でマーリンは悪魔の子だとか女にだらしない男性で知られているが、伝説の中でアーサー王に様々な助言を与え助けてきたのも事実である。

 そう、事実ではあるが。

「全く、貴女の様な人がマーリンなんて知られたら、イギリスの人たちは大層ガッカリするでしょうね」

「おいおい、勝手に事実を捻じ曲げたのは奴らさ、失望させたってあたしが悪いわけじゃない。まっ、女に目が無かったのは事実だけど」

 そう、もともと黒のローブに身を包んでいたり、変身の術が使えたりしたので皆が望む様な賢者の姿や振る舞いをしていた為に男と誤解されていた。

 だが、実は同性愛者とゆうから伝説の世界もいい加減なものだ。

「それに、あたしを作ったのだってアリスなんだ、文句ならあいつにゆうんだね」

「貴女、それを免罪符にしてませんか?」

「そんな事は無いよ、あんただって今の自分が自分だって思ってんだろ? それと同じだよ」

「……確かに、そうかもしれませんね」

「あーところで、起こしに来た私がゆうのも何なんだけど……時間、大丈夫?」

「……え、うそ!」

 傍にあった目覚まし時計を見れば、既に朝の五時半を回っている。

「いけない、早くしないと――」

 慌ててベッドから飛び降りて身支度を整える、寝間着などは後で使用人に片付けてもらおう。

「あのさ、前から思ってたんだけど、どうして花蓮がそんなに早く行く必要があんの?」

「王として、先陣を切るつもりでいかなければ配下の者に占めしかつかないでしょう」

 身嗜みを整えている時間は無い……しょうがない、今日は車で送ってもらおう、その中で済ませればいい。

「ふーん、そうゆうところ代々のアーサー王に似ているわ」

「なんですか?」

「何でもないよ、それより車なら外で待たせているからさっさと行きなよ、朝食も車の中に用意してあるみたいだから落ち着いて食べな」

「何時の間に手配してくたんですか?」

「これでも一応、あんたの部下だからね」

 鞄を取ろうとしたままの状態で固まる。

 そんな私を、おかしそうに見つめたままマーリンが含み笑いを残して部屋から出ていく。

「でもさ、あまり回りの奴を心配させるんじゃないよ? 特に、あんたをよく知る奴をさ」

「どうゆう、こと?」

「そのままの意味だよ、どうせ今夜も行くんだろ?(・・・・・・・・・) せいぜい体に気をつけな」

 手を振りながらいなくなった彼女の後を見つめながら、拳を強く握った。

「今日も、いい天気ですね」

 今夜も、忙しい夜になりそうだ。

「君は、私が守るから」



 同時刻


「ん?」

 誰かに呼ばれた気がした。

 薄眼であたりを確認する。

 そこは、暗くてよく見えないがここは俺の知っている場所だった、それだけは分かる。

「俺の、部屋?」

 はっきりとしてきた視界で確認する。

 その天井も、外国小説など様々な本が詰め込んである本棚も、木製の年季の入った机には、考古学の資料が散乱している風景も。

 そこは何時も見慣れた、自分の部屋だった。

「ん~」

 寝起きで頭が働いていないわけじゃない。

 だが、何かを忘れている気がする。

「昨日、確か……」

 自分の中に様々な単語が浮かんでくる。

 妹、火事、喋る蛇、奇妙な格好の少女、鍵。

「そうだ! あいつ!」

 慌ててベッドから起きようとする。

 俺を庇ったあの子を探さないと、昨日の火傷の具合から言ってかなりマズイ筈だ。

「昨日の現場は確か…………………おい」

「お、やっと起きたか」

 探すまでもなかった、昨日の少女なら目の前に居る、何故か俺に馬乗りになっている形で俺の顔を覗き込んでいた。

「何してんだ?」

「いや、寝顔を見ておった」

「何で?」

「何となくじゃ、重くはなかろ?」

 何となくで人の上に馬乗りって、どうなんだ?

「だったら、もういいだろ? 起きたから降りろよ」

「嫌じゃ」

「……」

(……面倒だ)

 有無も言わずに布団をめくる。

「にゃ!?」

 無理やりどかすと、かわいい悲鳴をあげながらベッドから転げ落ちた。

「お主、女は丁重に扱わんか」

「やかましい」

 頭をさすりながら非難の目を向けてくる。

 その姿とある少女の姿が、重なった。

(痛いですよ、兄さん)

 似ている、歩兎に。

 まだ無邪気だったころのあいつに。

「なんじゃ? 心配してくれているのか?」

「そんな訳ないだろ」

 見入っていたとは言えず、乱暴に顔を背ける。

「それより、着替えるから外に出てろ、お前には聞きたいことが――」

 そう言って新たな異変に気付く。

 部屋の風景が違うんじゃない、ゆうならば空気、匂いが違う。

 俺の部屋は、こんな胃を刺激するような美味そうな匂いはしない筈だ。

「この匂い、台所からだ……」

 俺は一人暮らしだから、誰かいることはあり得ない。

「とゆう事は……強盗か? でもこんな分かりやすい侵入をする強盗はいないと思うけど」

(まぁ、不法侵入の女なら居るがな)

 非難の目を向けるが、この女は部屋を漁ることに夢中のようで全く気付いていない。

 昨日の今日とゆうこともあり、警戒しながら台所を覗いてみる。

 そこにいあった光景は昨日の頭痛とはまた違う、違うけれどとても頭の痛い光景だった。

「灯夜君、目が覚めましたか」

「……」

「何故頭を抱えているのです? キッチンを勝手に使ったことですか? それなら申し訳ないと思いますが――」

「いや! それより前だよ! なんで館長がここに居るんだよ!!」

「うるさい奴じゃの~すこしは冷静になれんのか?」

 いつの間にか隣に来ていた少女が溜息をついていた。

「俺の冷静さを掻き乱しているお前が言うな!」

「まぁまぁ、昨日の今日で混乱しているのは分かりますが少し落ち着いてください、貴方の質問にはすべて答えますから」

「……」

「今は落ち着いて、朝食でもいかがですか? 君の分も用意してありますよ」

「……飯食ったら、説明してくださいよ」

 渋々席に着く、用意されていたのは食パンと目玉焼き、サラダと典型的な洋風の朝食だった。

 シンプルだが、昨日から何も食べていない俺にとってはこの上ない御馳走に見える。

「どうですか? 料理好きの君には不満かもしれないですけど」

「……普通に美味いですよ」

「そうですか? 光栄ですね」

 安心したような笑顔を向けてくる。

 くそ、そんな微笑を向けられたらもう何も言えない。

「リオン、醤油を取ってくれるか?」

「どうぞ、でも掛け過ぎないようにしてください」

 そうしていつの間にか変な女も混ざって朝食は始まった。

 ほのぼのした表情で、妙齢の燕尾服が手元にあった醤油を、これまた場違いな魔法使いのコスプレした女に渡している……。

(何だ? この状況?)

 さらに、その醤油を目玉焼きにこれでもかと掛けている。

(さっきの忠告、完全無視だよこの女)

 俺のドン引きの視線を気にも留めずに美味そうに目玉焼きを口に運んでいる。

 それからテーブルが片付くまでの間、寝巻と燕尾服と魔女が食事をするとゆうシュールな光景が展開された。

「さて、ご飯も食べた事ですし、いよいよ本題に入りたいと思います」

「…………」

「どうかしました?」

「いや……よく考えたら……質問が多すぎて何から聞いていいか、分からないです」

 頭の中で情報を整理する。

 昨日からいろんな事が起こり過ぎて色々余裕がなかったがこの際はっきりさせた。

 させたいが、どうにも情報の整理が追い付かない。

「まぁそうでしょうね、貴方は流されるがままにここまで来ましたから」

 俺の苦悩を館長は苦笑で答えた。

「そうだ、そもそもあなた何者なんですか? そこの子と知り合いってことからして人間じゃないんでしょ?」

「ええ……君の推測の通り、私も昨日の蛇と同様の存在です」

「なるほど、納得です、ニーズとかゆう巨漢に襲われた後、図書館で寝かされていたのかずっと疑問だったんです」

 普通、知り合いが倒れていたなら何があったのか詳しく聞こうとするものだ。

 でも、館長は積極的に聞こうとはしなかった。

 まるで、事情をすべて知っているかのような態度が引っ掛かっていた。

「隠していた事を怒っているのですか?」

「そうじゃありません、むしろ館長がそっち側でよかったと思っています」

「何故です?」

(……よいよ、長年の思いに決着がつけられる)

 意を決して、切り出す。

「館長、歩兎が死んだ理由を知っていますね? 教えてください何故あいつが死ななきゃならなかったんですか?」

「もちろんお話します、ですがまずは〝アリス〟についてお話しましょう」

「そんな事はどうでも――!」

「灯夜君? 気持ちは察しますが物事には順序とゆうものがあります」

「…………ちっ」

 つい悪態が出てしまった、我ながら余裕がない。

「では質問を変えます、その〝アリス〟とは何者なんです?」

「ええ、それは――」

「〝運命(うんめい)〟じゃよ」

 そう言って静かに紅茶を飲んでいた魔法使いが、声を上げた。

「〝運命〟?」

「そう、奴はこの星の運命そのもの、奴が今までの〝過去〟を作り、そして〝未来〟を夢見ている」

「何言ってんだ、お前」

 話が飛躍しすぎてついていけない、運命なんて抽象的な事を言われても困る。

「おいおい……これ以上、俺を混乱させるな」

「そうですよランタン、そんな突飛な事を言っては彼がますます混乱してしまいますよ?」

「そうか? これが一番的確な表現だと思うがのう」

「ランタン?」

 聞きなれない単語が出てきた。

 怪訝(けげん)そうな俺の顔を見て少女がこちらに向き直った。

「……ああすまんな、自己紹介がまだだったな」

 そう言って少女は立ち上がった、そして姿勢を正し、高らかに告げた。

「妾の名はランタンじゃ、以後よろしく頼む」

 そう言って微笑みながら手を差し出す。

 その時、朝陽が彼女を照らした。

 その姿が眩しくて、何故か懐かしかった。

「鬼火 灯夜だ」

 差し出された右手を、自分の右手で受け取る。

 少女の手はほのかに温かくて、とても人間らしかった。

「トウヤか、よい名だな」

「……そんな事を言われたの、初めてだよ」

 お世辞だろうが、褒められて悪い気分はしない。

 それに何だか、少しは余裕を取り戻せた。

「話が逸れたがさっきの質問だ、その〝アリス〟が運命ってどうゆう事なんだ?」

 お互いに座り直し、館長の入れた紅茶を一口飲む。

 館長の入れた紅茶は相変わらず美味い、多分リラックス系だろう。

 俺の質問に同じく紅茶を飲んでいたランタンは口を離し、静かに語り出した。

「アリスはな、この世のすべてを作った者だ、我々のような神秘も含めて人類に多大な貢献をした人間達が作り上げたものは、すべて出来るべくして出来たのだ、偶然でも奇跡でもない、それはただ必然を辿っているにすぎない」

「……」

 起こるべくして起こっている。

 言われれば簡単な気がするが、事は俺なんかの考えが及ぶほど浅くはないことも分かっている。

「だが、どうして〝アリス〟という名前がついたのかも、正確なところは誰にも分からんのだ、ただ神秘として生まれ落ちた時から〝アリス〟とは運命だ、その事だけは何故か分かっていた」

「なんだよ、それ……つまり、|知らなかったことが分かっていたって事か《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》?」

「そんなところだ」

 馬鹿な、そう言いかけた時に館長が声を上げる。

「河に例えてみましょう、我々神秘はアリスの作った運命の河から生まれた存在です、源流に近いほど彼女の記録を受け継いでいます、ですが我々がここに居るのはあなた達人間のお陰なのです」

「どうゆう事です? アリスがすべてを作ったんじゃないんですか?」

「確かに我々を作ったのはアリスです、ですがそれだけでは物語は始まりません、言うなれば我々神秘とは神話や伝説なのです、思い付き語り継ぐ者がいなければ存在できない」

「なるほど、本を作っただけじゃその内容は作者だけしか分からない、読む奴がいて初めて物語は動きだせる、そうゆう事ですか?」

「なるほど、頭の方は悪くないらしいの」

 ランタンが皮肉めいた笑い方をしてくる。

 それを横目で睨みつつ館長に問いただす。

「質問の続きです、アリスが運命だってことは分かりました、でもそれが俺や歩兎とどう関係するんです? それに昨日の蛇が言ってた〝アカシャの鍵〟って何なんですか?」

「その説明をするには、まず君のお父さんについて話さないといけませんね」

「やっぱり、親父たちはこの件に無関係じゃなかったんですね」

「はい……かつてアリスはこの世を作った時点で深い眠りについた、自分が目覚めていてはその世界が始まらないからです、この世界は言わばアリスの夢の中……そして自分が永遠に目を覚まさないために〝アカシャの扉〟と言われる三つの扉を作り、そしてその扉を守るために鍵を作った、さらに――」

「その鍵を守るために、鍵守とゆう役割を作り語り部である人間達に託したんですね」

「そうです、それが〝アカシャの鍵〟と鍵守と呼ばれる存在です」

 言葉を引き取った俺を、館長は優しく微笑んだ。

「本来なら鍵の存在は誰にも知られず、また鍵守もそうとは知らずに一生を終え、鍵はまた新しい鍵守に入るはずだった」

 けど、その眼差しに隠れた寂しさの正体が俺には分からない。


「そんな時、アリスから生まれ落ちたある神秘が美しい女性と恋に落ちました、神秘として生まれ落ちた者が、人の子に恋をするのはそう珍しいことではなかった」

「それが、俺の親父ですか?」

「そうです、ですが……貴方のお父さんが何の神秘だったかまでは分かりません」

「一昨日ニーズに襲われた時点で、親父が無関係ではないと思っていましたから、その事は追々調べていきます、それよりも歩兎の話をしてください」

「…………分かりました、ですが一つ確認させてください」

「なんですか?」

「ここまで話しておいて何なのですが、この先を聞いてしまえば君は戻れなくなります本当にそれでもいいのですか?」

「本当に今さらですね、でも勘違いしないでください……俺はただ歩兎が死んだ真相を知りたいだけです……鍵だとか、神秘なんて話はどうでもいい」

「いいでしょう、なら歩兎君が貴方を守るために死んだ、と言えば信じますか?」

「俺を、守るために?」

「君のお父さんが恋をした女性、つまり君のお母さんは鍵守だったのです……それがあなた達の不幸の始まりであり鍵を奪い合う戦いの引き金でした」

「どうゆう事ですか?」

「分かりませんか? 鍵の在りかは誰にも知られてはいけない……ですが彼は妻が鍵守だと知っていながら傍にいつ続けました……その結果――鍵の在りかが他の神秘たちに知られてしまった」

「それで、親父たちは追い詰められていったのか……」

「逃げ場のなくなった彼らは住み家をここに移した、そして君と歩兎君を産んだのですよ私との出会いもその時でしたね」

「じゃあ、母さんは知っていたんですか? 親父が人間じゃないってこと」

「知っていたと思います、君のお母さんもお父さんを愛していたんですね」

 館長は柔らかに微笑む、時計を見れば時刻はすでに十時を回っている。

 もう、学校に行く時間では無くなってしまった。

「そうだと、いいですね」

「ですが、不幸はそこから始まったのです」

「……」

 黙って先を促した、館長も何も言わずに話を続ける。


「先ほど言った通り、鍵守とは死なない限り鍵をその中に隠し続けるのですが、歩兎君が生まれた時、歩兎君が鍵に浸食されていたのです」

「鍵に、侵食?」

「簡単に言えば〝アカシャの鍵〟が人の形をして生まれた、と言うことです」

「そんな事があるんですか?」

「普通ならあり得ません、鍵守と鍵は切り離せないものですし別々の意思を持つことなどあってはならないのです」

「だったら、何故?」

「私の見た記録(・・)はここまでですからここからは私の予想になります、それでもよろしいですか?」

「話してください」

「では……恐らく鍵と鍵守とを分けたのはお父さんでしょう、そんな事を出来る神秘は中々いません……相当にアリスの加護を受けた存在なのでしょう、そして君のお母さんに変わって鍵守に選ばれたのが……」

「俺って事か……」

「鍵の力を使えるのは鍵守だけです、だから切り離せばいいと考えたのでしょう、でもそれが間違いだったのです、これだけの力を持った人が何故こんな軽率な事をしたのかは分かりませんが」

「……」

「鍵に肉体がある以上、鍵守の中に入れることは出来ないし鍵自体は微弱ながら(コード)が使えましたから大丈夫でしょう、でも鍵守はそうはいかない、鍵守は鍵がなければただの人です、他の神秘に襲われれば……あっとゆう間に殺されます、昨日の貴方の様にね」

「だから……歩兎は死んだんですか? 俺と一体化して俺を守るために」

「はい」

 顔をあげて館長の顔を見つめた。

「やっぱり正しかったんだ、俺のせいで歩兎は死んだんだ」

「やれやれ、これ以上の話は無理ですね…………今日は、ここまでにしましょう」

 そう言って席を立つ、まだ聞きたいことは山ほど残っているのに体が動かない。

「最後に、いいですか?」

「どうぞ」

「俺が死のうとしていた事は、知ってますよね? ひょっとしてそれを邪魔してたのは歩兎なんですか?」

「そうです、肉体は死んでも鍵の力で存在は保っていましたから簡単な妨害なら彼女でも出来ますしね」

「どうして、俺を助けたんでしょう、俺が鍵守だったからですか?」

「さぁ? それも含めて、少し考えてみてはいかがですか?」

 それだけを言い残して館長は帰って行った、残されたのはランタンと俺だけだ。

 彼女は何も言わない、沈黙と時計の音だけが耳が捉える唯一の音色だった。

「それで、お主はこれからどうするつもりじゃ?」

 沈黙に耐えかねたのか、ランタンが会話を促す。

「さあな……これから、どうするかな」

 気のない返事に反対側の席から溜息が聞こえた。

「全く、何時まで死んだような顔をしておる気だ? 知りたくはないのか、妹の気持ちを」

「どうやってだよ、完全な鍵とやらになって俺の中に居る奴に……」

「だが、今のまま考え込んでいても、いい考えが浮かぶとは思えないが?」

「…………確かにそうだな」

 今は情報を自分なりに整理して、日を改めてリオンさんに聞いてみよう。

 それに、目の前のこいつも神秘とやらなんだしこいつからニーズの情報を聞き出すのもいいかもしれない。

「……腹、減らないか?」

「は?」

 ぼんやりとそんな事を聞いている、時計に目をやれば時刻はすでに正午過ぎだ。

 いい加減腹も減ってくる。

 ぐちゃぐちゃの頭を整理するには、何かしていた方がいいのかもしれない。

「昨日の礼だ、昼飯くらいご馳走してやるよ」

「お主、料理は出来るのか?」

「そこそこな、母さんがいなくなってからは俺が全部の家事やってたし」

「妹は出来なんだのか?」

「ああ、あいつ不器用だから」

 昨日知り合ったばかりの奴と他愛もない会話を続けながら冷蔵庫の中身を確認した。

 中に入っていた物は、メインを張るには物足りない食材たちばかりであった。

「しょうがない、買い出しに行ってくる」

「妾も行こう、ちょうどこの街を見てみたいと思っていたところだったのだ」

「お前も行くのか?」

「なんじゃ? 不満でもあるのか?」

「だって、その格好で出歩くきか?」

「文句があるのか?」

「いや……その魔法使いの格好で出歩かれると、周りからの視線が痛いのだが……」

 けど、こいつと出会った時の事を思い出す。

「ああ、お前の姿は普通の奴には見えなんだっけ?」

 他の奴らは昨日の蛇にも気付いてなかったし、姿が見えないなら大丈夫か。

「いや、サラマンダーなど純正の神秘なら自然と姿を隠せるが、生憎と妾は特別でな、(コード)を使わないと姿を消せんのだ」

「じゃあ、その力を使えばいいんじゃないか?」

「ダメじゃ、万が一の時の為に力を温存しておきたい」

「いや、だからってその格好でうろつくなよ」

「だが、他の服はないのじゃから、仕方あるまい?」

 意地でもその格好で行く気らしい。

「しょうがない、ちょっと来い」

 そう言って二階に上がる、ランタンもその後に続く。

 そして、ある部屋の前で止まる。

 そこは主のいない部屋である。

「ここ、妹の部屋だけど死んでからそのままにしてあるし適当な服でも着て来い」

「いいのか? 遺品をあさっても……」

「いいさ、別に」

「トウヤは入らないのか? とゆうか入った事はないのか?」

「いや、なんかな……」

「そう言えば、リオンから聞いたぞ? 今日は妹の命日らしいじゃないか墓参りは行かないのか?」

「それは……」

 連続の質問に戸惑う。

 いや……戸惑っているのは質問の内容だ。

 それを察したのか、一瞬だけ判断の難しい顔をしたランタンは肩をすくめて部屋に入っていく。

「まぁよい、それはお主が決める事じゃしな」

 そう言って部屋に入る時、ちらりと見えたその風景は……何も変わっていなかった。

「そりゃそうか、あの時か一度も入ってないんだから」

 立ち尽くしている訳にもいかない、隣にある自分の部屋に戻る。

 女と違って着替えるのにそんな時間はかからない、十分位で完了してしまいやることもないのでぼんやりとテレビを見る。

 待つこと一時間、ばたばたと音を立てながら階段を降りてくる。

「どうじゃトウヤ、似合っておるかの」

 嬉しそうな声がしたので振り向こうとした時、何気なく見ていた推理ドラマがクライマックスを迎えていた。

 眼鏡を掛けた探偵が、犯人をじわじわと追い詰めている緊迫のシーンだった。

(なんで、推理物のラストって断崖絶壁なんだろう?)

「トウヤ、何か言ったらどうじゃ?」

「似合ってるぞ~」

「…………そうゆうのはこっちを向いてから言え」

 あ、やばいな……なんか背筋が寒い、怒らしたままだと後が怖そうだ。

 仕方なくテレビを消しランタンの方を向く。

「おお……」

 最初に漏れたのは感嘆の声だった。

 その服は夏祭りの季節のなると歩兎が引っ張り出してくる夏の風物詩の一つだった。

「てか、一時間以上悩んで選んだ服が浴衣かよ」

 確かに、これからの時期にはいいかもしれないけどそれで街を出歩くのもどうかと思う。

「いいんじゃよ、どうせ今時の流行など知らんのだしこれが一番無難じゃよ、それに和服の方が落ち着くんじゃ」

「……」

「どうした?」

「いや別に、それより早く行くぞ」

「ちょっ! 何を急いでおるのじゃ!」

 赤くなった顔を見られるわけにもいかず、早足で家を後にした。

 十分ほど歩き、馴染みのスーパーで買い物を済ませるとランタンが街を案内しろと駄々をこね出した。

 数分の口論の後、折れたのは俺の方だった。

「ここが、この街で一番大きなデパートだ、日常品なんかはここで大概揃うぞ」

「おお~これはすごい!!」

 目をキラキラさせながら歩くランタンを見ている方がよっぽど面白い、それから三十分ほど街を案内してやった。

 ご機嫌で隣を歩くランタンの姿を横目で窺う。

 こいつが選んだ浴衣は柄のない真っ白な浴衣で、ピンクの帯が白の生地に映えて可愛らしい印象を持たせる。

 また、腰まで伸びた黒髪は風になびく度にキラキラと輝いている。

(本当に、昨日の事が信じられないよ)

 この可憐な少女が、巨大な蛇を相手に戦ったのだ。

「そう言えばお前……」

「何じゃ?」

 微笑んだままこちらを向いたランタンにこの事を聞くのを躊躇したが、助けてもらった事もあるしここで聞くべきだと思う。

「昨日の怪我、大丈夫なのか?」

「なんじゃその事を気にしておったのか」

「いや、だって……助けてもらったしさ」

「平気じゃ、あれしきの事でやられはせん怪我はリオンに治してもらったしの」

 微笑んでいる笑みに陰りは無く、思わず安堵の息をもらす。

「それじゃ、昨日は言えなかったから今言わせてもらうよ……助けてくれてありがとう」

「だから気にするな、それに妾も甘かった……あそこで(とど)めを刺しておけばよかったのだ」

「あんまり、女の子がそうゆう事ゆうなよ」

 十四・五の女の子に躊躇なく止めと言われると少し戸惑う。

「昨日のことはもういい、それより聞きたいことはないのか? リオンの言葉ではないがお前の質問には出来るだけ答えるつもりだぞ?」

「そうだな……」

 この際、聞いておくのもいいかもしれない。

「じゃあ、昨日サラマンダーの言ってた〝()(かい)〟ってなんなんだ?」

「〝魔階〟とは神秘の属性の一つじゃよ、神秘とは生まれ落ちた瞬間から〝(てん)(かい)〟〝精霊(せいれい)(かい)〟〝()(かい)〟の三つに分かれるんじゃよ」

 ランタンによると三つの属性にはきちんとした理由あるのだと言う。

 〝天階〟は正義、秩序など神聖視されるものがこれに当たる。

 〝精霊階〟は木や草やそこに住む獣など自然を象徴するものらしい、昨日のサラマンダーも火や蛇を象徴にした神秘なのでこれに当たるみたいだ。

 〝魔階〟は悪や憎悪など負を対象にしたものがこれに当たる。

「じゃあお前は魔階の属性に入るのか?」

「そう言うことになるの、じゃが妾の場合はちょっと特別なんじゃよ」

「特別?」

 その言葉を口にした瞬間、笑みに陰りが出来る、自分を自嘲するような頬笑みだった。

「妾はな、元々は人間なんじゃよ」

「人間? 人間が神秘になるなんてことあるのか?」

「稀では、あるがな」

「そっか……」

 しばらく無言で歩く。

 ランタンの視線がこちらに向いていたのは分かっていたが、俺からは何も言わない。

「何も、聞かないのか?」

「聞けば答えられるのか?」

 短い問いに簡潔に答える。

「お前が言いにくいことなら無理には聞かない」

「それで納得できるのか?」

「別にいいさ、なった経緯がどうであれ、助けられた事に変わりはない」

「……」

「だが、話してくれるなら聞くぞ?」

 ランタンの歩みが止まる、数歩先で俺も立ち止まった。

 声を絞り出そうとしているが、うまく言葉に出来ないようだ。

「いつか、話そう……」

 ようやく出たその答えに僅かな笑みで返す。

「期待しておく、それより熱いから、話の続きは喫茶店でしようぜ」

「……そうじゃの」

 気分を変えるため、近くにあった喫茶店に入ることにした。

 そこは、やっているのか分からないほどガラガラな店内である。

 落ち着いた雰囲気と言えば聞こえはいいが恐らく古いだけだろう。

「いらっしゃ~い」

 カウンターから聞こえたのはやる気のない声だけで、他の音と言えば店内に流れるジャズの音だけだった。

「ま、密談するにはいいかな」

 そう思い店内の一番端の席に腰を下ろす、そうするとすぐに居る気配の無かった女の店員が注文を取りにきた。

 俺はアイスティーをランタンはオレンジジュースを注文した。

 礼儀正しい店員が去ったのを確認して話を切り出す。

「そう言えば、神秘たちはみんな鍵を狙っているのか?」

「大概の神秘はそうじゃろうな、妾やリオンが特別なだけじゃよ鍵を手に入れられれば世のすべてを変えることが出来るしの」

「じゃあお前、ユグドラシルって知ってるか?」

 その名前を聞いた瞬間、ランタンの顔が強張る。

「そう言えばサラマンダーも言っておったの、お主よく無事じゃったのあのニーズに襲われて……」

「やっぱり、そんなに危険な奴だったのか」

「はっきり言ってその時点で鍵守として目覚めていたら、確実に殺されていたじゃろうな」

「奴の目的は、分かるか?」

「ロクな事ではないことは確かじゃの、リオンあたりなら知っておるかも知れんが教えはしないじゃろうな」

 そう言いながら、ちょうどいいタイミングで運ばれてきた注文の品に口を付ける。

 熱くなっていた体にひんやりとした液体が体を通って行くのを感じながら、さっきから気になっていた疑問をランタンに投げかけた。

「そう言えば、リオンさんって何者なんだ? 親父の事といいただの神秘ってわけじゃないんだろ?」

「妾も詳しくは知らん、だが、あやつは記録の中から好きな知識を得られることができるんじゃよ、もう何千年も前からあやつはこの世の知識を集めておる」

「じゃあ、俺達の出生の秘密が河の中にあったって事は……」

「少なくとも両親のどちらかは死んでおる、とゆう事じゃな」

「だな……」

「すまぬ、気を悪くしたか?」

「気にするな、行方不明になったって聞かされた時に覚悟はしていたさ」

 何か、変な空気になってしまった。

 店内に流れるジャズが、話題を変えろと急かしているようだ。

「ところでお前、これからどうするんだ?」

「これからとは?」

「だから、この街で何かやることがあったんじゃないのか?」

「いや、特にはないの」

「ひょっとして、お前は暇人か?」

 そう少しからかうと、ランタンは少し頬を膨らませて反論してきた。

「その言い方は若干癪じゃぞ? 妾にだって目的はある」

「へぇ~どんな?」

 それはの、と自信たっぷりに胸を張りながら告げた。

「自由とは何か、その答えを探しておる」

「…………」

「なんじゃ、文句あるのか?」

 さっきの倍くらい頬を膨らませながらこちらを覗きこんできた、その顔に陰りはない筈なのに簡単な返事をするのは何故か躊躇われる。

 それは、こいつがここに存在する理由なのだと分かってしまった。

「答えは、出たのか?」

 そう返すのが、精一杯だった。

「そんなに簡単に出るわけなかろ? 時間は無限にあるんじゃからゆっくり探すさ」

「そうだな、俺が生きているうちに答えが出たら教えてくれ」

「どうしたんじゃ? こんなもの軽く流せばよいではないか」

 真面目な態度に戸惑ったのか、ランタンが目を丸くしている。

「別に、気にするなただ俺も知りたいと思ったからさ」

 時計を見ればすでに午後四時を回っていた、いい加減帰らないとマズイ。

「俺は帰るが、お前……今日泊まるとこあるのか?」

「何を言っておる? お前の家に泊めてもらうに決まっているではないか」

「おい待て! そんな事聞いてないぞ」

「それはそうじゃ、今言ったからの」

「お前な……」

「それに、昼をご馳走すると言っておったのにまだ食べておらんしの」

「くっ……分かったよ、今日だけだぞ?」

 納得できないまま会計を済ませて外に出る、先に出ていたランタンが駆け寄ってきた。

「では、早く帰ろう!」

「お、おい! 引っ張るな!」

 手を引っ張られ、こけそうになりながら帰宅する。

 その幼い手の感触は長いこと感じていなかった。

(懐かしいな、こうゆう感覚も)

 たまには悪くない、そう思いながら無邪気な笑顔を見ていた。


 生徒会室


「報告は以上でしょうか?」

 私の声だけが静寂の生徒会に響いた。

 普段は全員が座る事のない十三個の椅子に座っているのは、各委員会の委員長たち彼らには普段の学校の様子を報告してもらうために集まってもらった。

「会長、よろしいのですか?」

「何ですか? (いずみ)

 挙手をしたのは隣に座る優秀な副会長だった。

「委員会の議事には関係ありませんが、それでもよろしいですか?」

「構いません」

「ありがとうございます、実はアカシャの鍵が昨日の未明に完全に覚醒したそうです」

 すると、今まで静寂に包まれていた生徒会室がざわめきに包まれた。

 騒ぎになりそうだったので慌てていさめる。

「静粛にお願いします、静、何故今それを報告したのですか?」

「ここに集まっている、諸君(しょくん)(みな)円卓(えんたく)騎士(きし)〟であり〝天階〟に選ばれた者たちです、ならここで報告しても構わないと思いましたので」

「それは私が然るべき時に話します、あなたが気を回すことではありません」

 険悪なムードが漂い始めた、思えばここ最近の彼の様子は少しおかしいのは感じていた。

「まぁいいじゃんか会長、静だって悪気があって言ってるわけじゃないだろ?」

 声が発せられた方に視線が注がれる、声の主は静と同じ副会長にして有能な右腕である久遠(くどう) (きり)()だ。

 普段からお調子者だが、このムードを変えようとしてわざと明るい口調にしているのだとすぐに分かった。

「斬鵺、発言する時は挙手をしろと何度も言っているだろ」

「おいおい、庇ってやってるんだから固い事ゆうなよ静、それにお前が苛立ってんのは俺も変だと思ってたんだよ、なんでそんな灯夜に突っ掛かるわけ?」

「それは気のせいだ」

「気のせい? 何年お前と同じ門下で修業積んだと思ってんだ?」

「貴様に何が――」

 そうって立ち上がろうとした静と斬鵺の間に入る。

「いい加減にしなさい静! あなた、本当に変ですよ? 何があったのですか?」

「何でもありません、出過ぎた真似をして申し訳ありませんでした、()?」

「静!!」

 思わず鋭い眼光で睨んでしまったが、今の発言は普段の彼からは想像できないものだった。

 それを知っている斬鵺も同様に眉をひそめた。

「お前、本当にどうし――」

「失礼します」

 そう言い残し、生徒会を後にしようとする静の態度に皆が動揺する中、斬鵺の後ろを通り過ぎようとした時に彼にそっと耳打ちをした。

「そりゃどうゆう意味だ?」

「とにかく、頼んだぞ、ランスロット卿」

 その言葉を最後に、静は生徒会室から姿を消した。

「静は、なんと言っていたのですか?」

「会長を守ってくれ、だとさ」

「私を?」

 鍵の覚醒をきっかけに事態がよくない方に動いているのを感じながら、彼の去った方を眺め続けた。

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