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ラピスの再生論  作者: 織野 帆里
Ⅲ いざないの手紙
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chapitre19. ティアドロップ

 翌朝、ティアは目隠しと手錠をされた状態で昇降装置に乗ってきた。


「ひとまず素性を聞き出せ。名前、出身地――それから」


 塔の上では誰も聞いていないだろうに、ムシュ・ラムは盗聴でも警戒するかのように声を潜めた。


「どの時代から来たのかもな」

「はい」


 リュンヌは素直に首肯した。それ以外の選択肢はない。ティアに聴取をするための場所として、空室の一つに机と椅子のセットが設置されていた。折りたためば昇降装置に乗せられるような簡素な造りのものだ。ゼロが用意してくれたのだろう。


 手錠が椅子のパイプ部分に固定された状態で、ティアは椅子に座らされた。今さら逃亡を警戒する必要もないと思えるのに、少年ひとりを扱うにしてはずいぶん物々しい拘束だ。


 目隠しを外され、リュンヌの姿を見たティアは、思い違いでなければ少し安堵した表情を見せたようだった。


 今のところ、自分は新都で唯一、ティアの言葉を理解できた人間のはずだ。誰よりも孤独な彼にとって、せめて安心できる存在でありたいと思った。


 ムシュ・ラムが腕を組んで、ティアを見下ろした。


「詳細にまとめて報告しろ。この少年の言葉が他の者に通じないからといって虚偽が許されないことは言うまでもない、な?」

「ええ。勿論、心得ています」


 ソレイユが冷たく答える。

 相変わらず感情を隠し切れていない口調だが、「貴方とは違って」と語尾に着けなかっただけでも良い方だろう。


 このような小競り合いで少しでもソレイユの気が紛れるのなら悪くないのだが、どちらかというと彼は恨み言を言ったあと自己嫌悪に陥る傾向があるので、リュンヌとしてはなるべく穏やかにやり取りをしてほしい所存だった。


 ムシュ・ラムが手帳のページを捲り「それから」と付け足した。


「大方コミュニケーションが取れるようになったら言語を教えろ」

「ティアに、私たちの言語を、ということですか?」

「そうだ」


 ムシュ・ラムは、怯えた表情をしているティアに顔を向けた。モノクル越しに向けられる厳しい視線に、ティアが竦み上がる。


「特例として、ソヴァージュと同様の措置が取られる予定だ。ラピスで働くのに困らない程度の会話技能を身に付けさせろ」


 つまり、ティアをラピスの市民として迎え入れ、適切な役割を割り振ると言っているのだ。

 現状のように拘束されるよりはずっと良い処遇だが、それは別のことを意味する。


「というのは、ティアを元の時代に返すつもりはないのですか?」


 時間転送装置があるのだから、彼の生まれた時代さえ分かれば帰らせることができるだろう。これも、そのための事情聴取だと思っていたのだが。


「だめだ。許可が下りない」


 ムシュ・ラムは首を振った。


「君たちが想像する以上に我々は、この装置の扱いに手を焼いている。この装置を管理することが今、君たちの仕事であるわけだが」


 表向きの仕事、とリュンヌは心の中で言葉を付け足した。


「――それだけのために、五人しかいない幹部候補生のうち二人も割くのがまかり通っていることから分かるだろう。厄介なんだ、こいつは」


 そう言ってムシュ・ラムは、時間転送装置を振り返った。虹晶石でできた二枚の円盤からなるシンプルな装置は、もの言わず静かに佇んでいる。葬送が終わってから一週間、例の白い光球――幻像(ファントム)を伴う暴走は起きていない。


 厄介というのはその暴走のことだろうか。


 リュンヌが尋ねると、違う、とムシュ・ラムは首を振った。


「例えばの話だ。君がこの装置で一年前に戻り、君の寝室に行く。するとどうなると思うね?」

「はぁ。一年前の自分と出会うのでしょうか」

「だったらまだ良いのだが、同じ時間に同一の物体が複数存在するときどうなるかは未確認だ。無生物ならば問題ないことが確認されているのだが、人間だと分からない」

「――無生物には発生しないアクシデントが人間には発生するとお考えですか? それは何故……」

「虹晶石の不思議な力は、人の感情に源泉を持つのではないかと主張する一派がある」


 ムシュ・ラムは眉をひそめた。


「ずいぶんと夢見がちで人間主体な考えで、私はそこまで信じていないが。しかし一定の論拠があるのも事実なのでな。また、比較的初期から指摘されている問題としてタイム・パラドックスの存在もある。君も本を読むなら知っているだろう」


 リュンヌは頷く。


 時間の自由な移動は、以前から多くの人間にフィクションとして好まれていた。タイム・パラドックスは時間移動について回る問題である。時間を遡行するとは即ち、因果に逆行することであり、過去での行動は現在を決定的に変えてしまう可能性がある。例えば過去に戻り、幼少期の自分を殺したならば、今殺人を犯した自分はいったいどこからやってきたのだ、というパラドックスが時間移動においては必ずと言っていいほど問題にされた。

 ファンタジー小説の中でよく出てきた単語が、ムシュ・ラムの硬い口調で語られるのは何とも変な心地がした。


「ええ。勿論知っていますが、ということは――」

「人体を時間転送装置に入れる許可は到底下りないだろう、という結論だ」


 話はそこに帰着した。ティアを本当は帰るべき場所に返してやりたいと、心のどこかで考えていたのだろう、落胆は思ったよりも深かった。分かりました、と答える自分の声はずいぶん平坦なものに聞こえた。


 顔を背けたムシュ・ラムが、「ああ、そう言えば」と独り言のように呟いた。


「まあ、人が装置に入った場合の実験としてならばその限りではないが。人体実験をするべきだと主張する過激な者もいてな。――君はそれを望むか?」


 その言葉には、リュンヌも流石に顔が熱くなるのを感じた。


 「冗談でしょう」とリュンヌが言い返すと、話は終わりだとばかりに彼は顔を背け、部屋を出て行った。扉がバタンと閉じられ、部屋には三人が残される。ソレイユとリュンヌは、お互いの顔と今にも泣きそうなティアの顔を交互に見た。


 さて、どうしたものか、とリュンヌは悩む。


 昨日一日をかけて、二人はティアが使っていたと思わしき言葉の勉強をした。

 とはいえ付け焼き刃であり、果たして上手く行くだろうか。


 リュンヌが内心頭を抱えている横で、ソレイユがびっしり書き付けられたノートを見ながら口を開いた。


「ええと……『こんにちは』」


 ティアとリュンヌは同時に顔を上げた。

 勝手に始めるな、と文句を言おうとしたが、ティアの顔を見てリュンヌは口をつぐんだ。先程まで、不安に歪んでいたティアの顔が少しずつ明るくなるのに気づいたからだ。


『名前、ソレイユ。君、えっと? 話す、仕事』


 後半はほとんど名詞の羅列に聞こえたのだが、ひとつ言葉を発する度にティアは驚きと喜びがないまぜの表情を浮かべた。

 瞳は見る間に涙で覆われた。

 先程まで警戒で張りつめていた表情がほどけ、あどけない少年の顔になる。ティアは躊躇うように口を開いた。


『分かるの? 僕の言葉が』

『君と話すために、勉強した』


 リュンヌが覚えたての文法でどうにか伝えると、見開いていたまぶたが歪み、目の端から涙が何粒もこぼれ落ちた。


 (ティア)


 少年の名前の元になったと思われるそれを、必死に手の甲で拭ってティアは泣き笑いの表情を見せた。しばらくして泣き止んだティアは、ぴんと背筋を伸ばして二人の顔を交互に見る。晴れやかな笑みを浮かべて、はにかむように口を開いた。


『僕はティアです。また人と話ができるなんて、思ってもなかった。本当にありがとう』


 幼い見た目によらず、理性的で制御された発音と話し方だ。しかも、二人が彼の言語に不慣れであることをすぐさま理解して、丁寧な発音と簡便な語彙を選んで話しているようだ。彼も研修生のように高等教育を受けた立場なのだろうか。


 どこから話すべきか悩んだが、ともかくリュンヌは名乗った。


『私はリュンヌ。ティア、君と話し、この街で暮らす手伝いをするのを任された』


「ええと……手伝う、か。今の」


 小声で呟いたソレイユが、ゼロに調達してもらったノートに新しく単語を書き留めている。文字でびっしりと埋まったノートに書かれているのは、単語の対応関係だ。


『ティア、君は自分の……ええと、境遇をどう理解してる? 説明してくれるか』

『はい』


 ティアは頷いた。落ち着いた発音で話し始める。


『――あの朝。暦の上で秋が始まる日でした』


 リュンヌはメモを取りながら、おや、と思った。リュンヌたちが認識している「現在」の、ティアが来た日とちょうど同じだ。果たして偶然だろうか。


『何があったのかは分かりません。ただ、機関に、街の人々が雪崩れ込んできたんです。彼らは何か叫んでいました。災いとか、神の仕業とか……』

『ティアは普段、統一機関にいるのか?』


 彼の話を遮る形になったが、気になったのでリュンヌは尋ねた。ティアははい、と頷く。


『僕は研修生なので。あ、すみません。研修生とか機関って、通じていますか?』

『うん。私たちも同じシステムのなかで生きている』


 リュンヌの返事に、え、とティアが驚いた顔をした。


『どういうことですか? ここは――どこなんですか?』

『それを話す前に、まずティアの話を聞かせて欲しい。遮ってしまって悪かった』


 ティアは戸惑うような顔になったが、ぐっと堪えて『はい』と頷いた。

 大人びた子だね、とソレイユが呟く。


『――雪崩れ込んできた彼らを、軍部は武力で制圧する決断を下しました』


 絞り出すようにティアは言った。当時の状況を思い出したのか、寒くもないのに腕で身体を抱える。


 リュンヌとソレイユはちらりと目を見合わせた。市民に武力を向けること、否、武力で物事を解決しようとすること自体がラピスにおいては禁忌だ。それでも身体を拘束すれば相手を無力化できることから、軍部は最後の切り札として存在している。


 市民が雪崩れ込んできたと言ったが、果たして武力行使を肯定するほどの緊急性があったのか。

 ティアが来た時代においては、現代と価値観が違うのだろうか。


 リュンヌは首を傾げたが、『それで?』とティアに続きを促した。


『僕たちは――武器を持たされました。最新鋭の圧縮型ハンドガン。人に対して打つよりは建造物を破壊するのが目的で、最小の動作で最大の破壊効果を出せる、と言われる銃です。僕たちは命令に従い、階段から市民たちが昇ってこられないように階段を破壊していました。そうしたら――』


 ティアは黄金色の瞳をぎゅっと細めた。眉間に皺が寄る。


『何か光ったような気がして、気がついたら、周囲の景色が一変していたんです』


 そこからがどうやら、リュンヌたちも知っている話のようだ。銃を構えて突然現れた、という幹部の証言と一致する。


『それで……』


 ティアは手錠に繋がれた手のひらをじっと見る。瞳がぐらぐらと揺れた。それで、とうわごとのように何度も繰り返す。ティアの尋常ではない様子を見て、ソレイユが立ち上がった。ティアの隣に座り、彼の震える手に自分の手を重ねる。


「分かった、ティア君。もう言わなくていいよ」


 言葉は通じないが、優しいニュアンスは通じただろうか。少年は震えながら背中を丸めた。呆然とした表情で膝に涙を落とす。


 その後の展開はリュンヌたちが知っている通りだろう。混乱したティアは、カフェテリアにいた人々に持っていた銃を乱射してしまった。リュンヌが対話によって時間を稼ぎ、ソレイユが彼を力尽くで止めることによってどうにか事態は収束したが、結果として多数の怪我人と一人の死者を出した。


 その罪悪感がティアを苛んでいることは想像に難くない。


 もちろん彼がしたことは紛れもなく批判されるべきことであり、失われた命は何者にも変えられない。だが、この幼気な少年を罪人として非難することが、リュンヌにはどうしても躊躇われるのだった。ソレイユに手を握られて少し落ち着きを取り戻したティアは、蒼白になった面を上げた。


『お二人は、あのとき僕を止めてくれた人ですよね。あのとき止めてもらえなければ、きっと、もっと――』

『一旦、気にするのを止めよう。ティア』

『いいえ。僕の、生涯背負うべき罪なんです』


 思いのほか淡々と、ティアは答えた。リュンヌは、ティアのまとう空気が少し変わったのに気がついた。瞳に凜とした決意が満ちている。


『だから、何でも協力します。話してほしいと言われれば何なりと話しますし、あなた方のために働かせて下さい』

『いや、そうか。それは……』


 リュンヌはソレイユと目を見合わせた。ティアに協力の意思があるのは何よりありがたいが、その献身はおそらく統一機関に利用される。ムシュ・ラムが言っていた、ティアを時間転送装置の実験に使うという話が、本当に冗談であってくれると良いのだが。


 ティアは話をしてくれたので、今度はリュンヌたちが事情を話す番だった。いったいどう説明をするのが良いか、話の切り出し方に悩む。


「どこから話すべきか……」

「こういう時は核心からかな」

「核心?」

「混乱する前に、一番大切なことを言うべきじゃない?」


 そう言うとソレイユが身を乗り出して、『ティア君』と呼びかけた。


『落ち着いて聞いてね。ぼくたちは、君が未来から来たと思ってる』


 前置きの一切ない、容赦なく単刀直入な説明だが、ティアは冷静に頷いた。


『そうかな、と思っていました』


 ソレイユが訝しげな顔で、「え、分かってたの?」と呟く。銃の話などを聞いていると、どうも新都の技術レベル自体が違うようなので、未来では時間操作の技術がより一般的になっているのかもしれない。困惑しているソレイユから会話の主導権を譲り受け、リュンヌはティアに向き直った。


『じゃあ、その上で教えてくれ。――君がきたのはいつだ?』

『創都より数えて、三百と四十二年の秋です』


 リュンヌはその言葉を聞いて、今度こそ何を言えばいいのか分からなくなった。会話を書き付けていたペン先が滲み、紙面上に大きなインクの溜まりを残す。リュンヌはノートを机の上に置き、落ち着いて考えようとした。


 横からソレイユが話しかけてくる。


「ねえ、今なんて?」

「――いつから来たのか、と聞いた。ティアは創都三四二年と答えた」


 リュンヌの要約を聞いた彼は、えっ、と目を見開く。眉をひそめ、「何かの冗談?」と難しい顔をした。


 創都三四二年、秋。

 それはまさに「現在」のことだった。

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