73話 目覚めし脅威
――ガラード帝国の某所。薄暗い地下空間の最奥にて。
大地を巡る霊脈から魔素供給を受けるような形で誰にも知られることなく造られたその空間は、天井に吊るされた魔石灯の照明だけが光源のとある施設だ。
とはいえ、施設と呼べる程の大きさはなく、最低限の用途だけを満たせるように設計されただけの狭苦しい空間だ。心安らぐ要素は一切なく、薄暗闇が充満する不気味な空間には、どこか無機質で冷たい雰囲気が漂っている。
「……」
その地下施設の中を、一人の男が忙しなく動き回っていた。もうとっくに肉体の最盛期は過ぎたであろう白髪の老魔道士だ。黒衣に包まれた肉体は見るからに貧弱で、もうこの先長くない……だが、深い皺の入った双眸には、人としての道を踏み外した者特有の、ただならぬ狂気がギラついている。
たとえ老いさらばえようと、内に秘めた野心は決して消えず。むしろ、決して消えない大火勢の炎となって男の魂を熱く焦がしていた。
そして、男はこれまである目的のために数え切れない程のモノを犠牲にしてきた――要は、醜き魔道士の成れの果てである。
「……」
そんな救いようのない外道に堕ちてまで男が果たしたいという野望の正体は、狭苦しい空間の中央……男の眼前にあった。そこには、一つの‟棺”が祭壇らしき構造物上に立てかけられていた。
年代物のかなり古いタイプの棺桶だ。だが、亡き人を納めておくにしては、それはあまりにも奇妙だった。蓋に彫られた神聖を象徴する銀十字の意匠。蓋を縛るように幾重にも巻き付けられた聖布。とある規則を以て何枚も貼り付けられた魔除けの札――強固な魔法的封印が何重にも施されているのだ。
死者は不浄なる存在だという考えも珍しくは無いが、それにしてもあまりに過剰な備え。そう、まるで――この棺桶を作った誰かが、中に入っている‟邪なる何か”を酷く恐れているように、‟棺”は厳重に固められていた。
この強固な封印は一度発動したら最後、難攻不落の術式防御によって封印そのものが外界から遮断される仕組みとなっている。内部からは勿論、外部からもおいされと破ることは到底不可能なのだが――
「……よし。封印術式の一号から九十九号まで全ての術式防御の構造解析、完了。後は、最終防壁たる百号術式の解析さえ済ませれば……」
その‟棺”を取り囲むように、祭壇の床には大掛かりな五芒星法陣が描かれ、古代アストラム語――いや、それよりも旧き魔法言語がびっしりと刻まれている。さらに、周囲には様々な魔導装置が立ち並んでおり、それらは霊路を介して法陣と直結している。
‟棺”の正面には、石柱型魔導演算器が設置され、他の魔導装置とも繋がっている。黒光りするその表面には、膨大な情報が術式とともに光文字で洪水の如く左から右へ流れている。
どうやらこの施設は、何らかの魔法儀式を行う場所らしい。男の目的とは、この‟棺”に掛けられた封印を儀式によって外部から破ることであった。
「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ……偶然にもコレを見つけて早、二十年。遂に、遂にだ! 遂に、私の長年の研究の成果が実る時が来たのだ!!」
モノリスに送られてくる大量のデータを満足そうに眺めながら、男は喜悦に満ちた昏い笑みを浮かべる。
「分かる、分かるぞ。コレを作った先人達の苦悩が。確かに、こんな『怪物』が地上をのさばってもいれば、このような封印をして永遠に葬り去りたいという気持ちも納得だ……だが!! この儂の魔導の技にかかれば、古代の怪物とてどうということは無い! 隷属の呪いを以て、儂の力としてくれるわ!」
封印を解除するに当たり、儀式法陣には封印から解き放った「怪物」を使い魔として強制的に隷属させる機能が仕込まれている。目覚めた直後に暴れられたら手の付けようが無い故に、万全を期すべく何年も何年も時間を費やして練り上げた至高の支配魔法だ。
この支配を破れる存在など居る訳が無い……儀式を完成させるために多くの者の命を奪い、その血を「供物」という名のリソースとして祭壇に長年捧げ続けてきたのだから。
お陰で帝国からは重犯罪者として指名手配されており、こんな地下に根城を造らなければならない羽目になったが……何も問題無い。この力が手に入りさえすれば、軍の犬など物の数ではなくなるのだから。
「ひひひひひ……この研究の成果を手土産に『組織』へ参入すれば、儂は直ぐにでも上級幹部……いいや! 彼の『九魔鬼』の一席に到達することさえ不可能では無いだろうッ!!」
多くの人々を手にかけた事に対する罪の意識など微塵も感じてない様子……それだけでは無い。「組織」の「悲願」が叶った末の結末を知っているからこそ、男は彼らと手を組むことを決めたのだ。
長年の研究の末、ようやく目に見え始めた栄光への道を前に、男が血走った目で歓喜の哄笑を上げた――その時。一際甲高い音がモノリスから鳴り響いた。見やれば、洪水の如く流れていた情報の波が止まっている。封印の解析が全て終了したようだ。
「おぉ、もう終わったのか。では早速、今晩のうちに儀式を始めるとしよう!!」
そう言って、男はモノリスの下に取り付けられた操鍵盤に慣れた手付きで指を走らせる。操作に応じて魔力が駆動し、周囲の魔導装置が次々と起動していく。それと同時に、霊脈から吸い上げた莫大な魔素が魔力に変換され、光の線となって法陣を縦横無尽に疾走する。
「解析結果を元に、一号から百号までの封印術式に……効率的な振れ幅値はこのくらい……必要な魔力量は……はっ、魔道士の軍隊二個師団クラスだと? 化け物め。非常に馬鹿げた量だが……問題は無い。これらの数値を元に入力……解呪式を励起介入、封印を逆起動させることで……」
失敗は万一にも許されないので当然の反応ではあるが、凄まじい興奮と高揚で身を焦がしながらも、男は極めて冷静に淀みなく作業を進めていく。
男の指が盤上を走るごとに、周囲の魔導装置が限界ギリギリの甲高い駆動音を立てて震え、その機能を全力稼働させる。祭壇に刻まれた法陣からは青白く眩き光が放たれ、励起した魔力の線が幾度も疾走する。
「全行程完了……儀式開始!! さぁ、今こそ永き眠りから目覚めるのだ!! 『真祖』よ――ッ!!」
最後に、男は操鍵盤のある釦に指を叩きつけ、儀式の起動命令を実行させる。それに応じ、場に帯びていた魔力が臨界状態となって爆発的に膨れ上がり、青白き五芒星の輝きは限界を超えてどこまでも高まっていき――
がっしゃぁあああああああん――っっっ!!! 凄絶なる轟音、眩き極光と共に、‟怪物”を戒めていた封印が遂に解かれ――直後。形容するのもおぞましい、ドス黒く膨大で凶悪な魔力が‟棺”から噴き出し、周囲を渦巻いた。
閉鎖空間に吹き荒れる暴力的な魔力嵐の衝撃は、男ごと周囲の魔導装置や何もかもを薙ぎ倒した。聖なる銀十字が彫られた蓋には大きなヒビが入り、巻き付けられた聖布は無残に引き千切られ、魔除けの札は一枚残らず剥がれ落ちた。解き放たれた力によって、封印の残りカスがたちまちに消え去っていく。
「――ッ!!」
自分で解いた封印であるにも関わらず、男は思わずその気配に飲まれてしまった。魔道士として多様な人生経験を重ね、狂気の底に堕ちた男ですら、本能的な正気の恐怖に突き落とされる程に濃密な気配が、そこには居た。
場の気温が一気に氷点下を振り切ったような感覚。闇が、闇が、深淵の闇が――悪魔じみた絶望的なまでの重圧が‟棺”の内から溢れ、感性と魂に訴えかける幻視の闇となって儀式場を支配する。
ギギギギギ……やがて、巻き起こる魔力の剛風が収まった後。古びて立て付けが悪くなっていたらしき重苦しい音を立て……‟棺”の蓋がゆっくりと開いた。
そして、中から足音を立てて儀式場に現れたのは……燃え尽き、色の抜け落ちたような灰のような髪を背中に垂らした、長身痩躯の男だった。一糸纏わぬその肉体は病的なまでに白く、されど一切の無駄が削ぎ落されたように鍛え上げられた完璧な肉体。
同じく色白の相貌は、男女問わず思わず目を惹かれる程に整った端正な顔つき、二十代前半といった絶世の美青年の容貌だ。
「お、おぉおおおおおおおお――ッ!? 煮え滾るマグマを彷彿とさせる暴力的な生命、なんという躍動感に満ちた命だろうか!? やはり『あの方』の言っていた事は本当だった! コレの前では、小癪な魔道士共が作り出した怪物など紛い物の領域を出んわ! コレこそ、本物の怪物だ!!」
「……」
‟怪物”から滲み出る恐怖に飲まれかけていた状況から一転、感極まったように打ち震える男を前に、閉じられていた‟怪物”の瞳が徐々に見開かれる。その瞳の色は――血のように真っ赤だった。
「おっと、こうしてはおれん。いざ、解放と隷属の契りをここに結ばん。貴公よ、【我に従え】!!」
男は儀式魔法に仕込んでいた機能を呼び起こすための起動呪文を唱え、‟怪物”を従える支配の魔法を発動しようとし――
「うるさい」
ぼとっ。それが、男が生前発した最後の言葉となった。目にも止まらぬ速さの手刀で首を落とした‟怪物”は、何の感慨も籠って無い瞳で物言わぬ肉塊となった男を冷たく見下ろす。
何て事は無い。男が仕込んだ支配の魔法は確かに発動した。だが、支配を受ける前に‟怪物”はその呪縛を己の莫大な魔力で強引に打ち破り、男との霊路を断ち切った。ただ、それだけの事。‟怪物”の力が男の想像を遥かに超えて強大なだけだった。
「僕を封印から解放してくれた事にはそこそこの感謝をしてはいるけど、たかが人間風情がこの僕を従えようなど、おこがましいにも程があるね」
遺体から衣服を剥ぎ取った‟怪物”は、紫紺色の爪が異常に伸びた指をぱちんと打ち鳴らす。すると、足元の影が不意に蠢きだして直線的に伸び――男の周囲で大きく広がり、その身体を飲み込み始めた。
時間にして僅か十秒。ずぶりずぶりと、底無し沼に引き込まれるように男の亡き骸は影の中に沈んでいき……男が居たという痕跡は、この世から綺麗さっぱり消え去った。
「ふむ……年老いた人間を喰らうのは趣味ではなかったけど、これは中々。全ての力が空っぽとなった今では、それなりの美味だったね。なるほど、これは一つ良い事を知った」
小さく舌なめずりした‟怪物”は、楽しげに呟く。そして、黒衣に袖を通した右腕をおもむろに振るった。常人なら目視することすら不可能な程の速さで腕が霞み――風切り音。生じた強烈な衝撃と剛烈風によって、‟怪物”は自分を閉じ込めていた‟棺”を真っ二つに叩き壊した。
「さて、憂さ晴らしも済んだことだし、動くとしようか。何をするにしても、先ずは食料補給。どこか、近くに人間が密集する村や街なんかがあれば良いけど」
最早ここには用無しと、‟怪物”は振り返ることなく歩き出す。こうして、一人の魔道士が長年追い求めてきた儚き夢は無残にも潰え、一匹の‟怪物”が再び目覚めた。
「さぁ、次こそは必ず『奴』の首を取りに行こうか」
本当に偶然にも動き出した自身の時間、これを逃す手は無い。前は果たせなかった‟目的”を今度こそ果たすために、この世界の秩序を脅かす新たなる脅威が、闇に紛れて静かに動き出した……




