命がけの駆け引き
「相手が俺の事を舐めてくれるなんて、こんなありがたい事は無いんだよなぁ」
ワイトは箱を持って走っていた。
このマンションは敷地も広く、外には整備された緑の広場が広がっている。
ワイトがその広場を抜けようとした時だった。
「よぉ」
ワイトはその声にピタリを足を止める。
ワイトがゆっくりと振り向くと、そこにはエルメ=レッドホークが立っていた。
エルメは傷こそ無いが、全身が埃っぽい、というか汚れていた。
「あの神様はてめぇの差し金か?」
エルメはにやりと笑いながら問いかける。
ワイトは何も答えず、しかし、目も逸らさず、冷や汗を流し、じっと対峙する。
「まぁ何でもいいんだけどな。めちゃくちゃ楽しめたし勉強になったし。神だけが使えるカードってのも見せてもらえたしな。何だよあの効き目は。このアタシが眠らされるなんてさ」
エルメはやれやれといった様子で肩をすくめる。
「ま、そんな事より」
エルメは改めてニヤリと笑い、ワイトを睨みつける。
「寄越してもらおうか。そのカード」
――くっ! こいつ……。
「おっと。言うまでもないと思うが、そんなあぶねぇ赤のカードは要らねぇぞ。アタシが欲しいのはてめぇが持ってるその紫のカードだ」
――気付いてやがる……。
「神様との戦いでだいぶ力使っちまってな。もうあんま力残ってねぇんだけど、まだてめぇを潰すくらいは出来るつもりだぜ?!」
エルメは挑発的に睨み、左手で一枚の黒のカードを取り出した。
その時だった。
「話がある」
ワイトが突如口を開いた。
「なに?」
エルメはカードをかざしたままワイトを見つめる。
ワイトはその視線から逃げず、じっと願うようにエルメを見つめる。
「時間稼ぎってわけでもなさそうだな。聞こうか」
「単刀直入に言う。アンタにある情報を提供する。代わりにこの場は見逃してくれ」
「なんだと?」
場が僅かな静寂に包まれる。
風が、サァ、と流れた。
「アンタならみなまで言わなくても分かるはずだ」
「…………」
エルメは少考する。
当然、ワイトが言いたい事は分かっていた。
今、エルメは紫のカードを奪おうとしているのだ。それを見逃せと言うからには当然その情報に、紫のカードに匹敵する、或いは上回る価値があるという事だ。そうでなければ取引にならない。
しかし、当然もう一つの可能性もある。
単純にワイトが嘘を言っている、という事だ。
――どっちなんだ……。
ワイトが嘘を言っていたのならある意味話は早く、これ以上何も考える必要は無い。
しかし、問題はワイトの言っている事が本当だった場合だ。
この場合、ワイトの情報には決定的に相反する二つの可能性がある。
エルメに紫級以上の利益をもたらしてくれる情報か、紫級の不利益を回避してくれる情報かの二つだ。
しかし、前者は考えにくいのだ。
そんな情報があるなら、普通自分でその利益を取りに行くはずだからだ。こんな時のためにとっておいた情報という可能性もゼロではないが、考えにくい。情報は鮮度が命。しばらくその情報を放置していたがために誰かにその情報の元となる利益を取られてしまったら損失などという言葉では片付けられない。
第一、今回、紫のカードを見逃せと言っているのだ。
その代わりに得られる情報が紫と同等では全く意味がない。
同等では、紫と紫を交換した上でワイトは逃げる権利を得た事になる。
それはワイトの完全な逃げ得だ。
そうなると、紫よりも上の価値の情報という事になるが、紫ですら天文学的な確率の情報なのにそれを上回る情報がそうそうあるはずがない。
つまり、ワイトが持っている情報はエルメにとって不利益を回避する情報である可能性が非常に高い。
ワイトは冷や汗を流しながら、心の中でぼやく。
(こいつ、遥か格下を相手にしてるのに全然警戒を解かないし、安易に話を疑ったりもしない……。こういうタイプが一番嫌なんだよ……)
エルメは世界最高峰の組織を束ねる人間。
そんな人物が短絡的であるはずがないのだ。
普段は猪突猛進でも、ここぞという時にはじっくりと引いて考える。
だからこそ組織の長が務まる。
エルメはゆっくりと口を開く。
「正直な所、はったりとしか思えねぇんだけどな……。何ならてめぇを潰して無理矢理吐かせるって手もあるよな」
「もう分かってると思うが、この情報は放っておけばアンタを不利益にする情報だ。当然、何かしら俺に対して危害を加えるような事をすればその不利益を回避できないような仕組みは用意してある」
「…………」
ワイトは引かない。
ここで弱みを見せてしまえばあっという間にパワーバランスが崩れてしまう。
そして、パワーバランスの崩壊=ワイトの負け、だ。
自分と相手は対等以上。
その構図だけは絶対に崩すわけにはいかない。
エルメとしても、紫級の不利益という情報を簡単には見過ごせなかった。
大きな組織を背負っているという立場上、自身を不利益にする情報には敏感なのだ。
そして、自身を不利益にする情報にはいくらでも心当たりがある。
「てめぇがこの場をやり過ごすために嘘を言っている、って可能性はどう排除する?」
エルメがそう言うとワイトは一枚の黒のカードを取り出し、エルメに向かって投げた。
エルメはそれを右手でキャッチする。
「使えよ」
「これは…………回答看破か」
「それがあれば分かるだろ」
「…………」
エルメは少し間を開けて、攻撃用に持っていた黒のカードをしまった。
そして、
「てめぇは今、アタシが不利益になるような情報を持っている。どうだ?」
回答看破を発動させ、エルメがワイトに問いかける。
ワイトは何も答えないが、エルメの頭に、はっきりとその答えが見える。
答えはイエス。
回答看破相手に嘘は絶対につけない。
もしワイトが逃げるために嘘を言っていたならこの時点でバレている。
「その情報は、アタシにとって、紫と引き換えにしても惜しくない情報か?」
不利になる情報を持っているのは本当だとしてもそれがとんでもなくどうでもいい情報だった場合、騙された事になる。エルメはその可能性を潰しにかかった。
答えはイエス。
「てめぇを潰すだけじゃアタシはその不利益を回避できない。それも本当か?」
ワイトさえ潰してしまえば話が終わるのであればエルメは当然そうしている。
本当にそれが出来ないのか。
エルメはきっちりと確認しにかかった。しかし答えは。
イエス。
エルメは再び無言でワイトを軽く睨む。
ワイトはやはり、その視線から逃げず堂々と立ち振る舞うが、内心は焦りまくっていた。
――神との戦いでだいぶ力使ったんじゃねぇのかよ……。
回答看破は非常に消耗の大きいカードだ。
ワイトなら万全の状態でも一日一回が限度。
それをさらりと三回も、しかも本人曰く大きく力を消耗した後で使ってきている。
最初から分かっていた事ではあったが、改めて、戦えば瞬殺は免れない事が証明された。
一歩間違えれば即死。
ワイトの緊張は極限状態だった。
エルメは暫く考え込むようにしてワイトを睨んでいたが、やがて、ふぅ、と大きくため息をつくとまるで銃を下ろすかのように、カードをしまった。
「分かったよ。紫は諦める」
とうとうエルメは折れた。
ワイトは猛烈な緊張から一気に解き放たれ、その場にへたりこんでしまわないようにするのに精一杯だった。
「ただし、情報はきっちり寄越せよ」
「分かってる」
ワイトはそう言うと、内ポケットからプラケースに入ったSDカードを取り出す。
「この中に今言った情報が入っている。これをここに置いていく。俺が視界から消えた後に取ってくれ」
「心配しなくても約束、いや、契約だ。別に今この場で渡してくれたとしてもてめぇに手は出さねぇが、まぁ、そこも譲るよ。さっさと行ってくれ」
ワイトはケースを足元に置くと、ゆっくりと後ろ歩きを開始する。この間、一切エルメから目は離さない。
エルメは、やれやれといった様子で両手を広げる。
「ったく用心深いこった。分かったよ。だったらせめてこうしといてやる」
そう言うとエルメはわざとワイトに背を向けた。
その様子を目にしてもワイトはしばらく後ろ歩きを続けていたが、十分すぎる距離を取ったところで、ようやくエルメに背を向け、走り去っていった。
本当は視界に入っている時点でまだ背を向けるのは危険ではあったが、ワイトもそこはエルメを信用した。
しばらくすると、エルメは振り向き、ケースを拾った。
そして、自身のスマホにカードを差し込み情報を確認する。
すると、エルメの顔がみるみる険しいものに変わっていく。
「おいおい。まじかよ…………」
そこには、今回の事件の主犯であるグレイとそれを示す証拠がしっかりと収められていた。




