第2話 撃ってくる
走りながら、人間は意外といろいろ考えられる。
いや、考えているつもりになるだけかもしれない。
蒼真の頭に浮かんでいたのは、どうでもいいことだった。
靴紐。
昨日結び直したか。
あの缶コーヒー、飲み切ったか。
アパートのエアコンは消したか。
今、この瞬間に必要なことは一つもなかった。
「こっち!」
林へ入る直前、蒼真は右へ曲がった。
自分でも理由は分からない。
真っすぐ進むより、木が密集している方が射線を切れる。
そう思っただけだった。
澪と航平もついてきた。
乾いた音。
バン。
木の幹が弾ける。
澪が小さく声を上げた。
「当たった?」
「大丈夫です」
走りながら答える。
嘘ではなさそうだった。
三人は林の奥へ入った。
地面は湿っていた。
落ち葉。
腐った枝。
足を取られそうになる。
背後の機械音が少し遠くなる。
キャタピラーは、こういう地面に弱いのかもしれない。
蒼真はそんなことを考えた。
実際、
ガガガガガという音は林の手前で一度止まった。
「止まった?」
航平が息を切らす。
「分からない」
三人は太い木の陰へ身を寄せた。
呼吸だけがうるさい。
澪が胸元を押さえている。
航平は顔面蒼白だった。
「何だよこれ」
誰も答えない。
「映画じゃねえんだぞ」
「分かってる」
「じゃあ何なんだよ」
航平の声が強くなる。
怒っているように見えた。
たぶん、怖いのだ。
それは蒼真も同じだった。
「静かに」
澪が言った。
優しい声だった。
それなのに航平は黙った。
遠く。
何か音がする。
ガガ……。
ガガガ……。
完全には止まっていない。
林の外周を移動している。
「入ってこない?」
澪。
蒼真は答えなかった。
入れないのか。
入らないのか。
その違いが妙に気になった。
「おーい!」
声がした。
人間の声。
三人が同時に顔を上げる。
少し離れた場所。
男が一人走ってきた。
四十代くらいだろうか。
シャツの胸元が泥で汚れている。
「人がいた!」
男は笑った。
救助された人間みたいな笑顔だった。
その手首にも白いバンド。
「あなたも?」
澪が立ち上がる。
「ああ。気づいたら向こうにいてな。何なんだここ」
「静かにしてください」
蒼真が言う。
「機械みたいなのがいる」
「見た見た」
男は意外そうに笑った。
「あれだろ?」
林の外を指差す。
「誰かが操縦してるんだろ。撮影か何かじゃないのか?」
「撃ってきました」
「空砲だろ」
「違います」
蒼真の声が強くなった。
男は少し不快そうな顔をした。
「だってさ、考えてみろよ。いきなり人間を撃つロボットなんかあるわけないだろ」
あるわけない。
確かにそうだった。
十分前までなら、蒼真も同じことを言っていた。
男は林の外へ歩き出した。
「ちょっと待って」
澪が腕を掴もうとした。
男は避けた。
「俺が話してくるよ。カメラとかあるんだろ。悪趣味だけどさ」
「やめた方がいい」
蒼真。
男は振り返った。
「あんたら、ビビりすぎ」
その言葉が妙に残った。
男は林から出た。
三十メートル。
四十メートル。
機械音が止まる。
ロボットが男の方へ上半身を向けた。
男は両手を上げた。
「おーい!」
大声。
「聞こえてんだろ! 何なんだよこれ!」
機体は動かない。
男はさらに近づいた。
「訴えるぞ! こんなの!」
砲身が動いた。
蒼真の胃が縮む。
「戻れ!」
叫んだ。
男が振り向いた。
その瞬間。
乾いた破裂音。
男の体が後ろへ仰け反った。
一拍。
本当に一拍だけだった。
立っているように見えた。
それから、
崩れた。
澪が口を押さえた。
航平が吐いた。
木の根元に、胃の中のものをぶちまける。
蒼真は動けなかった。
遠くに倒れた男。
胸のあたり。
赤い。
誰も助けに行けない。
機体は倒れた男へ近づかない。
確認もしない。
次に。
上半身が。
ゆっくりと。
林へ向いた。
こちらを探すように。
蒼真は初めて、
自分が死ぬかもしれないと思った。
想像ではなく。
今日。
数分後。
死体になるかもしれない。
「行こう」
声が震えた。
自分の声だった。
「ここにいたら見つかる」
澪はまだ男を見ていた。
「でも……」
「死んでる」
航平が言った。
口元を拭きながら。
「行こう」
今度は彼だった。
三人は林の奥へ進んだ。
少し歩いて。
澪が振り返った。
男はもう見えなかった。
ただ。
蒼真には一つだけ引っかかっていた。
さっきの射撃。
男は真っすぐ歩いていた。
遮蔽物もなかった。
ロボットは最初から撃てたはずだ。
なのに。
かなり近づくまで撃たなかった。
怖くて考えたくない。
そう思うのに。
その違和感だけが、頭から離れなかった。




