追憶~アイリス=ティラルド~
――いつ夢に見ても思い出す。幸せだったあの頃の日々を、家族がまだ一つだったあの頃の日々を……
「連邦」統治する大地の中で最も辺境、「ランバール地方」の更にその奥の辺境地にて、私達‟一族”総勢約四十人は、小さな集落でひっそりと暮らしていた。一人一人の顔と名前は八年経った今でも鮮明に思い出せる。
伝統行事だったらしい「狩猟」の文化も廃れ、日々の生活を賄うために、父や他の大人達が数日かけて遠くの街へ出稼ぎに行くような生活形態をとっていた。まるで、得体の知れない‟何か”から隠れるかのように、私達は外の世界と殆ど隔絶されていた。生活は非常に慎ましやかではあったが、それでも幸せな温かみに満ち溢れていた。
『ねえねえ母様、母様。どうして私達はこんな山の奥で暮らしているの? 私も父様がお話ししてくれた、いっぱい人が住んでるおっきな街に行ってみたいよ!』
ある日の昼下がり、父が仕事に出掛けて当分帰って来ない時、私は母にそんな事を聞いてみた。今思えば、自分で言っておきながら何て愚問だったのだろうかと自己嫌悪に陥りそうになる。当時、まだ五歳だった私は、本当に無知だった。
そんな私の問いに、母は私と同じ金色の瞳を小さく見開いて暫しの間沈黙していた……だが、やがて慈母のように柔和な笑みを浮かべると、嫌がることもなく答えてくれた。
『それはね、私達のご先祖様がやっちゃいけない事をやって、皆にちょっと悪さをしたからなの。だから、その子供である私達も、『外』の皆からとても嫌われちゃったんだ』
『え~どうして? ご先祖様と私達なんて、関係無いよね? 私も母様も父様も集落の皆も、何も悪い事してないのに、どうして嫌われなくちゃいけないの?』
『そうだね。お母さんだってそう思うよ。でも、残念だけど人間ってそういう生き物なんだ。ほら、アナタも隣の家のレイラちゃんと大喧嘩した時、暫く顔も合わせなかったでしょ? 私達が嫌われるのもそれとほぼ一緒、アナタも大きくなれば分かるようになるよ』
人間とは自分達とは違う存在を排斥したがる生き物だ。あの頃は知る由もなかったが、確かにこの‟人ならざるチカラ”を振りかざして名を轟かせた一族は、彼らからしてみれば不気味以外の何物でも無かったのだろう。母の言った通り、私はそれを身を以て痛い程よく思い知らされた。
『ん~~……分かんない!! ねえ、母様。私達……ずっと「外」の人達に嫌われたまま、此処で暮らさなきゃダメなの? 喧嘩しちゃったんなら、仲直りするしか無いよ! 他の子達も皆言ってるよ。私、「外の世界」に出てもっと色んな物を見たい! もっと色んな人とお話ししたい!』
『……!』
そう、幼少期の私は、無限に広がる「外の世界」に強く思い焦がれていた。勿論、あの暮らしに不満があった訳では無い。ただ、寝る前に母が読み聞かせてくれた童話などに出てくるような、自分の想像でしか補えない未知の景色を、実際にこの目で見てみたかったのだ。
普段は大人しめで静かな私がああまで言い切ったのが意外だったのか、それとも必死で伝えようとしていた私の気迫に秘められた‟血”に圧されたのか、母は分かるくらいに目を大きく見開いて言葉を失ったように固まっていた。
正直……あの時は怒られるのではないかと覚悟していた。私含め、集落の子供達には「外の世界」へ興味を抱かせないような教育が施されていたし、過剰な「外」への干渉はタブーだったからだ。だが、驚愕から戻ってきた母は嬉しそうに顔を綻ばせ、私を手招きした。何だと近付いてみれば、母は私の体をひょいと持ち上げて膝上に乗せ、背中が前に来るように振り向かせた。
『……そっか。時代とは常に変わり行く物、古き「しきたり」も変わりつつあるんだね。もう、「外」と「中」を隔てる境界はあって無いような物、か。……私達と「外」の人とが仲直り出来る日は、お母さんにもお父さんにも分からないんだ。でも、アナタ達がその気持ちを持っている限り、いつかその日はきっと訪れる。だからアイリスも、その気持ちはずっと大切にしていてね』
そんな事を言いながら、母は私の紫炎色の長髪を、櫛で丁寧に、丁寧にブラッシングしてくれた。その優しい手付きは慈愛に満ちており、いつまでも体を預けたくなるような温かさだった。だが、端々にほんの少しの寂しさが混じっていたような気がしたのは、今となっては分からない。
『そうだアイリス、私達一族にはね、古くから伝えられてきたある「教え」があるの。まだアナタには分からないかもしれないけど、いつかきっとその意味が分かる日が来ると思うよ』
『……?』
ブラッシングを終えた母は、再びひょいと持ち上げた私を振り向かせて、穏やかな瞳でじっと私を見つめ続けた。そしてある時、愛する娘に何かを託すように、告げた。
『え~なになに? 教えて!!』
『ふふっ、それはね――』
……当時の私にとっては、あまりにも難解だったからだろう。そこから先の母の話を、今の私は思い出せないでいる。何かとても不思議でで、それでいて忘れてはいけない大切な事だったような気がする……だが、今となってはそれを知る手段さえ失われたのだ。
――それから約一年後、突如、集落に「奴ら」が現れ……私達の慎ましくも幸せな生活は、文字通り「崩壊」した。思えばアレは魔法だったのだろう、この世のモノとは思えない奇妙な魔導の業を振るい、秘められた凶暴性を開放して人外の力を振るう大人達を子供のようにあしらい、邪悪な「匂い」を漂わせて昏く嗤う「奴ら」の姿を、私は終ぞ忘れることは無いだろう。




