72話 憧憬の夢
――私、ローレン=A=フェルグラントが初めてコロナ=イグニスと出会ったのは、もう十年以上も前の事になる。確かあれは、帝都で開催された社交界での顔合わせの時だったか。彼女は数週間、私の屋敷で過ごしたこともあって、私達が打ち解けるにさして時間はかからなかった。
イグニスとフェルグラント……帝国古参の大貴族として帝国を長く支え続けてきた家の次女同士、私達は通ずるモノがあった。そして、その頃から既に魔法の英才教育が始まりつつあった私達は、友達であると同時にライバルのような関係だった。
それからは、月に何度か手紙のやり取りをしながら、私達はお互いの近況を報告し合っていた。私にも追い付きたい存在が居たように、彼女も偉大なる父親に追い付きたくて、必死の努力を続けている事が文面からも伝わってきた。
私もそれに負けじとかなりの無茶をした事もあり、両親や指南役の教師にキツイお叱りを受けたこともあった。ただ、今思い返しても、あの頃は本当に充実した時間だったと思う。
……だからこそ、イグニス家が一夜にして滅んだという話を聞いた時は、それこそ頭を激しく殴られたような衝撃だった。家の人間や、他の貴族達の慌てぶりを見てもそれは間違いなく、長年帝国を支え続けてきた大貴族の一柱があっけなく消え去ったという事実は、貴族を始めとする上流階級の世界を震撼させたものだ。
それは私とて例外ではなく、コロナの行方が分からなくなった事に酷く悲しんだのを覚えている。それでも……月日は人を待ってはくれない。親友にしてライバルが消えたという喪失感に落ち込みながらも、私は私の使命のために、ひたすら研鑽に励んだ。
同じ公爵家でも、イグニス家のような真理を探究する研究型魔道士の家系とは対照的に、フェルグラント家は数多くの優秀な魔道士や魔導兵を輩出してきた帝国魔導武門の棟梁だ。いずれは私も父や姉のように軍関係者……魔導士官としての道を歩んでいくのだろう。
四歳上の姉は、幼少期の頃から魔道士としても将としても頭角を現しており、誰の目から見ても正真正銘の天才だった。フェルグラントが誇る数々の秘術・眷属魔法も恐るべき速度でものにしていき、数々の実戦任務にも参加して武功を上げてきた才媛だ。
そんな姉に少しでも追いつきたくて、厳しい指導の元、私は必死に努力した。その甲斐あってか、十二歳で入学した帝国軍士官候補養成学校の特別課程において、私は同年代の士官候補生の中ではあらゆる分野で常に群を抜いていた。
俗に言うエリート街道を順調に歩んでいた私――だが、順風満々な人生に陰りが差したのは、十五歳になった頃だ。特別課程の最終学年をトップの成績で修了し、いよいよ一般課程へ移るという年……フェルグラント家に起きた「とある出来事」によって、私はガラード帝国魔法学院へ通うことになったのだ。
それでも、だ。道を大きく踏み外したとはいえ、士官としての道が途絶えた訳では無い。家の言いつけ通り、世界最高の魔法学府と名高いガラード帝国魔法学院に高等部から入学し――私はコロナと再会した。分かたれたと思っていた私達の道は、偶然にも再び交わった。
ずっと行方不明だった彼女が私の前に現れた時は、本当に嬉しかった。どうやら、軍に保護された後、父親の友人の家に転がり込んでいたらしい。向こうも私の事は記憶に残っていたようで、私達が打ち解けるのに、さして時間はかからなかった。
あの空白の期間中に何があったのか……コロナが振るう魔導の技は、上級生どころか私が通っていた士官学校の生徒をも……そして私ですらも遥かに凌ぐ程に鮮烈だった。私も私で弛まぬ努力を続けてきたという自負はある。だが彼女は、それを超えて血反吐を吐くような努力を続けてきたのだろう。
彼女の両親が経営する領地で亡くなったという報告は聞いていた。それでも尚、コロナは折れることなく己を高め続け、より強くなって表舞台に帰って来たのだ。そんな強く芯のある生き方を目の当たりにして、いつしか私は彼女に憧れを抱くようになっていた。
だからこそ、話には聞いていた「若き魔道士の祭典」参加権を得るための「校内選抜戦」出場をコロナに持ちかけられた時は、内心、大喜びして落ち着かなかったものだ。憧れの少女と共に頂点を目指す機会を得たのだから。当然、私はその誘いに二つ返事で了承した。
……そして、私は気付いてしまった。自分がライバルだと思っていた少女は、紛うことなき天才だった。私のような‟ちょっと出来の良い凡人”とは格が違う。彼女は姉と同類の、どれだけ手を伸ばしても届くことのない‟本物の天才”だ。
それは、実戦に近い対戦方式だからこそ、嫌という程に思い知らされた。私も必死に喰らい付いてはいたが、チームの人数差による不利を悉く覆してきたのは、いつだってコロナだった。士官学校でトップだったからと知らずのうちに天狗になっていたのだろう。私は、彼女に遠く及ばなかった。
とはいえ、頭数の不利に絶対的な限度というものがあった。「校内選抜戦」の準々決勝にて、運悪く当たってしまった学院最強チームに敗北すると、私は直ぐにチームを抜け、コロナからも自然と距離を置くようになった。彼女の才能を恐れ、逃げてしまったのだ。
……結局は私も、何だかんだと理由を付けて、あの輝かしい才能を陰で妬む愚かな他の生徒と何ら変わらなかった。彼女の気持ちなんて考えず、嫉妬したからといって遠ざけるような今の自分を昔の自分が見ていたら、きっと失望されるだろう。
今の私は、誇り高き帝国魔導武門の棟梁たるフェルグラント家の次女でも、コロナ=イグニスのライバルでも無い――ただの、空虚で臆病な卑怯者だ。
◆◇◆◇◆◇
「――……はっ!」
がばっ!! 草木も眠る丑三つ時、まだまだ夜の帳は深い暗闇が満ちし時間にて――少女は突如、ベッドから跳ね起きた。肩で荒い息を吐くその額には、玉のような大粒の汗が浮かんでおり、寝間着に滲んでいる。
「はっ、はっ、はっ……嫌な事、思い出しちゃったわね」
ボサボサに乱れた瑠璃色の長髪を垂らし、少女は苦悩と悔恨に満ちた顔を手で抑える。少女の脳裏には、とある一人の少女にまつわる様々な記憶が、言い表せない複雑な感情と共に過ぎっていた。
あれから約一年……割り切ったつもりでいた。けれども、その意に反して自分が犯した過ちは、いつまでも自分を苛み続けている。ここ最近は特に酷く、それは一重に、自分が憧れるあの少女が、念願だった夢に手が届きつつある状況にあるからだろう。
たった一年、されど一年。憧れの少女は、心身共に去年とは比べ物にならない程の成長を果たした。去年は恵まれなかった仲間とも出会えたようで、身に着けた新たな力を引っ提げて、彼女は今度こそ己が願望を果たしにいくだろう。
だが……対照的に自分はどうだろうか。一年前……彼女から逃げたあの時から、自分の時間はずっと止まっている。勿論、日頃の鍛錬はまったく怠っている訳では無いし、去年よりも断然、力は付いている。ただ、それらはあくまで表面的な成長に過ぎない。
少女に関する事だけでは無い。自分は、抱えている問題に何一つ決着を付けることが出来ていない。自分は、根本的にはまったく前に進めていないのではないだろうか。
もう、分からない。自分は何をするべきなのか、どこへ進むべきなのか、どう在るべきなのか――まるで家を失くした迷い猫のように、少女は己の道を見失っていた。
「コロナ、私は……」
そんな少女の掠れるような声で零れた呟きを聞いた者は、この世界に誰一人として居なかった。




