110話 団長
日も西の空に傾き始めた頃。本日の最終戦である第八試合が終了し、「若き魔道士の祭典」一日目は大盛況の中で幕を閉じた。
多少の混雑によるトラブルはあれど、市民は家路につき、帝都の外からやって来た者達は手配した宿泊先に引き上げていく。国内最高レベルの学生魔道士達が振るう神秘の数々を目の当たりにし、今夜の彼らの話題はそれで持ち切りだろう。
また、出場選手達もホテルで食事と入浴を済ませた後は、明日以降に備えてそれぞれの時間を過ごし始めた。
街中で魔法を使う訳にはいかないため、運営委員会が特別に借り切った軍の訓練施設で調整に励む者。
今日の試合内容を反省し、チームメイトと作戦の練り直しを行う者。
戦闘の疲労感からさっさとベッドに転がって寝息を立てる者など……
過ごし方は様々だが、さらに激化するであろう戦いに向けて選手達は存分に英気を養うのだった。
そして――次の日。
「あっつい……」
真夏の照り付ける日差しの下、「アルヴス=レギナ魔闘競技場」には今日も今日とて二日目の試合を見物すべく大勢の人々が訪れていた。
昨日は休息日だったためか、開会式の時程の人だかりは出来てないが、それでも一つのイベントに対する動員数としてだ驚異的だ。
「暑い……帝都の夏は涼しいって聞いてたのに、何で昨日と今日とでこんなに気温が違うのよ……」
「魔法的要所の上に立つ都市はどうしても霊脈の影響を受けるからね。こればっかりはしょうがないよ。帝都直下の『アルク=トゥルス霊脈』はオーフェンの『カペリナ霊脈』よりもずっと大きいって話だし」
天井の覆いで日陰になってる選手用観戦席でも学院制服の空調魔法を貫通してくる熱気にコロナが愚痴を零すと、額に汗を溜めたリネアが苦笑いで応じる。特に本日の気温は今シーズン最高になる見込みのようで、たまらない暑さとなっていた。
二人の胸中は他の観客も一致しており、魔法で暑さを和らげる手段を持たない者達はタオルや日傘などで日差しを凌ぐしかない。
ジリジリと肌を焼く暑さに参りかけている者もおり、時折観客席へ巡回に来る売店の売り子が忙しなさそうに飲み物を売って回っていた。
――だが、そんな夏の熱気を吹き飛ばすかのように会場中が盛り上がっているのは、やはり昨日の試合の影響が大きい。
皆、例年と比較してもハイレベルな本大会の成り行きが気になるのだ。
「昨日は試合もあってドタバタしてたけど、今日はゆっくり見物出来そうね」
コロナの手元には、観戦の合間につまむための食べ物と冷たい飲み物がしっかり用意されていた。先程、席へつく前に売店で購入しておいた物である。
「あはは、コロナは楽しむ気満々だね」
「自分達の試合も勿論大事だけど、これはお祭りなんだもの。楽しまなきゃ損よ」
きっと、使命を果たすのに必死で追い詰められていた以前のコロナであれば、願望の成就が懸かった大会を楽しむ余裕などなかっただろう。
だが、今のコロナは溢れんばかりの闘志を燃やしつつ、それでいてどこまでも自然体だった。強かな立ち振る舞いを身に付けたと言うべきか、様々な経験と出会いを経て一皮剥けた友人をリネアは頼もしく思うのだった。
そうこうしている内に、ようやく一回戦第九試合が始まろうとしていた。もう日が昇ってそれなりに経つが、初日と最終日以外は各セレモニーが無いため、本日のタイムスケジュール自体は昨日と比べれば緩やかだ。
「……今更なんですけど、先輩を置いてきて大丈夫だったのでしょうか?」
すると、左端の席に座っていたアイリスが不安げな声色で呟く。彼女が身を案じているのは他でもない、此処には居ないアクトの事だ。
先刻、試合観戦のために「奇なりし絆縁」の面々がホテルを出発しようとした直前、一回戦の疲れがまだ抜けないからとアクトはホテルで待機することになったのだ。
そのため、別行動で少女達はアクトの分まで他選手の敵情視察に来ている形になる。
「アクト君、休んでいれば回復するとは言ってたけど、もしかして昨日の試合のダメージが思ったより深刻なんじゃ……」
「……確かに、相当無理をさせてしまったものね。疲労によるパフォーマンスの低下が二回戦に響かなければ良いけど……」
事実、一回戦でアクトが大立ち回りを成功させるのに支払った労力は相当のものだ。作戦遂行のためとはいえ、彼を限界まで酷使した張本人であるローレンは渋い顔をするしかない。
「……私、やっぱり先輩の様子を見に――」
「大丈夫よ」
居ても立っても居られなくなったアイリスが席を立とうとしたところへ、コロナが横から口を挟む。彼女は視線を変えず、今まさに試合が始まろうとしている中央フィールドを見据えて言った。
「頑丈さが取り柄の男だし、一日寝てれば回復するでしょ。そもそも、あれくらいでへばってたら、今頃アイツは生きていないわ」
三人の心配は杞憂であると、コロナは確信していた。これは出会ってからそれなりの月日が経ち、時にはぶつかり、時には共に死線をくぐり抜けた仲間としての信頼だった。
いつだって、誰かのために全力で剣を振るってきたあの少年は、そこまでヤワではないと。
「コロナ先輩……」
「だからアイリス、アイツが居ない分までアタシ達がしっかり見ておくのよ――勝つために」
信頼しているが故に、コロナは自分に出来る精一杯を成そうとするのだった。
――ただ、信頼しているが故に、アクトの裏の意図を見抜くまでには至らなかった。
◆◇◆◇◆◇
当然ではあるが。
たとえ「若き魔道士の祭典」が開催中であっても大半の一般市民は普通に生活を送っている訳で、熱狂渦巻く競技場から少しでも離れれば、元の帝都らしい喧騒が戻ってくるようになる。
早朝こそ競技場に向かう人々で一方向への整然とした流れが作られていたものの、あるピークの時間を過ぎればそれも自然消滅し、無数の人、物、馬などがあちこちを行き交う日常的な混沌と化す。
特に商業区は「若き魔道士の祭典」開会前から既に活況であったが、開会と共にさらなる観光客の流入が発生し、その特需によって規模の大小問わず商人達は嬉しい悲鳴を上げていた。
「……」
時刻は正午に差し掛かろうという頃。この時間帯では都市内で最も通行量が多い一番街メインストリートの街路を、アクトは一人歩いていた。
進行方向先の景色すらまともに見えない無秩序な人混みの中を、窮屈さを感じさせない足取りで人々の間を縫うように進んでは、殆ど速度を落とすことなく歩いていく。
ほんの僅かな瞬間に生まれた雑踏の隙間を見つける観察眼と、そこを最短最速で抜け出す体術の合わせ技だ。
(我ながら上手く抜け出せたな。コロナにバレるかが不安だったが……)
昨日の疲労が抜けきらないという理由でメンバーと別れた(事実、相当に消耗したため間違いではないが)アクトは、少女達と時間をズラしてホテルを出てグレイザー達との待ち合わせ場所に向かっていた。
あの程度の運動量で丸一日寝込むのはおかしい、とチーム内で最も長く共に戦ってきたコロナに見抜かれるのではないかと内心冷や冷やしていたが、誤魔化せてほっとしている。
(本当は事情を話す方が良いんだろうが、軍の機密事項だしな。……それに、優勝目指して頑張ってるアイツらに水を差すような真似はしたくない。知っておくのは俺だけで十分だ……今はまだ)
脇道に入ってメインストリートから外れ、人通りが減った狭い裏通りを通ってアクトが足を運んだのは、帝都南西部にある旧開発区。
元は数年前に行われた都市開発の候補地の一つであったが、予算、住民からの反発、建築法令違反……急激な開発を推し進めたことで生じた諸問題によって計画は頓挫、開発は途中で打ち切られる事になった。
その際、住民の大半は新しく作られた居住区の住宅街に移り住んでおり、今は僅かな住民や無法者が残る寂れたゴーストタウンがあるだけだ。どんな大都市にも負の遺産があるように、皇帝のお膝元であっても再開発の目途が立たずに放置されている。
ただでさえだだっ広いこの都市の中で、主要区画からも遠く離れたこのような場所、目的を持って訪れなければ近隣住民以外ならまず辿り着きはしない。
「……此処か」
そんな誰からの記憶も忘れ去られていくのみの僻地に、その屋敷はぽつんと建っていた。
それなりの名家が住んでいたのか、エルレイン邸程ではないが立派な屋敷だ。主は他の住民と同様、都市開発の際に別の場所に移住したか帝都を離れ、土地の買い手もつかず放置されることになったのだろう。
持ち主が離れてから手入れはまったくされておらず、雨風に打たれた屋敷は薄汚く、舗装路は崩れ、元はさぞ美しかったのであろう庭園には花々の代わりに雑草がいたるところで生い茂っている。
一見、主を失った空き屋敷……しかし、今は少なくとも無人ではない。というのも、閉ざされた門の周辺と、門の外から見える範囲の邸内に複数の靴跡が残されていたからだ。
その手の捜査に疎いアクトでも分かるくらい靴跡は新しい物が多く、この数時間以内にそれなりの人数の出入りがあった事を示唆していた。
(どうやら、此処で間違いないようだな……)
日頃の癖で尾行が付いていないか確認し、アクトは鉄錆びて不快な軋みを上げる門を開け、屋敷の敷地内に踏み込む。
荒れ果てた庭園の真ん中を通り抜け、古びた玄関扉の前に立ち、それを三度ノック。
「"我らが剣は義にあらず”」
そして、予め教えられていた合言葉をぼそりと呟いた。
がちゃり――すると、扉の向こう側から鍵が開く音がした。その音を確認し、アクトは素早く扉を開けて中に入った。
「待っていたぞ」
アクトを出迎えたのは、グレイザーだった。
最低限の明かりしか無い空間でギラリと光る鋭き蒼の双眸は非常に印象的で、そのうち目から光線でも飛ばしてきそうだ。
「ったく、なんつー合言葉だよ。自虐のつもりか?」
「そう言うな、俺達にとっての戒めの言葉だ」
こっちだ、そう短く促したグレイザーは屋敷の奥へと進んでいき、アクトも彼の後を付いていく。
アクトの予想通り、外観と同じく内装もかなり荒れていた。壁際に等間隔で魔法照明が置かれているだけで、掃除の手は殆ど行き届いてない。ただ、その代わりにあるのは邸内に仕掛けられた大量の魔法罠だ。
既にアクトが察知しただけで五つ。他にも侵入者対策用の探知系魔法や迎撃機構も仕込まられており、ちょっとした要塞と化していた。足元からは何やら強大な魔力の気配も感じる。
「まさか、こんな屋敷を借りてるとはな。てっきり、軍の施設に呼び出されるのかと思ってたぜ」
「事情が事情だ。まだ移転の最中だが、この拠点は俺達の雇い主――エレオノーラ=フィフス=セレンシア女史に用意してもらった」
「エレオノーラが?」
「傭兵団から帝国軍の第七軍団として活動している『黒の剣団』だが、我々は本質的には隠された部隊だ。ある意味、公式の作戦記録には残せない裏の任務に従事すると言われる第六軍団『猟犬師団』と同等に秘密が多い」
帝国最高戦力にして切り札である「七魔星将」は、皇帝直轄の魔道士集団。この国の最高権力者の命の下に動く彼らは、軍部にその権力が及ぶのを防ぐために、例外を除き軍とは基本的に切り離された存在だ。
この辺りのパワーバランスは非常に複雑で、「七魔星将」の一人が手綱を握る特殊部隊が堂々と軍の施設を使えば、立場上何かと目を引いてしまう。余計な軋轢を生まないためにも、軍関係者の目が届く場所をうろつくのは憚られるのだろう。
(エレオノーラも一応学院長だし、アイツも「若き魔道士の祭典」を観に帝都へ来てるのか?)
昨日行われた開会式では、来賓席には各魔法教育機関の校長が揃っていたのに対し、ガラード帝国魔法学院からはエレオノーラの代わりに別の者が座っていた。
七魔星将として良くも悪くも目立ってしまう立場を配慮して出席しなかったのだと思っていたが、こうして彼女直轄の「黒の剣団」が動いているのを見ると、どうにも裏の事情がありそうできな臭い。
「……そういえば、全ての団員が集められてるって言ってたな。その割には、屋敷から人気がまったくしなくないか?」
「今、殆どの団員は偵察に出ている。『団長』の指示だ」
「団長の……」
そんなやり取りをしている内に、二人はとある扉の前に差し掛かった。
他の物と違い、この扉は魔法錠で厳重に施錠されている。さらには防諜措置なのか、この先の部屋を中心として遮音・隠蔽結界も張り巡らされており、明らかにセキュリティーの固さが段違いだ。
グレイザーがぼそりと鍵呪文を唱えたことで、魔力で編まれた錠前がドアノブの前に現れては直ぐ溶けるように消滅し、扉は開いた。
「俺は此処までだ。二人だけにして欲しいという事なのでな」
「……そうかよ。人払いまでして大層なこった」
もう自分の役目は終わったとばかりに淡々と去っていくグレイザーの背中を見届け、アクトは部屋に入った。
「うわ、何じゃこりゃ……」
部屋の中は存外狭く、元は書斎だったのを自室用に改造した形跡が見受けられる。窓の類はなく、天井から吊り下げられた魔石灯の照明が放つ光が暗くも落ち着きのある雰囲気を作り出している。
ホコリを被った壁際の本棚にはあらゆるジャンルの書籍がぎっしりと詰められ、床には入りきらなかった本や魔導機材があちこち積まれており、その隙間を埋めるように書類の束が散乱している。
足の踏み場も無いという程ではないが、整頓好きの人間が見たら叫び声を上げそうな程度には散らかっていた。
「すまないね。まだ引っ越し途中で整理が追い付いてないんだ」
そんな汚部屋一歩手前の書斎の主、奥の執務机で何か書き物をしていた人物は、懐かしさを感じ入るような声と共に顔を上げた。
「久しぶりだね、アクト君」
アクトと同じ、艶やかな黒髪が映える妙齢の女性だ。
帝国軍の魔道士礼装に身を包んだ身体は自己主張を抑え、女性として無駄のないプロポーションをとっており、整った相貌は年齢相応に成熟して一切の幼さを感じさせない。
顔付きは温和でおっとりしていながら、されど髪色と同じその黒瞳は全てを見透かすように澄んでいる。今も アクトの一挙手一投足を抜け目なく観察していた。
どうして自分の周りにはこうも面の良い女性ばかりが集まるのか。普段、アクトが接するのはエレオノーラを除けば幼さが残る同年代の少女が多いが、彼から言わせればこちらも方向性は違えど特上の美人である。
「お、お久しぶりです――セオドラさん」
どこか引き攣った声と表情のアクトに、「黒の剣団」団長セオドラ=ベルムートはにっこりと微笑みかけた。
「また会えて何よりだよ。元気にしてたかい?」
「えぇ、まぁ、ぼちぼちやってますよ」
「ははっ、君は昔から成長が早い方だったけど、ガレスの言う通りあまり変わっていないね」
「あの巨漢からしてみれば、誰だって小さく見えますよ。そういう団長は、少しシワの数が増えたんじゃないですか?」
「おいおい、そんな訳無いじゃないか。私も世間から見ればまだまだ若い方だよ」
異例の若さで前線の斬り込み役を張っていたエースのアクトは、団内でも最年少。そのため、平時はセオドラを始めとした包容力のある年長者達によく面倒を見られていた。
戦場で長く共に戦ってきたことで培われたグレイザー達との信頼関係とはまた違う、別の意味で気心知れている仲である。
……だというのに、約三年ぶりの再会であるにも関わらず、アクトはとりとめのない話題しか口にしなかった。込み入った話に変わろうとする流れを避け、安っぽい受け答えしか返さない。
まるで、両者の間にある"地雷”を踏み抜くのを酷く恐れるように。
「三年前、君が私達の元を離れてからも身はずっと案じていたんだ。……あんな最後はあまりにも酷だったからね」
「……!」
しかし、そんな小癪な抵抗は無駄に終わった。その"地雷”が何なのかを知りながら、セオドラの方が自ら進んで踏みにいったからだ。
刹那の驚愕の後、アクトの奥底に湧き出す暖かな感情と、どろりとした気持ちの悪い感情。
脳裏に浮かぶのは――春の陽だまりのような"彼女”の笑み。真っ赤な血の海に沈んだ"彼女”の最期。
思い出と悔恨、一言で表せない想いがとめどなく溢れ、心を縛り、彼から言葉を奪った。
「正直、心配だった。非情な現実に押し潰され、世界を憎み、腐ってしまってるんじゃないかと。……けれど、こうして再会してはっきりしたよ。君は変わった、前より見違えるように強くなったね」
「……」
「アクト君の学院生活や、『若き魔道士の祭典』に参加している事は聞いたよ。君は君なりに居場所を見つけ、新しい道を歩み始めているんだね。団内で最も若かった君が折れずに前へ歩き出した事に、私は少しだけ救われた気がしたんだ」
口を閉ざして押し黙るアクトに対し、慈愛に満ちた眼差しを向けて語るセオドラ。そこには仲間の新たな門出を喜ばしく思う気持ちが確かにあり、アクトから見てもそれに嘘偽りはなかった。
「……」
セオドラの指摘は正しい。全てを投げ出し、師の元で山奥に引きこもっていた頃の自分は、何も考えずただひたすらに剣を振り続けていた。
そうすれば楽だったから。それ以上傷付かなくて済んだから。見たくない現実を見なくて済んだから。停滞の殻に籠って耳を塞いでいた日々は、確かに腐っていたのだろう。
しかし、現在は違う。様々な出会いと経験を経て、傷付きながらも停滞した時を抜け出そうと足掻き、ようやくスタートラインから一歩を踏み出した現在は、確かに昔の自分とは違うのだろう――それでも。ただ一つの大きな間違いは……
「だからもう、あの時の事は忘れ――」
「団長、アンタ昔話をしたくて俺を呼び出した訳じゃ無いだろ。早く仕事の話をしてくれないか?」
もうその話はうんざりとばかりに、アクトは強引にセオドラの言葉を遮る。
努めて丁寧にするよう心掛けていたものから一転、セオドラの知る昔のように乱暴な言葉遣いに戻し、本題に入るよう促した。
「……」
両手を口元で組みながら、セオドラはそっと瞳を閉じる。表情を殺したその目蓋の裏に一体いかなる光景を思い描いているのか、アクトに知る術など無い。
「……そうだね。では、ご要望通り仕事の話をするとしようか」
やがて、これ以上の語らいは野暮と判断したのか、目を開けた彼女の眼差しはセオドラ=ベルムートという一人の人間ではなく、「黒の剣団」団長の物に切り替わっていた。
「さて、グレイザーから話は聞いてるね。我ら帝国軍の宿敵――ルクセリオンの動向についてだ」
そう言って、セオドラは執務机の引き出しから予め用意してらしい数枚の書類を取り出し、順番に並べていく。その内の一枚には、とある中年男性の写像画が添付されていた。
「昨夜、魔導通信回線を傍受していた諜報部から報告が上がってきた。どうやら連中の狙いは、『若き魔道士の祭典』に出席する政府要人の暗殺らしい」
「暗殺だと……?」
「ああ。他の情報と照らし合わせて精査しても、可能性は非常に高い」
自分達が参加している大会を引き合いに出され、ざっくり書類に目を通していたアクトの顔に不穏の二文字が走る。
「標的と目されるのはこのエルガド卿。二年前の北部蛮族の大征伐を経て、最近、軍部でも強い発言力を得ている人物だ。若くして未来の『軍将』候補という噂もあるね」
「……『軍将』クラスっていや、代々フェルグランド家が務める『元帥』に次ぐ重役だ。将来、自分達にとって脅威になるかもしれない芽を今の内に摘んでおこうって訳か?」
「まぁ、大方そんな所だろう。こちらの調査でも本人に黒い噂の類は一切なし。このご時世に珍しい、仕事一筋の堅物軍人だね」
不祥事の隠蔽や不正工作、裏社会との繋がりなど、標的にとって曝露されたらマズい後ろ暗い部分があれば、そこを突いて政治的に排除することは可能だ。だが、それが無いとなると、リスクを取って物理的な排除に乗り出さざるを得ない。
しかも、書類によれば暗殺対象は用心深い性格らしく、普段はダミーを含めた所領に幾つもある別荘に籠っており、平時に所在を特定するのは困難。一度失敗すればさらに警戒心を強めてしまう事にもなる。
よって、所在が割れている今の内に暗殺を実行するしかなく、アクトが抱いていた、何故警備が厳しくなる「若き魔道士の祭典」開催中に事を起こすのか、という疑問への一応の答えにはなる。
「霊脈を通して回線をトラッキングした結果、帝都における連中の大体の潜伏場所を割り出すことには成功した。この情報は既に軍部にも流してあるし、後は人海戦術で詰めていけるだろう」
「す、凄いじゃねえか。それだけ情報が揃ってれば、こっちから先に仕掛ける事だって――」
対ルクセリオン戦において、これだけアドバンテージを抱えて事を構えられる機会は滅多に無い。
わざわざ向こうが事を起こすまでじっと待つ必要もなく――否。守勢に回る方が勝率は下がるであろう事を考慮し、アクトは敵拠点への先制攻撃を提案するが、
「——いや」
セオドラは小さく首を横に振るのみだった。
「今まで中々尻尾を掴ませなかった連中にしては、隠蔽が杜撰過ぎる。私は、連中がこうも痕跡を分かりやすく残している事自体に、何らかの意図を感じるよ」
「……此処は皇帝陛下のお膝元だ。軍司令部や参謀本部は勿論、『軍団』の拠点だってある。その分、情報の精度が高いからという訳じゃないのか?」
「いや、伝達の精度と速度を差し引いても、どうにも腑に落ちないんだよ。それに、数日前に上がってきた帝都周辺の村や街でルクセリオンと思しき集団が目撃されたという報告も気になる。暗殺が目的なら、どれだけ姿を隠して潜入出来るかが鍵だろうに」
一連の情報がルクセリオンの仕掛けた罠である事を疑うセオドラの言は、アクトも納得出来る。疑問の一部は解消したとはいえ、やはり全体的に矛盾の多い行動をとる奴らへの不信感に一定の理解を示した。
何より、セオドラの反応だ。どちらかと言えば合理よりも直感に従って判断を下す彼女が踏み止まっている。
こういう時は大抵――
「……団長。そいつは、お得意の『勘』ってやつか」
「ああ。実態はまだ掴めないが、連中は何かとんでもない事を画策している……"臭う”んだよ」
久しぶりに聞いたその台詞に、アクトは戦慄と共に目を見開いた。
セオドラ=ベルムートは、純粋な戦闘要員ではない。魔道士としての最低限の自衛手段はあれど、彼女が前線に出る事は殆ど無い。
グレイザーのように全てが高次元に優れた魔道士ではないし、ガレスやラフィールのように凄まじく尖った戦闘技能がある訳でも無い。指揮官という点では優れているが、飛び抜けて優秀という訳ではなく、所詮は優等生の範疇を出ない。
それでも、化け物・超人揃いの「黒の剣団」で彼女が団長を張り続けられるのは――ひとえに、勘の鋭さだ。
セオドラの絶対的な勘は、戦場の潮目、相手の隙、自らに降りかかる危機、ほんの僅かな"機”を決して見逃さない。これは高度な予測能力程度に基づくものではなく、彼女だけの感性によるものだ。
故に、合理も理屈も超越し、時にはあらゆる過程をすっ飛ばして、名のある戦略家が幾重にも思考して導き出した数十、数百手先の未来へ辿り着く。彼らからしてみれば理不尽だと吐き捨てんばかりの圧倒的不条理な速度で。
事実、ある種の未来予知に匹敵するこの勘のお陰で、「黒の剣団」は戦場で何度も窮地を脱してきた。少数精鋭と言えば聞こえは良いが、所詮は一介の傭兵団に過ぎない彼らが打ち立ててきた数々の戦果の裏には、セオドラの存在が大きく関わっているのだ。
闘争の渦中に生まれる異変や転機に対するセオドラの嗅覚は、まさに超級の才、あるいは異能の領域だ。アクトを含め、団員は彼女の勘に全幅の信頼を置いているのである。
「まぁ、私の勘を抜きにしても、そもそも要人暗殺に大量の人数を動員するのは非合理的だ。軍上層部も無能じゃない。此処までは彼らも読んでいるだろうが、いずれにしてもまだ情報が足りないね」
「……」
流石に判断材料が少ないためか本領発揮には至っていないが、セオドラがこうして勘を働かせる時は、本人の言う通り何か大事が差し迫っていると相場が決まっている。
彼女の感覚が未だ鈍っていないのであれば、恐らくこの一件はただの暗殺計画に収まらないとアクトは確信していた。
――そう、三年前のあの時も同じだった。
「とにかく、また何か動きがあったら知らせるよ」
「了解。奴らの標的が本当に『若き魔道士の祭典』の来賓なら、奴らの仲間が会場内をうろついているかもしれない。こっちも警戒はしておくぜ」
「……すまない。過去を乗り越えて日向の方に歩き出した君を、またこちら側に引きずり込むような真似をする事になるとは」
遠征学修のような成り行きによる協力とは違い、今回の一件は完全に軍事作戦の一環。一度は傭兵団を離れたアクトを、今度は軍属となった自分達の元に引き戻してしまった事を悔いるセオドラは、本気で申し訳なさそうに頭を下げる。
「それについてはもう良いって。協力するって決めたのは俺の意思だし、知っちまった以上、他人事じゃなくなったんだからな」
しかし、アクトはそれがお門違いな考えであると彼女を責めることはなかった。
凶事はいつだって、自分達を待ってはくれない。学院襲撃事件や遠征学修の騒動、そして傭兵時代の経験から、アクトはその残酷ながらも至極シンプルな世界の真理を身を以て理解している。
ある日、突然降りかかる理不尽によって全てを奪われた時。知らなかった、力が足りなかった……そんな矮小な理由で抱える後悔など、アクトはもう死んでも御免だった。
大切な居場所を守るため、かけがえのない者達を守るため、使えるモノは何でも使う。力を貸してくれる仲間だって多い方が良いに決まっている。
理不尽を斬り伏せんと、自分に成せるありとあらゆる全力を尽くした上での後悔なら……まだ諦めがつくだろうから。
「覚悟なら、とっくに出来てる」




