97話 決起の祝杯
――波乱の校内選抜戦決勝戦が終わった数日後、とある休息日の昼下がり。
心が洗われるような晴天、ギラギラと照り付ける夏の日差しの下。暑さに負けず休日を謳歌しようと、オーフェンの街中を大勢の人々が行き交っていた。
「……」
そんな活気に満ちた街中を、アクトは一人歩いていた。その出で立ちは、いつもの制服姿ではない。襟付きの薄手のシャツにスラックスと、夏らしくも実にラフな格好だ。
学院の帰りならまだしも、休日に外で人と会うのだから服装ぐらい揃えろと、コロナとリネアに無理矢理買わされたものだった……そう、アクトはある人物の呼び出しを受けていた。
「……はぁ」
とぼとぼ歩くアクトの口から、小さな溜め息が零れる。周囲に悟られないようにしているが、最近、アクトが一人で居る時はこんな溜め息の回数が多くなっていた。
目下、アクトが抱えている大きな悩みの種……ずばりそれは、エクスの事についてである。
フェリドとの一戦以来、エクスは明らかに塞ぎがちになってしまった。一日のほぼ全てを霊体で過ごすどころか、霊体状態の時ですらアクトの呼びかけに応じないこともしばしばありさえした。
理由は明白。あの戦いで明らかになった過去、未だ戻らない空白の記憶に、エクスは戸惑っているのだ。
(けど、エクスの気持ちはよく分かる。スケールは違うが、俺もガキの頃の記憶はまったく無いからな……)
高次の存在である精霊でも……いや、悠久の時を生きる上位精霊だからこそ、彼らはそれぞれ明確な意識と感情を持っている。無論、例外は居るだろうが、人格的な部分では人間と変わらないのだ。
だからこそ、人間でいうところの記憶喪失に似た状態に、思うところが多々あるのだろう。こればかりは本人の踏ん切りの問題だ。時間とエクス自身が解決してくれるのを待つしかない。
せめて、契約者として自分が彼女にしてあげられる事は……
「……お、ここか」
そうこう考えているうちに、アクトは目的の場所に辿り着く。そこは、中央区四番街にあるレストランであった。南地区のレストラン街からは離れているが、かなり繁盛しているようだ。
中流~上流向けの店であり、外装も内装も高級感のある装いで小洒落ている。コロナ達が服装を整えて行けと言っていたのはこういう事だったかと思うアクトだった。
(こういうのを知ってるあたり、流石は良家のお嬢様だよな。向こうも先に来てるだろうし、とりあえず入るか)
物怖じすることもなく、アクトは見るからにお高そうな店の中へと入っていく。
高級感のある店内は、ランチを楽しむ紳士や貴婦人達で、穏やかながらも賑わっていた。
やって来た給仕に待ち合わせの要件を伝え、店内に足を踏み入れたアクトがぐるりと見回して目当ての人物を探していると、
「こっちよ」
不意にアクトの耳朶を打つ少女の声。聞き覚えのある声にアクトが振り返ると、そこには瑠璃色の長髪に理知的な水色の瞳の少女――ローレンが店内隅の長大なテーブル席についていた。
「待たせて悪かったな」
「構わないわ。こっちもついさっき来たところだし」
ローレンの対面の席についたアクトはひとまず飲み物を注文し、ほどなくして芳醇な香りが漂う紅茶が運ばれてくる。
「……ふぅ。にしても、こうして話すだけなら、そこらのカフェとかでもよかったんじゃないのか?」
「別に良いじゃないの。そんな事より、今日は来てくれて良かったわ。もしかしたら来ないんじゃないかと思ってたから」
外の暑さで乾いた口を潤したアクトの指摘を、ローレンは流れるような言葉運びで誤魔化した。ローレンの様子に若干の違和感を覚えながらも、アクトは気にせず流すことにした。
「もう知らない仲じゃ無いんだし、呼ばれたら行くさ。『若き魔道士の祭典』について話したい事もあったしな」
「奇遇ね。私もそう思ってたところよ」
正体不明の吸血鬼の乱入騒ぎという前代未聞の異常事態が起こった決勝戦は……チーム「奇なりし絆縁」の勝利に終わった。
とはいえ、学院の緊急職員会議では揉めに揉めたようだ。会議に参加したクラサメに後になってアクト達が話を聞けば、不当な戦いとしてやり直しの声も上がったらしい。
だが、事態そのものに不正の要素は無いのに加え、大会委員会が定める本戦の出場登録期限まで時間が無い事など、何よりもアクトを除くチームメンバーが「賢しき智慧梟の魔道士」の四人を倒した事が決め手となった。
異常事態がなかったとしても、「賢しき智慧梟の魔道士」の負けは濃厚だった。これらの要素によって、「奇なりし絆縁」の勝利が決定したのである。
「俺はてっきり、日を挟んで再戦かと思ってたんだけどな」
「私達はきっちりリベンジを果たせたから、思い残す事は無いわ。でもこれで、本戦は大分戦いやすくなったわね」
「ん? ……あぁ、選抜戦を勝ち抜いたチームは優遇されるっていう例の仕様か」
選考基準は各魔法教育機関で異なるが、校内選抜戦を一位出場枠で勝ち進んだチームは早期での有力チーム同士の潰し合いを防ぐため、本戦で二位出場枠のチームと組まれやすいようになっている。
つまり、最初のうちはあまり手の内を見せずにある程度勝ち上がることも可能になる。このアドバンテージは非常に大きい。
本戦の魔法を用いた競技は、純粋な魔法能力は勿論、状況判断や戦略性といった幅広い能力が必要になる。競技内容や相性によっては格上殺しが起きるのも珍しくない。
他チームも、多くの学生達の中から集められた選りすぐりの五人だ。これから先、彼我の戦力差が必ずしも勝利には直結しない。万が一を防ぐためにも、無用なリスクは消しておくべきなのだ。
二位出場枠はこれまでに敗北したチームの中から成績や簡単な模擬戦などで争われるのだが……結果は目に見えている。現状、「奇なりし絆縁」以外で彼らに勝てるチームなど居ないだろう。
「とはいえ、だ。比較的軽症のリネアを除き、お前とコロナは重度の魔力枯渇症、アイリスは火傷に全身打撲……勝てたのは良いが、揃いも揃って酷いやられっぷりだな」
「何言ってるのよ。怪我の酷さなら、貴方がダントツで一番よ。大丈夫なの?」
そう言って、ローレンはじっとアクトの身体を見つめる。今でこそ何とも無いようだが、アクトが運び込まれた魔道士専用の医療施設を回復したローレン達が訪れた時は、彼は全身包帯だらけだった。
通常、一般人が魔法による治癒を受けようと思えば、高い金を払って魔道士を雇うしかない。ただし、魔法学院生なら重大な傷を負った場合にのみ、国が管轄する医療施設で治療を受けることが出来る。
魔法嫌いのスタンスを貫いて学院生活を送っているアクトだが、今回はその身分が彼を助ける形となった。
「流石は最先端の魔法医療だった。失血がかなり酷かったが、幸い後遺症になるような傷は残らなかった。それでも丸二日は寝込んだし、本戦が始まるまでは絶対安静だとよ」
「そう、なら良いのだけれど……しかし、本当に驚いたわよ。フェリド、だったかしら。私達が先輩達と戦ってた間、貴方があの吸血鬼と戦っていたなんて」
「……まあな。俺自身、まだ実感が湧いてない。秘密にしてたせいで、コロナにはこってり絞られたけどな」
「ふふ、でしょうね。私も大目玉を喰らったわ」
口止めされていたとはいえ、フェリドの事は仲間達に伝えておいてもよかったのかもしれない。むやみに言いふらすような真似はしないだろうし、自分達を信じてくれなかったというコロナの怒りも分かる。
ただ、あの時は大事な試合を控えた彼女達に余計な心配をさせまいという想いが勝った。どちらの判断が正しかったのかは、仲間に被害が出ずこうして五体満足で生きている今となっては分からない。
「何にせよ、私と貴方の目撃証言で、政府上層部は今頃大騒ぎの筈よ。なにせ、事は国家の安全にも関わる重要問題。軍による捜索・討伐隊が編成されてもおかしくない事案だし」
「だろうな……軍を派遣したからといってアイツを倒せるかと言われれば、甚だ疑問だが」
実際に死闘を繰り広げた身だからこそ分かる。フェリド相手では、たとえ軍の精鋭部隊が束になってかかっても壊滅は必至だろう。それぐらい、奴はこの現代において強大過ぎる力を持った化け物だ。
ちなみに、フェリドが化けていた二コラは、市街路地裏の一角で発見された。発見された当時は衰弱が激しかったようだが、幸い命に別状は無いらしく、後一週間もすれば復帰出来るようだ。
ある意味、この騒動における一番の被害者は、決勝戦でアクトに近付くためだけという不憫な理由で襲われた彼かもしれない。
(こうしてのんびりしている間にも、奴はどこかで傷を癒して、力を取り戻そうとしているのだろう。また無関係な人間から、美味なる血とやらを啜って……)
奴は、何としてでも止めなければならない。クラサメが突入してくる前に言いかけていた何かを知ることも含めて、フェリドともう一度対峙する必要がある。
そのためにも、エクスの力をさらに引き出せるようになるだけでなく、自分自身がもっと強くならなければ……とまぁ、それは今さておき、だ。
「……で、前置きは良い。本当の用件は何だ? まさか、こんな世間話をする為に呼んだ訳じゃ無いんだろ?」
「!」
見透かしたような半眼を向けるアクトが喋った途端、ローレンの目が大きく見開かれた。
そう、こんな話は前に一度か二度しているのだ。わざわざ同じ話をするがために、ローレンが休日に人を呼ぶとは考えにくい。他に何か話があると考えて然るべきだ。
「本当、貴方は鋭いわね……一応、お礼をしなきゃと思って」
「礼?」
「えぇ、私がチームに入ってからは毎日が忙しくて言いそびれていたから……私とコロナの関係の事よ」
こういう場面で無駄に働くアクトの勘の良さに半ば呆れながらも、ローレンは語り始めた。
「コロナの才能に心を折られた昔の私は、あの子の背中をただ漠然と追いかけてるだけだった。でも、必死に道を拓こうとするコロナとの差は開いていく一方で、私自身、どうして良いのか分からなくなっていたわ」
「……」
自分は誰よりも知っている。コロナがイグニス家を取り戻すために、どれだけの覚悟と信念を以て戦いに臨んでいるのか。どれだけの想いを以てイグニスという名を背負っているのか。
心の強さは魔法の原動力。身を焦がすような覚悟と闘争心を持つコロナに、中途半端な覚悟しか持っていなかった自分が敵わないのは当然だ。実力以前に、心の強さで既に大敗していたのだ。
「そんな私の心に、もう一度火を付けてくれたのはアクト、貴方よ。貴方の言葉が、忘れかけていた情熱を思い出させてくれた」
「!」
「コロナを超えたいという想いだけじゃない。コロナの背中を追うだけだった頃の私とは違う、私だけの進むべき道を見つけられたような気がするの。だから……」
意外そうに目を丸くするアクトに、ローレンは屈託の無い笑顔を浮かべた。
「本当にありがとう」
「……別に、礼を言われるようなことじゃねえよ。俺がお前に発破をかけたのは、お前の加入がチームにとって一番の利益になると思ったからだ。それ以上でもそれ以下でも無い」
打算的な考えが働いていたのは事実だ。感謝されるような事は何もしていない……ただ、一つだけ言えるのは、見ていられなかったのだ。本音を明かせずにすれ違うコロナとローレンの関係を。
だからこそ、二人の仲が決定的に裂ける前に何とかしたかった。言いたい事を言えずに大切な人間と離れる辛さと悲しみを、この身はよく知っているから。
「……ねぇ。前から一つ聞きたかったのだけれど、貴方はどうして『若き魔道士の祭典』を戦っているの?」
「ん?」
そんなアクトの心境を知ってか知らずか、ローレンは笑顔で綻んだ相貌を、真剣なものにして問うた。
「貴方がリネアの屋敷に居候しているのは聞いたわ。その見返りで協力しているのだとしても、少し違和感があるわ。ましてや、貴方は魔法が嫌いだと学院で公言しているのだから、この手の催しには参加しないと思ってたのよ」
ローレンの疑問も納得だ。「若き魔道士の祭典」に出場する者は皆、多かれ少なかれ大会に懸ける願いを持っている。それは名声だったり将来の選択肢を増やすためだったりと、様々だ。
対し、アクトには明確な願いが無いように傍目には映るだろう。目的も信条もなく、ただ魔法を否定するように剣で己の実力をひけらかすだけ……だが、ローレンの目にはアクトがそのような人間には見えなかった。
大会に向けられる熱意も、チームに馳せる想いも、アクトは決して他者に負けてはいない。だからこその疑問だった。
「貴方が戦いに懸ける想いは、何?」
「……そうだな。確かに、最初は殆ど成り行きみたいなものだった。家の事情を知ってコロナ達の為に戦うと決めた時も、俺自身が戦う事について深くは考えなかった」
自分でも驚くほど自然に、アクトの口からは言葉が出てきた。
「そもそも、学院には無理矢理入らされただけだった。魔法という存在が憎悪の対象以外の何物でもなかった俺にとって、初めはあの学院の全てが到底受け入れられるものじゃなかった。魔法に関わる学院の人間を含めてな」
「……!」
魔法に対する嫌悪感を隠すことなく告げ、アクトは窓越しにどこか遠い目で蒼穹の空を仰ぐ。そんなアクトの様子に対しローレンは、バツが悪そうに目を伏せた。
本格的な関わりを持ったのはつい最近なので詳しい事情は分からないが、アクトの壮絶な過去の一端を知るローレンには、彼の言葉に痛ましいまでの重みが乗っているのか理解したのだ。
思わぬ地雷を踏んでしまったか……そう危惧するローレンに、やがてアクトは微かな自嘲を含めるようにふと口元を緩めて言った。
「でも……コロナに諭されて、曲がりなりにも自分の未来を切り拓く為に魔法を学ぶお前達と出会って、どうやら俺は変わったらしい。この世で最も嫌っていた物を学ぶ機会に触れて、見方が変わった」
「え?」
自分自身にも言い聞かせるように語るアクトの声音は、彼にしては珍しく穏やかだった。
学院で過ごしたのはまだたったの数ヶ月……だが、そのたった数ヶ月の間に出会ったモノの多くが、狭く偏った世界でしか生きていなかった自分の考えに光を当ててくれた。
「何かと戦って変えようって意思があるなら、その対象について誰よりも詳しく知っていなきゃ駄目なんだ。それがこれまでの学院生活で俺が見出した、一つの答えだ」
そう思い立ってからは、毎日色々と考えるようになった。これが良い変化なのか、悪い変化なのかは分からない……ただ、お陰で以前より少しは前向きになれた気がする。
「俺は魔法が嫌いだ。魔法には無限の可能性がある反面、簡単に人を不幸のどん底に叩き落とせてしまう。だから多分、この考えは一生変わらねえと思う……それでも、こんな生活も悪くないって思い始めてんだ」
割り切るには、今までに色んな事が起こり過ぎた。未だ全てを、いや、魔法に対するこの複雑な思いは終ぞ吹っ切れはしないのだろう……だが、今なら自信を持って言える。
すなわち――学院に入ってよかった、と。
「だからこそ、きっかけをくれたお前達には感謝してるし、お前達に願いがあるなら全力で支えたいとも思ってる。理由としては主体性が無いって笑われちまうかもしれねえが……」
我ながら何を小っ恥ずかしい事喋っているんだと、アクトは柄にも無い自身の言葉を顧みて苦笑し、されどもう後には引けないとローレンを真っ直ぐ見つめ、
「俺は、チーム『奇なりし絆縁』で、お前達と最後まで一緒に戦いたい」
確固たる決意を込めて、そう告げるのだった。
「……なるほど。それが、貴方の戦う理由なのね」
アクトが全てを語り終えると、何事かを考えこんでいたローレンは、納得したような様子で溜め息を吐く。そして、謎が全て解けたかのようにどこか満足気に微笑んだ。
「不服だったか?」
「いえ、十分よ……そうね。貴方なら、気難しいあの子が気に入るのも分かる気がするわ」
「ははっ、何だそりゃ。それはそうと、この事は他のチームの連中に黙っといてくれよ? 特に、コロナとかにはマジでバレないように頼むぜ」
これは割と真剣な悩みだった。こうしてローレンに話すだけでも正直かなりの気恥ずかしさと抵抗があったのに、あの赤髪の少女なんて聞かれた日には、羞恥心で悶え死ぬ自信がある。
「まぁ、お前は口が堅そうだから心配はしてないけど、よ……」
「……」
間違ってもバラさないようにアクトが念押ししようとすると、ローレンはだらだらと汗を流し、物凄く気まずそうな表情で彼から目線を逸らしていた。何故か、
「あー……えーっと、そ、その……わ、私としては勿論構わないのだけど……もう遅いかもしれないわよ?」
「え? ど、どういう意味だ?」
明らかな動揺を示して言い淀むローレンの慌てように、アクトは何が何やらといった感じで困惑していた。
思い返せば、アクトが席についた時からローレンの態度は少し変だった。まるで、何かを隠すために話を逸らすかのような。だが、具体的にそれが何なのかアクトには分からなかった。
「……なぁ。もしかして、俺に何か隠してんのか?」
「っ!? え、えっと、そ、それは……ああもう無理っ!! 皆、そろそろ良いんじゃないかしら!?」
「?????」
胸の内で加速度的に膨れ上がる嫌な予感。ますます困惑しながら訝しむアクトを他所に、ローレンは彼ではない誰かに向けて助けを求めるように叫んだ。
大音量という訳では無いが、それなりの声量で叫んだローレンに周囲の客や給仕の視線が集まる。だが、このレストランに居るローレンの知人はアクトの一人だけ。
助けを求めようにも、彼女の知人・友人など居ない――筈だった。
「――ぷっ、くくっ……!」
直後、アクトが座っている席の背後から、笑いを嚙み殺したような小さな声が上がる。それを耳聡く拾ったアクトには、その声に酷く聞き覚えがあった。
しかも、彼にとっては最もこの場に居て欲しくなかった人物の声だった。
(まさか……!?)
ここに至り、膨れ上がった嫌な予感は盛大に爆発した。がたんと席を立ったアクトは、恐る恐る隣の席の方へと振り返る。そこには――
「ふ、ふふっ……あっははははははは!! なるほどなるほど、それがアンタの本音って訳ね!」
遂に笑いを堪えられなくなったのか、可笑しそうに腹を抱えて大爆笑するコロナの姿があった。
「げっ、コロナぁ!?? な、何でここに!? それに、リネアとアイリスまで!?」
「あはは……こんにちは、アクト先輩」
「流石にローレン一人だと無理があったかな? 思ってたよりも早くバレちゃったね」
踏み込んで席を覗き込むと、苦笑を浮かべた仲間の少女二人が席に座っていた。さらに見れば、机に送れた三つのカップはかなり前に空になっているようだった。
予め、席の周辺に認識偽装の魔法か何かを使っていたのだろう。アクトが店に入った時、彼はまったく気付かなかった。
「ふ、ふふふふっ……あー、こんなに笑ったのは久しぶりだわ。分かってると思うけど、これは前のお返しよ。アンタの想い、一部始終聞かせてもらったわ」
「私はもう構わないって言ったのだけど、あんまりにもコロナが生き生きとした様子で誘ってくるから、つい、ね……」
「ぐっ……や、やっぱりそうか……」
この状況、この場にコロナが居る時点で、アクトは全ての事情を察した。ひとしきり笑ったコロナは、そんなアクトをやたらと嬉しそうに彼の隣に座る。
コロナに続いてリネア、アイリスも席を移り、二人では持て余していた長いテーブル席はあっさり埋まった。
「ごめんね、アクト君。前は私達も企みに加担したようなものだから、コロナとローレンに口止めされてたの」
「先輩にはその、凄く悪い事をしてしまったと思うんですけど……ご、ごめんなさい!」
「い、いや、あの時、コロナ達の会話を傍で聞いていて欲しいと言ったのは俺だ。お前達に非はねえよ……」
校内選抜戦決勝前の決闘騒ぎにて、アクトは後一歩を踏み出せないでいたコロナとローレンが、本音を互いにぶつけ合えるように二人だけの空間を作った。
だが、チームの結束力を高めるためにアクトはリネアとアイリスにも二人のやり取りを密かに聞かせていた。結果として彼は、青春の一ページのお手本のような復縁を果たした二人から烈火の如く怒られたのだが。
彼女達がアクトにやったのは、まさにそれと同じ。わざわざアクトの外出服を選んだコロナ達は勿論、レストランに呼び出したローレン含め、初めから全員グルだったのだ。
(これも仕方無い事、か)
だがしかし、顔から火が吹き出るような小っ恥ずかしい話を知り合いに全て聞かれてしまったにも関わらず、アクトは自分でも意外な程に落ち着いていた。
何故なら、羞恥心よりも後悔と申し訳なさの方が僅かに勝ったからだ。
本来なら、全力パンチで殴られたって文句は言えない立場なのだ。自身の軽率な行動が招いた報いだと思えば、羞恥心も少しは和らぐというもの。というより、そう思わないとやってられなかった。
「まあでも、普段は絶対ああいう事を言わないアンタがアタシ達をどういう風に思ってるのか知れて、ちょっと嬉しかったわ」
「……そうかよ。ったく、妙に手の込んだ真似しやがって。第一こんな事しなくても、俺がお前らをどう思ってるかなんて考えたら分かるだろうが」
テーブルにひじを付き、諦めと呆れで不貞腐れるアクト。が、赤くなった頬を隠すように窓ガラスの方を向く不器用な少年を、少女達は穏やかな眼差しで見つめるのだった。
「……で? とりあえず、お前らが前の仕返しで俺を嵌めたのは納得した。けどよ、わざわざ俺を呼び出してまでやらなくたってよかったんじゃないのか?」」
ややあって気持ちの整理をつけたアクトは、この企みに残った不可解な点を問う。アクトを嵌めたいだけなら、何もこんな場所に誘い出す必要は無い。
もっと警戒されないタイミングで仕掛けることも出来た筈。しかし、コロナはまるでアクトの問いの意味が分からないかのように、きょとんと不思議な物を見る目で応じた。
「え、何言ってるのよ? ここじゃないと出来ないから、こうしてアンタを呼び出したんじゃないの」
「あ?」
「ほら、言ってたじゃない。決勝戦で勝てたら、アンタの奢りで祝杯を挙げようって。だから、ついでにそっちもやってしまおうと思ってお店に予約を取っていたのよ」
「…………あ、あぁ!?」
刹那、色々な事が起こり過ぎて記憶からすっかり抜け落ちていた約束を、アクトは今更ながらに思い出した。だが、時、既に遅し。
(や、やられた……! 本当の目的はこっちか!?)
コロナ達の思惑をアクトは甘く見ていた。自分を嵌めて赤裸々な話を聞きだすのは物のついで。彼女達は初めからアクトの精神面だけでなく、金銭面まで干すつもりだったのだ。
「ま、さ、か、忘れたとは言わせないわよ?」
実に良い笑顔でがっしりとアクトの肩を掴むコロナ。どうやら、逃がす気はさらさら無いらしい。アクトが横目で周囲の様子を窺うと、リネアやアイリス、挙句にはローレンまで満面の笑みを浮かべていた。
店に入り、席に座った時点で、アクトは既に詰んでいたのだ。逃げ出そうにも、既に出来上がった包囲網を抜け出すのはもう不可能だ。
「……はぁぁぁぁ」
逃げ場を失い、全てを理解したアクトは……諦めと共に深い溜め息を一つ。そして、心底やれやれと肩を竦めた。
「分かった分かった。今日は俺の奢りで良い。だからお前ら、今日は好きなだけ飲み食いしやがれ!」
引き攣った笑みを湛え、アクトは投げやり気味に叫んだ。というか、投げやりにならないと精神を保てなかった。ヤケクソになって宣言するアクトに、女性陣から盛大な拍手と歓声が上がる。
「そうと決まれば何にしようかな? あ、アイリスはどうする?」
「え、えーっと、私は……うわ、メニューがこんなに……」
「遠慮する必要は無いわよ。本人が好きにして良いって言ってるのだし」
「そうそう。アクトのお財布事情が潤ってるの、アタシ知ってるから」
「いやちょっとは遠慮しろよ!?」
喜々とした様子でメニューを選び始める女性陣をジト目で眺めつつ、アクトはポケットから財布を取り出して中身を確認する。
財布と屋敷に置いてあるのを含め、これで臨時収入は殆ど消えるだろうが、自分が楽しむ程度の金額はあるだろう――残金が吹っ飛ぶのを承知でアクトも存分に飲み食いしようとしたその時。
「マスター、私はこの山盛りフルーツパフェという物を所望します」
本当にいつ現れたのか。気付けばアクトの左隣に座っていたエクスが、メニューのある部分を指差しながら小さく彼の服の裾を引っ張っていた。
「うおっ、エクス!? い、いつの間に!?」
「どこからか、マスターが好きなだけ食べさせてくれるという声が聞こえてきたので」
「何だその都合の良い耳は!?」
いきなりの登場に驚くアクト達を他所に、エクスは他にも次々と希望の品を要求していく。それらを全て食べ尽くすのなら、女性陣の胃袋を上回る総量だ。
忘れることなかれ。精霊が故に体型通りでは無いが、その小柄な身体とは裏腹にエクスは大食いだ。経験上、エクスが居るだけで大人二人分ぐらい食費が跳ね上がる。
「え、エクスさん? これ以上は拙いと言いますか、俺の財布が死ぬと言いますか……」
「あ……駄目、ですか……?」
流石に少し自重して欲しい……だが、アクトを無表情にじーっと見つめる灰色の瞳が表すのは無垢なおねだりであり、彼は抗い難い庇護欲に襲われた。
(その表情は反則だろ……! だがこれで、少しでもエクスが元気になってくれれば……)
決勝戦の一件で明かされた空白の記憶。自らの過去について悩んでいたエクスを励ますことが出来るのなら、有り金を全て溶かすのも意味のある事だ。
そして何より、これまで何度も命を救われ、力を貸してくれた精霊の頑張りを労わなければ、主失格というものだろう。
「前から思ってたが、エクスの食い意地には畏れ入るぜホント……分かったよ。フェリドとの戦いでは散々助けられたし、エクスにはいつも頼りっぱなしだからな。何でも頼んで良いぞ」
「嬉しいです、マスター」
さらに出費がかさむ事が確定し、アクトは涙目になりながらもエクスの頭を優しく撫でるのだった。
「そうだ! 本格的に始める前に、景気づけにやっておきましょ!」
すると、唐突に何かを思い出したようにコロナが勢いよく立ち上がった。同じ席の面々が注目する中、コロナはおもむろに右手をテーブルの中央に伸ばす。
「あぁなるほど、そういう事だね。良いよ良いよ、やっちゃおう!」
「こ、これが最近コロナ先輩に貸してもらった本にあった……!」
「別に構わないけど、貴女がそんな事をやろうだなんて意外ね」
「またベタな事を……しゃあねぇな。エクスもほら」
一泊遅れてその行為の意味を理解した他の面々も、それぞれコロナに倣って片手を中央に持っていく。
「えーごほん……色々トラブルはあったけど、先ずはアタシ達チーム『奇なりし絆縁』が無事決勝戦を勝ち抜けた事を嬉しく思うわ」
コロナの音頭と同時に、テーブルの中央で六つの手が、六つの意思が重なる。
「大会に懸ける想いは、人によってバラバラだと思う。でも、アタシ達がチームの為に懸ける想いはただ一つ。そうでしょ?」
コロナの言葉に、一同は揃って力強く頷く。
確かに、個々人の願いや意思は違うのかもしれない。だが、彼らの結束の意思は共通しており、それは消えぬ大火となってチームの原動力となってきた。
「これから始まるのは、校内選抜戦よりも過酷な『本戦』。絶対に勝てるという補償はどこにも無い。けど、色々な事を乗り越えてきた今のアタシ達なら、絶対に勝てると信じてる」
この祝杯は‟決起の祝杯”、‟本当の祝杯”を挙げるのは全てが終わってから。全員、それを理解しているからこそ、燃えるような情熱の火を重ねた手に注ぎ込む。
「さっきアクトが告白した想いは、きっと皆も一緒の筈よ。アタシも、この六人で最後まで戦いたい。だから――」
それぞれの願いと決意を胸に、
「『若き魔道士の祭典』本戦、皆で必ず優勝するわよ!!!」
彼らは勝利を誓うのであった――
読んでいただきありがとうございました!これにて3章完結でございます。よろしければ評価・ブクマ・感想・レビューの方、お待ちしております!