89話 邪なる異物
――フィールド内の別の場所で激しい戦いが始まった少し後。遮蔽物の無いとある廊下にて、アクトは聖剣を地面に突き刺して静かに佇んでいた。その瞳は閉じられ、とても戦闘中とは思えないほど隙だらけに見える。
チームメイトが戦いを繰り広げている一方で、何をするでもなくただ突っ立っているだけのアクトの様子を、霊脈に仕掛けられた映像魔法で見ていた観客達は、何をしているのだろうと一様に首を傾げていた。
「いい加減、隠れてないで出て来いよ」
すると、おもむろに目を開けたアクトは、どこともなく誰かを呼びかける。当然、本人以外には誰も居ない廊下に沈黙が流れ……その時。アクトの背後に位置している部屋の扉が、がらんと音を立てて開かれた。
「いやー、隠形にはかなり自信があったつもりなんですけどね」
軽薄そうな声と共に現れたのは、赤茶色の髪にひょろりとした長身痩躯の少年――アクトが迎撃を任せれた「賢しき智慧梟の魔道士」の二コラ=ウォレスであった。
別地点での会敵に観客達の注目が集まるが、丁度そのタイミングで定期的な映像の切り替わりが起こってしまう。二人の姿を見失った彼らは無念の声を上げた。
「あっさりバレてしまいましたか。流石ですね、アクト先輩」
「……」
苦笑を浮かながら頬を掻く二コラに、振り返ったアクトは無言で鋭い視線を向ける。彼の一挙手一投足から、霊的な視覚で目には見えない魔力の流れまでじっくり観察して、
「……やっぱりな」
合点がいったように呟いた。その直後、先程までは水面のように静かだったアクトから、抜き身の刃のような鋭い気迫が徐々に高まっていく。地面に突き刺した聖剣を握る手に力が籠る。
「ですが、僕は不意打ちだけが取り柄の魔道士ではありません。全力でお相手させて――」
「お前は誰だ?」
二コラの言葉を遮るように投げかけられたその問いは、質問としては些か意味不明なものだった。アクトが、己が倒すべき敵の顔と名前を絶対に忘れる事は無いという点においての意味不明。
面識は少ないとはいえ、アクトが二コラの事を覚えていない筈が無い……眼前の少年が、本当に自分の敵であるならば。
「嫌だなー、前に会ったじゃないですか。先輩は僕の顔をもう忘れてしまったのですか? 不在の生徒会長の代わりに新しく加入した二コラ=ウォレスで――」
「もう一度聞く。お前は、誰だ?」
まるで、この場に居ない別の誰かと話しているようなアクトの同じ問いに、薄っぺらい笑みを張り付ける二コラの相貌から一瞬、全ての感情が消え失せた。
「……ふ、ふふふ」
無表情すら生温い不気味さすら感じさせる虚無を垣間見せた二コラは――否。二コラの形をした「何か」は途端、含むように笑いだし、口元を醜悪な形に歪めた。
「なんだ、そっちもバレているのか」
二コラの姿が制服ごと色と形を失い、真っ黒に染まっていく。身体の輪郭まで全てが黒に染まり、影そのもののような存在へと変質したところへ、足元で独りでに蠢きだした影が、床から染み出して‟二コラだったモノ”に混じっていく。
……やがて、その影は一匹の‟化け物”の姿を再構成した。誰もが絶世の美青年と賞賛するであろう美貌。病的なまでの白い肌。燃え尽きたような灰色の髪。身に纏う闇色のコート。異常発達した紫紺の爪。鮮血が如き真紅の瞳。
何より、隠しても隠し切れないこの邪悪で強大な気配を、一度対峙し剣を交えた事さえあるアクトが忘れる筈もなかった。
「やあ。僕の方から会いに来させてもらったよ」
フェリド=ル=ノスフェラトゥス――先日、アクトとローレンが遭遇した謎の吸血鬼は、己が獲物と定めた少年を見据えて妖しく嗤った。
「~~~~~ッ!!」
その姿を認識した瞬間、アクトの相貌に緊張が走る。理を外れし人外の存在に、極限の警戒心と敵対心が燃え滾った。
「何故、僕が偽物だと分かったんだい? 全盛期と比べたら拙い精度だという自覚はあるけど、僕の変身術はそう簡単に見破れるような代物では無いと思っていたんだけどな」
「……だからこそだ。姿形は本人そっくりなのに、中身や魔力の質はまったく別のそれだ。もう少し人のフリをするのが上手くなってるから俺の前に現れるべきだったな」
「なるほど。今の僕では下手に外見だけ模倣したところで、勘の良い者には気取られる、か。参考になったよ」
それでも氷の冷静さを保つアクトは、自分の術が破られたというのにどこか楽しげなフェリドに話を合わせつつ、ある疑問を確認するべく時間を稼いだ。
(エクス、こいつだ。前に俺が言っていた例の吸血鬼は。どうだ……やっぱり本物なのか?)
『……はい。間違いありません、マスター。この者は吸血鬼、遥か太古に夜の支配者として君臨した「真祖」のうちの一体です』
アクトの精神に直接語り掛けてくるエクスの声音は真剣そのもの。主と同じく、眼前の存在に最大限の警戒をしている証拠だ。
大事な試合を控えた段階で要らぬ心配をさせないためにも、アクトは先日の一件をコロナとリネアには伝えていなかった。ただし、唯一エクスにだけは話していた(エクスは彼の契約精霊なので隠し通す方が難しいのだが)。
吸血鬼など、神話の世界で語られる旧き存在。あの時は半信半疑ではあったが……こうして長き悠久の時を生きるエクスが断言するからには、やはり奴は本物の吸血鬼なのだろうと、アクトはそう結論付けた。
「今度はこっちから質問だ。とりあえず、二コラ本人はどうした? まさか……」
「誤解しないでくれ。僕に無益な殺生をする趣味は無い。彼なら、変身術の為に血をもらった後、催眠術で眠らせて街の片隅に転がしている。探せば見つかるだろうし、命に関わるような事はしてないよ」
真っ先に確認しなければならない事だが、アクトは直ぐにこれが愚問である事を悟った。信じる信じないはこの際、関係無いのだ。どうせ、この場においては確認する手段が無いのだから。
「……次だ。何故、わざわざ俺の前にもう一度姿を現した?」
吸血鬼は警戒心が強いと同時に自身過剰な性格をしており、大抵が人間を無駄に多い家畜と見下している。それが上位種となれば尚更で、アクトに腕一本持っていかれたのはとびっきりの屈辱なのかもしれない。
だが、先日の一件から、フェリドは通常の吸血鬼とは違う感性を持っているのではとアクトには思えた。口調や態度がどこか軽薄で、人を食ったような雰囲気。傷を付けられた相手を特別敵対視するような性格では無いと踏んだのだが……
「前に言った通りだよ。僕は無益な殺生は好まない主義だけど、一度獲物と定めた相手は絶対に逃がさないと決めているんだ。君の血は非常に美味だったからね。だからあの程度の量では物足りなくなったのさ」
フェリドは腕を突き出し、毒々しい紫紺の爪をアクトの見せつける。それは、前の戦いですれ違いざまに彼の脇腹を裂いた爪だ。
「吸血鬼は特殊な方法で獲物を追い立てるんだ。あの時刻んだ爪の傷が、君の命の色に印を付けた。印はある程度の距離が離れていても獲物の居場所を教えてくれるから、それが僕をここまで導いたのさ」
「俺の血を吸う為だけに、わざわざ二コラに成り代わってこんな所まで追いかけて来やがったのか。はっ、随分と執念深い野郎だぜ」
他の吸血鬼と比べて変わっているのは事実らしい。だが、やはり吸血鬼は吸血鬼。人間とは決して相容る事の無い敵だ。アクトは床に突き刺した聖剣を抜き、正中線に構えた。
「さて、早速戦り合おう、といきたいところだけど、ふむ……どうやら、邪魔な物があるようだ」
そう言って、フェリドはパチンと指を鳴らす。すると、ばちゅん!と音を立てて、その場の霊脈に作用していた魔力の力場があっけなく雲散霧消した。
「僕達の様子を外に届ける術式が働いていたようだからね。邪魔が入らないよう破壊させてもらったよ」
「この辺の映像を消したところで無駄な事だろ。俺達が殺す気で戦り合えば、否が応でも他の連中や外の観客にも知れ渡る。そうなれば、テメェの存在は一発で露見だ」
このフェリドという吸血鬼は、あまりにも人目に留まる事に対しての危機意識が薄い。人間を遥かの超越した能力を兼ね備えているのだから、殆どの人間は取るに足らない存在なのは理解出来る。
だが、ここは違う。この帝国で最も賢き魔道士達が何人も勤め、帝国最強戦力「七魔星将」が一翼のエレオノーラ=フィフス=セレンシアが全てを牛耳る世界最高峰の魔法学府。自分との再戦を果たすために侵入するには、リスクが高過ぎるというものだ。
そんなアクトの胸中を全て見透かした上なのか、フェリドは実に楽しげな笑みを浮かべて彼に言葉を返す。
「人目、か。確かに、ここには僕ですら‟拙い”と思わせる強大な魔力の持ち主の気配が幾つかあるようだ。彼らと事を構えれば、ただでは済まないだろうね……けど、君は一つ大きな勘違いをしている」
「何……?」
「これから始まる戦いにおいて、僕達はこの場から一歩たりとも動きはしない。いや、僕達が戦う場所は――‟こちら側”だ」
『――ッ!? マスター、危険です!!』
心の中でいきなりエクスが叫んだその刹那、アクト達が対峙する廊下一帯に、突如として膨大で濃密な魔力の流れが胎動した。魔力の線が無数に迸り、幾重にも絡み合い、激しく弾ける。
「【■■■の鍵よ開け・■■に潜みし我が■■■■】――【来たれ】」
フェリドが何事かを唱えると、異変は直ぐに起こった。ぐにゃり、ぐにゃりと、周囲の風景が捻じられるように歪んでいく。そして、三百六十度全ての風景が時計回りに回転し始める。
アクトとフェリドが立つ場所はそのままに、周りの世界だけが猛回転していく。
「な、何だこれは!?」
「流石の君も、知らない物に対してまでは警戒心が回らなかったようだね!」
驚愕に目を剥くアクト。その反応を見て楽しむフェリド。そうしているうちにも異変は止まらず、回転速度は徐々に、徐々に……際限なく加速し、人の目には認識不可能の速度となっていく。
そして……その歪みが回転の中で、新たなる風景を徐々に構成していく。速度がとある臨界点を過ぎると、世界の回転は目で追えるくらいに徐々に緩やかになっていき……回転が完全に止まると、
「――は?」
アクトの前には、見たことも無い風景が広がっていた。
そこは……どこかの建物の中らしい。しかし、フィールド内のどこでも無い場所である。内装を漆黒と赤黒の二色で統一され、遥か頭上から吊るされた豪華なシャンデリアが申し訳程度の淡い光を発している。
間取りは、横に短く縦に長い。特別なインテリアは一つもなく、不気味ながらも荘厳で重厚さを感じさせる礼拝堂のような造りとなっており、血のように赤い絨毯が真っ直ぐに伸びる一番奥には、立派な玉座が置かれていた。
そして、何より特筆するべきは、広大な空間全体を支配する暗闇だ。時刻的にはまだ昼過ぎにも関わらず、壁際の巨大な窓ガラスからは深淵が如き闇が覗いている。それがこちら側にまで染み出し、この空間そのものにも夜の帳が降りているかのようだ。
辛うじて互いの挙動が認識出来る程度の明るさは何とか保たれている……だがそれでも、得体の知れない奇妙な空気と暗闇が、気付かずのうちにアクトの原始的な本能を蝕んでいくようだった。
『これは、「空想結界」……内界たる術者の心象風景を具現化することで外界の現実を侵食し、世界そのものを改変する限りなく「始源」に近き大禁呪……なんて術を……!』
「空想結界、だと……?」
そんな系統魔法の名を、アクトは聞いた事がなかった。しかし、上位精霊のエクスには覚えがあるらしく、いつもの無感情な声音には珍しく驚愕の色が混じっている。
「その反応を見るに、君の契約精霊は知っているようだね。空想結界《黒影・鮮血夜城》。僕の領域に君を招待させてもらった。真祖たる僕にかかれば、この程度は造作も無いさ」
「よく分からないが……要するに、ここは一種の異空間で、俺はテメェが仕掛けた罠にまんまと嵌ったって事か」
「その通り。理解が早くて助かるよ」
フェリドはとん、とつま先で床を蹴る。すると、足元の影が蠢いて立体的に伸び、フェリドの手元に闇で形成された黒剣が創出された。前の物よりも数段出力が上らしく、時折、その純黒の刀身から闇の紫電が弾けた。
「全てを僕が支配するこの世界でなら、誰の邪魔も入らない。思う存分力をぶつけ合おうじゃないか。‟騎士王”君」
片腕で悠然と黒剣を構えながら、謎の吸血鬼はまたしてもアクトをその名を呼ぶ。直後、彼の手に構えられた聖剣がぴくりと、微かに震えたような気がした。
「……前にも聞いたが、テメェが言う‟騎士王”ってのは、一体何なんだ?」
フェリド自体も謎に包まれた異常な存在ではあるが、アクトには以前告げられたその言葉が、頭の中心でずっと引っかかっていた。騎士王なんて大層な名前をアクトは名乗った事は無い。普通に考えれば人違いだろう。
……それでも、とても他人事とは思えないような感じがするのも事実。この再会という名の殺し合いにおいて、アクトとしてはその意味を是が非でも聞いておきたかった。
「答えろ」
「うーん、言っても良いんだけど、僕と君が出会ったのが完全な偶然だからね。‟彼”に恨みは無い訳じゃないけど、それを僕の口から直接話すのは違うような気がするなぁ……でも、一方的に君をこちら側に引き込んだのもフェアじゃないか……」
口元に手を当てて、フェリドはぶつぶつと呟く。そして、何かしらの案を思いついたのか……邪気に満ちた凄絶な微笑を浮かべ、
「じゃあ、僕に勝てたら特別に教えてあげよう――勝てたらの話だけどね」
――刹那、その総身から圧倒的な闇の霊気が立ち上った。同時に、以前とは比べ物にならない程の押し潰されるような魔力の奔流が重圧となって空間を支配する。
(前の時よりも明らかに強烈な気配……ッ!! 前にこいつは、封印とやらで力を失ったと言っていた。あれから何人もの人間から血を奪って力を蓄えやがったな!!)
下級の吸血鬼でさえ、自然の理を超えし常軌を逸した能力を有している。それが上位種たる貴族、更に「真祖」などと呼ばれる規格外の存在ともなれば、その能力は計り知れない。
傭兵時代、アクトは吸血鬼と一度交戦した経験があるが、それは一体を大勢で囲んで再生させる間もなく撃滅するというものだった。歴戦の戦士だろうが、超一流の魔道士だろうが、吸血鬼と単騎で戦り合うなど自殺行為。それ程までに吸血鬼の力は絶大なのだ。
「さぁ、前と違ってお互い万全の状態。守らなければならない足手まといも居ない。心置きなくあの時の続きを始めようじゃないか」
「チッ……こうなったらやるしかないか。エクス、出し惜しみは無しだ。全力で魔力を回してくれッ!!」
誰にも気付かれる事の無い異空間で、人と吸血鬼、文字通り命を懸けた「死闘」の火蓋が切って落とされた。




