3/20 吟遊詩人は裏切るものでしょ?
雨の降りだしたイリアの町を、二人はうつむきながら歩き続けた。
変にこそこそとしていては目立つけれど、堂々ともしていられない。身に着けているのは、派手ではないけれど刺繍の多い更紗を使った貴族風の普段着だ。見とがめられれば、すぐにばれてしまう。馬に乗るためにズボンをはいているので、動きやすいのが救いだけれど、それだけだ。
普段であったら槌音が響き薪の燃える匂いが漂うはずの職人街を抜け、こちらもやはり閑散としている錬金術師通りを走った。マライアの兵を見かけるたびに、道を替えたり物陰に隠れたりしながら、街の外を目指した。
朝はあんなに賑わっていたイリアの町なのに、今は人をほとんど見かけない。大通りでさえ、居場所のない行商人や大道芸人がまばらにいるだけだ。みんな町から逃げたか、家に閉じこもっているのだろう。
「ああっ、お嬢様、あれをご覧ください」
囁くオシノが指さす先では、マライアの兵が街の出入り口を固めている。ざっと見ても二十人は下らない武装した兵たちだ。
「お嬢様、別の道から逃げましょうっ」
「そうね。……ところでオシノ、淑女は逃げたり隠れたりしたらいけないんじゃないの?」
「それはそれ、これはこれ、でございますっ。軽口は、元気が出てきた良い証拠ですねっ」
二人は細い路地に入り、酒場や食堂がひしめく一角に入り込んだ。建物が入り組んでいた方が見つかりにくいと思ったのだが、それがまずかったらしい。
角を曲がった先にマライアの兵が見えたので引き返そうとすると、後ろにも武装した一団が見えた。細い路地なので、右にも左にも逃げ場はない。
「隠れましょう」
オシノを抱いて、酒場の脇に置かれた木樽の陰に入り込んだ。座り込むと、寒さが身に染みる。雨で髪がまとわりつくし、濡れた服は容赦なく体温を奪っていく。
息を潜めてじっとしていると、前方から来た一団がすぐそばで立ち止まり、後方から来た兵たちと世間話を始めた。
「伯爵と息子は無事に捕まえたらしいが、娘が見当たらないらしい。マライア様が、何としても探し出せって喚いている」
「それは面倒だな。伯爵の騎士たちは、ほとんど鎮圧したぜ。伯爵自身がさっさと降伏して、町中に投降を呼びかけたのが大きかったな」
「ああ、子供二人を人質にしたって嘘を言ったら、あっさり騙されて即断したらしい。臆病者のお陰で、楽が出来た」
そんな話をしながら、それぞれの方向へと歩き去っていった。
良かった。お父様とシーザリオは無事らしい。あの様子だと、あまり血が流れたようでもなさそうだ。
ほっとしたのもつかの間。
新たに、コツコツという革靴の足音が近づいて来る。立ち上がろうとしていたオリヴィアは、慌てて樽の陰に再び身を隠した。
――お願い、来ないで!
願いも空しく、足音はオリヴィアの前で止まった。
「おや、オリヴィア嬢ではないですか」
「あれ? ストラトフォードじゃない」
そこにいたのは、吟遊詩人のストラトフォードだ。朝に出会った時と変わらず、リュートを片手に持っている。彼を見て、オリヴィアは安心したのだが、オシノはオリヴィアを庇うように立ち、健気にも短剣を握りしめている。
そんなオシノを見たストラトフォードは、格好つけたように片目を閉じながら笑った。
「何となくですが、事情は察しました。美しいお嬢様方、ここは麗しき正義の吟遊詩人ストラトフォードにお任せくださいませんか?」
自分の外套をオリヴィアに羽織らせると、近くの酒場の窓を外から開け、二人を招き入れた。暗い室内はお酒臭いけれど、意外ときれいだった。蜘蛛の巣や埃なんかは見当たらない。
「酒屋の倉庫に安く寝泊まりさせてもらってるんです。こんな状況じゃあ酒の仕入れなんて無いでしょうから、ここは安全ですよ。温かい飲み物をお出しできないのが残念ではありますが」
「ありがとう、ストラトフォード」
「困っている女性を助けるのは、誉れです。このような機会を与えてくださり、むしろ感謝いたします。とはいえ、どういった状況なのか教えていただけないでしょうか。突然、町に兵が現れて人々を追い払うと、城門などを封鎖してしまったので、事態が呑み込めていないのです」
笑ったりおどけたりしながらも、優しく言い含めるような口調のストラトフォードに、オリヴィアはようやく緊張がほぐれてきた。
「あのアンポンタンの継母のマライアが反乱を起こしたらしいの。実家のオルシーニ家から兵隊を招き入れてお父様とシーザリオを捕らえ、今は私を探しているみたい。ねえ、何とか逃げ出す方法、ないかしら?」
「そうですね……。ここは仲間が必要です。助けを呼んできますので、お待ちいただけますか?」
「わかった。信じて待ってるわ」
窓からひらりと外へ出るストラトフォードを見送ると、オリヴィアは軋む木椅子に腰かけて小さくため息を吐いた。父とシーザリオは、何としても助けたい。そのためには、まずは自分が安全なところに行かなくてはいけない。
落ち着こうとしても、どうしても気が急いてしまう。
「お嬢様、お寒くないですか?」
オシノが手櫛で髪を梳かし、水気を払ってくれる。自分も雨に濡れているのに、お構いなしでオリヴィアを気遣ってくれる。その健気さに、活力が沸いてくる。
「大丈夫よ。ストラトフォードを信じて待ちましょう」
お昼ご飯を食べ損ねてお腹はぺこぺこだし、雨に濡れて体は冷えている。それでも、助けてくれる人たちの存在が、心をぽかぽかと温かくしてくれる。
しばらく待っていると、窓の外から足音が聞こえてきた。一人や二人ではない。それに金属の金属や革の擦れ合う音がする。
嫌な予感に腰を浮かしていると、外から窓が開かれた。
「やあ姫君たち。大人しくしていてくれましたか。良かった、良かった」
笑顔で窓から滑り込んできたストラトフォードは、鎧を着けた男たちを連れていた。
「ストラトフォード……この人たちは?」
「心配いりませんよ」
ストラトフォードの合図で、革鎧の男が一人前へ出て、顔の覆いを取った。
「姫様! 無事で何よりだぜ」
「あら、エイボンじゃないの」
材木商のエイボンだった。朝に会った時にはどこからどう見ても森の男だったが、今は立派な兵隊に見える。
「材木商には、衛兵上がり男が何人もいますんでね。膝に矢を受けて戦えなくなったり、剣を振るには年を取り過ぎたりした奴らです。だから、こういうものを手に入れる伝手もあるんだぜ……あるんですよ」
見れば、彼らの持つ盾にはアドリア家の紋章が描かれている。犬と猫を象った意匠は、見ているだけで安心できた。短剣を構えて吼え猛る子犬のようになっていたオシノも、胸をなでおろしている。
「織物商のアポンが匿ってくれる手はずになってる。二人とも、安心してくれていいぜ」
エイボン率いる偽装兵隊に囲まれて、オリヴィアとオシノはイリアの町を歩いた。マライアの兵たちが見えると、エイボンたちは上手く体を寄せ合ってオリヴィアたちを隠してくれた。彼らは普段から材木を扱っているだけあって、筋骨隆々だ。その体は城壁のようで、後ろに隠れていると不安が和らいだ。
マライアの兵に話しかけられた時には、ストラトフォードが上手にあしらっていた。彼は舌が八枚くらいあると思う。
「おお、オリヴィア様。貴女だけでもご無事で、本当に良かった」
たどり着いた織物商アポンの屋敷では、びっくりするほど丁重にもてなされた。
暖炉にはたくさんの薪がくべられており、広い建物なのに隅々まで温かい。女中が乾いた衣服に着替えさせてくれ、柔らかな白パンと香ばしい鶏肉に果物まで出てきた。
雨粒を一滴残らず追い出して、お腹もいっぱいになったオリヴィアは、応接室で元気いっぱいにアポンと向かい合って座った。商談にでも使うのだろう。応接室の椅子は布張りの大きなもので、机は無垢材を艶やかに仕上げてある。
「お父上はアデン島の古城に幽閉されるそうで、既にイリアの町から連れ出されているそうです」
「あんなところに?!」
アデン島は、イリア半島から小舟で半日ほどのところにある離れ小島だ。かつては栄えた街があったが何十年も前に打ち捨てられたはずだ。そんなところへ連れて行かれたら、オリヴィア一人ではとても助けられない。
「そしてシーザリオ様は、北のラグーサへ送られるそうです」
「そんな!」
狂王子の支配する地、ラグーサ。
8年前の争乱では、イリア領深くまで侵入したラグーサ兵が、オリヴィアの母を殺しシーザリオに深手を負わせた。そんな因縁の場所に、あの継母はシーザリオを送り込もうというのか。
「シーザリオは、私が助けるわ!」
オリヴィアは、敢然と立ち上がった。




