4/20 双子は入れ替わるもの
「お嬢様は、一体いくつの隠し通路をご存じなんですか~」
オシノの呆れたような声を背に、オリヴィアは下水道を歩いていた。町の大通りの下に作られた暗渠で、この先の隠し扉を使えば城内の牢獄に侵入できる。
「日頃の行いが良いと、こういう時に役に立つのね」
オリヴィアが明るく言うと、オシノは「まったくもうっ。後でお説教ですからねっ」と可愛く立腹している。
愛をもってオシノを無視しながら、アポンに教えてもらったシーザリオが監禁されている場所を目指して歩を進める。
織物商のアポンは、普段から御用商人として城に出入りしており、継母とも懇意にしていた。そのせいか、反乱勃発と同時に、継母から呼び出されて服従を要求されたという。すぐに自分の妹を人質に出し、表向きは継母に忠誠を誓った。そして裏ではオリヴィアたちの手助けをすべく、情報を集めつつ手を配ってくれているのだという。
家族の命を危険にさらしてでも正義を貫こうとする彼の姿勢には、感銘せざるを得ない。それを素直に伝えると「お父上への御恩返しには、まだまだ足りません」と控えめに笑うだけだった。
けれどそんな人物ばかりを期待するわけにはいかない。他にも有力な商人や貴族が人質を出しているらしい。そんな状況では、誰を信用してよいか分からない。
だからオリヴィアはこうして、秘策を胸に単身で城に乗り込むのだ。
「シーザリオ様……御無事だとよいのですが。心配ですっ」
「きっと大丈夫。そう思いましょう」
いくつかの秘密の仕掛けを解除して隠し通路に入ると、天井の隅に隠された小さな木戸を開けた。狭い穴を登ると、そこは牢獄の一室だった。
強い湿気が不快で、カビのにおいが鼻を突く。薄暗い部屋の端に、横たわる黒い影が見えた。
「シーザリオ、大丈夫?」
「あ、え? オリヴィア? なんで君がここに?」
シーザリオがいた。昼間と変わらぬ様子で、今のところ元気そうだ。
「あなたが北のラグーサに送られるって聞いて、居ても立ってもいられなかったの。さあ、逃げる準備をするわよ」
「……駄目なんだよ」
「駄目って、何が?」
「僕は、北に……ラグーサ王国に行かなくちゃいけないんだ。アドリア家とオルシーニ家の抗争でイリア半島が混乱しているとなったら、戦好きのラグーサは絶対に出兵してくる。それを抑えるためには、人質を送って停戦の約定を結んでおかなくちゃならない。そうしなければ、マライアの反乱どころの話しでは、なくなるんだ。アドリア家もオルシーニ家も、全部飲み込まれる」
「そんなことは、私も分かっているの。でもシーザリオじゃあ、ラグーサ王国に着く前に体を壊しちゃうでしょ? だから私達、入れ替わりましょう」
オリヴィアが自信満々に言い切ると、シーザリオは力なく首を振った。
「それも駄目だよ。マライアは……あの継母は、僕を捕まえたことで満足している。父さんを除けば、アドリア家唯一の男子だ。僕がイリア半島からいなくなれば、アドリア家再興の旗頭がなくなり、反乱は起きないと考えているんだ」
「つまり、シーザリオは捕まってなくちゃいけなくて、オリヴィアは逃走中でも構わない。それが、マライアの弾いた算盤ってことでしょ?」
「そういうこと。だから、君だけでも逃げてくれ、オリヴィア」
シーザリオは、全てを諦めたように俯いている。もう死を覚悟しているのかもしれない。だけど――。
「大丈夫、私に秘策があるの。だってシーザリオが遠い北の地に送られるってなったら、途中の馬車旅で死んじゃうかもしれないじゃないの」
「それはそうだけど……」
「さっきも言ったけど、私達、入れ替わりましょう。名前も含めて、全部!」
「全部?」
「そう。私は今から、アドリア家嫡男のシーザリオ・アドリア。あなたは、イリア半島に咲いた一輪の可憐な花、オリヴィア・アドリア。こういう時こそ、双子っていう強みを生かすべきなのよ」
シーザリオは、ポカンと口を開けて話を聞いている。
「私とシーザリオの違いと言えば、右頬の傷だけでしょう? つまり、こうしてしまえば……」
オリヴィアは短剣を取り出すと、切っ先を右頬に当てた。
「駄目だ!」
今までに見たことのないくらいの速さで、シーザリオが短剣を奪い取っていた。
「君が顔に傷を作る必要なんて、無いんだ!」
「でも、そうしないとシーザリオが死んじゃうわ」
「……そもそも、入れ替わるなら傷を作っちゃだめだよ。僕の傷は古傷だ。真新しい傷があったら不審に思われるだろう?」
「あ、そっか」
「まったく……」
シーザリオは、力が抜けたように座り込む。そんなに落胆しなくてもいいのに。こっちだって名案だと思ってやってるんだから。
オリヴィアがぷりぷりとしていると、シーザリオが絞り出すように言葉を紡いだ。
「……確かに名案かもしれない。マライアとその実家であるオルシーニ家に反撃するには、軍勢が必要だ。それには、アドリア家当主ヴィルジオ・アドリアか、その嫡男シーザリオ・アドリアが適任だ。少なくとも、オリヴィアよりは……ね」
「じゃあ、いいじゃない。私より頭のいいシーザリオが言うんだったら、間違いないわよ」
「でもね、そうするとオリヴィアの危険が大きいんだ。もし僕と入れ替わっていることがバレてしまったら、どうする? 入れ替わりがバレなくとも、ラグーサでひどい目に遭うかもしれない」
「そんなの、その時になって見ないと分からないわ。でも、なんでもかんでも願っていては、キリが無いわ。今、天から与えられたもので戦い抜くのが、貴族っていうものらしいわよ」
受け売りの言葉を口にしてみると、シーザリオは不思議と納得したように頷いた。
「そうだね。少なくとも、ラグーサ行きはいオリヴィアの方が適任だし、オルシーニ家打倒の軍を募るなら、僕の方が適任だ。後は、不安があろうとも踏み出す活力があればいいんだけど……それもたった今オリヴィアから貰った」
「決まりね!」
二人で頷くと、すぐに服を取り換えた。「君がスカートを履いていなくてよかったよ」と笑うシーザリオは、すっかり元気を取り戻したようだ。
「傷跡はどうしようかしら」
オリヴィアが首をひねっていると、「お任せくださいっ!」とオシノが飛び出してきた。
「こういうこともあろうかと、コチニールの染料を持ってきておりますっ」
赤い液体が入った小瓶をくるりと取り出した。
「さすがオシノね。ところでコチニールって何?」
「まあ、詳しいことはいいじゃないですかっ。ささっ、お化粧してしまいますよっ」
オシノが手早く染料を塗っていく。ほんのわずかの間に、オリヴィアの右頬には、古傷が出来上がっていた。
「僕が見ても分からないよ。どこからどう見ても、シーザリオだ」
「あなたも可愛らしいわ。どこからどう見ても眩いばかりに完璧なオリヴィア嬢よ」
精一杯おどけて見せたつもりだけれど、シーザリオの顔は浮かない。
「君だけは、命に代えても守るって決めていたんだ。絶対に幸せにするって。だから、必ずイリア半島を取り戻すから、それまで待ていてね」
途中からシーザリオは涙をこぼしている。普段はあんなに落ち着いているシーザリオが、私のために泣いているのだ。
オリヴィアの頬にも、涙が伝う。
「ありがとう。私もラグーサで頑張ってみるわ。無茶しないでね、シーザリオ」