発覚のきっかけ
乳がん。
女性にとっては、身近な病気の一つだと思います。
実際、近年中でもニュースで乳がんを告白した方や訃報を目にする機会もありました。
それでもなぜか、自分自身には縁のない話だと思っている人も少なくはないのが現状ではないでしょうか。
私自身もそんな中の一人でした。
だからこそ、がん検診も後回しになっていたのだと思います。
今回は、そんな私の乳がん発覚前からの怒涛の闘病生活をお届けしようと思います。
この、私の自分語りを読んで、少しでも多くの方に定期検診や早期発見の大切さを感じでいただければと思い、執筆することにしました。
いかんせん、怒涛の生活と現実逃避の感情の中だったので、記憶が不確かなところや、資料を残していなかったので、不鮮明なところも散見されることと思いますが、最後まで読んでいただければと思います。
「転移のある時点で、決して早期ではありません。」
それが、乳腺内分泌外科の主治医に最初に言われた一言だった。
自分の右胸にしこりのようなものを見つけたのは、もういつ頃だっただろうか。
きっと普通の人だったら、ここで違和感を覚えて病院に駆け込んでいたのかもしれない。
それでも私が病院へ行かなかったのには理由があった。
神経繊維種症1型
通称、レックリングハウゼン病(=レック)とも呼ばれるソレは、全身体内外に良性腫瘍の出る染色体異常の病気で、遺伝の確率は50%。
正常な染色体を持つ両親からも、突然変異で稀に発症することもある病気だ。
この病気自体で亡くなることはないが、ごく稀に悪性化することはあるらしい。
後に皮膚科主治医から聞いた話では、レックの女性患者は乳がんリスクが上がるのだそうだ。
私の場合は、父からの遺伝での発症だった。
30代の頃、右大腿部と右後腹膜に見つかった腫瘍の摘出手術を受けたこともあった。
勿論病理検査にもかけられ、その時は良性と診断されている。
その時の右後腹膜腫瘍切除の手術の時きっかけで、私の右膝には今でも痺れが残っている。
切除した腫瘍が右足の神経に絡みついていたそうだ。
全摘出こそしていないものの、足の神経を触っているわけだ。
何も影響がないわけがない。
その後も、定期的に診察へは行っていた。
だが、店舗異動や当時の勤務時間帯など、仕事の都合上診察へ行きにくくなった。
そうして、いつの間にか病院からは足が遠のいていた。
そんなこともあり、右胸のしこりに気付いた時も
『あぁ…。どうせまたレックのアレやろ。』
と、軽く考えていたのだ。
当時はまだ彼氏だった夫から
「これ、何?いつからあった?大丈夫なん?」
と、心配されても
「前からやで。以前にもこういうのあって、その時も良性やったし大丈夫!」
と答えて、特に気にも留めていなかった。
そんな中、交際開始から半年後の40歳になった翌年の6月に入籍。
それからは引っ越しや各種手続き、フォトウェディングの準備とバタバタしていた。
そんなある日、夫から
「心配だからつばさの持病の定期診察を再開してほしい。」
と言われたのだ。
夫からもそう言われたし、3年近く定期診察も放置していたのだ。
正直、私自身も若干気にはなっていた。
だから、夫の言う通り診察を再開する決意ができた。
レックとは別件でかかりつけの皮膚科を受診した際、そのあたりの事情を話した。
この病気は全身観察が必要な病気のため、かかりつけの医院やクリニックでは対応できない。
大学病院への紹介状を書いてもらい、大学病院での診察が決まった。
大学病院での初診は、奇しくも私の41歳の誕生日。
これがひとつのきっかけになっていたんだと、今なら思う。
この頃、少しずつ大きくなっていた右胸のしこりには気づかない振りをしていた。
それでもやはり気にはなり、色々検索をかけてみたり、ネットのセルフ診断をして見たりもした。
所謂、“検索魔”になっていたのだ。
そういう時の結果は、決まって
“乳がんの可能性あり”
それでも私は
『いやいや…。そんな訳ないやろ。』
と自分の中で否定し続けていたのだ。
大学病院の初診の後、長らく定期検査も受けていなかったことからMRIを撮ることになった。
そのMRIの日も近づき、フォトウェディングも終えたある日。
私たち夫婦はあることに気がついた。
私のお腹の中に小さな命が宿っていたのだ。
初診でかかったレディースクリニックでは、出産は行っていなかった。
そのため、産院を決めてほしいと言われていた。
レックのこともある。
“万が一何かあった時のために”
と、レックでお世話になっている大学病院を紹介してもらっていた。
その大学病院の担当産科医にMRIの予定があることを話し、どのタイミングならMRIを撮っても良いかを相談し、皮膚科で日程を再調整してもらったのだった。
今から思えば、これも一つの運命だったのかもしれない。




