7/20 文化は革命するもの
「ね、ね! 上手くいったんじゃない?」
「さすがですっ、オリ……シーザリオ様!」
王の前から下がると、二人で自画自賛しながら王宮のサロンへと向かった。貴族であれば自らの邸宅に広い応接室や談話室を持ち、そこをサロンとして社交を行う。王宮のサロンともなれば、その規模は桁が違うはずだ。高位の貴族や知識人、芸術家たちが多く集まっているに違いない。
ラグーサ王国で生活していくのだから知り合いは欲しいし、できれば安心して付き合える人を見つけたい。それには王宮のサロンがうってつけなのだ。
王宮のサロンは、絨毯が張り巡らされて床の上に布張りの大きな椅子がいくつも並び、着飾った煌びやかな男女があちらこちらで談笑している。オシノを連れて足を踏み入れると、様子を見るように壁際に立った。当然ながら、知った顔は一つも無い。
――どうしよう。
所在なく視線だけさまよわせていると、一人の若い男が近づいてきた。刺繍がふんだんに使われた緑色のコートを羽織り、ボタンにまで装飾をしたシャツを身に着けている。細かな幾何学模様の柄が付いたズボンはひざ丈で、すらりとした足が見えている。布も金糸もたくさん使っているあたり、かなり羽振りがよさそうだ。
「よお、見ない顔だな。ここは初めてか? 俺はデスク・スナブリンだ。これでも男爵だぜ」
そう言って差し出される手を握りながら、オリヴィアはまっすぐに相手の目を見ながら微笑み返した。
「僕はシーザリオ・アドリア。イリア半島からラグーサに王国に来たばかりなんだ。父は伯爵だけれど、僕自身は無位無官だよ。長く滞在することになると思うから、仲良くしてくれると嬉しいな」
少し低めの格好いい声を意識した。何度も練習したんだ。声だけでは女と悟られない自信はある。
「イリア半島のアドリア家だって? 古くからのラグーサの宿敵が、この王都で暮らすっていうのかい。こりゃあ面白い」
スナブリン男爵の言葉に、その場にいた人たちの視線が一斉にオリヴィアへと向いた。内心で怯みながらも、精一杯の気力を振り絞った微笑みを保った。それに気づいているのかいないのか、スナブリン男爵はにやりと笑った。
「あのアドリア家の男が来たからには、上下関係を叩き込んでおかないとな。ひとつ勝負と行こうか」
スナブリン男爵が指さしたのは、部屋の一角に置かれた机だ。王宮に相応しい象牙の駒と黒硝子の駒の立派な遊戯盤が置かれている。兵や槍兵、弓騎兵などを模した駒で人知を取り合う盤上遊戯をやろうというのだろう。ラグーサは血気盛んだと思っていたけれど、遊戯盤とは言え、いきなりサロンで勝負を挑まれるとは思わなかった。
「うーん……」
「なんだ、アドリア家の男には臆病者しかいないっていうのは本当なのか?」
「いや、僕としては構わないんだけど……」
オリヴィアは勿体ぶって辺りを見回して言った。
「大勢の前で君に恥をかかせるのが忍びなくてね」
「言うじゃないか! 泣きながらイリア半島に帰ることになっても知らないぜ?」
遊戯盤を挟んで向かい合って座ると、周りにはサロンの人々が集まってきた。仲間と談笑しながらあざける様にオリヴィアを見る男たちがいれば、扇子で口元を押さえながら遠巻きに見る着飾った女もいる。
社交界の仲間入りには変則なやり方になってしまったけど、顔と名前を知ってもらうにはちょうど良い。
「先手はやるよ。アドリア家の実力を見せてくれよ」
「それじゃあ、遠慮なく」
白の駒を持った。
せっかくなら勝って格好いいところを見せたい。シーザリオ・アドリアのラグーサ王国社交界お披露目を鮮烈に飾っちゃおう。
盤上遊戯はシーザリオとよくやっていた。あまり外出できない弟の趣味と言えば、読書や机上の遊びくらいだから、それに付き合ってかなりの数の試合を経験している。
オリヴィアはいつもどおり象兵と騎馬弓兵をどんどん前に出した。強い駒を捨ててでも豪快に勝ちを狙うのが、いつもの戦法だ。強気で攻めたときは大勝ちするかボロ負けするかだけど、今回は象兵を突撃させる戦法が刺さった。
「うーん……。こりゃあ手が無いな。参った、降参だ」
重装歩兵を潰され軽歩兵が散らされたところで、スナブリン男爵が投了した。周囲がわっと盛り上がる。負けたスナブリン男爵を揶揄したり叱咤激励したりする声が多いが、「南の軟弱者もやるじゃないか」とオリヴィアをほめるような声も聞こえる。
「くっそぉ、悔しいな。もう一回やろう」
「構わないよ」
悔しさ半分、楽しさ半分と言った様子で再戦を申し込まれれば、断れない。先手番を譲って再度指すと、今度はびっくりするくらいあっさり負けた。象兵をすかされ、騎兵は隅へ追いやられ、ほんの四十手ほどで王を取られた。さっきの半分の手数だ。
「はっはっは。面白い手筋じゃないか」
あんまりさっぱり負けたせいか、スナブリン男爵も周りの貴族たちも大笑いしている。けれど嘲りの笑いと言うより、面白いものを見た時の好意的な笑いだ。
「もう一戦だ。次こそ僕の実力を見せてやる」
悔しかったので、素直に再戦を挑んでしまった。
その後、何度か試合を繰り返したが、疾風怒濤の攻めで場を蹂躙するか、全く策が外れてボロ負けをするかのどちらかだった。けれど形勢が動くたびに歓声が沸き、勝ち負けが付くたびに拍手と笑い声に包まれた。そのまま互いに疲れるまで指し続けて、結局、五戦三勝で何とか勝ち越すことが出来た。
「シーザリオ、お前の指し方は面白いな。それにちゃんと強い」
「そっちこそ、やるじゃないか。僕がここまで苦戦したのは二人目だよ」
本物のシーザリオは、攻めているこっちがくたびれてしまうほどに粘り強く守る。あれに比べたら、お酒を飲みながら適当に指す父などは弱すぎて相手にならない。
「俺だってラグーサ王国では強いって言われてるんだぜ。簡単には負けないさ。でも勝ち負け以上に、お前と指すのは楽しい。皆も見ていて楽しいだろ?」
スナブリン男爵が煽ると、観戦していた貴族たちも拍手や愛のある野次で応える。「シーザリオってのか? やるじゃないか」と肩を叩く男がいれば、「私にもぜひ一手、ご教授くださいな」と寄ってくる貴婦人もいる。
オリヴィアの知る貴族たちより柄が悪いけどノリが良い。これがラグーサかとちょっと目を見張っていると、人だかりから二人の男が進み出てきた。
「こんなお遊びでラグーサ王国の実力を測られちゃ困るんだよ。アドリア家のお坊ちゃんよ、俺たちにも付き合ってもらうぜ。今度はこれで遊ぼうぜ」
「そうそう。こんなおもちゃでのお遊びなんて、退屈だろう?」
二人は駒を掴み上げると、手首を回して剣を扱うような仕草をする。スナブリン男爵は「止めろよダニー、グレッグ」と止めてくれるが、オリヴィアは驚きのあまり声を上げてしまった。
「ラグーサでは、剣での決闘も当たり前なのですか?」
「おうよ、こっちじゃ日常茶飯事だぜ。南じゃあ決闘も出来ない腰抜けしかいねえのか?」
「うん、そうなんだ。だから作法が分からなくって。今、ここでやるのかい?」
オリヴィアが立ち上がると、すかさずオシノが近づいてきて剣を差しだす。剣と馬は授業をサボってよくやっていた。盤上遊戯より得意だ。
意気揚々と立ち上がると、ダニーとグレッグと呼ばれた二人はちょっと戸惑ったように顔を見合わせている。どうしたんだろうと内心で首をかしげていると、貴婦人が割って入った。
「シーザリオ様、こんなごろつきにお付き合いいただかなくても大丈夫ですわ。ラグーサにも作法はございます。少なくとも、お越しいただいたばかりの客人をご不快にするのは無作法と言っても差し支えございませんわね」
貴婦人がじろりと睨むと、ダニーとグレッグは居心地悪そうに歩き去っていった。
「あの、お気遣い頂いてありがとうございます。えっと……」
「彼女は、リハード子爵夫人だ。このサロンの主の一人だよ」
助け舟をくれた婦人に一礼をしていると、スナブリン男爵が素早く耳打ちしてくれた。感謝を込めて彼の肩を叩くと、リハード子爵夫人の目をまっすぐに見て微笑んだ。
「お気遣いをいただきまして本当にありがとうございます。こちらの風習に不慣れですので、親しくしていただければ嬉しいです」
「あら、私達にもお付き合いくださるの? でも、演劇や娯楽本のお話は出来ないでしょう? 乗馬や狐つぶしのお話でもよいですけれど」
「あ、大丈夫です。演劇も娯楽本も大好きです」
「そうなの? イリア半島ではどんなものが好まれているのかしら。教えてくださる?」
「もちろんです」
余談ではあるが、この当時のラグーサ王国では神や英雄を登場人物とした神話などが主に親しまれていた。強大な力を持つ神々の戦いや運命に翻弄されながらも活躍する英雄たちの物語である。貴族や庶民の目線で日常を描いた作品などは、まだまだ少ない。
そんなところにオリヴィアは、とんでもない異文化を持ち込んだ。多様で濃厚な癖を含んだ恋愛物語だ。三角関係に悩む貴族の令嬢が禁断の恋に落ち、転落しつつも真実の愛を見つける悲恋もの。さる高貴な血筋の貴公子が複数の貴婦人や人妻、少女などと恋愛を繰り広げる物語。純朴な少年が、思いを寄せる令嬢と別の男性との恋愛模様を見ていることしかできず、苦悩する様を描いた悲喜劇。想い合う恋人が、障害を乗り越えながらひたすらに愛を語り合う砂糖系の物語。
オリヴィアの持ち込んだ新たな創作の方向性は、ラグーサ王国の女性たちの情緒を粉砕し、その文化に大革命を起こした。