6. 身内とのひととき
甲羅を傷つけないように仕留めたジュエルタートルを慎重に解体し、アンナとルーフェスは無事に依頼通りの品をギルドに納品すると、額面通りの十分な報奨金を手にしたのだった。
受け取った報奨金はきっちりと二等分にし、お互いの取り分を確認すると、アンナは改めてルーフェスにお礼を言った。
「本当に有難う。貴方が手を差し伸べてくれたおかげで、私たち姉弟は救われたわ。」
そんな仰々しい言葉に、ルーフェスは少し困ったように笑った。
「大袈裟過ぎないかい?」
「いいえ、それくらい感謝しているのよ。」
「まぁ、お役に立てて良かったよ。じゃあ、僕はこれで失礼するね。」
「えぇ。本当に有難うね。」
何度もお礼の言葉を口にして頭を下げるアンナに、ルーフェスは苦笑しながら片手をひらひらと振って見せると「それじゃあね」と言ってその場を去っていったのだった。
彼を見送ると、一人残されたアンナは改めて報酬を確認して、ほっと胸を撫で下ろすと表情を綻ばせた。
(とりあえずこのお金で、当面の危機は脱する事が出来たわ。良かった、これでエヴァンにひもじい思いをさせなくて済むわ。)
借りているお金はまだあるものの、手元にお金を用意できたことで、彼女の精神的負担はだいぶ軽くなっていた。
そしてそんな彼女の心理変化は、家路を歩くその足取りにも表れていたのだった。
軽やかに晴れやかに、アンナは家路を駆けていった。
***
「ただいま。」
玄関のドアを開けてアンナが帰宅を告げると、中からは二人分の返事が返ってきた。
「アンナ、おかえり。」
「姉さん、おかえりなさい。」
家に帰ると、弟エヴァンと親友のエミリアが一緒にお茶を飲んでいたのだった。
「あら、エミリア、来ていたの?」
「うん、エヴァンが流行病に罹ったて聞いたから様子を見に来たんだけど、もう良くなったみたいね。良かったわ。」
エミリアが目の前に座るエヴァンを優しく眺めながら言うと、少し照れ臭そうに、エヴァンも「おかげさまでね。もう元気だよ。」と答えた。
そんな二人のやり取りを、アンナは嬉しそうに目を細めて見守っていた。
「有難うエミリア。それで忙しいのにわざわざ様子を見にきてくれたのね。」
アンナの親友エミリア。
彼女は今一番この国で人気のある劇団で主演を務めている売れっ子女優であるが、同じ借家地区で育ったよしみで、今もこうして交流が続いている。
「当たり前よ、あなた達は私にとって大切な妹と弟だからね。」
アンナより少しお姉さんであるエミリアは、この姉弟の本当の身元も事情も知っている。それ故に、一人で頑張っているアンナを常に心配して気にかけていたのだった。
「姉さんも座りなよ。エミリアが持ってきてくれたこのお茶、美味しいよ。」
「そうね、頂くわ。」
アンナは、勧められるがままに着席し、そしてその輪に加わった。
ギルドの仕事で張り詰めていた気持ちは、いつだって大好きな人達との、心地の良いひとときが解してくれるのだった。
「えっ、それで?それだけなの?!
連絡先の交換とか、次に会うか約束とかしなかったの?!」
この言葉は、目の前に座る親友のエミリアに昼間出会った訳ありの青年と一緒にギルドの仕事をした事について話した結果、彼女から述べられた感想であった。
「そんなの何もないわよ。その場限りの協力関係だからね。」
「なんで?!話を聞く限り良い感じだったじゃない。その場限りだなんて勿体ない。もっと出会いを大切にしたほうが良いわよ。」
「だから、そういうのじゃないんだって。」
エミリアの事は大好きだし、信頼もしているのだが、唯一欠点を挙げるとしたら、何でも直ぐに恋愛話に結びつけてしまう所だった。
確かに、ルーフェスは今までギルドで彼女に声をかけてきた男性たちとは違っているとアンナも認識はしていた。
アンナに声をかけてくる男性は、彼女をお姫様扱いしたり、あからさまに口説いてきたりと、煩わしくて不快である事が多かった。
しかし、ルーフェスはそんな素振りは一切見せずに、アンナをただの一冒険者として接してくれていたので、彼とは一緒にいても全く不快ではなかったのだ。
「確かに、貴重な人なのかもしれない……」
一緒に仕事をしても煩わしくなく、加えて魔法などと言う規格外の能力を持っている。仕事上の相棒としてはこの上ない好条件ではないか。
冷静に考えてみると、彼と組んだらメリットが大きい事に気づいたのだった。
「そうでしょう、そうでしょう次に会ったらバシッと捕まえておくべきだわ。貴女が男性に興味を持つなんて珍しいんだから!」
「そうね、あんな好条件(の冒険者)そうそう知り合えないもの、ここで捕まえておかなきゃね。そうしたら仕事の幅も広がって、もっと貯蓄ができるわ。」
「えっ……?」
「えっ……??」
嬉しそうに話すエミリアと、神妙な面持ちで呟くアンナは、お互いの言葉に戸惑い、思わず顔を見合わせた。
言っている事の食い違いに気づき、ふーっと深いため息をつくと、エミリアは頭を抱えながら言った。
「アンナ、貴女は仕事以外にも目を向けた方が良いわよ。折角可愛い容姿をしているのに勿体ない……」
「……そうゆうのは煩わしいからいいのよ。それに、そんなことしてる余裕私にはないわ。」
アンナだって女の子である。恋愛に憧れが全く無いわけではない。それこそ、まだ男爵令嬢だった幼い頃は、綺麗なドレスを着て素敵な男性と夜会でダンスを踊るのが夢だったし、絵本の中の様な素敵な王子様が、いつか自分の前にも現れて手を差し伸べてくれるのではないかと憧れたものだった。
けれども、そんな思いは男爵家を逃げ出した時に置いてきた。
弟エヴァンにラディウス男爵領を継がせるという、ただこの悲願を達成する為に、市井で弟と二人、ラディウスの誇りを忘れずに生き抜く事で精一杯だった。
「そんな、もう一人で全部抱え込まないでもいいんじゃない?エヴァンだってもう直ぐ十三歳になるんでしょう?自分の事は自分で出来る歳だし、小間使いのような簡単な仕事だって出来るでしょう?」
「そうだよ姉さん、学校なんて行かないで俺も仕事するよ。だからあんまり危険な仕事はして欲しくないかな……」
今まで、二人の会話を黙って聞いていたエヴァンが、思わず声を上げた。
彼は、常日頃から姉に危険な仕事はしてほしくないと思っていたし、姉ばかりが働いて、自分が扶養されているだけなのが許せなかったのだ。
自分も働いて、アンナの負担を少しでも減らしたい。エヴァンはずっと思っていたことを姉に訴えかけたが、アンナは頑なだった。
「いいえ、エヴァン。貴方は本来なら男爵家の嫡男としてもっと良い教育が受けられていたはずなのよ。だからせめて、一般教育だけは不自由なく受けて欲しいのよ。今後の為にも。」
弟の気遣いに、彼の成長を垣間見ることができて嬉しく思うが、アンナの考えは変わらなかった。
「そうは言ってもね、エヴァンと同じで私だって貴女に危険な仕事して欲しくないと思っているわ。こんな傷だらけになって剣を振るってるなんて……」
そう言って、エミリアはアンナの左腕をそっとさする。服を着ているので見えてはいないが、その左腕には大きな傷跡が残っているのだった。
「あら、私はいいのよ。元から剣術が好きだったんだから。好きな事をしてお金が貰えるなんて素敵だと思わない?」
二人を心配させまいと、アンナはニッコリと笑ってみせた。
半分は本心。もう半分は強がりであったが、彼女はこの生き方しか知らなかった。
「大丈夫よ。後三ヶ月だもの。今までずっとこれでやって来れたのだから、残りの三ヶ月も今まで通りよ。二人が懸念する様な事は起こらないわ。」
三ヶ月後に、アンナは十八歳の誕生日を迎える。
ずっと待ち望んでいた爵位を引き継ぐことが出来る年齢になるのだった。