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「ここまでの話を聞いてて思ったんだけどさ」
「はい」
「もしかしてさ。もしかしてだけどさ。さっきの、『旅をしている』って言うのも、建前だったりするのかな?」
狐である事を隠すために、そう言う嘘を吐いている事があるかもしれないと思ったのだ。しかし、アメノヒは静かに首を横に振る。
「いいえ。嘘ではありません。私たちは旅をしてきたのです」
泊まる所が見つからないと言っていたな。相当な貧乏旅なんだろうか。
と言うか、そもそも何で旅をしているんだろう?
「訊いていいのか解らないんだけど、どこから旅してきたのか、教えてくれるかな?」
一瞬、アメノヒはどこか遠くを見つめる様な目をした。その目は遠く過ぎ去った日々を眺める様に、優しく、それでいて寂しさに満ちあふれていた……。
「陸山稲荷神社です」
「ああ、踏切の向こうのお稲荷さんね」
毎年夏祭りは楽しませて頂いています。
あんまり長い旅じゃなかったに違いない、と思ったけれど……。
「つい三百年も前でしょうか。それまで陸山稲荷に住んでいた私たち狐は、突然神社の境内に入る事が出来なくなってしまったのです。
それ以来、境内に暮らしていた狐達は散り散りになって、あちこちの稲荷神社に居候をさせて頂きながら暮らしてきたのです」
三百年前を「つい三百年も前」と言ってるよこの人、と思ったけど、そこは話の本筋じゃなかったみたいだ。
お稲荷さまのお使いは狐だって聞いた事あるけど、そう言う事なのかな。
「境内に入れなくなった理由は解らないの?」
「はい。社叢に入ろうとすると、見えない壁が私たちを拒むのです。おそらく京大な霊力を持った存在が居座っていると思うのです。社叢に入る事が出来ないので、理由を調べようにも調べられないんです」
「しゃそう」ってなんだろう……、と思っていると、アメノヒは柔らかい笑みを浮かべ、
「あ、神社の森の事です」
と言い直した。なるほど。また一つ賢くなってしまった。
「でもさ、一カ所に居候を続けるわけにはいかなかったの? そうすれば旅をする必要もないのに」
僕の質問に、アメノヒは少し困った様な表情をすると、途切れ途切れに言葉を紡ぎ始めた。
「私は……、その、何と言うんでしょうか。他の方達よりも持っている霊力が幾分大きいので……、長い事居候を続けると、一部の方が良くは思われないので……、一カ所に留まり続けるわけにはいかなかったのです。
……これくらいの説明で良いでしょうか?」
見た目は僕よりだいぶ年下なのに、薄暗い人間関係の機微を語っているアメノヒの姿に、僕は今更違和感を覚えた。
本当は「つい三百年前」の辺りで気付くべきだったんだけどね。
とにかく、アメノヒとホクトの二人は、あちこちのお稲荷さんを転々としながら、またこの町に辿り着いたわけだ。
「で、いつの間にかこの町に戻ってきたわけなんだ」
「そうなんです。でも、ここら辺の稲荷神社には、私たちを受け入れてくれる所は他になくて……」
「掛け合ってみたの?」
「いいえ。ずっと昔にお世話になったので、二度もお世話になるわけにはいかないのです」
律儀だなあ。図々しく居座っちゃえば良いのに、とも思ったけど、それはこの人の正義が許さないんだろう。
なんにしろ、僕の知りたい事は大雑把には見えてきた。
僕は二つの手のひらを握ったり開いたりした。思い通りに動く。こんな事当たり前だと思っていたけれど、これは目の前の人がいてくれたからなのだ。あの場にこの人がいなくて、僕が一人であそこに立ち尽くしていたなら。
僕はすぐ隣に死神がいる様な恐怖を感じた。
敵は親の目のみ。ならば。
「好きなだけ泊まって行って良いよ。僕の両親にさえ見つからなければ大丈夫だし」
「本当ですか?!」
こんな形で恩をお返しする事は出来るとは思っていないけど、アメノヒはちょっとした助けを求めているのだ。
応えるのが当たり前でしょ。
「けっ。始めからそう言っとけよな」
「こら。ホクト。滅多な事は言わないのです」
「お前なんかがこんなことで、アメ様に恩を返せるとは思うなよ!」
さっきまで黙っていたホクトが、急に元気を取り戻して、また茶々を入れ始めた。
「じゃあお前は僕の家に泊まらなくていいよ」
「いいや! 私はアメ様の護衛だから、いかなる時もアメ様の隣に寝るんだ! だからお前は屋根裏にでも寝るが良い!」
「もう勝手にしろよ……」
そんな百合ん百合んな百合宣言をされてもさあ。僕だって一生に一度くらいは、可愛い女の子の体温を感じながら寝てみたいさ! ああ!
……と言うか、僕はどこで寝起きすれば良いんだろう? 屋根裏とか、天井抜けちゃうんじゃないかなあ。