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魔導帝国の英雄譚 〜そして少年は英雄になる〜  作者: 愚者
2章 学院生活編(中)~黒の剣団と獣の少女~
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36話 専属教師リネア

 来たる王立ガラード帝国魔法学院の前期中間試験――前期での総合成績を大きく左右する試験を目前に控え、学院内でも隙あらば勉強、という生徒が多く見られるようになった。


 勿論、それはアクトも同様だった。コロナに代わったリネアの丁寧な指導の下、彼はここ数日必死に勉強に励んだ。見つけたかけがえのない自分の居場所を守る為に。


 教えられた知識を次々と頭に叩き込んでそれを演習で実践しまくるという、原始的だが効果的な方法で学習を進めていった。始めはおぼつかない部分も多々あったが、持ち前の学習能力の高さを活かしてそれらを吸収、徐々に慣れていった。


 その甲斐あってか、彼の学力はみるみる向上していき、目に入れても痛くない程度にはなった。とはいえ、彼は下手をすればそこらの不良学生と比べても勉強が圧倒的に遅れている。故に時間的に全てを網羅することは到底叶わなかったが、最低ライン程度なら十分にこなせる筈だ。


 そして……勉強開始から五日後、休日を挟んだ試験前の最後の授業日に……()()は現れた。


「聞いて聞いて! またオーフェンで凍死体が発見されたんだって」

「またかよ? これで四件目だぞ?」

「警邏局も詳しい事は何一つ掴めてないみたいだし、こりゃ迷宮入りかもな……」


 ホームルームが終わり、ほぼ同じタイミングで廊下に出た各クラスの生徒達は、勉強に専念すべく早々に帰宅する為に、友達と談笑しながら玄関に続く廊下を歩く。しかし当然ながら、彼らは互いに人ごみに阻まれ、その歩みは遅々として進まないでいる。


 そんな隙間など殆ど無い雑踏の中を、アクトはある目的を果たす為に、流れに反して歩いていた。これだけの人ごみ、逆行しようものなら文句の一つや二つも出てきそうな所を、彼は大量の人ごみを強引に掻き分けるでもなく、窮屈そうに躱すのでもなく、無人の平野を進むかの如く悠然と進む。


 まるで()()()()()()()()()()()()かのように同じ歩幅で歩くアクトの姿を、誰もが認識出来ないでいた。


 否、見えてはいるが、()()()()()()()()()()()()()()()程度にしか認識していなかった。


「……ふぅ。やっぱ疲れるな、コレ」


 教室棟を出て人気の少なくなった所で、アクトは軽く息を吐きながら身に纏った「静の気配」を解く。彼は極限まで自身の気配を隠すと同時に、独特の歩法で迫りくる生徒の意識の内側に自身の存在を滑り込ませることで、自分の認識をずらさせたのだ。


 極限の集中と無呼吸状態を維持しなければならないので多用は出来ないが、大群相手には非常に有効なアクトの体技だ。人の波を抜けたアクトは、そのまま学院の裏手にある小さな演習場へと向かった。


「よっ、待たせたか?」


 学院には魔法演習用の訓練場がかなりの数存在するが、彼が向かったのはその中でも一番小さな場所だ。アクトが障害物一つ無い演習場に着くと、そこには一人の男性生徒が立っていた。


 学生にしてはかなり恵まれた体格にギラリと鋭い双眸を持つその人物は、アクトとコロナに因縁深からぬ男だ。


「いや、俺も今着いたところだ。それよりも悪いな、こんな時期に付き合わせたりして」


 アクトを待っていた先客――クライヴ=シックサールはアクトの姿を視認すると、心なしか穏やかな表情で歩み寄って来る。今のクライヴに。出会った当初のような粗野で野蛮な気配は殆ど感じられなかった。


「構わねえよ。これから会う奴の用事が終わるまでの間だけだから少ししか時間取れないけど、それでも良いんだな?」

「ああ。そんなに時間を取らせるつもりはねえ。ちょっと指導して欲しいと思っただけだからな」


 アクトが大事な試験勉強を放り出してまでこんな場所に来た理由……それは、近接戦闘の手ほどきをして欲しいとクライヴ本人から頼まれたからだ。


 校内選抜戦一回戦での騒動にて、クライヴは謎の人物(後にヴァイスと判明した)から謎の精霊武具――魔剣を手渡され、それに宿った精霊に肉体を乗っ取られた。


 もう少しで対戦相手のコロナを殺害しそうになるところを阻止し、彼の体を乗っ取った精霊を打倒したのは他ならぬアクトだ。


 だが、クライブはその時の後遺症で心象風景を司る魂の中核たる「精神体(アストラル・ハート)」、魔法を操る上で最も重要な部分に損傷を負ってしまった。幸い、魔法が使えなくなるような最悪の結果にはならなかったものの、「精神体」の欠損は魔道士としては大きな痛手だ。


「イカれたテロリスト共の襲撃を何とか生き延びてたかと思えば、今度はいきなりこっちのクラスに来て剣の指導をしてくれって言うんだから、流石に面食らったぜ」

「ああ。俺の知る限り、一番その道に精通しているのはお前くらいだったからな」


 検査の結果、クライヴの「精神体」欠損は思いのほか深刻だったそうだ。故に、もう魔法に頼った戦い方は出来ない。そこで彼は考えた。純粋な魔道士として大成出来ないのなら、魔法に頼らない何かを利用してのし上がるしか無いと。自分の恵まれた体格と何とか残った魔法能力を活かせる生き方を――


「俗に言う、『魔法剣士』って奴か。決して楽な道じゃねえぞ。そもそも、剣で魔道士に立ち向かうってだけでデカいリスクが付きまとうんだ。生半可な鍛え方じゃ、もし戦場に出たら一方的に瞬殺されるからな」

「分かってる……この前の襲撃事件で、俺はただ怯えて縮こまることしか出来なかった。学生なんだから何も出来なくて当然、なんて言うんじゃねえぞ。あの時、自分(テメェ)に出来る事を全力でやろうとしてる奴は確かに居た。ローレン、お前、そして……コロナだ」

「……!」


 情報の流れとは早いものだ。まさか、クライヴにまで自分達の情報が伝わっているとはアクトも思っていなかった。そして、クライヴのこの反応を見る限り、どうやら彼のコロナに対する対抗意識が燃え出したようだ。


「有事は俺達を待ってはくれない。そんな時、少しでも自分にも出来る何かを増やさなけりゃならねえんだ。そうでもしなければ、俺がコロナに追いつくなんて夢のまた夢だ。俺は、こんな所で立ち止まるわけにはいかないんだよ……!」


 拳を強く握りしめながらクライヴは語る。やはりこの辺りの意識だけは一皮剥けても変わらないようだ。まあ、高い目標に対して常人なら当然の如く諦めるところを、どこまでも負けず嫌いなのがクライヴの長所の一つなのだろう。そんなクライヴに向けてアクトはフッ、と薄く微笑む。


「何でも良いさ。剣を交えれば嫌でも分かる。テメェが抱えてる色んなもん全部、な。だから遠慮せずにかかってこい」

「……! お、おう!」


 アクトの言葉にクライヴは力強く応える。なるほど、やる気は十分にありそうだとアクトは内心思う。態度では分かりにくいが、彼はクライヴにこの話を持ち出される前からクライヴについての新たな戦い方を独自に模索していたのだ。


 緊急の対処故に仕方なかったとはいえ、クライヴを今の状態にしたのは他ならぬ自分なのだ。責任を取る必要は無くとも、自分の技量不足が招いた結果に彼は歯噛みしていた。だからクライヴが自ら志願して来た時は多少なり嬉しいと思ったものだ。


 ちなみにこの事はリネアにも説明済みで、今日、彼女は快く時間を作ってくれた。コロナだったら絶対文句の一つでも言われたなと、リネアの優しさを身を以て知るアクトであった。


「長さは一般的な物を持って来たが、これで良いか?」

「おうよ。じゃ、さっさと始めよう――ぜッ!!」


 予め指示していた通り、クライヴが倉庫から持ち出した二振りの訓練用の木剣のうち一本をアクトが手渡しで受け取る。そして――クライヴがある程度の距離をとろうと背を向けたところを、アクトは地を蹴って駆けだした。


「なっ!?」


 木剣がクライヴの背中に命中する間際、ほんの一瞬の間際にクライヴはこれに反応、完全な迎撃は間に合わないと判断するや左手に握った木剣で力任せの回転切りに転じる。


「甘い」

「――ッ!?」


 しかしその程度で抑えきれるほどアクト=セレンシアは甘くない。このタイミングで反応されるのは()()()()()()()()、アクトは構わず高速の斬撃を繰り出し、クライヴの木剣と激突、その小柄な体格に見合わない驚異的な膂力で、同年代にしてはかなり大柄なクライヴを十数メトリアも後退させた。


「なんつー力してんだよテメェ……! それより、いきなり襲い掛かるなんてどういう用件だ!?」

「アホか。敵がわざわざ『じゃあ攻撃しまーす!』って言ってくれると思ってんのか? 訓練とはいえ、これから剣を交える相手に安易に背中向けるんじゃねえよ」

「……!」


 クライヴの抗議を一蹴し、アクトは彼の不注意を厳しく諫める。意識の改革、これが魔法剣士として戦う為の第一歩だと、アクトは真っ先に判断したのだ。


 外見で判断されがちだが、クライブは学院でも上位十人には入る実力者だ。なまじ魔法能力が高かった分、いざ戦闘となると意識がそちらの方へ流れやすい。だが、


「良いか? 魔道士と剣士じゃそもそもの認識から違うんだ。それが『戦闘』なら尚更な。局所的に秀でてる部分はあっても、総合力という点において剣は魔法には絶対に及ばない。攻撃・防御・対抗、治癒、そして魔法罠(マジックトラップ)……俺達が気を付けなければならない物は山ほどある。常在戦場、いつ如何なる時も神経を張り巡らせる()()の事が出来ないと、戦場に出ても早死にするだけだ」

「うっ、それは……」


 ぐうの音も出ない正論に、クライヴは押し黙るしかない。先ずは第一段階と、アクトは改めて剣を構える。


「だが、今の反応は中々良かったぞ。俺もあそこから手が出るとは思ってなかった。さて、言いたい事も言えたことだし、始めようぜ。そら、どっからでもかかって来い」

「お、おう……なら、行くぜぇえええッ!!」


 急に掌を返された事に一瞬唖然とするクライヴだが、すぐさま気を取り直す。そしてアクト同様木剣を構え、地を蹴って威勢よく駆け出した。



 ――半刻程が過ぎた頃、演習場には地面に大の字になって倒れているクライヴの姿があった。僅か半刻にも関わらず彼の体は無数の打ち身で全身ボロボロで、満身創痍一歩手前といった様子だった。その傍らで木剣を肩に担ぎながら彼を見下ろすアクトは、傷どころか息一つ切らしていない。


「は、反則だろ……強すぎだろテメェ……!」

「鍛え方が違うからな。対するお前の動きだが……そのガタイの良さをまるで活かしきれてない。攻撃は大振り、懐に潜られた時の対処がまるでなってない、魔力放出も甘ぇ。他にも色々あるが、はっきり言ってまだまだだな」

「し、仕方ねえだろ。こちとら今まで魔法一筋だったんだからな」


 アクトの淡々としつつも一々的を射た指摘に、起き上がったクライヴは胡坐をかいて不貞腐れる。体力はあるようだが、剣術も体捌きもまだまだ未熟、彼の魔法剣士への道はまだまだ遠そうだ。


 だが、アクトとクライブがそれぞれ目指す道には大きな違いが一つある。


「今回は禁止したけど、テメェは俺と違って剣と魔法の二段構えなんだ。剣術を極め、魔法を併用して立ち回れるようになったら、戦術の幅は飛躍的に広まるだろう」


 その後、アクトは先の立ち合いで気になった問題点への改善策を丁寧に指摘していく。剣の達人ではあるものの、まだ十七歳のアクトがこうまで丁寧に指導出来る理由、それは学院に来る前、彼の「師匠」に癖や弱点を散々言われた為、嫌でもそういう「人を視る目」が培われていたからだった。


 クライヴもクライヴで、アクトのアドバイスを真摯に受け止める。今までの彼ならばアドバイスを聞き入れるどころか誰かに助けを求めすらしなかっただろう。だが今はアクトが自分の居場所を守る為に勉強するのと同じように、彼もまた己の道を切り開く為に必死なのだ。


「――とりあえず、目立った欠点はこんなところだ。今は時間が無いけど、暇があったらまた相手してやるよ」

「ああ、今日は恩に着るぜ。俺は完全下校時刻までもうちょっと残る。……時間って言えば、もうじき試験だな。そういえば聞いたぞ。お前、試験結構ピンチなんだってな。それでリネアの奴に泣きついたとか何とか」


 訓練を終え、特別の借りた演習場の後始末をして別れる間際、クライヴがそんな事を言って来た。アクトと違い、クライヴは真っ当に教育を受けてきたのに加え、魔法関連ではそれなりに優秀な成績を誇る。前期試験が何だろうが関係無いのだろう。


「別に泣きついてはいねぇよ……ああマズい、もう時間だ。熱中し過ぎて時間の事忘れか……じゃあな、まあ頑張れや!」

「お、おい!?」


 別れも中途半端なまま、天高くまでそびえ立つ大時計塔に示された時刻を見たアクトは、思い出したように校舎の方へ走り出す。呼び止める間もなく残されたクライヴは呆れたように、遠ざかる小さな背中に向けて苦笑を浮かべた。


「ったく、コロナといいアイツといい、騒々しい奴だ……それでも、俺の目標である事に変わりは無いがな」


 自分を悉く打ち負かしてきた赤髪の少女、不覚にも肉体を乗っ取られた自分を救った少年……自分の目標、目指すべき形は見えてきた。ならば、後は少しでも彼らに追いつく為にひたすらに己を鍛えるのみだ。


「やってやる。必ず、お前達の領域にまで登ってみせるぜ」


 そんな決意を胸に、クライヴは再び訓練に戻るべく演習場の中に消えて行くのだった。



 ◆◇◆◇◆◇



「やべぇ、約束の時間とっくに過ぎちまってる……!」


 生徒達も殆ど帰り、すっかり人気の無くなった廊下を、アクトは全力疾走気味で駆け抜ける。途中、何度か人とぶつかりそうになるが、そこは持ち前の運動能力を活かして華麗に回避、一度も速度を緩めることなく目的地に向かう。


(やっぱ怒ってるのだろうか……リネアは誠実な人間には優しいけど、約束とか守らない奴には結構厳しいからな。特に、今回は俺の都合でリネアを付き合わせてるわけだし……)


 まぁ、あの短気な赤髪の少女と違い、リネアは肝要だ。きちんと理由を説明すれば納得してくれるだろう……多分。


 アクトの行先は、学院内に敷設された附属図書館だ。オーフェンの公共図書館の役割を担い、貴重な書籍も数多く保管されている図書館は、学院関係者は勿論のこと、申請すれば一般人でも閲覧が可能な施設だ。


 ここ五日間、アクトとリネアはあの場所で勉強するのが日課だった。


 コロナとエクスは、一足先に家に帰っている筈だ。彼女も彼女で学年トップを取る為に、ここ数日、必死になって勉強している。今回の彼女は何時にも増して燃えていた。エクスも主人の学業の妨げになってはいけないという事で自ら身を退いてくれた。


「着いた着いた……」


 少し大きめの扉を開けて入室した図書館内は、静寂に満ちていた。図書館という施設の性質は勿論のこと、昨日まではそれなりの人数が居た他の生徒達の姿は何処にも無く、居るのは常勤で司書を勤めている女性だけだった。


 試験直前という事で、最後の追い込みをかける為に全員さっさと帰宅したのだろう。


「あら貴方、最近リネアさんとよく一緒に居る子ね。彼女なら勉強道具を机に置いたら本棚の奥に入って行ったっきり、まだ戻って来てないわよ? きっと首を長くして待ってると思うから探してみて」

「あ、はい。ありがとう…ございます」


 いつもの場所に行ってもリネアの姿が無かった事に怪訝な表情を浮かべるアクトに、妙齢な麗しい女性司書が事情を説明してくれた。女性の指示に従い、アクトは本の要塞の中を進んでいく。


「まったく、何て数の本だよ……それで、リネアは何処に居るんだぞっと……ん? あれは……」


 大小無数の大きさの書物が収められた本棚が、二階にまで所狭しと置かれる蔵書コーナーを歩き回り……リネアは意外にも早く見つかった。というのも、ある場所には大量の本が床一面に置かれており、彼女はそれらに囲まられるようにして、高い所にある書物を取る為の梯子に座り、厚めの本を読んでいた。


(あんな真剣に、一体何読んでるんだ?)


 リネアは何時にも増して真剣な表情で、ひたすらに記述に目を通しては頁をめくる作業を繰り返す。アクトでさえも思わず声を掛けるのを躊躇う程、とにかく今の彼女は自分の世界に没我していた。だが……その真剣な表情の片隅には、何かに酷く思い詰めたような焦燥にも似た感情が滲んでいた。


(……気にしてても仕方無いな)


 このまま静観していても埒が明かないと判断したアクトは、本棚の影から姿を晒し、床にぶちまけられた本を踏まないよう注意を払いながらリネアに近づく。


「よ、ようリネア。待たせて悪かったな」

「…………え? あ、アクト君! クライヴ君との用事はもう済んだの?」


 アクトの言葉にリネアは少し遅れてハッ、としたように反応した。


「ああ。それよりも悪かったな。時間、結構遅れちまってさ」

「気にしないで。私はほら、さっきまでこんな感じだったからね。これが最後の本」


 リネアは自分の周りに散乱した多くの本を見せびらかすようにして言う。どの本も他と比べてかなりぶ厚く、読むにはそれなりの時間を要するだろう。だが彼女は、アクトがクライヴと訓練をしている間にこれらを全て読破したことになる。驚異的というか、明らかに異常な速度だ。


「まさか、今の今までこれ全部読んだのか?」

「まあね。比較的読みやすい物ばかり集めたつもりだったから」

「へー……で、何の本読んでたんだ?」

「え? ああ、見てみる?」


 そう言って、リネアは先程まで読んでいた本をアクトに手渡す。それを受け取ったアクトは本棚に背を預けて、パラパラとおおまかに頁をめくって内容を把握していく。そして――


「……おいおい。これってもしかして……」


 一通り頁をめくり終わったアクトは、書かれていた内容に薄く戦慄する。それもそのはず、何故ならこの本に書かれているのは、あの憎き仇敵達が信奉して止まない「原初の神」について説かれた神学書だったのだ。


 実際に見たわけでは無いが、床一面に置かれた厚い本も、恐らく同じような「神学」に関する書籍なのだろう。アクトの脳裏に蘇る忌まわしい事件……他所の魔法科学院から招かれたという謎の講師も、自爆テロ結構前にこの本と同じような事を言っていた。


 少し詳しく読み進めていくと、あの狂信者共が信仰している「原初の神」について様々な考察や解説がされていた。宗教的観点・魔法的観点・歴史的観点・その他様々な視野から考察がなされた、中々完成度の高い内容だった。


(連中に毒されたか……いや、それは無いな。だが、これだけの本を読破したとなると、単に興味本位というわけでも無さそうだ……なら、聞いてみるか)


 無いとは思うが、それでも「最悪の可能性」を考えつつ、アクトは自己完結混じりに問う。


「まさか、連中のくだらねえ思想に賛同してるってわけ……じゃ無いよな。流石に」

「ち、違うよ! 誤解しないで!」

「だよな。悪い、変な事聞いた」


 とんでもないと言わんばかりにリネアは両手をぶんぶん振って必死に否定しようとする。一先ず最も嫌な可能性が消滅した事にアクトは少し安堵した。


「それなら、どうしてこんなになるまで読みまくってんだ? この量、ちょっと普通じゃ無いぞ? 何か特別な思い入れでもあるのか?」

「うん。ちょっと、ね。アクト君も言ってたみたいに、あの人達はまた危ない事をしようとすると思うんだ。私もそれにいつ巻き込まれるか分からない。だからその時の為に少しでも相手の事を知っておけば何かの役に立つかもしれないでしょ? ほら、東方にも『敵を知り己を知らば百戦危うからず』って格言があるし、決して悪くない事かなって」

「ふーん、そんなものかねぇ……」


 リネアの言葉にアクトは曖昧に答える。事前に相手の情報を集めておくのは悪い事では無い。悪い事では無い……のだが、アクトには彼女の言い分にはどうにも理屈っぽい物が混じっている気がしてならなかった。


 しかし深く詮索するつもりは無かった。誰だって隠し事の一つや二つはあって当然だし、何より今の彼にはそんな事よりも優先すべき事があるのだ。


「とりあえず始めようぜ。このままだと日が暮れちまうからな」

「うん、そうだね。じゃあ始めよっか」


 そう、来たる前期試験で一点でも多く点数を取る為、彼は一分一秒時間が惜しいのだ。


 その後アクト達は床にぶちまけられた大量の本を手分けして元の位置に戻し、図書館内に特別に設けられた自習机に自分達の勉強道具を並べる。そうして、二人のいつもの試験勉強が始まった。


 他に司書の女性しか居ない静かな空間の中、二人は無数の本に囲まれながら各々の勉強をひたすらに進める。リネアもリネアで自分の勉強があるので、終始アクトに付きっきりというわけでは無い。


「ちょっと良いか? この部分なんだけど、この文法構造だと……そうか。この部分にコイツを当てはまるって事で良いんだよな?」

「そうそう。だからこの部分を、より強い意味を持つ言葉に置き換えると成立するわけだね」

「なるほど分かった。ならこっちの問題は? 全然分からないんだが……」

「どれどれ……あーこの問題、初見だと殆どの人は引っ掛かるんだよねー。でもこれには特別な解法があるんだ。ほら、この数式を二式魔導関数で特殊解に持っていくの。……これで完成。どう、簡単でしょ?」

「おお……凄いなコレ。オッケー、とりあえず分からない所はこれで全部だ。ありがとな」

「うん。またいつでも相談してね」


 このように、基本は各自で勉強して、時折分からない問題があったらアクトの質問にリネアが答えるというのが基本的な流れだ。

 

 後学の為に基礎部分を徹底的に学ぶ決めたアクトの質問は、難易度的にはそう難しくもないのでリネアも質問に答えやすく、彼女の復習の手伝いにもなる。まさに一挙両得というやつであった。


 それでも始めた当初は、アクトの質問の連続でリネアは殆ど自分の勉強に手が付かなかったのだが、彼女はそれをまるで苦にすることなく一つ一つ丁寧に答えていった。


 その甲斐あってか、アクトの学力は普通に学習する何倍もの速度で向上していった。それを実現しているのはアクト本人の学習能力の高さも勿論だが、リネアの献身的な助けがあってこそというのは言うまでも無い。


「――ふぅ……ちょっと休憩しよっか」

「ん……そうだな。俺もそろそろ疲れてきたところだしな」


 気付けば時間は大きく経過しており、窓からは夕日の淡い赤光が差し込んで来る。キリの良い所まで問題を解き終えたリネアは、羽ペンを机に置いて両腕を上に突き出し、大きく伸びをする。


 先程まで居た女性司書の姿は既に無く、どうやら顔馴染みらしいリネアに鍵を任せて先に帰って行った。なのでこの図書館にはアクトとリネアの二人だけしか居ない。


「集中してたら時間なんてあっという間に過ぎるもんだな。訓練で剣を振ってる時とはまた違う感覚で新鮮だな」

「前々から思ってたけど、アクト君の集中力って凄いよね。私やコロナなんて目じゃないよ」

「いやいや、俺なんてまだまだだよ。師匠ならこれぐらい平気でこなすさ」


 リネアの称賛にアクトは謙遜気味に答える。彼の集中力は魔法飛び交う戦場で磨き抜いた代物だ。そこらの集中とは次元からして違う。これは魔力放出や数々の秘剣を使いこなすのに必要不可欠な能力だ。この勉強も、何かをしながら脳を並列に使うという訓練になってアクトのモチベーションを上げる材料になっていた。


「……あ、そういえば――」


 背もたれに体を預けて弛緩しきっているそんな時、アクトの頭の片隅にふと小さな疑問が降って湧いた。気を緩めたからだろうか、それは本当にいきなり湧いた疑問だったのだが、彼は思い切って聞いてみることにした。


「なあ、前から聞きたかったんだけど良いか?」

「……? 良いよ、答えられる事ならね」


 いきなりのアクトの問いにもリネアは気前よく応じる。「なら遠慮なく」と、アクトは彼女に向き直って問う。


「リネアってさ、どうして魔法科学院に、魔法を学ぼうと思ったんだ?」

「ほ、本当に急な質問だね……」


 思い返せばリネアにはまだ目的を聞いたことが無かった。コロナ、ローレン、クライヴ……少なくともアクトが学院に来てから交流を重ねた者達は全員、何かしらの明確な目標を抱えていた。


 今は無きイグニス家と親交が深かったエルレイン家のよしみでコロナは引き取られたようだが、思えばリネア自身は何故魔法を学ぶのかは曖昧だった。


「やっぱ家の方針か何かなのか? お前の家、結構な名家らしいし」

「それもあると言えばあるんだけどね。でも両親は提案をしてくれただけで、私の進路を強引に決めた事は一度も無いよ。最後は必ず私が決めるようにしてるんだ」

「へぇー……なら、どうして魔法を学ぶんだ?」


 アクトとしてもこの問いは非常に意味のある物だ。コロナ達との出会いでその意識はかなり変化しつつあるが、アクト=セレンシアは魔法を忌み嫌い、それをロクな事に使わない魔道士を憎んでいる。エレオノーラが支配するこの場所を見極め、魔法の暗黒面に落ちそうになる生徒達の意識を変えようと目論むアクトとしても、同居人が何故魔法の道に進むに至ったのかという事には興味があった。


「……別に隠すような事でも無いし、コロナに聞けば直ぐに分かる事だから話すね」


 そしてリネアは語りだす。自らが抱える大きく、謎に満ちた秘密について――


「私には生まれつき、変な性質があるんだ」

「性質?」

「うん。私、興奮したり落ち込んだり、とにかく感情の起伏が大きくなると、すぐ隣に『何か』が現れるんだ」

「……はい?」


 いきなりの意味不明なリネアの言葉にアクトは思わず唖然とする。


「ど、どういう事なんだ?」

「多分霊的な性質によるものだと思うんだけど、私の心には私自身でさえも認識出来ない『何か』が潜んでいるみたいなんだ。これを知ってるのは両親とコロナだけ……ああでも、決して悪いものじゃ無いと思うんだ。()()に出会うと、不思議と心があったかくなって心が落ち着くの」

「……よく分からん」


 いまいち釈然としない答えにアクトが怪訝な表情を浮かべる。霊的な分野はどうにもアクトの苦手とする分野だ。


「で、正体は分かってるのか?」

「何度か高名な魔道士の人にも見てもらったんだけど、殆ど分かってないんだ。唯一分かってるのは、それが私の特殊な魔法適正に強く影響しているみたいだね。両親やコロナは何度か見たことがあるんだけど、姿形はモヤみたいな不定形みたいなの」

「……ますます分からん」


 最初はただの気のせいじゃないのかと一蹴しようとしていたが、他者にも見えると話は大きく変わってくる。余計に混乱するアクトであった。


「今ここで見せれるような物じゃないのか?」

「感情の起伏が大きくなっても出て来ない時の方が多いから、絶対に現れるわけじゃ無いと思うの」

「駄目か……それが理由なのか?」

「その通りだよ。私が魔法を学ぶのは、この『何か』の正体を暴いて明らかにする事。人とは違う何かを抱えている私なら、それを使って人を助けられるんじゃないかって思っの」


 自分に起きた得体の知れない謎を解明する、自分にしか出来ない事を成す為に魔法という茨の道を進む……アクトは心の何処かでリネアは明確な目的の無い「危うい人物」と認識していたが、完全な早とちりだった。


「……そうか。よく分からんが、まぁ頑張れよ」

「うん!」


 認識を誤った事を悔いる素っ気無いアクトの励ましに、リネアは優し気な微笑みで返す。その後二人は他愛も無い雑談に興じ、勉強の疲れを癒していく。温かな夕日差し込む図書館での二人のやり取りは、まるで年頃の男女が繰り広げる青春の一幕のようであった。


「さあ、最終下校時刻までまだ時間あるしもうひと踏ん張りしよっか。最後の追い込み、頑張ろ?」

「そうだな。ちょっとでも点数上げて、期末試験で楽に出来るようにしないとな」


 そう言って二人は互いに再び羽ペンを手に取り、自分の課題に取り組む――その時だった。


「「――ッ!?」」


 刹那、恐ろしい程の気配――殺気が二人を襲った。文字通り背筋も凍るおぞましい気配に、彼らは反射的に立ち上がり、瞬時に警戒態勢をとる。完全に油断していたにも関わらずこれだけの反応速度、彼らにそうまでさせる程、振りまかれた殺気は濃密だったのだ。


 彼らに向けておぞましい気配が放たれたのも束の間、新たな現象が発生した。窓から差し込む夕日の光が何かに遮られるようにして突如消滅し、図書館内はあっという間に不気味な暗さに包まれる。いきなり夕日が沈むわけが無い。明らかに何者かが意図して起こした現象だ。


 そして次の瞬間、更なる異変が彼らを襲う。気付けば、彼らの周りには何処からともなく白い霧が渦を巻いて霞み、それは異常な低温を以て二人の吐息を白く染める。白き濃霧は彼らのみならず、周囲の本棚などに大量の霜を降ろさせる。


「これってあの時の……!」


 彼らの脳裏に蘇るのは学院襲撃前の二日前、ヴァイス=ノルツァーが仕掛けて来た時の事だ。あの謎の異界を作り出してアクト達を誘い込んだ張本人は今も尚、判明していない。まさか、ルクセリオンが仕掛けて来たのか……? そんな懸念が強まる。


「寒っ……」

「大丈夫か?」

「大丈夫、制服の空調機能である程度は相殺出来るけど……」


 学院生に支給されている制服には各種機能が付呪(エンチャント)されており、防寒機能も備えているのだが……それを貫通して余りある冷気が二人を凍えさせる。もしこれが何の変哲も無い服装だったならば、二人はたちまちで重度の低体温症に陥っていただろう。


「ね、ねえアクト君。この霧って最近オーフェンで発生してた連続変死事件と関係してるんじゃ……」

「ああ、間違いない。これだけの冷気、常人なら数分持たずに凍死必至だ……リネア、手遅れになる前に追加で空調魔法を掛けてくれ!」

「うん! 【小さき灯よ・寒の災禍より我らを守れ】!」


 アクトの指示でリネアは人体に最適な温度を保つ汎用魔法《状態(ステータス・)維持化(ノーマライズ)》を、寒気に特化して保護出来るよう呪文を改変して発動、失われつつあった二人の体温が徐々に戻っていく。


「ふぅ……リネア、俺の傍から離れるなよ。十中八九、これは明らかな『異界化』だ。この空間を作り出した奴を倒すまで消えないぞ」

「う、うん……」


 続けてアクトは右腕を頭上高く掲げ、自らが頼る契約精霊、その名を高らかに叫ぶ……がしかし、


「来てくれ、エクスッ!」


 何も起こらなかった。瞬時にアクトはハッ、と思い出したように気付く。エクスを家に帰したのは他ならぬ自分だ。こんな時に何て都合が悪いんだと、彼は歯噛みしながら腰の鞘から愛剣・アロンダイトを抜剣した。


「アクト君ッ、あれ!!」

「――ッ!?」


 互いに背中をカバーしていたその時、リネアが悲鳴じみた声を上げてある一点を指差す。反応したアクトが彼女が指差した方を向くと其処には――「白い死神」が居た。


 全長は二人の身長の数倍は優にあろうかという巨大な人型、頭部と思しき部分は限りなき「無」を思わせるポッカリと空いた両目と口が特徴の「骸骨」の容貌、胴体は人体を思わせる無数の骨格によって構成されている()()は、床から数メトリア程にある所を宙に浮いていた。規格外の図体で二人を見下ろす()()はまさに、古代神話で人々の命を無慈悲に刈り取る「死神」の出で立ちをしていた。


「おいおいおい!! 何だ、このデカ過ぎる死霊は!?」

「死霊!? 死霊って、あの!?」


 彼らを襲った殺気の出所はこの「死神」で間違い無いだろう。その正体を瞬時に看破したアクトは戦慄に震える。同時に新たな疑念が沸き上がった。それすなわち、‟どうしてこれ程のヤツがこんな所に現れたんだ”、と。


『Ahhhhh----』

「来るぞ!」

「……ッ!」


 得体の知れない不気味な呻き声を発しながら、氷結の死霊は向こう側が透けて見える半透明の巨体から文字通り血も凍る程の極低温の冷気を放出した……!


大変長らくお待たせしました(汗)最近、日常生活が非常に忙しく執筆に手がついていない今日この頃です……しかしながら、絶対に完結はさせてみますので、温かい目で見守っていただけると非常に幸いです。これからもよろしくお願いします!

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