誰が為の味④
――それから、時は流れて……約二週間後。
「今日はありがとな、リネア。色々回れて楽しかったぜ」
「ふふ、どういたしまして」
日もすっかり傾いた、とある休日の黄昏時。立ち並ぶ建築物や街路が夕陽に燃えるオーフェンの街中を、アクト、リネア、エクスは並んで歩いていた。
アクトとリネアの片手には、何かを沢山買い込んだようなずっしりと重みを感じさせる袋。喧騒に包まれた周囲には、彼らと同じように休日を満喫したらしい人々が家路につこうと大勢行き交っている。
「エクスは楽しかったか?」
「もぐもぐもぐ……はい。普段は会うことも関わることも無い人間の生活をもぐ……近くで見ることが出来て、とても有意義な時間でしたもぐもぐ……」
アクトの問いに答えながら、エクスは先程屋台で購入した鳥の串焼きをがつがつ頬張る。表情こそいつもの無機質な能面だが、内心かなりご機嫌である事が分かる。
とめどなく溢れ出す活性化した油と、そこから漂う香辛料の芳香。人の原始的な欲求を引き出す得も言えぬ匂いに、時間帯も相まってエクスとすれ違う通行人は皆、腹を鳴らしていた。
「もう、食べるか話すかどっちかにしなきゃ。お行儀が悪いよ?」
「まったく、ちゃんと食事以外にも目を向けてたのか? ホント、エクスは美味そうに食うよな」
まぁ、エクスが楽しんでくれたならそれで良いか……横でリネアにたしなめられているエクスの手を引くアクトは、若干呆れつつも慈しみの籠った苦笑を浮かべるのだった。
アクトがオーフェンにやって来て、二ヶ月と少し。そろそろこの新しい生活に慣れ始めても良い時期だ。
しかし、ガラード帝国魔法学院での忙しき日々、ちょっとしたトラブルから人命が失われる悲惨な大事件など……様々な出来事が立て続けに起こり、休日でも落ち着ける時間が少なかった。
加えて、周囲を城壁に囲まれてはいるが、オーフェンは帝国流通の要と言える広大な都市だ。普通に生活していれば訪れることが無い場所も沢山ある。
余所者同然の人間が適当に回ったところで、行き先に迷うのがオチだ。そこで、ここで生まれ育って都市の地理にも詳しいリネアが、改めてアクト達を案内していたのである。
「それにしても……コロナ、今日はどうしたんだろうね?」
他愛も無い話に花を咲かせていた最中、ふとリネアは、図らずしも二人を連れ出す原因となった出来事を振り返る。
入浴も済んでそろそろ床に就こうかという昨夜、コロナが唐突に言ってきたのだ。今日の午後から夕飯時にかけてまで、屋敷を完全に空けておいて欲しいと。
当然、アクト達はその理由を問うたのだが、どうやら絶対に黙秘を貫き通す気らしく、コロナが答えることはなかった。根負けした彼らは仕方なく、突発的な外出を決めたのである。
「昨日の事だけじゃ無いよ。最近、コロナの様子が少し変だって思うの」
「変? さぁな。アイツが変なのは元からだろ」
「そ、それは置いといて……二週間くらい前かな。コロナ、朝から一人でどこかに出かけていったよね。それ以来だと思うんだけど、黙って屋敷を抜け出す事が多くなったんじゃない?」
すると、リネアの言に対して心当たりでもあったのか。
「あー……かもな。思えば、学院の授業が終わっても何故か居残ったり、一人で帰る事が多くなった気がする。まるで、意図的に俺達と帰るタイミングをずらしてたみたいだ」
「アクト君もそう思うよね。大丈夫かな……今は校内選抜戦で特に大事な時期だから、気になっちゃって……」
「……」
記憶を掘り返したアクトが同意すると、リネアは不安げに呟く。
言わずもがな。誰かがそういう不審な行動をしているのは、往々にして隠したい秘密がある時だからだ。
「なんやかんや言っても、アイツは賢い奴だ。危ない事に手を突っ込んだりはしてないと思うが……しゃあねえ。帰ったら聞いてみるか。今日、俺達を追い出した理由も含めて、な」
「……うん、そうだね。もしトラブルか何かに巻き込まれてるなら、私達が助けないと」
分からないなら直接聞けば良いと意気込むアクトに、リネアも確固たる決意を込めて静かに頷くのだった。
――という訳で、日が完全に地平線の下に沈み切った頃、一行はエルレイン邸に帰宅した。
敷地内の中庭を過ぎり、立派にそびえ立つエルレイン邸の正面玄関扉の前へ。ガラス窓からは魔石灯の明るい光が外に漏れ出ており、どうやらコロナは屋敷内に居るようだった。
帰ったら、真っ先に問い質さなければならない……眠たげに目をこする約一名を除き、僅かに強張った面持ちで彼らが玄関扉を開くと――
「あ、おかえりなさい」
丁度、エントランスホールを通り過ぎようとしていたコロナとばったり出くわした。
「ベストタイミングよ。良い時間に帰って来てくれたわ」
帰宅した彼らを温かな笑みで出迎えるコロナ。何故かその端正な顔の所々を汚している彼女は、これまた何故か私物である赤色のエプロンを身に着けていた。
「コロナ? 何してるの?」
「ごめんなさい。ちょっと今忙しいから、詳しい話は後でね。それより三人共、手を洗って支度が済んだら、直ぐに食堂へ来て欲しいの」
「食堂?」
状況が分からずエントランスホールにきょとんと佇む彼らを、コロナは少しそわそわした様子で促す。まるで彼ら以外の何かにいたく意識を向けているようだった。
「あっ、早くしないとお鍋が……とにかく、直ぐに来るのよ!」
「う、うん……」
「お、おう……」
そう言い残し、コロナは慌ただしくその場を去っていった。
「えーっと……どうしよっか?」
「どうするも何も、当の本人が行っちまったからな……言われた通りにするしかないだろ」
取り付く島もなく、自分達を外に出した理由を聞きそびれた彼らは、一先ず解散して自室へ戻ることにした。
アクトは自分の部屋で一人、リネアはコロナと交代制で一緒に寝ることになっているエクスを連れて、それぞれ買ってきた荷物の整理と身支度を済ませる。
それから、約十分後。彼らは食堂へ向かう直前に屋敷の廊下で合流した。
本来ならコロナの指示通り、このまま食堂に行くのみ……だがしかし、廊下を進む彼らの足取りは非常に重い。というより、ほぼ完全に止まっていた。
「……ねぇ、アクト君。私、部屋に戻ってから冷静に考えてみたんだけど、これって……」
「奇遇だな。多分ってか絶対、俺も同じ事を考えてたところだ」
ふとその場で立ち止まり、消沈した弱々しい声で話すリネアに、アクトは頬を引き攣らせて応じる。そんな二人の額には、嫌な脂汗がこれでもかと流れていた。
エクスに至ってはいつぞやのトラウマでも思い出したらしく、顔は無表情にも関わらず身体はがたがたと震えていた。
帰って来た時は、こちら側の思惑と理解不能な状況が錯綜して分からなかったが……皆、察してしまったのである。
(前にやらかした大失敗のリベンジでもするつもりなのか……?)
この時間帯、エプロン姿、食堂、コロナが口走った鍋という単語……そこから連想される展開など、一つしか無い。
「…………と、とにかく行ってみるか。俺達の思い違いって場合もあるかもしれないしな」
「そ、そうだね……けど、もし私達の想像が正しかったとしたら?」
「逃げる」
「……(こくこく)」
即答だった。剣精霊も首を縦に振って全力肯定する。しかも用意周到な事に、アクトはここに来るまでの全ての廊下の窓と、正面玄関扉を開けてきていたのである。
……とまぁ、あれこれ意味も無い憶測を立てながら廊下を練り歩くが、どれだけ遅く歩いても、所詮は一家屋の中。彼らは遂に、食堂の前に辿り着いた。
否、辿り着いてしまったと言うべきか。
「「「……」」」
余命宣告をされる病人の気持ちは、きっとこんな感じなのだろう。先刻の緊張などとは比にもならない、文字通り命が懸かった状況を前に、彼らはある種の覚悟を決めて歩を進める。
果たして、自分達を待ち受けているのは冥府か地獄か。食堂へ足を踏み入れた先に広がっていたのは――
「な、何じゃこりゃ……!?」
「うわぁ……!」
「……!!」
彼らの予想とは大きくかけ離れた、目を覆わんばかりに輝かしい光景だった。
白いクロスがかけられた長テーブルには、肉厚のローストビーフ、熱々のガレット、新鮮な魚のパイ包み焼き、チーズ入りの緑豊かなサラダ、ライ麦パンなどなど……見るからに美味しそうなご馳走が並んでいる。
テーブル自体も色鮮やかな花瓶で飾られ、燭台に灯る火が銀食器に盛られた数々の料理を照らし出していた。
「どう? 驚いた?」
信じられない物を見るように彼らが唖然としていると、厨房の方からコロナがやって来る。耐熱ミトンを被った両手で、大きな鍋を抱えてる。その中身は――なんとホワイトシチューだ。
しかも、あの時のような出来損ないにも劣る暗黒物質ではない。ぐつぐつ煮える野菜と肉、表面から湧き上がるまろやかな香りが、否応なく食欲を刺激してくる。
こんな物、食べずとも分かる。絶対美味い奴だと。
「凄いね!! これ全部、コロナが作ったの!?」
「ま、まぁね! 手間が多くてかなり大変だったけど、何とか間に合ってよかったわ」
全ての料理が以前とは比べ物にならない出来栄え。相当な練習を積んだのだろうと目を丸くするリネアの問いに、コロナは一瞬口ごもるも、自身満々に無い胸を張る。
「し、信じられん……」
一方、アクトはといえば、開いた口が塞がらない様子で立ち尽くしていた。エクスも先程のテンションの低さはどこへやら、数々の料理を前に目をキラキラと輝かせている。
「アクト、どうかしら? これがアタシの本気よ」
「あ、あぁ……マジで大したもんだ。ぶっちゃけ、俺でもこれぐらい上手くは作れないかもしれん……やるじゃねえか」
「素晴らしいです、コロナ。私は今、貴女に対する評価を大幅に改めました」
これでもかと主張してくるドヤ顔が心底ウザいが、こうも見事な物を出されたら認めざるを得ない。悔しげに顔をしかめるも、アクトは素直にコロナの腕を認める。
あの事件以来、コロナの料理にかなりの苦手意識を持っていたエクスも大絶賛だった。
「このサプライズがしたくて、皆には昼から家を空けてもらっていたの」
「そういう事だったんだ。じゃあ、最近コロナが一人で居る事が多かったのは……」
「えぇ。サプライズの為に色々準備してたのよ。同じ家に住んでるんじゃ、中々隠しづらいから」
どうやら自分達の心配は、最高の形で杞憂に終わってくれたらしい。何かトラブルに巻き込まれている訳でもなく、リネアはほっ、と胸をなでおろすのだった。
「にしても……何でいきなりこんな事をしようなんて気になったんだ?」
「そうだよ。私もそれが聞きたかったんだ。確かに驚いたし凄く嬉しかったんだけど、どうして?」
アクトとリネアからの至極当然の疑問に、コロナは何かを考えこむような素振りを見せ……やがて、来ていたエプロンを脱いで私服姿に戻ると、彼らの前に向き直った。
「……改めて、お礼をしたかったのよ」
「礼?」
アクトが問い返すと、コロナは無言の首肯を以て応じる。
「本当に今更な話かもしれないけど……皆も、アタシがガラード帝国魔法学院に入学した最終目標は理解していると思う」
殆ど脈絡無しで切り出された話に、アクト達は目を見開く。そして、弛緩させた表情を真剣な物に切り替える。勿論、彼らは彼女の目的についてよく知っていた。
コロナ=イグニスの目的……それは、亡き彼女の両親と共に失われたイグニス家を再興する事だ。
かつて、その名を馳せた炎の大家を復活させるべく、近く帝都で行われる「若き魔道士の祭典」で優勝し、皇帝陛下への謁見の際に直接、支援の約束を取り付けるという算段だ。
様々な悪感情を向けられながらもイグニスの名を背負い続け、コロナは必死で己を鍛え上げてきたのだ。自身にイグニス家を継ぐだけの価値と力がある事を示すために。
「初めは、自分一人だけでもやり遂げる覚悟だった……けど、それだと多分アタシは『若き魔道士の祭典』に出場することすら、『校内選抜戦』を勝ち抜くという初めの一歩すら踏み出すことさえなかったと思う。結局、一人だと何も出来ないアタシを支えてくれた皆には、本当に感謝しているの」
「「……」」
嘘偽りの無い、純然たる感謝の念をコロナは伝える。
仮に「若き魔道士の祭典」で優勝し、支援の約束を取り付けられたとしても、それですら最終目的を果たす為のスタートラインに過ぎない。イグニス家再興というゴールまでに更なる試練が待ち受けている事は、想像に難くない。
それくらい、コロナの目的とは無謀で実現困難な願いだ。何の後ろ盾も無い齢十七の少女が進むには、あまりに気の遠くなるような険しい道のりなのだ。
……だからこそ、その道を進み続けるコロナにとって、自分を幾度も助け、歩みを支えてきてくれた仲間の存在は、何物にも代えられない救いであった。
「そして、改めてお願いするわ。一人じゃ無力なアタシに、これからも皆の力を貸して欲しいの!」
これから先の馬鹿馬鹿しい程に過酷な道において、仲間達の助けは必要不可欠だ。コロナは決然とした表情で深く頭を下げた。
絶対に目的を成し遂げるという確固たる想い。そんなコロナの燃え滾るような決意を正面から受けたアクトとリネアは、同時に顔を見合わせて――
「何言ってんだ。ハナからそのつもりだっての」
「うんっ、その通りだよ」
さも当然かのように言い切った。
「え?」
「ここまで来たら、もう一蓮托生だ。最後まで付きやってやるぜ」
「一緒に暮らしてきた私にとっては、コロナの夢はもう私の夢のような物だから。何があったとしても、私達はコロナの味方だよ!」
「マスターの意思は私の意思。マスターが望むのなら、貴女の為にも全力で振るいましょう」
呆気に取られるコロナに、彼らはそれぞれの想いを告げる。
決して彼女の機嫌を取るために取って付けたような薄っぺらい言葉では無い。彼らの偽りざる本音だった。
(あぁ……きっと、こんなサプライズをしなくたって、答えは初めから変わらなかったわね……)
確かに障害は多い。この道を進んだ事を後悔する日が訪れるかもしれない。けれど、この仲間達と共にならきっと乗り越えられる……彼らの信頼を受け取ったコロナは、ふと口元を緩め、
「皆……ありがとう!!」
花咲くような眩い笑顔を向けた。
「さぁ、そうとなれば冷める前に食べましょ。他にも色々あるから、感想を聞かせて頂戴。食後のデザートもあるわよ!」
「コロナ、この料理は何ですか?」
「あ、それはね、アタシ一番の自信作で――」
かくして、エルレイン邸の住人達は、豪勢な食卓を囲み温かな団欒の一時を過ごすのだった。




