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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅶ 未来は塵となって
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chapitre91. 特別な夜

 ――ハイバネイト・シティ中間層 第13層――

 

「ここじゃないかな」


 シェルが自分の口元を照らして、唇の動きだけでそう伝える。ペンライトの向きを変えてスロープの壁面を照らすと、四角く切れ目が入っていた。ロンガはリュックサックからELIZAと連動させた水晶端末(クリステミナ)を取り出して、現在位置を確認する。


「正しそうだ」

「よし、行こう」


 切れ目にナイフを突き立て、軽く力をかけてやると、あっさりと壁の一部が浮きあがった。もともと外せる構造になっていたのだろう。50センチ四方の穴が開き、シェルは一切の躊躇いなく向こう側に飛び降りる。下の様子をちゃんと確認したのかと疑いたくなる素早さで、どこか向こう見ずな性格は変わっていない。ロンガはペンライトで下を照らし、大凡の高さを見積もってから飛び降りた。2メートル強の高さがあったが、シェルが受け止めてくれたこともあり、ほとんど音を立てずに済んだ。


 中間層は相変わらず暗かった。


 ELIZAが復旧したので、もしかしたら明るくなっているのではと思ったが、特に変化している様子はなかった。もともと無人のフロアだったと聞くので、照明は絞られているのだろう。


 身を隠すには便利だが、周囲の様子も見づらいので、どちらかと言えば不都合だった。


 地図を覚えたロンガが先に行き、シェルが背後を警戒する。扉が薄く開いている暗い部屋の横を、不気味に思いながら通り抜けようとすると、そこから太い腕が伸びてきた。あっという間に口を塞がれ、シェルと一緒に室内に引きずり込まれる。ロンガは背後に手を回し、暗闇に拳銃を向けた。躊躇(ためら)わず撃鉄を上げる。


 俺だよ、と笑い混じりの小声で言われなければ、多分発砲していただろう。なんだ、と力が抜けて床に座り込む。扉が施錠される音がした。


「ふたりとも無事だね。良かったよ」

「……もうちょっと穏便に話しかけてくれ」

「通路で声を上げられても困るんでね」

「それは分かってるが、危うく、本気で撃つところだったぞ」


 ロンガが溜息をついた横で、シェルが小さく身じろぎする気配があった。


「カノン君?」


 やけに呆然とした口調でその名前を呼び、ああ、と小さく声をこぼす。暗闇の中でも、彼のまとう雰囲気が固く張りつめるのが分かった。


「その、ぼくは助かった、けど――」

「あんたが、無事で良かった」


 カノンは同じ表現をはっきりと繰り返した。


「シェル君が生きていて、そのうえ大切な相方(パサジェ)と再会できている。あんたにとってそれ以上のことがあるかい?」

「カノンは……もう、気付いてるんだな」


 ロンガが口を挟むと、まあね、と淡々とした答えが返ってくる。


「総権の所持者が移っている、というのは、つまり――そういうことでしょ」

「うん……ぼくを庇って、それで」

「気にしない方が良い。総代さんの代わりにあんたが生き残ったとか、そういうことでは()()()()()。それとこれとは別の問題だ」

「そうかな――ありがとう」


 シェルが鼻を啜るのと同時に、横にまた別の気配を感じた。


 ロンガ、と名前を呼ばれて、はっと息を呑む。落ち着いた優しい声の持ち主が、ここにいることが信じられなかった。衝撃で声を失ったロンガより先に、シェルが彼女の名前を呼ぶ。


「アルシュちゃん?」

「ソレイユ君……いや、シェル君。久しぶり」

「うん、直接会うのは2年ぶりだね。あのときはありがとう……えっと、どうしてここにいるの? たしか、怪我をしたんじゃ」

「そう、だから地下で治療を受けていた。ロンガと、カノン君にここまで連れてきてもらってね」


 かつてMDP(メトル・デ・ポルティ)本部で会議を取り仕切っていた頃を思い出す、明瞭ではっきりした口調。目元がじわりと温かくなるのを感じながら、アルシュ、と彼女の名前を呼んだ。暗闇のなか、手探りで彼女の手のひらを握る。


「もう大丈夫なのか?」

「おかげさまでね。迷惑をかけて本当にごめんなさい」

「違う、迷惑なんてことはないんだ。アルシュが2年間、私のためにしてくれたことに比べれば何でもない。あぁ――まあ、実際に運んでくれたのはカノンだが」


 ロンガが言うと、カノンが小さく笑い声を吐き出した。


「別に、大して重たくなかったよ」

「……なんだか、素直に感謝させてくれないんだよね。この人」


 アルシュは少し唇を尖らせたような声で言って、とにかく、と明るい調子に戻った。手のひらを引かれ、彼女の懐かしい体温がロンガを抱きしめた。頭部の手術を受けたためか、短く切りそろえられた彼女の髪が首筋に触れる。


「ありがとう。おかげで、いま生きてる」

「良かった……」


 それ以上は何も言えなかった。氷が溶けるように、胸の中で凝り固まっていたものが暖かく流れ出して、頬を伝って落ちる。


 突然に死んでしまった人がいる一方で、もう望み薄だと心のどこかで思っていた人が助かった。あまり容量の大きくない心はとっくに臨界を越えていて、嬉しいのか悲しいのかも分からず、ただ涙がこぼれ落ちた。


 少し落ち着いたところで、今後の方針をお互いに共有した。シェルとロンガが地上を目指す一方で、カノンとアルシュは地下のコアルームを目指しているようだ。せっかく再会できたと思ったのに、もう別れなければならない。しかし寂しい以上に、お互い目標を持って動いていることが何だか嬉しかった。


「――じゃあ、あんたらは」


 水晶端末(クリステミナ)で互いに連絡を取れるように設定した後で、カノンが尋ねてきた。


「まあ、シェル君が地上に行きたい理由は分かったよ。で、それからは、どうするつもり」

「そうだな……私にとっては、ソルを地下から離すことそのものが目的だ。だから、そこから先はまだ決めていないな」

「ラ・ロシェルにはもう戻れないよね。地上に残ってるMDP(メトル・デ・ポルティ)を頼ってくれても良いけど」


 アルシュが言葉を挟むが、シェルは仄暗いなかで首を振って見せた。


「ぼくは向かいたい先がある」

「そうなのか?」

「地上についたら教えるよ」

「――分かった」


 彼にしては珍しい、勿体(もったい)ぶった言い方を不思議に思いつつ、ロンガは頷いた。


 水晶端末(クリステミナ)の時刻表示を見ると、午後4時。昼食の時間を大幅に過ぎていた。アルシュとカノンも昼を食べていないと言うので、その部屋で腹を満たしてから出発することにした。外から見つからないよう、水晶端末(クリステミナ)の弱い光のみが照らす空間で、神妙な顔で携行食をかじる。何とも妙な光景だった。


 やはり食事にはほとんど手を付けないまま、シェルが「そういえば」と話を切り出す。


「ルナ、携行食が美味しくないって言うんだ」

「何でそんな非難の目を。不味いのは本当だろう」

「さぁ――ここ数年こればっかり食べてるからねぇ、慣れたね」

「ロンガの舌が肥えたんだよ。統一機関の食事だって、こんなものじゃなかった?」

「そうか? 何だか油臭くって」

「確かに……昔バレンシアにいた頃のほうが、美味しいもの食べてた気はするかも」

「あの辺は農業の地だからね。天然の食材を食べてたんでしょ」

「ねえ、聞こうと思ってたんだけど、やっぱり食糧も地下で(まかな)っていたの?」

「そうだよ。合成肉とかもある」

「ああ……何となく、食材に質の違いのようなものは感じていた」


 バレンシアにいた頃の食事を思い出してロンガが頷くと「俺も一度、天然の食材を食べてみたいもんだ」とカノンが笑った。


「次に地上で会ったら、うちの宿舎が誇るシェフを紹介する」

「楽しみにしてるよ」

「リヤンのお師匠さんってことだよね? 私も会いたいな」


 こんな場所でも笑っているアルシュとカノンを頼もしく思いながら、ロンガは横をちらりと見た。シェルが本調子でないのは承知の上にせよ、突然口数が減ったように思えたからだ。痩せた顔には一応、笑顔が浮かんでいる。しかし、口角を無理に上げたようでぎこちない。


 まあ、無理もないか、とロンガは小さく肩を竦めた。研修生時代の知り合いである2人に会えたことで、シェルは少し元気を取り戻したようにも見えた。だが、そんなことで精神的な傷が埋まるわけでもない。何日でも何年でも、彼が正しく感情を飲み込めるその時まで、隣で見守るつもりだった。


 彼はロンガの大切な相方(パサジェ)で、恩人で、幼馴染なのだから。時間だって労力だって、いくらでも割くつもりだった。


 スロープの出発地点まで護衛するとカノンが言ってくれたので、4人で通路を歩いた。時折、遠くに足音が聞こえると、そのたびにルートを修正しながら進む。ようやく出発地点に辿りついたときには、午後6時になっていた。


 倉庫のような部屋に入り、施錠してから、壁の可動パネルを取り外す。シェルが水晶端末(クリステミナ)を操作すると、低いモータの音がして荷物運搬用のベルトコンベアが動き始めた。最下層から中間層に来た時と同様に、これに乗って上を目指すのだ。


 スロープをのぞき込んだシェルが、あれ、と呟いた。


「何か、聞こえるような」

「本当だ」


 アルシュが耳の後ろに手を立てて頷く。ロンガも気がついた。スロープの上より更に遠い場所で、波のような音が聞こえている。群衆のざわめきとは少し違う、繰り返すリズムに聞き覚えがあると気がついた。


「ああ――これ、音楽だ」


 はっと思い至り、ロンガは水晶端末(クリステミナ)を起動する。日付表示を見ると、ELIZAの稼働から数えた10万と何日という数字が出てくるが、操作して表示を切り替えると地上の暦に変わった。


 12月(デサンブル)24日、聖夜。


 色とりどりなステンドグラスを透き通る、暖かく華やかな光を思い出す。今夜は、本来ならコラル・ルミエールが教堂で音楽を披露していたはずの、特別な夜だった。ラ・ロシェルが攻撃されたために、中止になったはずのコンサート。歌われなくなったはずの歌が、たしかにロンガの耳に響き渡った。


「歌ってる……」


 若くて感受性の豊かな指揮者、私たちには音楽しかないと言い切った少女、彼らの音楽を尊敬していると言った青年の顔。そして心から彼らを賞賛した女性の顔が、脳裏に浮かび上がった。彼らにとっての生命(いのち)が、太陽の届かないここでも、まだ続いているのだ。


「せっかくだし、聞いていくかい」


 思わず聞き入ってしまったロンガに気を遣ってか、カノンがそう言って、どこからか全員分の椅子を持ってきた。

 微かなピアノの調べに、よく制御されているにも関わらず、この上なく楽しそうな声が重なり合ってひとつの声になる。多種多様な声はきっと手を取り合っているのだ、と誰かが言っていた。混ざり合わず、自分を失わず、それでもひとつの大きな流れを織りなす。


 そんな未来がまだ、きっと遠くで待っていると、そう歌っているように聞こえるのは、観客であるロンガの、勝手な思い込みだろうか。


 希望のようであり。

 反抗のようでもあり。

 ただ、楽しいから歌っているようにも思える。


 短いコンサートが終わると、届かないと分かっていながらも、ロンガは上のほうに向けて拍手をした。アルシュたちと別れ、ベルトコンベアに乗り込んでから、シェルが不思議そうな顔でこちらを見た。


「ルナ、音楽好きだったっけ?」

「最近好きになったんだ」


 そう答えて、コラル・ルミエールについてシェルに紹介した。彼も以前に演奏会を聞きに行ったが、唱歌団員たちと直接会ったことはないそうだ。彼らが生活物資よりも楽譜を地下に持っていこうとした話や、砂が降り出す直前まで教堂のなかで粘っていた話を、ベルトコンベアに揺られながら語った。


 伝え方によっては笑い話になってしまうエピソードだ。だが、彼らが生命(いのち)と天秤にかけられるほど音楽を愛していること、そして、そんな彼らを理解できないながらも尊敬していることが伝わるよう、意識して話した。


「いつか一緒に演奏会に行こう」


 そう言って笑いかけてみたが、シェルは虚ろな顔で「うん」と頷くだけだった。


 *


「シェル君、大丈夫かねぇ」


 最下層へ降りていくベルトコンベアの上で、窮屈そうに足を組んだカノンが上を見上げる。アルシュは頷いて、抱えた膝の上にあごを乗せた。


「どう見ても元気がなかったよね」

「まぁ――あまり聞くのも憚られたけど、おそらく地下でかなり酷い目を見たね」

「やっぱりそうなんだろうな。私、そこまで面識があるわけじゃないんだけど、もっと笑う子だったよね?」


 アルシュが尋ねると、ううん、と曖昧に唸ってカノンは目を逸らした。


「確かにシェル君はよく笑っていたけどね、あれは誰かに見せるための笑顔だったんじゃないかな、と今になって思う」

「誰かってロンガのこと?」

「話してる相手だね。まあ、だから主にはあの子なんだが」

「ソレイユ君はロンガと違って友達多かったと思うけどなぁ……」


 苦笑混じりに呟きつつも、アルシュも少し理解できる気がした。シェルの人懐こさや、分け隔てない口調は天性のものだろう。だが、それが意識的にせよ無意識にせよ、見ている人のために笑っていた側面は、確かにあるかもしれない。シェルの隣にいたロンガが、かつてはあまり笑わない人間だったから、余計にそう思ってしまう。


「でも、それって気遣いだよね」


 アルシュが唇を尖らせると、まあそうだけどね、とカノンが眉をひそめた。


「だからこそ、貼り付けた笑顔すら消えてるのが嫌だなって話。あの子がシェル君の横にいることが、吉凶どちらに出るかねぇ。何にも代えて守りたい、大切なものがあるって、ある意味危険だと俺は思っていてね。価値基準が狂う」

「……そうだね」


 溜息を吐いて、アルシュは振動に揺られながら目を閉じた。

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