44話 ブラック・レイド~邂逅~
城塞学院都市オーフェンの端に広がる朽ちた旧市街地――十数年前の再開発で放棄された都市の廃墟は、今や影を好む浮浪者や無法者ですら滅多に足を踏み入れることは無い。まさに‟忘れ去られた場所”の一つだ。
そんな廃墟の一角に、一つの古びた倉庫があった。元は非常時の際に市が一般に開放する緊急用の食料や物資などが保管されていたその場所も、今となってはもぬけの殻になってただ無駄に広い貯蔵庫だけが残されたのだが――
「どわぁああああああ!?」
驚愕の叫びを上げながら、砲弾のような勢いで脆くなった倉庫の壁を突き破って中に飛び込んでくる人影――アクトだ。壁を突き破った勢いのまま、アクトは一ヶ所にまとめられた空となった大量の木箱に激突。豪快な衝撃音と破砕音が倉庫内に大きく反響する。
「けほっ、けほっ、けほっ……クソッ、あのチビ、派手に吹っ飛ばしやがって……!」
舞い散った煙と埃を手で払い、アクトは忌々しそうな表情で木箱の残骸から体を出す。ダメージは大きいように見えるが、激突する寸前に咄嗟に衝撃を四方に散らしたので見かけより傷は浅い。
「剣に斧に槍に、短剣、双剣、おまけに盾まで……一体どれだけの武器を操れるんだクソッたれが……!」
体勢を立て直し、聖剣を構えなおしたアクトはぶっきらぼう吐き捨てる。先程までは、相手がまだ年端もいかぬ子供だということで柔らかくなっていた口調も、度重なる少女の猛攻によって気付かずのうちに今では元の粗野な口調に戻っていた。
直後、間接的にアクトがぶち抜いたことで吹き曝しになった壁の穴の外から小柄な人影――薔薇色の髪持つ襲撃者の少女が、先程破壊したのと同じような鈍色の大剣を携えて姿を現した。
「はっ、少しも休ませてくれないのかよ。それよりもだ……テメェ一体、どういう体力してるんだ?」
「……」
アクトの言葉に少女は一切の反応を示さない。相変わらず攻撃動作以外では恐ろしく無機質な鉄仮面で、濃密な殺気を振りまきながら大剣の切っ先を彼に向けているだけだ。目線は片時も他所へ向くことはなく、ただ彼をじっと見据えてる。
「はっ、ちょっとは反応しろっての……」
完全な無反応に対し、心なしかアクトの軽口も歯切れが悪い。額からは激しい運動によって汗が滝のように溢れだし、肩で息をするかのように呼吸も乱れている。どう見ても切羽詰まっている様相だった。それもそのはず。気付けばアクトは、この戦闘において一切の余裕を奪われていたのだ。
アクトがここまで追い詰められている理由――それは、ひとえに少女の異常なまでの耐久力が故であった。収納性という概念を完全に無視して、指輪程度の小物から何振りもの武器が出てくる事も厄介と言えば厄介だが、何よりも脅威なのは、それらを豪快に振るう少女自身の身体能力による部分が大きい。
決まった型があるわけでもなく、あれだけ無茶苦茶な動きで得物を振り回しているにも関わらず、少女は一向に息切れする気配が無い。まるで、‟何も無いところから力を引き出している”かのような不自然ささえ感じる程だ。
アクト自身もかなり人間離れした超人的な身体能力の持ち主だが、彼の力の大半はあくまで肉体制御によるもの。更に研ぎ澄まされた無駄のない剣術と体技を合わせることで、損耗を最小限に留めているからこそだ。
少女の異常な耐久力に加え、絶妙なタイミングでの姿の見えない襲撃者からの錬金術・魔法による妨害……此処に至るまでに武器を五本ばかりは破壊したが、このまま漫然と戦い続けていては、残り全ての武器を破壊し尽くすまでにアクトの方が根を上げる可能性の方が高い。例え少女を制圧したとしても、次が控えているのだから。
となれば――この状況を打開する手段はたった一つしか無い。
「こうなったら仕方ねぇ……エクス、《限界突破》いくぞ」
『マスター……お言葉ですが、よろしいのですか?』
「ああ。このままダラダラ戦闘を続けていたら、嬲り殺しにされるだけだ!!」
『……分かりました。魔力励起、精神同調、魂魄共鳴――「権能」、始動します……!」
‟武力”を司る剣精霊エクスの権能《限界突破》、それは文字通りの「本気」。己の全てを注ぎ込んで解放する全力であるが故に、燃え尽きた後には何も残らない。魔力が切れれば事実上の戦闘不能になる最後の手札を切る事に、アクトは覚悟を決める。不退転の決意を示した主の意思に、剣精霊もそれに準じるのみであった。
深く息を吸い込み、精神を練り上げ、魔力を熾す……自身の性能、その極限を使おうとした――その時だった。
「【そこまでだ】」
「……!?」
突如として倉庫内に反響する第三者の鋭い声。それと同時に、《限界突破》を発動しようとしていたアクトの動きが金縛りに遭ったかのようにピタリと急に止まってしまった。しかしそれはアクト本人の意思ではなく、表情を驚愕に染めながらも体を動かそうと必死に藻掻いてはいるが、傍目から見ればまるで何かに縫い付けられたかのように微動だにしていなかった。
(しまった!? 《呪言》か!)
「呪言」とは、文字通り言葉に乗せて放つ《呪縛》の一種だ。精神に干渉して対象の動きや行為を制限する束縛の呪い。効力は非常に弱いし効果時間も一瞬だが、ごく近距離の戦闘ではかなり強力な武器となる。精神干渉系の魔法由来である為、精神防御などの対策をしていなければ引っかかってしまう厄介な代物だ。
若い男性の声で放たれた《呪言》の効果は「静止」。今まで武力一辺倒だった少女に気を取られ、《限界突破》の準備で何の精神防御も施していなかったアクトは、呪いによって有無を言わさず動きを止められてしまったのだ。
幸い、効果時間は本当に一瞬で直ぐに体は動かせるようになったものの、術の影響で進行中だった《限界突破》の準備工程を全て途切れさせられることとなった。そして――
「……ッ!!」
こつ、こつ、こつ、と靴底が床を叩く乾いた音が……複数。乱雑に反響して正確な数までは分からないが恐らく三人以上、ぶち抜かれた壁の外からやって来る。状況から鑑みて、まず間違いなく目の前の少女を援護、アクトを妨害していた襲撃者の仲間だろう。
(マズイ、マズいぞ……!)
加速度的に悪化していく状況に、アクトは苦々しげに歯噛みする。当初の予定では、《限界突破》を以て速やかに少女を制圧し、そのままこの場所を離脱、戦いを仕切り直す算段だったが、それが一度で同時に襲い掛かられるとなれば話はまったく違う。
相手は校内選抜戦で戦うような学生などでは無い、正真正銘の本物のプロだ。得意の近接戦において一対一ですら苦戦を強いられる手練れの魔道士を一度に複数相手取るには、今のアクトでは立地的にも体力的にも魔力的にも厳し過ぎる。《限界突破》を用いても勝敗はかなり危ういだろう。
これはかなりマズイ……聖剣を強く握りしめ、額に脂汗を浮かべながら、アクトは必死にこの最悪な状況を打開する術を見出そうと脳を全力回転させる。だが――
「二人とも、剣を引け。これ以上戦り合えば、流石にどちらも無事では済まないだろうからな」
襲撃者がとった行動は、アクトが想定していたものとは真逆のものだった。先程アクトに《呪言》をかけたのと同じ若い男性の声が聞こえると、それに少女は素直に従う。構えて大剣をくるりと宙で一回転させて背中の方に回し、装衣に付けられていたらしい留め具で固定、収納した。同時に、少女が纏っていた‟本物”特有の濃密な殺気が、嘘のように霧散していく。
「何なんだ、一体……?」
急変した場の状況に、アクトの脳の処理が追い付かない。さっきまでは対話などまるで望むべくもなく猛然と殺意を振りまいて自分に襲い掛かってきた連中が、ここにきて今更何をと、胸中を懐疑心で満たしながらアクトは構えを解くこと止めはしなかった。本能的に出来なかった。
やがて、壁の外から三人の人物が遂に倉庫の中に入って来る。全員が、少女と同じ謎の意匠が施された漆黒の装衣に身を包んでいる。全員が同じ服を着ている辺り、やはり全員が何かの組織に属しているようだ。そして、月明かりの逆光で見えなかった彼らの顔が中に入って来ることで露わになっていき――
「……は?」
掠れるような小声を絞り出す、それがアクトに出来た精一杯だった。体はあまりの動揺に打ち震え、その双眸は愕然と見開かれている。それもそのはず、いきなり自分を殺しに掛かってきた襲撃者たちの正体を、アクトは瞬時に理解したのだ。流石にそれなりの月日が経っているからか、自分の記憶の中にある容姿とは微妙に異なってはいるが……見紛う筈が無い。何故なら、
「お、お前らは……!」
「久しいな、アクト。腕は鈍っていないようで少し安心したぞ」
「よっ、アクト。三年ぶりかいの?」
「お久しぶりです、アクト君。相変わらず、身長、伸びてないですね」
其処に立っていたのは――数年前、アクトがエレオノーラの斡旋で傭兵をやっていた頃……「魔道士殺し」として、共に数多の戦場を駆け抜けた戦友達の姿だった。
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