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結局、その時、僕の腕はアメノヒを抱きしめる事は無かった。アドレナリンが切れたのか、回そうとした腕がズキン、と痛んだのだ。葛葉さんとやり合った時に色んな所が傷ついていたみたいだ。
で、僕は今、アメノヒに膝枕をされながら、怪我を治されているのだ。
「それにしても、どうやってアメノヒとホクトは神社に入ってこられたの?」
そう言えばそれが不思議だったのだ。ふと思い出したから、忘れないうちに訊いておいた。
「篠田さんが声をかけてくださったんです。君十二単来てるけど、もしかしてアメノヒさん、って」
「そう言えば、最近はそれ着てなかったのに、何で今日はまた」
「善太朗さんの家を出る時に、ふと着たくなってしまったんです」
何となく理由は解る気がした。アメノヒの手のひらがあばら骨の所に当てられる。あ、今度はそこを治してくれるのかあ。確かに息をするたびに痛いとは思ってたけど。
「で、篠田さんから善太朗さんのお話を聞いていて、神社を乗っ取っていたのが犬神だと知ったんです。そこで、一緒にいらっしゃった花園さんが、『縁結びの神様なのに、物騒な事になって』とおっしゃったんです。
普通稲荷神社は縁結びの神様である事は少ないですから、合祀されている八雲神社の事だろうと考えました。同時に、花園さんの縁結びのお願いごとが叶っているなら、少なくとも八雲神社の神使はあそこへ出入り出来ている事になります。
で、花園さんから、失礼ではありますが、縁結びの願い事の一部始終をお聞きしたんです。八雲神社のご祭神は大国主命ですから、大国主命が祀られている近くの田畑神社と言う神社にお邪魔して、そこを通して陸山稲荷神社の境内に、内側から入ったんです」
「なるほどなあ」
相変わらず、この人の頭はよく回る。僕が膝のぬくもりを感じながら感心していると、アメノヒは子守唄を歌うみたいな静かな声で、僕に話し掛けた。
「私、葛葉さんの気持ちも解る気がするんです」
「えっ?」
それは、いつの日かアメノヒが葛葉さんみたいになってしまうと言う事だろうか。嫌だなあ、それは。僕が内心びくびくしていると、それを解っているかの様に、アメノヒは笑った。
「誓って、人を襲ったりはしません。でも、ああやって好きだった方の思い出を引きずって、狂おしいくらい他の人が妬ましくなる。そうならないとは、私も言い切れないんです」
「僕はアメノヒに、そうはなって欲しくないかな」
僕の素直な気持ちだ。アメノヒの手のひらが僕の体を離れた。と、今度は両の腕が僕を包み込み、僕はアメノヒの膝の上で、アメノヒに抱きしめられてしまった。
アメノヒの甘い匂いが僕を包みこむ。か弱くて、細くて、小さいアメノヒの体。でも、しっかりと僕を抱きしめている。
僕はそのまま目を閉じた。目を閉じると、もっとアメノヒを感じられる気がした。
「今は、こうさせてください」
消え入りそうなアメノヒの声がする。頷く事も出来ないから、僕はさっき治してもらった右腕を、アメノヒの頭に持って行った。
柔らかい髪が手に触れる。僕はアメノヒの頭を、慰めるみたいに優しく撫でた。
やがて来る別れを考えると、悲しくなってしまうのは当たり前だ。残される方は、もっと苦しいだろう。
それでも、図々しいようだけど、僕はアメノヒに笑顔で居て欲しいのだ。僕が居ない事は、アメノヒを苦しめる。でも、僕が居ると、僕との別れがアメノヒを苦しめる。
ただ。
結局答えは出ていないけど、多分、今を大事に思う事は間違ってないはずだ。
僕はアメノヒの頭を撫でながら、そんな事ばかりを考えた。