41話 初めての後輩
放課後の学院校舎廊下の一角、思わぬ再会を果たしたアクトと少女はしばらくの間、手を取り合ったまま何もすることなく顔を見合わせていた。
そこで、学院に来てそれなりの月日が経ったアクトが最初に気付いたのは、少女の胸に付けられた校章の色が緑色――中等部三年次生である事を示していた。
(年下だとは思ってたけど、まさか中等部の生徒だったとはな……って、そんな事言ってる場合じゃねぇ!)
「「……!」」
そして、両者は同時に我に返るとすぐに手を離し、バツが悪そうに再び沈黙する。何とも言えない気まずい空気が流れるが、それも長くは続かず……年長者としての気遣いを見せようと、アクトの方から話を切り出すのだった。
「えっと……こうやってぶつかるのは二回目、だな」
「そ、そうですね……あはは……」
苦笑交じりに言葉を紡ぐアクトに対し、同じく苦笑を浮かべる少女は、何故か頬を赤に染めながらもじもじとして、一向に彼と目線を合わそうとしない。その様子に気付いたアクトは少女の緊張をほぐそうと、定番の話題を切り出す。まあ、少女の頬が赤い理由はまったく別の所にあるのだが、日常生活では割と鈍感なアクトが気付く事は無かった。
「会うのも二回目だし、一応自己紹介しとくか。俺はアクト、アクト=セレンシアだ。一応、高等部二年次性って『肩書き』を貰ってる」
「アクト、先輩……私は、あ、アイリス……アイリス=ティラルドと申します。中等部三年です」
「おう。よろしく、アイリス。……ってマジか、驚かないんだな」
「え? な、何がでしょうか……?」
返って来た少女の反応に、思わずアクトは僅かな驚愕が混じった苦笑を浮かべる。生まれてこの方、それなりの数の人物にこの名を明かしてきたが、こんな反応をされるのは久し振りだったからだ。
‟セレンシア”――大陸にその名を轟かせる最高峰の魔道士と名高きエレオノーラ=フィフス=セレンシアのファミリネーム。彼の大魔女の名には、あらゆる武勇、栄光、名誉が纏わると同時に、虚偽、真実かも分からない悪辣なる噂や逸話が山のように存在する。
古の禁呪によって肉体の寿命を止めたという年齢不詳の彼女の名は、いつの時代も強大な恐怖・畏怖・嫌悪と共に在るのだ。
「初見で俺の名前を聞いた奴は大抵、大なり小なり驚くもんだけど、そんな素の反応をされるのは意外だったからさ」
「あ、はい……えっと、本当は凄く驚いてはいるんですけど……その、先輩からは悪い『匂い』はしなかったので……」
「匂い?」
「私、生まれた時から何となくですけど、その人がどんな人間なのかが『匂い』で分かるんです。先輩の『匂い』は何て言うか、その……『変』なんです。でも、決して悪いわけじゃ無いんですけど……」
突然出てきた謎の単語とその説明。少女の言う、「匂い」とは何なのかはアクトには分からないが、恐らく体臭的な意味合いでは無いだろう。察するに、彼が鋭敏に感じ取る「敵意」や「殺気」と似たようなものだろうか。
「そっか。俺、変なんだな」
「あ!? す、すいません!初対面の人にいきなり変だなんて……!」
「いや、良いんだ。自分が変わってるってのは俺自身が一番分かってるつもりだ。何てったって、このご時世に剣で魔道士と戦うような奴だからな」
「そ、そうなんですか……?」
アクトのあっけらかんとした掴みどころの無い態度に、少女はどう反応して良いか困ったような表情を浮かべる。何はともあれ、ようやく顔を合わせてまともに会話が成立するようになっただけでも、アクトの試みは功を奏したと言って良いだろう。
「それにしても……なぁ、この前もそうだったけど、その大荷物は何なんだ? 俺も此処に来てしばらく経つけど、どう見たって多過ぎるだろう?」
アクトの指摘通り、少女――アイリスが抱えていた大量の荷物は、確かに一学生の荷物にしては過剰だった。ぶつかった拍子に床に散乱した物の中には、明らかに学生が、中等部生が取り扱うには難しそうなぶ厚い魔導書や、魔法の研究報告書らしい紙束などが散見された。
「って言うより、アイリスはどうしてこんな場所に? 此処は高等部の校舎、使ってる設備は同じでも、中等部の生徒が高等部の校舎に足を踏み入れる事は滅多に無いって知り合いから聞いているんだが……まぁ、その逆も然りらしいんだけど」
「ええっと、私、クラスの連絡係担当で、それで、私達のクラスを担当している先生に御使いを頼まれたんです。だから、この資料や書類を届けようと、先生の研究室に向かう途中だったんです」
「連絡係って、そんなもん、実質雑用担当みたいな役回りじゃねえか。ったく、面倒な役回りもあったもんだぜ」
でもそれが普通であり、それがごく一般的な「学生生活」の一幕とやらなのだろうと、アクトは未だそういう感覚に慣れていない自身の感性に、少し思うところがあった。それは、戦いにばかりかまけてきた代償でもあるのだろう。
(ある意味、感性が歪んでいるのは俺の方なのか……いや、それでも俺はあの生き方を後悔なんてしたりはしねぇ。少なくとも俺にとっては、あの生き方こそが「日常」だったんだからな)
こんな事で一々下らない事を考える自分に嫌気が差しそうになるが……赤髪の少女に諭され、過去を後悔して背負い続けるような真似は止めたが、その業は一生背負い続けなければならない。それがアクト=セレンシアの生き方にして、その生き方の代償なのだから。
――でも、「今の世界」、「未来の世界」に適応し、生きるのに自分が今この場で成すべき事、それは……
「……先輩?」
「ぶつかったのは俺の不注意だったし、わざわざ後輩が高等部の校舎にまで足を運んでくれたんだ。だからこれは、当然の行いだ。この荷物、何処に運ぶんだ?」
何も言わずに散乱した荷物を集め始め、少女の行き先を尋ねるアクト。きっと、以前の彼ならばこんな事まではしようとしなかっただろう。かつての戦闘狂じみた本人からして見れば、甘くなったと言われるかもしれない。だが、それは紛れもなく彼が精神的に度量的にも成長した証に他ならなかった。
そんなアクトの心中を知ってか知らずか、アイリスは初めは思わず唖然としていたが……やがて、先程まで被っていた、今までの経験から身に着けた愛想笑いという名の「仮面」を崩し、
「……ありがとうございます」
「おう、良いって事よ」
心から小さく微笑み、ぼそりと感謝を告げるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
視界のほぼ全てを埋め尽くすほどの荷物を分け合い、二人は夕日の差し込む廊下をゆっくり歩く。アイリスはその小柄な体に似合わぬ怪力の持ち主らしく、普通なら運ぶのに結構な労力を割くであろう厚みの書物を、息一つ乱すことなく軽々と持ち運んでいた。
「ははっ、これじゃあ、最初から俺が出る幕なんて無かったじゃんないか?」
「そんな事無いです。前がちゃんと見えるだけでもまったく違いますし、それもアクトの先輩のおかげですから。本当にありがとうございます」
どうやらアイリスは、一度親しくなれば結構口が軽くなるタイプらしく、先刻のおずおずとした態度をまるで感じさせなかった。物事をはっきりと話せる性格はアクトも好むところで、短時間の間に二人は自然と打ち解けあっていった。
「なぁ、一つ聞きたいんだけど良いか?」
「はい、何でしょうか?」
「アイリスが掛けてるその眼鏡って、魔道具の一種だよな? どうして‟そんな物”を着けてるんだ?」
「……ッ!」
アクト的には本当に何気ない問いだった。だがその話を切り出した途端、隣を歩くアイリスの纏う雰囲気が明らかに変わった。コレは不味い事を聞いてしまったかと、アクトはごくりと唾を飲むが、するとアイリスは観念したように大きく息を吐くと、纏う異様な雰囲気を解いて静かに話し始める。
「流石、先輩ですね。素晴らしい観察眼だと思います。この眼鏡は、‟外界に放出する魔力の流れを抑える”機能を持っているんです」
「……」
やはりか、と納得のいく答えにアクトの疑問が氷解した。初めて会った時は一瞬だったし、人通りも多かったので半信半疑だったが、今こうして二人きりだからこそ分かる。アクトの目には、アイリスの体から流れ出る魔力が非常に弱々しく見えていた。
人間は誰しも無意識の内に外界へ無色エネルギー体として魔力を放出しているのだが、彼女のそれは今まで見たことがない程に微弱だったのだ。
だからこその疑問だ。無意識下に垂れ流す魔力をここまで抑えるような物を着けていれば、意識的に魔力を巡らせる各種行動にどのような弊害が出るか分かったものでは無い。
最初は、あえて自分に制約を設けているのかと思っていたが……この様子を見る限り、どうやら別に理由があるらしい。
「私は生まれつき、放出する魔力の量が常人の数倍は多いんです。無意識的でも意識的でも、私は私の意図しないところで過剰に魔力を垂れ流してしまうんです。魔力は生命力に直結した力ですから、今は何ともありませんが、生まれた当初は何度も生死の淵を彷徨ったそうなんですよ」
「放出する魔力量が多い……魔力錬成の効率がめちゃくちゃに悪いって事か?」
「はい、そういう認識に近いと思います。ですが、魔力は訓練次第で向上させる事が出来るのはご存じですよね? 私も真っ先にその訓練を行って……その結果、一向に症状は改善しませんでした。その道の高名な魔道法医の先生に診察してもらうと、どうやら私は『精神体』の奥深く――魔力の出し入れをする霊的器官に、大きな『穴』が開いている事が分かりました……」
「……」
ここまでくれば、それ以上の言葉は無用だ。魔道士は霊的感覚を研ぎ澄ませて体内の魔力を循環させるが、魔力の『心臓』の役割を担う『精神体』のメカニズムは未だ不明な点が多い。魔道士ならば精神統一と魔力制御で魔力の流れをある程度コントロール出来るが、これはそのもっと根幹、『魂』の生死に関わる根の深い問題なのだ。
「『精神体』の手術などという帝国の霊的医療でも群を抜いて難易度の高い手術、とても私ではその治療費を払うことなんて出来ません。かと言って放置出来る問題でも無い……だから私はこの学院で魔法について学び、そして卒業して、いずれは最新鋭の魔導医療に携わっていきたいと考えているんです!」
自身の境遇を告白するにつれ、アイリスの言葉に段々と熱が帯びていく。彼女はまだ未熟なりにも、自身が見据えるべき明確な目標をしっかりと掲げているのだ。
この学院には上流から労働階級まで、多種多様な者が己の夢や野望を叶えようと魔法を学ぶ為にやって来るが、アイリス=ティラルドの目的はそのどれとも違う性質……彼女は事実、生きる為に魔法を学ぼうとしている。生きるのに必死なのだ。
「なるほど、魔法に関連した技術を学ぼうと思えば、その末端の魔法科学院で学ぶのが一番、か。で、それまで症状を凌げるようにその眼鏡ってわけか」
「はい。学院の伝手で作ってもらった魔道具で、これを掛けていれば垂れ流しになっている魔力を強引に抑えることが出来るんです。でも、自然に起こる筈の流れを強引にせき止めるわけですから、魔力制御の感覚が致命的に欠落してるんです。だから私、学年内での実技の成績が低くて……筆記はともかく、三年次生に上がる前の実技試験でも、かなりギリギリの結果だったんです……」
最終的な目標から一転、目の前に立ち塞がる巨大な壁を前にしてアイリスの勢いが消沈していく。聞けば聞くほど厄介な欠点だ。魔力制御の感覚が乏しいと、行使する魔法の威力も不安定になるし、最悪、常に暴発の危険があるも同然だ。
魔法とは、知識の無い人間がおいしれと習得して良い代物では無い。故に、中等部生の内は一般的な教養は勿論、魔法に関する様々な知識を徹底的に学び、高等部に上がってようやく本格的な魔法修練を始めるのだ。
だが、やはりそれでも「差」というものは存在する。たとえ本格的な魔法修練が始まっていない中等部生でも、個々人の間には才能や努力といった要素で能力に隔たりが生じ……スタートダッシュに成功した者は進み、失敗した者は遅れる。
どこの世界でも、そういう事は当たり前のようにある。
(俺は、この子にどんな言葉をかけてやれば良いんだ……ダメだ。言えねぇ、言えるわけがねぇ。せめて励ますか……この手の障害を持った奴に慰めの言葉なんて最悪の選択肢だ。どうすれば良い……クソッ!)
何も出来ない、出来る筈も無い。何故なら、アイリスが必要としているのは、今まで沢山の人間の命を奪ってきた自分が持つ知識とは正反対の物なのだから。人の命を救うという点において、アクト=セレンシアは無力だ。困っている年下の少女の助けになる事すらままないらない事実に、彼は激しい自己嫌悪を感じていた。
「……アクト先輩は本当に優しいんですね。まだ出会って間もないような私の事をそこまで案じてくれて」
「……!」
長い廊下を歩く中、傍らで一人葛藤するアクトに、アイリスは本当に嬉しそうに微笑む。
「でも良いんです。これは私が生まれながらにして背負っているモノ、今更どうこう感じたりはしていないんです。まぁ、最初の方は両親にもキツく当たってしまったんですけどね」
「アイリス……」
「先輩が気を落とす事はありません。これは、私自身の問題なんですから……」
きっと、この少女は本当に自分の事を憂いてくれているのだろう。自分が優しい? まさか、本当に優しいのはこの少女だ。ベクトルは違えど、彼女もコロナやリネアと同じように包容力の高い立派な人間なのだろう。そんな者達の前では、自分のような矮小な存在は霞んでしまって見えない……実に無力な話だ。
(俺は……)
「――あっ、カイル先生!」
アクトが言葉に出来ないこの感情を処理しようと躍起になっていたその時、隣を歩くアイリスが太陽のような満面の笑顔を咲かせて駆け出した。何事だと彼が目線を遣ったその先には……一人の男性が穏やかな笑みをたたえて其処に立っていた。
年齢は、年を食った者が多い学院の講師陣の中でもかなり若い二十代後半、さらりと美しい金髪を長身でありながら細身の優男だ。学院の講師服に身を纏うその人物は、どうやらアイリスが会おうとしていた目的の人物らしかった。
「高等部の校舎までわざわざありがとう、アイリス。いつも手伝ってもらって助かってるよ」
「いえ、先生には日頃からお世話になっているので、これぐらい当然ですよ!」
男性――カイルの感謝に、アイリスは屈託の無い笑顔を見せる。余計な感情や打算を一切感じさせない彼女の純粋な様子はまるで、恋する年相応の乙女のようであった。
「おや……? 確か君は、最近ウチに転入して来たっていう子だね? 僕はカイル=ミラーノ、主に精神干渉と信仰系魔法に関する研究を行っている。よろしく頼むよ」
「はぁ、どうも……」
「カイル先生は私達のクラスの担任にして、私の体質の事を知っている数少ない人物の一人でいつもよく相談に乗ってくれているんです」
魔道士にとって、自分の弱点を他者に明かすのは褒められた行為では無い。いつか何かのきっかけで争う事になった時、相手に有効な情報を無条件で与えてしまう事になるからだ。てっきり、学年内で味方は居ないのかと憂いていたが、どうやらそういうわけでも無いようだ。
「それで、校内戦を破竹の勢いで勝ち進んでいる噂の転入生君が、僕に何の用かな?」
「あっ、先生違うんです。ちょっと色々あって……」
その後、アイリスは此処に至るまでの経緯とアクトの自分の境遇を話した事を伝える。話を聞き終わったカイルは、しばらく何かを考えこむように口元に手を当て……やがて穏やかな笑みでアクトに詰め寄ってきた。
「なるほど、そうだったんだね。アクト君、本人から聞いた通り、彼女は色々と苦労が多い。もしこの子が困っていた時には、是非力になってあげてくれ
「……まぁ、乗り掛かった舟ですからね。勿論、協力はしますよ」
「ありがとう。魔道士というのは厄介な性分だからね、事情を知っている人間が増えるのは本当に助かるよ」
そう言って、カイルは右手を差し出してアクトに握手を求めてくる。手を取ろうか一瞬迷うアクトだったが、これだけの至近距離にいながら、この男からは「悪意」のようなモノは一切感じられない。恐らく、彼は本気でアイリスの身を案じているのだろう。そう判断したアクトは、警戒心を解いてその手を握り返すのだった。
「……?」
……気のせいだろうか。今のほんの一瞬、アイリスを見つめる慈愛に満ちたカイルの瞳の奥に、ほんの僅かな‟違和感”が混じっていたような――
「じゃあ、僕はもう行くよ。あっ、アイリスはこのまま僕とついてきてくれ。少し大事な話があるんだ」
「え? あ、はい! では先輩、また……」
アクトがそれを詳しく確かめる間もなく、カイルは踵返してこの場を去っていき、彼に呼ばれたアイリスもそれに追随する。……その間際、急に立ち止まったアイリスは思いつめたように神妙な表情を浮かべるが、やがて意を決したように勢いよくアクトの方へ振り向いた。
「あ、あの! アクト先輩!」
「ん? 何だ?」
「その……最初に先輩とぶつかった時、何て言ったか覚えてますか?」
最初、というのは転入初日の出来事の話だろう。今日は特に感じなかったが、心臓を鷲掴みされたような強烈な「何か」の気配を感じたあの時、確かに去り際に何かを口走ったような気がしなくもないが……
「……いや、悪い。これっぽっちも覚えて無いよ。もしかして、知らず知らずのうちに失礼な事でも言ってたか?」
「い、いえ! 覚えておられないのなら別に良いんです……それでは!」
アクトの返答に、アイリスはほっとしたような、それでいて少し残念そうな苦笑を最後に、踵を返してカイルに追いつこうとする。それ以降、彼女が振り返る事はなかった。
「――俺、あの時何言ってたんだっけな……」
アイリス達と別れた後、アクトは待たせてあるコロナ達と合流すべく来た道を引き返していた。その間、アイリスに問われた答えを思い出そうとしているのだが、転入直後は精神的にかなり不安定で、細かい状況など一々覚えていないというのが本音だった。
(結局、あの時感じた謎の気配も感じなかったしな。やっぱ俺、少し疲れてるのか……)
何をしたかは思い出せないが、わざわざ思い出させようとしたり、アイリスのあの反応を見る限りでは絶対ロクでもない事の筈だ。精神的に不安定だったとはいえ、己の失策に頭を悩ませているその時だった。
「此処に居たか、アクト」
「――ッ!?」
刹那、背中に投げかけられる男性の声。背後への接近にまったく気配が感じられなかったアクトは、発条が爆ぜるように体を瞬時に翻し、流れるようなバックステップでその場から距離をとる。そしてすぐさま、流れるような動作で腰の鞘に手を掛け――アロンダイトを引き抜く寸前で停止した。
「その反応速度は見事と言いたいが……殺気を向ける相手をどうやら間違えているようだな。お前も剣士なら、自分に向けられた気配に潜む意思を読み取れ。そうすれば、単なる警戒行動一つでももっと相手の情報を手に入れる事が出来るからな」
「クラサメ先生……」
アクトの背後に立っていたのは、彼らの担任講師であるクラサメ=レイヴンスだった。精鋭の魔道士部隊「軍団」所属、バリバリの精鋭軍人は底の見えない技量を以てアクトの背後を容易に取ると、教師らしく窘める。ぐうの音も出ない正論に、アクトは悔し気に愛剣を鞘に納めるのだった。
「どうして此処に?」
「校内戦が早く終わった事を聞いて、間に合うかどうか不安だったが、どうやらタイミングがよかったようだな。校門に居たコロナ達から話を聞いて、飛んで来たというわけだ」
飛んで来たと言う割には、クラサメは汗をかくどころか呼吸一つ乱していない。
「それで? 俺の背後を簡単に取れる生粋の軍人サマが、わざわざ俺に何の用ですか?」
「まぁそう言うな。俺はただ、学院長からお前にコレを渡せと言われて来ただけだ」
そう言って、クラサメは左手に持っていたソレをアクトに投げ渡す。彼が宙で受け取ったソレは、何の変哲もない一通の手紙で、ここいらでは早々出回らない上質な紙素材な上に、ご丁寧な事に封蝋できっちり閉じてあった。
(これは……!)
コレが一般の手紙と違う点は、封蝋に施された何かの意匠らしき紋様だ。そして、アクトはその紋様の形に酷く見覚えがあった。忘れるような事がある筈も無い。何故ならこれは、彼がかけがえのない戦友と戦場を駆け抜けた日々、その証とも言うべきものなのだから。
「しっかり渡したからな。学院長直々の届け物だ、まず間違いなく面倒事の類だろうが」
「……」
淡々と告げ終わったクラサメは、それ以上は何も言うことなく姿を消してしまう。残された一通の手紙……運命や因果だのを基本信じていないアクトも、この瞬間だけは、自身の運命の歯車が音を立てて大きく動き出したのが聞こえたような気がした。脳裏を巡る様々な葛藤、錯綜する思考、それら全てを束ねて浮かんだ一つの事柄とは――
「……あ、やべ。コロナ達待たせてるの、すっかり忘れてた……!?」
小柄な体の背後に、全てを焼き尽くさんばかりの灼熱の業火を燃え滾らせる、少女の凄まじい剣幕であった。
……その後、夕暮れ時の学院内に、赤髪の少女の怒声が響き渡ったのは、言うまでもなかった。
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