ガラード帝国魔法学院剣術大会④
アクトの演舞が終わった後、予選はさらに一時間程度続き、午後一時を過ぎる頃には全ての審査が終了した。
貴族の不正介入を防ぐための厳正で公平な審査の下、二次予選に勝ち進んだ点数上位十六人の名前が競技場内の掲示板に貼り出され……そこには、アクトの名前がしっかりと載っていた。
「ふぅ……どうやら、上手くいったみたいだな」
三十四人の参加者が肩を落として去り、がらんとなった待機室にて。折り畳み椅子に腰掛け、運営委員会から配れた水と軽食で少し遅めの昼食を摂るアクトは、人知れず安堵の溜め息を吐いていた。
――正直、一次予選を通るかどうかはかなり際どかった。それは下から数えた方が早い演舞の点数を見ても明らか。だが、この大会最大の難所を突破するには、分の悪い賭けに出る他なかった。
演舞の練習をしてみて直ぐに察した。‟魅せる技”として発達してきた現代剣術は、一朝一夕で身につくものではないと。山のように積み上げられてきた剣の歴史に一個人が挑むには、やはり壁は厚かった。
何とか身に付けたとしても、中途半端な付け焼刃では本番でボロが出てしまっていただろう。まったく方向性の異なる型を練習して変な癖が付くのを危惧したのも理由の一つだが、何より自分の剣を曲げたくなかったのだ。
名も知らぬ誰かの染まった剣など、それは最早、アクト=セレンシアの剣では無い。
(だったら、俺自身が磨いてきた剣で強引に捻じ伏せるしかないって思ったんだよな)
そこで考えたのが、超高速の演舞による強行突破作戦だ。たとえ血塗られた過去であろうと、戦いの中で文字通り死に物狂いで積み上げてきた剣の歴史で、審査員の心を掴むのが狙いだった。
加えて、あれだけ速く派手な動きなら、多少の動きのズレは誤魔化せる。演舞の優美さという点では微妙な判定だったろうが……観客の盛り上がりを加味して高評価を付けてくれたのかもしれない。
(まぁ、結果的に一次予選を突破出来たんだから結果オーライだよな。……さて、次は二次予選だ。ここまで狭苦しい思いをしなきゃならなかったが、こっから先は関係無いぜ)
二次予選は木剣を用いた純粋な立ち合いで、特に堅苦しい制約が存在しない。無論、基本的なルールは存在するが、これでようやく存分に暴れられるなと、アクトは意気込んだ。
『――会場の皆さまに、お知らせします。大会スケジュール通り、十五分後に二次予選を開始致します。尚、一次予選通過の選手の方々は、それぞれ指定された集合場所へ、速やかにお集まりください』
と、そんなアクトの意思に呼応したかのように偶然、音響魔法による拡張音声が競技場内に響き渡った。
「……よし。行くとするか」
「家の名誉の為にも……今年こそ絶対優勝するんだ……!」
「負けられない……!!」
二次予選の開始を告げる呼び出しに応じ、休憩をとっていた他の参加者達が意気込みながらにぞろぞろと動き始める。アクトもそれに連れて椅子から立ち上がり、待機室を後にした。
(そういえば、結局、アイツは最後まで見かけなかったな)
集合場所に続く廊下を歩きながら、ふとアクトは大会開始前に視線だけで喧嘩(?)を吹っ掛けてきた、例の赤髪の少年の事を思い出した。
どうやら、この魔法競技場に待機室は複数あるらしく、アクトに割り当てられた部屋に彼は居なかった。一次予選中は他の参加者の演舞を観ることも出来ないため、探す暇もなかった。
だがしかし、アクトには確信があった。あの男子生徒は確実に一次予選を勝ち上がっている。自分を除く十五人……いや、同じ待機室で二次予選に残った者を除外した参加者の中に居ると。
「……荒れるかもな」
この大会、どう転ぶか分からない。まだ見ぬ謎の参加者や、とある人物の存在も含め、迫りくる波乱の気配をアクトは密かに感じ取るのだった。
◆◇◆◇◆◇
一次予選に用いられた演舞用の舞台と審査員席の天幕が片付けられ、いよいよ二次予選が始まった。客席の一角に陣取る学院の音楽クラブが勇壮な音楽を奏で、競技場の熱気は最高潮にまで高まった。
まず、一次予選で勝ち上がった十六人をAブロックとBブロックで半分に分け、各ブロックでの優勝者を決める。その後、ブロック優勝者同士が決勝戦を戦い、最終的な優勝者を決めるのである。
参加者のブロック分けとトーナメントの組み合わせは、既に一次予選通過者の発表の際に貼り出されており、アクトはAブロックの第四試合だ。
あくまでも個人が演舞を披露するのとはまた別種の重苦しい緊張感が漂う中……Aブロック第一、第二、第三試合は、まったくもって平穏な終わりを見せた。
攻め側が基本的な動作から成る斬撃を繰り出し、守り側が木剣で受ける。攻めの流れが途切れると攻守交代となり、今度は守り側が攻撃に転じる。ほぼその繰り返しだ。
攻めと守りが極端で稽古でもしているかに見えてくるが、これはれっきとした試合だ。どちらも本気で剣を振るってくる。疲労が蓄積するに連れて防御は危うくなっていき、どちらかが受け損なったりすると試合終了となる。
帝都で開催されるもっと大規模な大会なら、攻守の速度感も駆け引きもまるで違うのだが、学生限定の大会ならこんなものだろう。ただ、観客の盛り上がりは一次予選の時よりも遥かに大きかった。
そして迎えたAブロック四回戦……遂にアクトの出番が回ってきた。
『あ、ほらほら出て来た! あの子よ!』
『ほう……先程は見物出来なかったが、中々堂に入った立ち居振る舞いだな』
『前の襲撃事件で大勢を救ったあの有名人が、まさか大会に出てるとはなぁ……』
『よっ、黒髪のあんちゃん! 次もすげぇ剣の冴えを見せてくれよーっ!!』
フィールド端の控え場からアクトが姿を現した瞬間、観客席から大嵐の如き歓声が沸き上がった。一般市民も、一次予選で敗れた参加者達も、高貴な身分の者達でさえも。
「ははっ、この短い間にえらく人気になったもんだ」
雨あられと降り注ぐ特大の声援に、アクトは思わず苦笑を浮かべた。微塵も緊張してはいないが。
理由は明白、一次予選で見せた苛烈な演舞の影響だ。後にも先にも、会場をあれだけ沸かせた者は一人として居なかったのだから、今大会の注目株としてアクトは期待されていた。
(まぁ、向こうからしたらたまったもんじゃ無いだろうがな)
そんな事を考えながら、アクトは反対側の控え場からフィールドに歩み出て来る対戦相手を見据える。しっかりと手入れの行き届いた金髪、制服越しに高貴な気品を滲ませた男子生徒だ。
名はザック=アレスター、一次予選を三位で通過した実力者だ。アレスター家はそこそこ名の知れた貴族であり、本人もそれに誇りを持っているらしく、この大舞台でも揺るぎなき自信が漲っていた。
「これより、Aブロック四回戦、アクト=セレンシア対ザック=アレスターの試合を始める。双方、礼ッ!」
歴戦の戦士らしき壮年の審判の元、両者は向かい合って一礼し、それぞれの開始線に立つ。
「抜剣!」
そして、腰からゆっくりと木剣を引き抜いた。
試合開始前の緊迫感で観客席が静まり返る。張り詰めたような冷たい静寂が競技場を支配し、二つの開始線の中間に立った審判が右腕を持ち上げ……前に勢いよく振り下ろしながら叫んだ。
「始めッ!!」
直後、両者は地を蹴って同時に動いた。
彼我の距離は約20メトリア。魔力の使用が許されていればやりようは幾らでもあるが、アクトといえど素の身体能力だけでこの距離を一瞬で詰めることは出来ない。
「ハァアアアアア――ッ!!」
互いの間合いまで接近する両者。ザックの力強い上段からの打ち込みに対し、アクトは下段からの斬り上げを選択。受けに回りつつ、彼の太刀筋を見極める算段だ。
真剣が上げる甲高い金属音とは違う鈍い打撲音を立て、木剣と木剣が衝突し――
「――ッ!?」
衝突の瞬間、木剣を握るアクトの腕にほんの僅かな、しかし明らかに異常な重さが走る。完全に体重と勢いが乗り切る前にアクトは素早くザックの剣を打ち払い、後ろに跳び退った。
「ォオオオオオオ――ッ!!」
「ちっ……」
しかし、これを好機とザックは間髪入れず斬り込んでくる。妙な違和感を抱いたアクトは木剣を巧みに閃かせ、打ち込みの衝撃を流すようにしてザックの剣を迎撃した。
二振りの剣は衝突点で留まったまま小刻みに震え、一歩も譲らぬ鍔迫り合いの形にもつれ込む両者。試合開始直後から白熱した展開に観客席が沸く中――その異変は起きた。
「な……」
ばきっ――嫌な軋みの音を上げるアクトの剣に、小さな亀裂が入ったのだ。ザックが己の得物を押し込む度に、衝突点からその亀裂は徐々に広がっていく。
アクトが目を見開く……あり得ない。
大会で使用されている木剣は、「コクレン樫」と呼ばれる丈夫な木材が用いられている。剣自体の耐久性も支給された時点で確認している。この程度の打ち込みで破損するようななまくらではなかった筈だ。
得物自体に問題は無い。支給されてからは肌身離さず剣を持っていたので、すり替えられた可能性も低い……となれば、
「おいテメェ……剣に何か細工しやがったな?」
身を乗り出し、険しい顔つきとなったアクトが囁くように問うと、ザックはその整った相貌にニヤリとしたたかな笑みを作った。
「御明察。よく気付いた、とでも言っておこうか」
「実はよ、テメェみたいな奴が一人くらい居るんじゃないかって思ってたんだ。剣を支給していた係の人間を買収でもしたのか?」
「知らないなぁ。僕はたまたまこの剣を借りただけで、たまたまこの剣が他よりも頑丈だっただけだ。それに、この大会じゃお前がいくら騒いだところで無駄さ」
「……だろうな。お前が細工したの、多分『メデュライト』だろ」
たった二合の打ち合いから答えを出したアクトの追及に、ザックの表情が一瞬強張る。
「メデュライト」とは、メディラ鉱石と呼ばれる鉱物から生成される魔法金属だ。軽量ながら鋼を凌ぐ硬度を持つことで有名で、鍛冶師達の間では垂涎ものの代物だ。
それが錬金術で木剣に混ぜられている。これなら多少の重さの違いは殆ど分からないし、詳しく調べなければ判明しない。だが、この大会では魔法行使などの傍目にも分かる不正でもない限り運営委員会は動かないのだ。
もしまともに打ち合っていれば、最初の一合で剣をへし折られていただろう。
「疑問だな。所詮、この大会で優勝して得られる名声などたかが知れてる。なのに、バレるリスクを背負ってまで勝ちたいのか? お前、貴族だろ? メデュライトを用意出来るところを見るに、金には困ってない筈だ」
錬成元となるメディラ鉱石の産出量の関係上、メデュライトはかなり値が張ることで有名だ。ザックは正真正銘の貴族。用意するのは難しくはなかっただろう。
「勘違いするなよ。元から賞金になんて興味は無いし、お前に恨みがある訳でも無い」
「……だったら何でだ?」
「決まってる。僕の目的はただ一つ……去年、僕をコケにしやがった奴を今度こそ叩きのめしてやる事だけだ……!」
アクトが短く問い質すと、声のトーンを暗く低く落とし、ザックは憎々しげに吐き捨てた。勝ち誇った表情は一転して崩され、何者かに対する憎悪の炎がありありと感じられる。
「奴?」
「あぁそうとも。歴史どころか美しさすら無い、薄汚れた変則的な小技でまんまと勝ち上がった奴への雪辱を晴らし、僕は剣の誇りを取り戻す……!!」
随分と誰かをボロクソに貶しているが、どうやら彼にも彼で、どんな手を使ってでも譲れない目的があるらしい。
「誇り、か……不正な方法に手を染めてる時点で誇りもクソも無いと思うけどな。まぁ、俺も俺で勝たなきゃならない理由があるし、負ける訳にはいかない」
「ふん、その今にも折れそうなクズ剣で勝てるものか。一次予選の事を聞いたが、お前の古臭い粗野な剣術も奴と同じだ。我がアレスター家が積み重ねてきた歴史の敵では無い!」
「言ってくれるな。良いぜ。テメェら現代剣術とやらの使い手が見下す剣がどれだけのモノか、味わわせてやるよ」
そう言って、アクトは地面を一歩踏みしめて斬り結ばれたザックの剣を身体ごと後方に押し飛ばし、強引に鍔迫り合いを解いた。
「来いよ、ド三流底辺の卑怯者さん?」
「~~~ッ!! 良いだろう……望み通り、ここで叩き潰してやる!」
不敵な笑みを浮かべたアクトの煽りに、ザックは顔を怒りで歪める。
そして、両手で握った剣を頭の右側面に構え、左足を僅かに前へ出す。その体勢のまま、力強い呼吸で空気を一身に取り込んだ。
何かの型なのだろうが、狙いは明白。渾身の一太刀にてアクトの剣を叩き折るつもりだ。ついでに腕の一本でも折るつもりなのだろう。両者の得物の強度を鑑みれば正しい選択だ。
「……ふ」
正直な話、アクトは次の攻撃を回避することも出来た。真っ直ぐ突っ込んできたところを躱し、がら空きの胴体に一撃叩き込んで試合を終わらせることが出来た。
だがしかし、アクトは敢えて正面からの斬り合いを受けて立った。ザックに対して木剣から左手を外すと、姿勢を低くして木剣を左脇の辺りで水平に構えた。
早くも決着の気配が両者の間を流れ、観客達が固唾を呑んで行方を見守り――
「イァアアアアアアア――ッ!!!」
歯を剥き出しにした裂帛の咆哮。強烈な左足の踏み込みで大地を蹴り、ザックが駆けた。
「シッ!!」
鋭い気迫を迸らせ、アクトも一拍遅れて動いた。
曲線を描いて右上方から振り下ろされたザックの斬撃に、アクトは怖れることなく突っ込む。
その刹那、アクトの左方で振り抜かれた剣閃が、今まさに彼の肩口を斬り裂かんとしていた剣に喰らい付き――
「ニ之秘剣――《雲耀》」
バキッ!! という何かが決定的に壊れたような破砕音が、競技場の外にまで重々しく響き渡った。
一瞬の交錯の後、両者は互いに背を向けてぴたりと静止する。
手に残る硬質な痺れを感じながら残心に入った……その時。陽光に照らされた何かが、猛回転しながら空から両者の中間に落ちてくる。
墓標のようにフィールドの地面に突き立ったそれは――根本から折れたザックの剣の刀身だった。
「――そ、そこまで! 勝者、アクト=セレンシア!!」
何が起こった? という顔で呆気に取られていた審判が、状況を理解して慌てたように判定を下す。他の見物者も審判と同じような反応だったが……直後、観客席から割れんばかりの歓声が生じた。
剣を折られたのはザックの方、だから勝者がアクトなのは見れば分かる。しかし、剣速があまりにも速過ぎたため、彼らにはアクトが何をしたのかがまったく分からなかった。
「馬鹿、な……!?」
そしてそれは、アクトの剣を受けた当人も同様であった。目を皿のようにして殆ど柄だけになった剣を見下ろし、身体を震わせながらザックは掠れた声で呟いた。
無理もない。純正ではないとはいえ、そこらの金属より遥かに硬度を持つ魔法金属を混ぜた剣が、たかが少し丈夫な程度の木剣にへし折られたのだから。
――あの交錯の瞬間、アクトはザックの剣目掛けて四回もの高速斬撃を繰り出した。だが、ただ剣を狙って当てただけでは、強度的にアクトの剣が折れるのは明らかだった。
そう、ただ当てただけでは……故に、アクトはやってのけた。四つの斬撃を、ザックの剣の同じ一点に寸分の狂いもなく叩き込むことで、強度差を覆したのである。
「根本的に何も分かってねえんだよ、テメェは」
常人どころか達人ですら目を疑うような離れ業をザックが理解出来る筈もなく、その場にへたり込んだ彼を眼下に木剣を収め、アクトは冷ややかに言った。
「テメェや、テメェらの先祖が磨き上げてきた騎士剣術が、元は何を真似て編み出されたのか、ちょっと歴史を振り返ってみれば分かるだろ」
「……ッ!?」
「さっき、俺の剣を古臭いと言ったな。だが、ほぼ全ての騎士剣術の原型となった‟古臭い剣”を舐めてかかって良い理由なんて、どこにもねえんだよ」
実戦的な剣術が廃れた経緯には、確かに魔法が戦争の中心になったという理由が一番大きい。しかし、その他の理由として挙げられるのが、現代に争いがなくなった事だ。
血で血を洗う争いが日常だった昔と比べ、現代は小さないざこざはあれど概ね平和な世界だ。ならば、人を殺す剣がいつまでも栄えるのは間違った道理として、在り方を変える必要があった。
アクトのように今もそれを使い続けている者は居るが、実戦的な剣術は淘汰されたのではない。時代に沿って形を変えていき……その一つが騎士剣術として栄えたのである。
「別に騎士剣術を悪く言うつもりはねえよ。それだって、多くの先達たちが長い時間をかけて磨いてきた立派な歴史なんだからな。どっちの歴史が優れているなんて事も無い。だが、テメェはクソみたいな手段で自らの剣を汚し、俺達の剣を侮辱した。誰を憎んでるのかは知らないが……先達たちが積み重ねてきた歴史を汚すな」
「……くっ……」
冷ややかに、されど言葉の端々に怒気を滲ませたアクトにザックは何も言い返せず、がくりと項垂れた。
「ふん……」
そして、アクトはもう興味無しとばかりに身を翻し、次の試合に備えて控え場へ戻った。
結局、Aブロックの試合でアクトが手こずされたのはこの初戦だけであった。アクトは二回戦、三回戦を圧倒的な実力で勝ち進み、あっという間にブロック優勝を決めてしまうのだった。
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