誰が為の味②
そして――次の日の朝。
大勢の観光客や市民で賑やかに溢れかえった他の地区とは打って変わって、オーフェンの心臓部と言うべき中央行政区は、どこか閑散とした雰囲気が漂っていた。
警邏庁、行政庁、帝国銀行の支部を始めとした公的機関に所属する者はともかく、行政区の建築物に拠点を構えた民間企業に勤務している者達は、この連休で大方が出払っているからだ。
高級住宅街と同じく家賃が高いこの区画に住居を持つ者も少ないため、労働者が居なくなれば必然的に人通りは大きく減る。
そんな、今日はひっそりした行政区リベレストリート二番、オーフェン市庁から程近い場所に建てられた多目的センターを、コロナは一人で訪れていた。
理由は勿論、本日開講される料理教室に参加するためである。
(正直、今週は間に合わないかと思ってたけど、無事に参加出来てよかったわ)
ほぼ飛び入り同然の参加が認められた事に安堵しつつ、コロナは三階建ての外観的にはありふれた造りの建物の中に入った。
正面入り口から続くエントランスには、春の陽気を濃くした生暖かい空気が流れており、職員も暇そうに欠伸をしていた。同じ公務員でも、忙しさの度合いは違うようだ。
この建物は市の公共施設であり、料金を払えばセンター内の場所や設備をある程度自由に借りることが出来る。故に、日々様々な団体や個人が活動しているのだが、どうやら今日はコロナが受ける料理教室だけらしい。
事務室にて受付を行い、入館名簿に名前を書いてコロナはセンター内へと進んでいく。ここまでは昨日も申し込みのために訪れていたので、その足取りに迷いは無い。
「ここだわ」
やがて、コロナは一階奥の割り当てられた部屋の前に辿り着く。そして、他の部屋と違って少し大きめな扉を開け放った。
「うわ……凄いわね」
両開き式の扉の先に広がっていた光景に、コロナが感心したように呟いた。
天井に排気口が取り付けられた縦長の空間には、高い耐熱性を持つことで有名な特殊石材で作られた調理台がずらりと並んでいる。
それぞれの台には、調理器具一式に加熱のための調理用ストーブなど……料理に欠かせない基本的な物が揃っていた。部屋の隅には食材を保存する冷凍保管庫らしき物もある。
厨房設備など家に一つが当たり前の者にとっては、壮観な眺めだ。ただ、これだけ立派な設備とは裏腹に、それを使う人間の姿は一つも無い。
だが、それも当然。コロナが来たのは料理教室開講のずっと前、開始まで後一時間以上あるからだった。
(早く来て正解だったわ。きっちり事情を言っておかないと、後で大変な事になるのが目に見えてるから)
コロナは、自身のメシマズを自覚している。今回は彼女を知らない者ばかりが集まる。このまま普通に教室に参加すれば、周りに迷惑をかけてしまうのは必定。
だから、自分の事を担当の講師へ予め説明しておくべく、こうしてかなり早く来たのである。足を引っ張るにしても、せめて先に認知ぐらいされておくのが筋というものだ。
(うっ……アタシ一人の失敗ならまだしも、他の参加者にも迷惑かけちゃうんじゃないかって思うと急に緊張が……)
他人相手とはいえ、自分にも人並みの緊張感や罪の意識があるのは驚きだ。浮かない顔でコロナが部屋を見学しようと中に踏み込んだ――その時。
「あら、どちら様? 誰か生徒さんの娘さんかしら?」
「!」
突如、すぐ後ろでコロナの背中にぶつけられた高い声。素早くコロナが振り向くと、部屋の入り口には一人の女性がきょとんとした表情で立っていた。
年齢は四十代だろうか。灰色の髪に青色の瞳、柔和な顔立ちには薄く化粧。肉体の全盛を過ぎてなお若々しい美貌を保つ女性だ。接する者に自然と親しみやすさを与えるような雰囲気がある。
特に着飾ったりはせず、服装はどこにでもある質素な物。左手には茶色のエプロンが見え隠れする手提げ袋を持っていた。
(あれ、この人……?)
そして、コロナはこの女性に見覚えがあった。何故なら昨日、街中で見つけた貼り紙に掲載されていた写像画の人物と、顔が同じだったのである。
「もしかして、イザベラさんですか!?」
「えぇ。イザベラ=ルイーズは私の事だけれど、貴女は?」
「は、初めまして! コロナ=イグニスと言います!」
やや堅くなり気味なコロナが名乗ると、イザベラと呼ばれた女性は合点がいったように手を合わせた。
「ああ! 貴女が昨日、飛び入りで参加の申し込みを出しに来たっていうコロナさんね? 話はちゃんと伺っています。私が講師のイザベラ=ルイーズです。今日からよろしくお願いしますね」
「は、はいっ。よろしくお願いします!」
イザベラが礼儀正しく頭を下げると、コロナも慌てて頭を下げるのだった。
「ところで、コロナさん。教室が始まるまで、まだ時間があるのだけど、随分来るのが早いのね。もしかして、楽しみ過ぎて時間を間違えちゃった?」
「い、いえ。そういう訳じゃ無いんですが……先生に言っておかなければならない事があるんです」
「言っておかなければならない事? 私に?」
「えっと、それが――」
目的のためとはいえ、流石に来るのが早過ぎたか。イザベラの至極当然の疑問に対し、コロナは僅かに言い淀むも、早めにここへ来た理由を正直に話した。
「――なるほど。そういう事だったのね」
「はい……先に事情を説明しておかないと、先生や他の人達にも迷惑をかけると思って……」
説明が終わる頃には、コロナの顔は気恥ずかしで赤くなっていた。プライドが高いコロナにとって、自分の事を自分で説明するのは想像以上にキツかった。
特に、他者へ弱みを見せるのは魔道士にしてみれば命に関わる行為。それ故、慣れない行為で明かす必要の無い秘密なども思わず喋ってしまっため、恥ずかしさは三倍増しであった。
イザベラからも、面倒な生徒だと思われたに違いない。嫌な顔をされるくらいは覚悟しなければならないと、コロナは身構える。
「別に、気にする必要なんて何もありませんよ」
「……え?」
だが、コロナが予想していた反応とは裏腹に、イザベラは穏やかな笑みを浮かべて彼女を見つめる。その眼差しは、まるで我が子を慈しむ母親のそれだった。
「だって、貴女は料理の腕を磨きたいと思ったからこそ、私の教室に来てくれたのでしょう? やってみる前から迷惑をかけるかもしれないなんて心配してたら、何も始まらないわ」
「そ、それはそうかもしれないですけど……」
「心配しなくても大丈夫よ。私の他にも、お手伝いさんがカバーに入るから。ちょっとやそっとの失敗なんて、失敗にもなりません。だから、安心して受けてくださいね」
コロナが抱える懸念を一つ一つ取り除くように、イザベラは丁寧なやり取りで彼女に応える。
イザベラが纏う雰囲気のお陰だろうか。昔、どこかで感じたことのある優しげな包容力は、不安で押し潰されそうになっていたコロナの心を自然と落ち着かせていた。
「……分かりました。多分、というか絶対、ご迷惑をおかけするかと思いますが、改めてよろしくお願いします!」
「ふふっ、こちらこそよろしくお願いします」
過度な不安は、返って余計な失敗を招いてしまう。やってみなければ分からないと、コロナは思い切って腹を括ることにした。
そんな、まだ若干心配しながらも熱き決意を燃やす少女に、イザベラは微笑むのであった。
「あ、そうだったわ。大体の食材と道具は既に揃っているのだけど、まだ倉庫から幾つか運び出さないといけない物があるの。コロナさん、よければ手伝ってもらえるかしら?」
「勿論です!」
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