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2/20 弟は捕まるもの

 港町を整備して商業を振興し、治水と灌漑に力を入れて広大な農地を生み出し、皆から慕われる父。そんな父の唯一の欠点は、優しすぎるところだ。


 8年前に争乱で母を亡くしてから、父は独り身でいた。だが、近傍に領地を持つオルシーニ家から令嬢マライアとの結婚の打診があり、悩んだ末にではあるが父はこれを承諾した。


 父とマライアが親しくしていたわけではない。オルシーニ家が窮状を訴えつつ、婚姻を契機に援助してもらいたいと言ってきたのだ。父には何の利益も無い話だが、それでも申し出を受け入れた。

 お隣のオルシーニ家は、同じく8年前の争乱で北のラグーサから散々に攻撃されたのだ。その復興に多大な費用が掛かり、再度の侵攻に備えて軍備も拡張せねばならず、財政は火の車だったらしい。それを知っていた父は、断れなかったのだ。


 その結果が、今回の反乱だ。


「許せない。あの恩知らずめ。イリアの町からたたき出して修道院に放り込んでやるわ」

「そうです、そうですっ! 三食酢漬けキャベツの生活を送るべきですっ!」


 吼えるオリヴィアとオシノを他所に、シーザリオは静かに考え込んでいる。


「難しいかもしれない。もう城のほとんどが占拠されているし、この東塔も包囲されている。今から兵を集めている時間はない。残念だけど、イリアの町は継母の手に落ちるよ」

「そんな!」


 でも、確かに城の出入り口は軒並み継母の手勢に押さえられていた。シーザリオの周りのも、衛兵が数人いるだけだ。ここから逆転する方法が思い浮かばない。


「姉さん、来てくれてありがとう。でも、もう時間が無いと思う。すぐに引き返して君だけでも逃げるんだ。僕は大丈夫だから」


 シーザリオの言葉のとおり、階下から扉を打ち壊す音が聞こえてきた。木製の扉に鉄の槌を叩きつける、恐ろしい音だ。


「いやよ、お父様とシーザリオを置いて行くなんて! 私を臆病者と思わないで。今度は、私がみんなを……シーザリオを守るから」

「でも、僕のこの体じゃあ、階段を降りるだけで力尽きちゃうと思う。行く当てのない逃避行をするには、足手まといになる。僕は残るよ」


 シーザリオが悲しそうに微笑みながら、頬の古傷を指でなぞる。

 ああ、そうだった。


 8年前、北からラグーサ兵が攻め込んできたとき、オリヴィアは母と弟と共に、港町を訪れていた。随行する兵は少なく、突然の襲撃に対応しきれなかった。

 そのため、身を挺してオリヴィアたちを守った母は命を落とし、シーザリオも深手を負った。今は右頬の傷しか見えないが、彼の全身には無数の傷跡がある。あの時、シーザリオが庇ってくれなかったら、体中に傷を受けていたのはオリヴィアだったはずだ。


 大怪我で生死の境をさまよったシーザリオは、一命をとりとめたものの、寝込みがちになってしまった。長じた今でも、冷たい風が吹けば風邪をひき、少し馬に乗っただけで熱を出す。確かにシーザリオがここを離れるのは難しいかもしれない。でも、放ってなんておけない。


「何か手段があるはずよ。私一人で逃げるなんて、そんな臆病な真似は出来ないわ!」

「臆病なんかじゃないよ。むしろ、僕なんかよりとても大変な道だと思う。でも、ここで姉さんまで捕まれば、アドリア家の命運が断たれてしまう」


 確かにそうなのだ。アドリア家の誰かが逃げ延びていれば、再興の可能性が残される。

 オリヴィアも、シーザリオほどではないけれど、政治や歴史を少しは学んでいる。そのくらいは何となく分かる。


 それでも、今にも落ちる城に家族を置いて行くなんてできない。

 そうこうしている間に、階下から激しい物音が聞こえてきた。門扉が砕かれたのだ。衛兵たちが、剣や槌を手に階段を駆け下りていく。


「立てこもる準備も出来ていなくてね。戦えるのは10人くらいしかいないんだ。入口が破られたから、ここはもう長く持たない。けれど、精一杯時間は稼ぐよ」


 シーザリオが棚から短剣と革袋を取り出すと、有無を言わさずオリヴィアに握らせた。ずしりと重い革袋には、金貨が入っているようだ。


「お逃げ、オリヴィア」


 細い腕からは想像もできないほど強い力でオリヴィアを隠し扉へ押し込むと、シーザリオは扉を閉めた。


「まって、シーザリオ――」


 オリヴィアの呼びかけにも、もう返事はない。扉の向こうからは、閂をかける音や棚を動かす音が聞こえてくる。きっとオリヴィアの脱出口を知られないようにしているのだろう。


「オリヴィア様、行きましょう。シーザリオ様の仰るとおり、今はオリヴィア様が唯一の希望なのです」


 オシノが力強く言い切ると、オリヴィアの手を取って走り出した。来た道を戻りながら、オリヴィアは懊悩した。

 シーザリオを置き去りにしてしまった。父は無事だろうか。私だけが逃げしまって、いいのだろうか。考え出すとキリが無い。

 考えすぎたせいだ。階段を踏み外して、思いっきりお尻から転んでしまった。


「お嬢様っ! お怪我は?!」

「……痛い。でも大丈夫、お尻に青あざが出来たくらいよ。残ったシーザリオやお父様に比べたら、屁みたいなものよ。……ねえ、なんとか二人も連れ出せないかしら? 一人で逃げるなんて、辛すぎるわ」


 また淑女らしくない言葉を使って、と怒られるかと思ったが、オシノは真剣な目でオリヴィアを見つめていた。


「なんでもかんでも、アレもコレもと願っていては、キリがありませんっ。今、天から与えられたもので戦い抜くのが、貴族であり淑女である者の嗜みでございますっ。落ち込んでいる暇も、悩んでいる暇もございません。今はお辛いでしょうが、一時のこと。まずはお嬢様の安全を確保しましょう。そして、いずれシーザリオ様たちをお助けして、こんな事態を引き起こした継母様に、ビンタの一つもお送りして差し上げましょうっ!」


 オシノの真剣なまなざしと言葉に、オリヴィアは勇気と元気が沸き上がるのを感じた。


 そうだ、そうなのだ。

 今は地に足をつけて現実を見なくちゃいけない。私一人が短剣一本で戦っても、継母マライアの手勢をやっつけられるわけじゃない。私一人であっても逃げるのが、二人の為なのだ。

 きっと町の人たちも味方してくれるはずだ。民衆から強い反発が出ることを懸念して、マライアが父や弟の命を奪うことをためらうかもしれない。


 まずは目一杯の全力で逃げてやろう。そのうえで父もシーザリオも私が助ければいいのだ。継母にビンタと三食酢漬けキャベツの生活をお見舞いするためにも、くよくよ悩んでいるわけにはいかないんだ。


「ありがとう、オシノ。悩みがすべて消えたわけじゃないけれど、くよくよせずに一歩踏み出す元気が出たわ」

「お嬢様ぁ……よかったぁ!」


 えいっと立ち上がると、階段を三段飛ばしで駆け下りて、苔むした排水路を抜け、街に出た。

 空を見れば、昼過ぎなのに薄暗くなっていた。まるで夏の夕暮れのような分厚い雨雲がかかっている。

 薄暗い街には、マライアの手勢の兵が徘徊していた。剣や槍を持った兵が数人ごとに分かれ、路地を徘徊しているのだ。よく見れば、玉ねぎに巻き付く百足の絵が書かれた盾を持っている。マライアの実家であるオルシーニ家の紋章だ。


「実家から兵を招き入れているのね。……まずは何とか安全な場所へ逃げないと」

 オリヴィアは、オシノを連れて歩き出した。

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