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午前零時の出席簿  作者: セキマツ


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第二十三話「第二回出席確認」

1 退学したはずの生徒

午前零時四十分。

旧校舎の三階に、チャイムが鳴り響いた。

キーン、コーン、カーン、コーン。

高瀬蓮は、教卓の前に立っていた。

つい先ほどまで、自分は生徒だった。

出席簿に名前を呼ばれ、返事をする側だった。

だが今は違う。

黒板には、はっきりと書かれていた。

担任教師:高瀬蓮

第一回出席確認:終了

第二回出席確認:準備中

蓮は出席簿を閉じた。

その瞬間、教室の後ろから声がした。

「先生」

振り返ると、記録番号038の少年が立っていた。

自分とまったく同じ顔。

同じ制服。

だが、その表情には、どこか余裕があった。

「……何だよ」

「先生なんだから、ちゃんと返事してよ」

「ふざけるな」

038は小さく笑った。

「ふざけてないよ。だって、本当に先生になったんでしょう?」

蓮は答えなかった。

038は、黒板を指さした。

「じゃあ、次は先生の仕事をしないと」

「……次?」

「第二回出席確認」

蓮は眉をひそめた。

「さっきの続きじゃないのか?」

「違うよ」

038は首を振った。

「第一回は、誰が存在しているかを確認するためのもの」

「……」

「第二回は、誰を欠席させるか決めるためのものなんだ」

蓮は出席簿を見た。

裏表紙には、あの文字が残っていた。

次回欠席予定者:佐伯美月

「……美月を欠席させるつもりなのか」

038は答えなかった。

代わりに、窓の外を指さした。

「見て」

蓮は窓に近づいた。

校庭には、三十六人の生徒が整列していた。

全員が同じ方向を向いている。

その先頭に、佐伯美月が立っていた。

蓮は窓を開けようとした。

だが、開かない。

「美月!」

声を上げても、届かない。

すると、校庭に立つ美月が、ゆっくりと顔を上げた。

目が合った。

美月は、何かを言おうとしている。

唇が動いた。

蓮は、その動きを読み取ろうとした。

そして、気づいた。

美月は、こう言っていた。

「私を呼ばないで」

その瞬間。

教室のスピーカーから、無機質な声が流れた。

『第二回出席確認を開始します』

『担任教師、高瀬蓮』

『欠席予定者、佐伯美月』

『確認を開始してください』

蓮は、ゆっくりと教卓へ戻った。

出席簿を開く。

最初のページには、一つの名前だけが書かれていた。

佐伯美月。

その横に、二つの欄。

【出席】

【欠席】

そして、その下に、小さな文字があった。

『確認を拒否した場合、担任教師が欠席者として登録されます。』

蓮は、息を止めた。

「……また、これか」

038が言った。

「そう。先生には、選ぶ義務があるんだよ」

蓮は、出席簿を見つめた。

美月を出席させるか。

欠席させるか。

それとも、自分が欠席するか。

どれを選んでも、誰かが犠牲になる。

蓮は、ゆっくりと顔を上げた。

「……一つ、聞いていいか」

038が首をかしげる。

「何?」

「第二回出席確認は、誰が始めたんだ?」

038は、少しだけ笑った。

「……いい質問だね」

「答えろよ」

038は、教室の時計を見た。

「それを知ったら、もう戻れないよ」

蓮は答えた。

「もう、戻るつもりなんかない」

038は、静かにうなずいた。

「じゃあ、教えてあげる」

そして、こう言った。

「第二回出席確認を始めたのは、佐伯美月本人だよ。」

2 美月の申請書

蓮は、038を見つめた。

「……美月が?」

「そう」

「そんなわけないだろ」

038は、教卓の引き出しから一枚の書類を取り出した。

表紙には、こう書かれていた。

『第二回出席確認申請書』

申請者:佐伯美月。

申請日時:平成二十年十一月六日、午前零時。

申請理由:在籍記録の修正。

蓮は書類を受け取った。

「……これ、本物なのか?」

「本物だよ」

「美月が、自分を欠席させろって申請したのか?」

038は首を振った。

「違う」

「……?」

「美月が申請したのは、第二回出席確認そのもの」

蓮は眉をひそめた。

「じゃあ、欠席予定者に美月が選ばれたのは?」

038は答えた。

「学校が決めた」

「……どうして?」

「それが、第二回の規則だから」

蓮は、書類を見つめた。

申請書の一番下には、手書きの文章があった。

『第一回の結果を信用しないこと。』

蓮は息を止めた。

「……何だ、これ」

038は何も言わなかった。

蓮は続けて読んだ。

『第一回出席確認には、重大な欠陥が存在する。』

『欠席者が、自ら欠席を申告した場合、その申告が正しいかどうかを確認する者が存在しない。』

蓮は、ゆっくりと顔を上げた。

「……真」

038はうなずいた。

「そう」

「真は、自分の意思で退学した」

「うん」

「でも、それが本当に真の意思だったかどうかは……」

「誰も確認してない」

038は静かに答えた。

蓮は出席簿を見た。

欠席者:高瀬真

欠席理由:本人の意思による退学

その記録は、真が自分で承認したものだった。

だが、そもそも真は、記録を書き換えることができる存在だった。

自分の名前を変えた。

教師の役割を奪った。

出席簿を何度も操作した。

ならば。

最後の退学記録も、真が意図的に作った可能性がある。

「……美月は、それに気づいてたのか」

038は答えなかった。

代わりに、申請書の裏を見せた。

そこには、もう一つ文章があった。

『第二回出席確認では、欠席者本人ではなく、欠席を確認した者の記憶を照合すること。』

蓮は眉をひそめた。

「……確認した者?」

038は言った。

「つまり、先生」

「……俺?」

「そう」

038はうなずいた。

「第二回では、蓮が本当に真の退学を見届けたのか調べる」

「……」

「その結果によっては、第一回の記録が無効になる」

蓮は、出席簿を見つめた。

「……じゃあ、美月を欠席させる必要なんてないだろ」

038は静かに言った。

「あるんだよ」

「……どうして?」

「美月が、真の退学を確認した最後の人物だから」

蓮は息を止めた。

「……最後の人物?」

038はうなずいた。

「真が退学した瞬間、蓮は教室にいた」

「……」

「でも、美月は別の場所にいた」

蓮は、校庭を見た。

美月は、まだ先頭に立っている。

038は続けた。

「美月だけが、真が本当にどこへ行ったのかを知ってるんだ」

3 返事をしてはいけない理由

蓮は、もう一度窓の外を見た。

校庭に並ぶ三十六人。

先頭の美月。

彼女は、こちらを見つめている。

蓮は、窓ガラスに手を当てた。

「……美月」

その瞬間。

ガラスの表面に、文字が浮かび上がった。

『音声伝達を許可しますか?』

蓮は迷わず、許可を選んだ。

窓の向こうから、美月の声が聞こえた。

『……蓮』

「美月!」

『お願い。まだ名前を呼ばないで』

蓮は眉をひそめた。

「どうして?」

『私が返事をしたら、第二回が成立しちゃう』

「……」

『そうなったら、真の退学記録が確定する』

蓮は息を止めた。

「……確定?」

『うん』

「でも、038は、第二回で真の退学を確認するって……」

美月は首を振った。

『違う』

蓮は038を振り返った。

038は、何も言わずに笑っていた。

美月は続けた。

『第二回は、真が退学したかどうかを調べるものじゃない』

「……じゃあ、何なんだ?」

美月は、ゆっくりと答えた。

『真が退学したことを、誰が覚えているか調べるものなの。』

蓮は息を止めた。

「……同じじゃないのか?」

『違うよ』

美月は言った。

『真が本当に退学したかどうかと、私たちがそう覚えているかどうかは別のこと』

蓮は黙った。

美月は続けた。

『もし、私が真の退学を覚えていると確認されたら』

「……」

『学校は、私を証人として登録する』

「……証人?」

『うん』

『そして、証人になった人は、その記録が消えるまで学校から出られなくなる』

蓮は息を止めた。

「……じゃあ、美月は」

『私が返事をしたら、ずっとここに残ることになる』

蓮は窓ガラスを見つめた。

「……そんな」

美月は、少しだけ笑った。

『だから、私を呼ばないで』

その瞬間。

038が、ゆっくりと口を開いた。

「でも、呼ばなかったら蓮が欠席するんだよ」

蓮は振り返った。

038は続けた。

「美月を守るか、自分を守るか」

「……」

「先生なんだから、選ばないと」

蓮は、静かに出席簿を閉じた。

「……選ばない」

038の表情が変わった。

「……え?」

「俺は、どっちも選ばない」

038は笑った。

「それじゃ、蓮が欠席するよ」

蓮は答えた。

「それでもいい」

美月が叫んだ。

『蓮!』

蓮は、ゆっくりと首を振った。

「でも、ただ拒否するわけじゃない」

038が眉をひそめる。

「……どういうこと?」

蓮は、申請書を持ち上げた。

「この第二回出席確認には、欠陥がある」

038は黙った。

蓮は続けた。

「真が退学したかどうかを調べるなら、まず真本人に確認するべきだろ」

038は答えなかった。

「なのに、真はここにいない」

「……」

「本人がいないまま、周囲の記憶だけで退学を確定しようとしてる」

蓮は言った。

「それって、最初の事故と同じじゃないか」

038の笑顔が消えた。

4 出席簿にない質問

蓮は教卓に戻った。

出席簿を開く。

佐伯美月。

出席。

欠席。

二つの欄。

蓮は、その下の余白を見つめた。

「……先生には、出席を確認する義務があるんだよな」

038はうなずいた。

「そうだよ」

「じゃあ、確認するために質問してもいいはずだ」

「……?」

蓮は、出席簿の余白にペンを走らせた。

『確認事項:高瀬真の退学を、誰が確認したか』

その瞬間。

出席簿の文字が、赤く光った。

『確認事項の追加を検出』

『担任教師による独自質問』

『審査中』

038が、初めて焦った表情を見せた。

「……蓮、それは」

蓮は続けて書いた。

『本人の不在をもって、本人の意思を証明してはならない。』

教室の照明が、一度だけ点滅した。

『審査完了』

『独自質問を受理しました』

蓮は息を止めた。

「……通った」

038は、ゆっくりと後ずさった。

「……そんな」

蓮は顔を上げた。

「お前、知らなかったのか?」

038は答えなかった。

蓮は続けた。

「出席簿って、名前を呼ぶだけのものじゃないんだな」

「……」

「誰がいるのか、本当に確認するためのものなんだ」

その瞬間。

黒板の文字が変わった。

『第二回出席確認』

『確認対象:佐伯美月』

その下に、新しい項目が現れた。

『証言対象:高瀬真』

『証言方法:直接確認』

『本人不在の場合、確認を保留する』

蓮は、静かに笑った。

「……これで、美月を呼ばなくて済む」

だが。

その瞬間。

校内放送が流れた。

『直接確認を開始します』

『証言対象者、高瀬真』

『出席してください』

教室の時計が止まった。

そして、廊下の奥から足音が聞こえた。

コツ。

コツ。

コツ。

蓮は扉を見た。

足音が近づいてくる。

やがて、扉の向こうで止まった。

静寂。

そして、扉が開いた。

そこに立っていたのは――

佐伯美月だった。

5 高瀬真を名乗る少女

蓮は、目を見開いた。

「……美月?」

扉の前に立つ少女は、校庭にいる美月と同じ顔だった。

同じ制服。

同じ髪型。

だが、胸元の名札には、別の名前が書かれていた。

高瀬真。

蓮は、言葉を失った。

「……どういうことだよ」

少女は、静かに教室へ入ってきた。

そして、蓮を見つめた。

「久しぶり、先生」

蓮は後ずさった。

「……お前、誰だ?」

少女は微笑んだ。

「高瀬真」

「……違うだろ」

「どうして?」

「真は、男だった」

少女は、少しだけ首をかしげた。

「そうだね」

「……」

「でも、それは先生が覚えている真でしょう?」

蓮は息を止めた。

少女は続けた。

「私は、先生が忘れた真」

「……」

「最初の出席簿に、名前がなかった真だよ」

038が、静かに口を開いた。

「……来ちゃったんだ」

少女は038を見た。

「うん」

「……まだ早いのに」

「もう、隠せないでしょう」

蓮は二人を見比べた。

「……お前ら、知り合いなのか?」

038は答えなかった。

少女は、ゆっくりとうなずいた。

「知ってるよ」

「……」

「だって、038は私のために作られたんだから」

蓮は息を止めた。

「……何?」

少女は続けた。

「最初の事故で、私の名前は消えた」

「……」

「でも、先生は私を覚えていなかった」

蓮は黙った。

少女は言った。

「だから、代わりに覚えてくれる人を作った」

蓮は038を見た。

「……お前が?」

038は、ゆっくりと目を伏せた。

少女はうなずいた。

「そう」

「……じゃあ、038は」

「私の記憶保持者」

蓮は息を止めた。

少女は続けた。

「でも、038は自分が高瀬蓮だと思い込んでいた」

「……」

「それは、あなたの記憶を使って作られたから」

蓮は、038を見つめた。

038は、何も言わなかった。

少女は言った。

「だから、私は038を使って、あなたの記憶を取り戻そうとした」

蓮は眉をひそめた。

「……何のために?」

少女は、少しだけ悲しそうな顔をした。

「先生に、私のことを思い出してほしかったから」

蓮は答えられなかった。

少女は続けた。

「私は、最初の出席簿に名前がなかった」

「……」

「だから、誰にも呼ばれなかった」

「……」

「でも、先生だけは、私のことを知っていたはずなの」

蓮は、ゆっくりと首を振った。

「……俺は、覚えてない」

少女はうなずいた。

「そうだね」

そして、静かに言った。

「だから、第二回が必要だったんだよ」

6 二つの真

蓮は、少女を見つめた。

「……じゃあ、今までの真は何だったんだ?」

少女は答えた。

「私の代わり」

「……代わり?」

「そう」

少女はうなずいた。

「私が出席できないから、代わりに高瀬真として登録された存在」

蓮は眉をひそめた。

「……でも、真は自分で退学した」

少女は、静かに首を振った。

「違うよ」

「……何?」

「真は、退学したんじゃない」

蓮は息を止めた。

少女は続けた。

「私に名前を返したんだよ。」

その瞬間。

教室の黒板に、文字が浮かび上がった。

『氏名返還記録』

返還者:高瀬真

受領者:記録番号000

返還内容:氏名・在籍資格・記憶保持権限

蓮は、黒板を見つめた。

「……記録番号000?」

少女はうなずいた。

「そう」

「……じゃあ、お前が」

「最初の欠席者」

少女は答えた。

蓮は息を止めた。

最初の欠席者。

高瀬真。

ずっと、その名前を追いかけてきた。

だが、その正体は、今まで見ていた少年ではなかった。

目の前の少女。

佐伯美月と同じ顔。

そして、名札には高瀬真。

蓮は、震える声で尋ねた。

「……じゃあ、お前の本当の名前は?」

少女は、静かに笑った。

「それを、先生に思い出してほしいんだよ」

「……」

「私が教えたら、意味がないから」

蓮は、出席簿を見た。

記録番号000。

氏名、未登録。

そして、備考欄。

『担任教師による命名を待機中』

蓮は、ゆっくりと顔を上げた。

「……俺が、名前をつけるのか?」

少女はうなずいた。

「そう」

「……でも、間違えたら?」

少女は、少しだけ笑った。

「また、最初から」

蓮は息を止めた。

「……また?」

「うん」

少女は続けた。

「今までみたいに、何度も出席確認を繰り返す」

蓮は、頭を抱えた。

何度も。

何度も。

同じ教室。

同じ出席簿。

同じ名前。

そして、同じ選択。

少女は言った。

「でも、今回は違う」

蓮は顔を上げた。

「……何が?」

「先生が、自分で質問を追加したから」

少女は、出席簿を指さした。

『本人の不在をもって、本人の意思を証明してはならない。』

蓮は、その文章を見つめた。

少女は続けた。

「先生は、初めて規則に従うだけじゃなく、規則そのものを疑った」

「……」

「だから、私も初めて、直接ここに来られた」

蓮は、ゆっくりとうなずいた。

「……じゃあ、聞く」

少女が顔を上げる。

「……何?」

蓮は、まっすぐに少女を見た。

「お前は、本当に出席したいのか?」

少女は、何も言わなかった。

蓮は続けた。

「名前が欲しいのか?」

「……」

「それとも、誰かに覚えていてほしいだけなのか?」

少女の表情が変わった。

「……先生」

蓮は言った。

「俺は、もう勝手に誰かの名前を決めたくない」

「……」

「お前がどうしたいのか、聞きたいんだ」

少女は、しばらく黙っていた。

そして、静かに答えた。

「……私、帰りたい」

蓮は息を止めた。

「……帰る?」

少女はうなずいた。

「うん」

「……どこに?」

少女は、窓の外を見た。

校庭に並ぶ三十六人の生徒。

その先頭に立つ美月。

少女は、静かに言った。

「あの子のところに。」

7 佐伯美月が二人いる理由

蓮は、少女を見つめた。

「……美月のところ?」

少女はうなずいた。

「そう」

「……お前、美月とどういう関係なんだ?」

少女は、少しだけ考えた。

そして、答えた。

「同じ人だった」

蓮は息を止めた。

「……同じ?」

「うん」

少女は続けた。

「最初は、一人だった」

「……」

「でも、ある日、二つに分かれた」

蓮は、窓の外を見た。

美月。

そして、目の前の少女。

同じ顔。

同じ声。

だが、違う名前。

少女は続けた。

「一人は、出席した美月」

「……」

「もう一人は、欠席した美月」

蓮は眉をひそめた。

「……どういうことだ?」

少女は答えた。

「最初の出席確認で、美月は二回名前を呼ばれたの」

蓮は息を止めた。

「……二回?」

「そう」

少女はうなずいた。

「一回目は、出席した」

「……」

「でも、二回目は返事をしなかった」

蓮は、ゆっくりと理解し始めた。

一回目の出席。

二回目の欠席。

同じ名前。

同じ人物。

だが、違う結果。

少女は続けた。

「学校は、どちらが正しいかわからなくなった」

「……」

「だから、記録を二つに分けた」

蓮は、少女を見つめた。

「……じゃあ、お前は」

少女はうなずいた。

「二回目に返事をしなかった美月」

蓮は息を止めた。

少女は続けた。

「そして、あの子は一回目に返事をした美月」

蓮は、窓の外を見た。

美月は、まだこちらを見ている。

少女は静かに言った。

「私は、あの子と一つに戻りたい」

蓮は、何も言えなかった。

「……でも、戻ったらどうなる?」

少女は答えなかった。

蓮は続けた。

「どっちかの記憶が消えるんじゃないのか?」

少女は、少しだけ目を伏せた。

「……わからない」

蓮は、出席簿を見た。

同じ名前を持つ二つの記録。

統合。

上書き。

これまで何度も見てきた仕組みだった。

だが、今回は違う。

二人とも、自分の意思を持っている。

二人とも、存在している。

蓮は、静かに言った。

「……だったら、勝手に統合なんてできない」

少女が顔を上げた。

「……先生?」

蓮は続けた。

「美月にも聞かないと」

少女は、ゆっくりとうなずいた。

「……うん」

その瞬間。

窓の外の美月が、こちらに向かって歩き始めた。

一歩。

二歩。

三歩。

そして、教室の扉が開いた。

佐伯美月が入ってきた。

二人の少女が、向かい合う。

同じ顔。

同じ声。

だが、表情は違っていた。

校庭から来た美月が、静かに言った。

「……久しぶり」

もう一人の少女が答えた。

「うん」

「……帰ってきたんだね」

「うん」

二人は、しばらく見つめ合っていた。

そして。

校庭から来た美月が、こう言った。

「でも、私はあなたと一つに戻るつもりはないよ。」

8 美月の拒否

教室が静まり返った。

蓮は、美月を見た。

「……どうして?」

美月は答えた。

「だって、私たちはもう別の人間だから」

もう一人の少女が、ゆっくりと顔を上げた。

「……でも、最初は同じだった」

「そうだね」

美月はうなずいた。

「でも、今は違う」

「……」

「あなたには、あなたの記憶がある」

「……」

「私には、私の記憶がある」

美月は続けた。

「それを無理やり一つにしたら、どちらかが自分じゃなくなるかもしれない」

少女は黙った。

美月は、静かに言った。

「だから、私は戻らない」

蓮は、二人を見つめた。

少女は、しばらく黙っていた。

そして、ゆっくりとうなずいた。

「……そっか」

美月は、少しだけ笑った。

「でも」

少女が顔を上げる。

「……?」

美月は続けた。

「一緒に帰ることはできるよ」

少女は目を見開いた。

「……え?」

「同じ人に戻らなくても、同じ場所に帰ることはできる」

蓮は、静かにうなずいた。

少女は、何も言えなかった。

美月は手を差し出した。

「帰ろう」

少女は、その手を見つめた。

そして、ゆっくりと手を伸ばした。

二人の指が触れた。

その瞬間。

教室の黒板に、文字が浮かび上がった。

『同一人物の重複を検出』

『統合処理を開始します』

蓮は、すぐに叫んだ。

「待て!」

二人の手が止まった。

蓮は教卓に駆け寄った。

出席簿を開く。

そして、余白に書いた。

『本人双方の同意なく、統合処理を実行してはならない。』

黒板の文字が変わる。

『独自質問を検出』

『審査中』

一秒。

二秒。

三秒。

そして。

『申請を受理しました』

『統合処理を停止します』

蓮は、ゆっくりと息を吐いた。

「……よし」

038が、静かに笑った。

「すごいね、先生」

蓮は振り返った。

「……何だよ」

038は続けた。

「また、規則を変えた」

「……」

「でも、気をつけて」

蓮は眉をひそめた。

「……何を?」

038は、黒板を指さした。

「規則を変えるたびに、先生の権限が増えてる」

蓮は黒板を見た。

そこには、新しい文字が浮かび上がっていた。

『担任教師権限:レベル3』

『出席確認規則の一部変更を許可』

蓮は息を止めた。

038は続けた。

「先生が規則を変えられるようになるってことは」

短い沈黙。

「誰かが、先生にその権限を渡してるってことなんだよ。」

9 権限を与えた人物

蓮は、黒板を見つめた。

レベル3。

担任教師権限。

規則の変更。

これまで、自分は学校の規則に従うしかなかった。

だが今は、違う。

自分で質問を追加し、統合処理を止めることができた。

「……誰が、権限を渡してるんだ?」

蓮が尋ねる。

038は答えなかった。

代わりに、教卓の引き出しを指さした。

「そこ」

蓮は引き出しを開けた。

中には、一枚のカードが入っていた。

黒いカード。

表面には、金色の文字。

『管理者認証カード』

蓮はカードを取り出した。

裏面を見る。

そこには、名前が書かれていた。

管理者:田島修一

蓮は息を止めた。

「……田島さん?」

038はうなずいた。

「そう」

「……でも、田島さんは研究員で」

「本当に?」

038は首をかしげた。

蓮は黙った。

038は続けた。

「田島さんは、何でも知ってたよね」

「……」

「出席簿の規則も、記録番号の意味も、事故のことも」

蓮は、カードを見つめた。

確かにそうだった。

田島は、いつも必要なタイミングで現れた。

必要な資料を持っていた。

だが、すべてを説明することはなかった。

「……田島さんが、学校を管理してるのか?」

038は答えた。

「少なくとも、管理者として登録されてる」

蓮はカードを握りしめた。

「……じゃあ、田島さんに聞けば」

その瞬間。

教室のスピーカーから、田島の声が聞こえた。

『その必要はありません』

蓮は天井を見上げた。

「……田島さん?」

『聞こえていますよ、高瀬先生』

「……どこにいるんですか?」

『管理室です』

蓮は息を止めた。

「……管理室?」

『ええ』

田島は続けた。

『あなたが今まで、一度も入ったことのない部屋です』

蓮は眉をひそめた。

「……そんな部屋があるんですか?」

『あります』

「……どこに?」

田島は答えた。

『旧校舎の四階です』

蓮は、教室の扉を見た。

旧校舎は、三階建てだったはずだ。

「……四階?」

『そうです』

「……でも、この学校は三階までしか」

田島は、静かに言った。

『それは、あなたが三階までしか覚えていないからです』

蓮は、何も言えなかった。

田島は続けた。

『四階には、すべての記録が保管されています』

「……」

『第一回から、第二回まで』

蓮は息を止めた。

「……じゃあ、全部わかるんですか?」

『ええ』

「……真のことも、美月のことも」

『もちろんです』

蓮は、カードを見つめた。

田島は続けた。

『ただし、四階に入るには条件があります』

「……何ですか?」

『担任教師権限、レベル4』

蓮は黒板を見た。

現在、レベル3。

あと一つ。

「……どうすれば上がるんですか?」

田島は答えた。

『第二回出席確認を、完了させてください』

蓮は息を止めた。

「……完了?」

『そうです』

「……でも、美月を欠席させることになるんじゃ」

田島は、静かに言った。

『いいえ』

「……?」

『もう、その必要はありません』

蓮は眉をひそめた。

田島は続けた。

『あなたが規則を変更したことで、第二回の確認対象が変わりました』

蓮は黒板を見た。

そこには、新しい文字が浮かび上がっていた。

『第二回出席確認』

『確認対象:高瀬真』

『確認方法:本人への直接質問』

蓮は息を止めた。

「……真?」

田島は続けた。

『目の前の少女に、質問してください』

蓮は少女を見た。

少女は、静かにこちらを見つめていた。

田島は言った。

『その質問に正しく答えられれば、第二回出席確認は完了します』

蓮は、ゆっくりと少女に向き直った。

「……質問って、何を聞けばいいんですか?」

田島は答えた。

『それは、あなたが決めてください』

蓮は、しばらく考えた。

そして、静かに口を開いた。

「……お前は、何者なんだ?」

少女は、少しだけ笑った。

「それは、さっき言ったでしょう?」

「……」

「高瀬真」

蓮は首を振った。

「違う」

少女が顔を上げる。

「……?」

蓮は続けた。

「それは、借りた名前だろ」

「……」

「俺が聞きたいのは、お前自身のことだ」

少女は黙った。

蓮は、まっすぐに少女を見た。

「お前は、誰かの代わりじゃない」

「……」

「美月の欠席した記録でもない」

「……」

「真の名前を返してもらった存在でもない」

少女の目が、わずかに揺れた。

蓮は続けた。

「お前は、何をしたくて、ここにいるんだ?」

長い沈黙。

そして、少女は静かに答えた。

「……覚えていてほしかった」

蓮は息を止めた。

少女は続けた。

「私が、ここにいたこと」

「……」

「誰かの代わりじゃなくて」

「……」

「私自身が、ここにいたことを」

蓮は、ゆっくりとうなずいた。

「……わかった」

そして、出席簿に書いた。

『確認対象者は、独立した意思を持つ存在である。』

『本人の存在を確認。』

その瞬間。

黒板に、文字が浮かび上がった。

『第二回出席確認 完了』

『担任教師権限:レベル4』

『管理室への入室を許可します』

蓮は、ゆっくりと息を吐いた。

「……終わった」

だが。

その瞬間。

教室の時計が、午前零時四十五分を指した。

そして、スピーカーから、田島の声がした。

『おめでとうございます、高瀬先生』

蓮は顔を上げた。

『これで、四階に入ることができます』

「……はい」

田島は続けた。

『ただし、一つだけお伝えしておきます』

「……何ですか?」

短い沈黙。

そして。

『四階にある記録は、あなたが今まで見てきたものとは、まったく違います。』

蓮は息を止めた。

『そこには、あなたが忘れている事実だけでなく』

「……」

『あなたが、忘れたことにしている事実も残されています』

蓮は、何も答えられなかった。

10 存在しない四階

旧校舎の階段は、三階で終わっていた。

蓮は、階段の踊り場に立っていた。

美月。

もう一人の少女。

凛。

そして、038。

四人が後ろにいる。

蓮は、壁を見つめた。

「……ここから、どうやって四階に行くんだ?」

038は、静かに答えた。

「管理者カードを使って」

蓮は、黒いカードを取り出した。

壁に、小さなカードリーダーが現れた。

蓮はカードをかざした。

ピッ。

『認証完了』

『担任教師権限:レベル4』

『管理階への移動を許可します』

その瞬間。

壁が、ゆっくりと左右に開いた。

その向こうには、階段があった。

上へ続く階段。

蓮は息を止めた。

「……本当に、あった」

038が笑った。

「言ったでしょう?」

蓮は、階段を上り始めた。

一段。

二段。

三段。

足音が、静かに響く。

やがて、四階に到着した。

そこには、長い廊下があった。

白い壁。

蛍光灯。

そして、左右に並ぶ扉。

すべての扉に、番号が振られている。

001。

002。

003。

004。

蓮は、ゆっくりと歩いた。

「……何の部屋なんだ?」

038は答えなかった。

蓮は、扉のプレートを見た。

『記録保管室001』

隣。

『記録保管室002』

さらに隣。

『記録保管室003』

そのとき。

蓮は、あることに気づいた。

廊下の奥に、ひときわ大きな扉がある。

そこには、番号がなかった。

代わりに、こう書かれていた。

『管理室』

蓮は、扉に近づいた。

ノックする。

コン、コン。

返事はない。

もう一度。

コン、コン。

すると、扉の向こうから声がした。

「どうぞ」

田島の声だった。

蓮は、ゆっくりと扉を開いた。

そこには、大きな部屋があった。

壁一面に並ぶモニター。

無数の記録ファイル。

そして、中央に置かれた机。

その椅子に、田島修一が座っていた。

「……ようこそ」

田島は静かに微笑んだ。

「高瀬先生」

蓮は、部屋を見回した。

モニターには、旧校舎の教室が映っていた。

一階。

二階。

三階。

そして、四階。

だが、その中に、一つだけ見覚えのない映像があった。

画面の右下。

『第0教室』

蓮は、目を細めた。

「……第0教室?」

田島はうなずいた。

「そうです」

「……何ですか、これ」

田島は、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

「すべてが始まった場所です」

蓮は、モニターを見つめた。

そこには、教室が映っていた。

机。

椅子。

黒板。

そして、一人の少年。

蓮は息を止めた。

その少年は、教卓に座っていた。

顔は、はっきりと見えない。

だが、胸元には名札がある。

高瀬蓮。

蓮は、ゆっくりと田島を見た。

「……また、俺ですか」

田島は答えなかった。

蓮は続けた。

「もう、何人いるんですか」

田島は、少しだけ笑った。

「数えることに意味はありません」

「……」

「大切なのは、誰が最初だったかです」

蓮は、モニターを見た。

少年は、教卓の前で何かを書いている。

黒板には、文字があった。

『第一回出席確認』

蓮は眉をひそめた。

「……第一回?」

田島はうなずいた。

「そうです」

「でも、第一回はもう終わったはずじゃ」

田島は、静かに言った。

「あなたが終えたのは、第一回の再現です」

蓮は息を止めた。

「……再現?」

「ええ」

田島は続けた。

「この学校では、事故当日の出席確認を、何度も再現してきました」

「……」

「そのたびに、記録が少しずつ変わっていく」

蓮は、モニターを見つめた。

「……じゃあ、本当の第一回は」

田島は、第0教室の画面を指さした。

「そこです」

蓮は、息を止めた。

田島は続けた。

「そして、あそこにいる少年が」

短い沈黙。

「本当の最初の高瀬蓮です。」

蓮は、何も言えなかった。

田島は、机の上から一枚の紙を取り出した。

そこには、こう書かれていた。

『原本記録000』

『記録開始日:平成二十年十一月六日』

『担任教師:未登録』

『生徒:高瀬蓮』

『出席者:一名』

蓮は、紙を見つめた。

「……先生がいない」

田島はうなずいた。

「そうです」

「……じゃあ、誰が出席を取ったんですか?」

田島は、ゆっくりと微笑んだ。

「ようやく、そこに気づきましたね」

蓮は、息を止めた。

田島は続けた。

「最初の出席確認には、教師がいませんでした」

「……」

「生徒が一人だけいた」

蓮は、モニターを見つめた。

第0教室。

教卓に座る少年。

その少年は、ゆっくりと顔を上げた。

そして、カメラを見た。

蓮と、目が合った。

少年は、静かに笑った。

その瞬間。

モニターから声が聞こえた。

『……やっと来た』

蓮は息を止めた。

少年は続けた。

『ずっと待ってたんだ』

「……誰だよ、お前」

少年は、少しだけ首をかしげた。

『高瀬蓮』

「……それは、俺の名前だ」

少年はうなずいた。

『そうだね』

そして、静かに言った。

『でも、君はまだ知らない』

蓮は、モニターを見つめた。

少年は続けた。

『君が今まで見てきた出席簿は、全部、僕が書いたものなんだよ。』

蓮は、動けなくなった。

その瞬間。

管理室のすべてのモニターが、一斉に切り替わった。

画面には、同じ文字が表示された。

『原本記録000 アクセス確認』

『記録作成者:高瀬蓮』

『記録閲覧者:高瀬蓮』

『記録修正者:高瀬蓮』

そして、最後の一文。

『記録の外部閲覧を検出しました。』

蓮は眉をひそめた。

「……外部閲覧?」

田島の表情が変わった。

「……まさか」

蓮は振り返った。

「何ですか?」

田島は、モニターを見つめたまま動かなかった。

そして、震える声で言った。

「……誰かが、この記録を読んでいる」

蓮は息を止めた。

「……読んでいる?」

田島はうなずいた。

「ええ」

「……誰が?」

田島は、ゆっくりと蓮を見た。

「この学校の外にいる人間です」

その瞬間。

モニターに、新しい文字が浮かび上がった。

『外部閲覧者の存在を確認』

『閲覧対象:午前零時の出席簿』

『閲覧進行状況:第二十三話』

蓮は、目を見開いた。

「……第二十三話?」

田島は、何も答えなかった。

そして、モニターに最後の文章が表示された。

『閲覧者への通知を開始します。』

『あなたは、ここまでの記録を読みました。』

『では、質問です。』

『あなたは、最初の欠席者の名前を覚えていますか?』

蓮は、モニターを見つめた。

真。

美月。

凛。

自分。

何度も名前が変わった。

何度も記録が書き換わった。

だが、最初の欠席者は誰だったのか。

蓮は、答えられなかった。

そのとき。

第0教室の少年が、静かに言った。

『答えられないでしょう?』

蓮は顔を上げた。

少年は微笑んだ。

『だって、最初の欠席者は――』

一瞬の沈黙。

『まだ、名前を呼ばれていないから。』

その瞬間。

すべてのモニターが暗転した。

そして、真っ暗な画面に、一行だけ文字が残った。

『次回、最初の欠席者の名前を呼びます。』

第二十三話「第二回出席確認」――終

第二十四話「読者の出席番号」へ続く。

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