95話 死闘、決着
「がぁあああああ……ッ!?」
ギュルギュルギュル――そんな水っぽい音と共に、鋭利な牙が刺さった首筋から、血が、命のようなものが吸い出されていくのをアクトは感じた。
首に走る焼けるような鋭い痛み、萎えていく力という力、自分の身体を無理矢理征服され、それに僅かな快楽を感じてしまうような、奇妙な屈辱感が全身を支配する。
これが、吸血鬼という名の所以である吸血行為……まるで、強大な捕食者に捕まってしまった哀れな餌のような気分だった。
(ま、ずい……!!)
抵抗出来ない。拘束を振りほどこうとしても、フェリドの、人外の怪物の膂力がそれを許さない。そうしている間にも、アクトの身体からどんどん血が奪われていく。
牙に込められた生命力吸収の呪力と、急速な失血が重なり、アクトの呼吸が徐々に弱くなる。意識が闇に溶け落ちていく――だが。
「き……き、起動しろ……ッ!!」
薄れいく意識をギリギリの所で縫い留め、アクトは必死に「それ」へ魔力を注ぎ込む。
直後、制服の左袖下に隠されていた「それ」が、淡い光を放ち――アクトの左側面に、銀色の輝く魔力障壁が形成された。
座標指定障壁の押し出し作用により、異物であるフェリドはアクトの傍から弾き出された。
「むっ……!」
「よ、四之秘剣――《烈波》ァ!!」
噛まれた痕から流れ出る鮮血もお構いなしに、アクトは聖剣を一心不乱に振るい、魔力の斬撃を飛ばしまくる。
狙いがまともに定まっていない無茶苦茶な攻撃。だが、この至近距離ではほぼ当たる。肌を浅く裂かれながら、フェリドは濃密な斬撃の弾幕を避けてさらに後退していった。
「ぐぁぁぁ……ぜぇ……ぜぇ……!!」
「――ぷはぁっ。まさか、そんな物を隠し持っていたとはね。僕とした事が迂闊だった」
傷口が開いた事による激痛に呻くアクト。それを余裕の表情で見つめるフェリド。その牙や唇から、真っ赤な血が垂れている。
「あぁ……思った通り、やはり君の血は実に美味だ。芳醇で深い味……これは僕が今まで味わったきた人間の血の中でも、ベスト5に入る美味さだね」
フェリドは唇に残ったアクトの血を拭う。手に付いた血を、高級食材でも味わうかのように舌で舐め取った。
「はぁ、はぁ……前にも言ったろ……人の血で食レポしてんじゃねぇよ、気持ち悪ぃ……!」
荒れた呼吸でフェリドを罵りながら、アクトは制服の左腕の裾をめくる。彼の左腕には、表面に幾何学的な模様や図形――ルーン刻印がびっしりと刻まれた、防具にしては薄い手甲が装着されていた。
魔道具「銀輝魔甲」。魔力を通すだけで障壁を展開する、マグナが制作した特注品。本来は魔法攻撃を防ぐのに使われる代物だが、それが思わぬ形で役立ったのだ。
(助かったぜ、マグナ……)
アクトはこれを作ってくれた友人に、掛け値なしの賞賛と感謝を送った。
『マスター、傷口からの出血が多過ぎます。これ以上の出血は生命活動の危機に繋がると予測。権能の出力は落ちますが、私の方でマスターの生命維持を補助します』
「た、頼む……それでエクス、さっき俺を切り刻みやがったモノの正体……何か分かったか?」
致命的な隙を晒す原因となった、アクトの全身を裂いた謎の攻撃。彼が真っ先に考えたのは、あの間合いが伸びる不可視の斬撃だが、あの時フェリドは剣を振るっていなかった。
予備動作無しで斬撃を飛ばせたとしても、それならそれでアクトを仕留められる機会は幾らでもあった筈。つまり、彼を襲った‟見えない何か”は、また別種の攻撃という事になる。
『申し訳ありません。私が観測出来る範囲を超えた、未知の攻撃としか』
「そうか……」
フェリドが行使する魔法――操血魔法とやらは、まだまだ未知の部分が大きい。上位精霊のエクスですら見逃すという事は、やはり人智を超えた不可解な力によるものなのだろう。
これは迂闊に仕掛けられない。分かっている情報から少しでも謎の攻撃の正体を掴むべくアクトが頭を働かせていると、
『……ですが。私はこれを、知らないのに知っている』
エクスが突然、妙な事を言い出した。
「え? どういう意味だ?」
『分かりません……「統合意識体」に接続された私の記憶領域には、断片的ではありますが、先程と同じ現象を記録した履歴が残っています。なのに、私の意識人格はそれを覚えていない……この記録は一体……?』
普段の淡々とした無感情な様子とは打って変わって、エクスは深刻に悩む様子で自身の記憶を探っている。契約者として、その困惑と疑念を痛い程に感じ取ったアクトの直感が告げていた。
それは、未だ自分達を不完全な契約で繋ぐ謎の「呪い」……エクスの失われた過去に関係しているのかもしれないと。
吸血鬼は長き時を生きる程、より強大な力を身に付ける。フェリドも間違いなく古参の吸血鬼。‟騎士王”なる単語も含め、何かしらの関係が過去のエクスとあっても不思議では無い。
「どうせ、アイツを倒さないとこの空間からは出られないんだ。尚更、ぶちのめして詳しく聞き出さないとな。とにかく、奴の挙動を見極めながら仕掛けてみる。支援と観測は任せたぜ」
『……了解しました。マスターの身体への負担の軽減を最優先に。次こそは必ず見抜いてみせます』
アクトの頭の中で渦巻いていたエクスの感情の昂りが、急激に冷めていく。どうやら今は目の前の戦いに集中する事に決めたようだ。
傷は決して浅くはないが、まだ全力の戦闘は続行出来る。不屈の決意を漲らせ、アクトは聖剣を構え直した。
「直ぐに死なれては面白くないからね。美味なる血に免じてしばらく待ってあげたけど、そろそろ相談は終わった、かな!」
《烈波》で刻んだ傷も、再生能力で綺麗に消え去っている。自身の有利を微塵も疑っていない態度で、フェリドは腕の挙動も霞むような速さで黒剣を数度、振り払った。
「ッ……!!」
その軌道上にノータイムで生じる無色の斬閃。アクトはそれを足回りに魔力を集中させた高速のサイドステップで回避し、フェリドが再び狙いを付ける前に駆け出す。
(吸血鬼の能力は多彩だ。出せる手札が多い分、一つの手段に固執はしない筈)
自分が絶対強者だという吸血鬼らしい傲慢さを抱えながらも、フェリドはかなり頭が切れる。有効でないと分かった攻撃をいつまでも続けてくる程、馬鹿では無いだろう。
(あの伸びた斬撃が《魔道士殺し》で防がれると分かった以上、奴は攻め手を変えてくる――その変調まで後、ゼロ!)
「悉く串刺しにしろ、《血染めの黒平原》」
次の瞬間、まさしくアクトの読み通りに、フェリドは黒剣を振るう手を止めた。そして、今度はその細長い脚を高く持ち上げ、踵から力強く床を踏みしめた。
直後、フェリドが操る濃密な影が床一面を凄まじい速度で侵食していき、伸び上がる槍の如き漆黒の柱――「影杭」が放射状に射出された。
しかし、一分の隙間も無い程に周囲を埋め尽くしていく剣山の密度は、今までの比では無い。眼前の何もかもを貫く吸血鬼の凶悪な殺意の塊が、疾走するアクトへと迫る。
「ちっ……!」
力を隠していたのか、これが人間の血を取り込んだ結果なのか……地上での回避は不可能。小さく舌打ちし、アクトは黒き剣山を眼下に大きく跳躍し――既に上方へ狙いを定めていたフェリドと視線を合わせた。
(この威力は想定外だが……狙いはさっきと同じ、俺を空中へ誘導する事)
すると、フェリドの足元の影が沼のように広がって蠢き……そこから、影で形作られた五匹の鳥型魔獣が召喚された。
「あの不遜なる輩の血肉を喰らえ、我が眷属達」
主の命により、鋭い嘴が特徴の怪鳥を模した影の魔獣達は、空中で思うように身動きが出来ないアクト目掛け一斉に飛翔した。
さらに、フェリドはアクトに向かって黒剣を数閃、虚空に不可視の斬撃を飛ばす。魔獣達に対応すれば斬撃で両断され、斬撃に対応すれば魔獣達に身体を啄まれる。
どちらかへ対応しても、確実にもう片方に殺られる――ならば、両方一度に対応してしまえば良い。
「テメェの狙いは読めてんだよ!」
アクトは最初に接近してきた一匹目の魔獣を瞬時に両断した後、灰のように消滅する前の亡骸を蹴って落下軌道を変更。遅れて生じた不可視の斬撃から逃れる。
続く二、三匹目を手際よく解体、先と同じく崩れ落ちる前の亡骸を蹴って連続跳躍。魔獣達を足場として利用することで、上空からフェリドとの距離を詰めにかかった。
「僕の眷属を足場に……だったら、これはどうだい!」
これだけの策を張り巡らせておきながら、未だアクト仕留められない事に微かな苛立ちを見せたフェリドは、すぐさま残った二匹の魔獣達に命令を下す。
今回召喚された影の魔獣達は細かな命令の遂行が可能らしく、一匹は落下するアクトの前方から、もう一匹は後方から勢いを付け、翼を折り畳んでの突貫を仕掛けた。
空気抵抗を極限まで廃した体勢で、魔獣達はアクトの胴体に風穴を空けんと猛速度で突っ込んで来る――
「六之秘剣――《渦旋刃》ッ!!」
――その寸前、タイミングを測ったアクトは全力で身体を捻り、大気裂く横回転斬りを放つ。目にも止まらぬ速さで一閃された聖剣の横薙ぎは、今まさに彼の肌を抉らんとした魔獣達を刹那の間に斬り捨てた。
「この……!」
「無駄だっつてんだろ!!」
破れかぶれにフェリドは不可視の斬撃を乱れ飛ばすが、既にその太刀筋はアクトに見切られている。彼はフェリドが黒剣を振るう前から来たる斬撃の軌道を予測し、《魔道士殺し》で相殺する。
そして、フェリドが繰り出した攻撃の全てを無傷で捌き、アクトは地上へと帰還した。
「ちっ……本当に君は厄介な相手だね……!」
血が抜け落ちたような色白の相貌にさらなる苛立ちを滲ませ、フェリドは再び足を持ち上げる。先程も見せた、「影杭」による超広域面制圧攻撃の予備動作だ。
空中での回避挙動はある程度明かしてしまった。次はかなり高確率で対策される恐れがある――だが、問題無い。この距離なら、向こうより先に届く。
「一之秘剣――《縮地》ッ!!」
フェリドが床を踏みしめるより早く、アクトは地を蹴ると同時に《限界突破》で引き出した魔力を移動の行動強化に回し、大気の壁をぶちぬく勢いで超加速した。
単純明快にして強力な接近技である《縮地》だが、単純が故に動きが直線的で読まれやすいため、前に見せた事もあって今まで使用を控えていた。
しかし、これだけ近ければ関係無い。フェリドが動きを読む頃には、人外の怪物の反応速度すら置き去りにする超速の踏み込みが、奴の身体を両断する。
(あの時俺に何かをしたというのなら、今度は何かされる前に斬るまでだ!)
姿が霞み消えるような高速移動でフェリドに肉薄するアクト。激流のように次々と変化する彼の視界には、迎撃体勢はおろかまともに反応すら出来てすらいない吸血鬼の姿が映る。
殺った。真空を引き裂きながら、アクトは聖剣を真っ向からフェリドの無防備な頭部へ振り落とし――
次の瞬間、至高の一振りに込められた剣圧と魔力が周囲を吹き荒れ、肉を裂き骨を断つ音が――しなかった。
「……は?」
眼前の光景に、アクトは自身の目を疑った。聖剣とフェリドを隔てるほんの僅かな空間、まさに薄皮一枚の差というところで、刀身がぴたりと停止していたのだ。
アクト渾身の唐竹割りは、確かにフェリドの頭部を正確無比に捉えていた。打ち込む角度も力の入れ方も完璧な状態で振るわれた聖剣は、間違いなくフェリドの頭を左右に割る……筈だった。
だというのに、結果はどうだ。聖剣が吸血鬼を両断する寸前、刃がそれ以上進まなくなったのだ。
「まさ、か――ッ!?」
力で抑え付けられたとか、認識をずらされたとか、そんな次元の話では無い。まるで、空間そのものが斬撃の到達を拒んだかのような――動揺を露わにするアクトに、フェリドは妖しく嗤った。
「ふふ……だから用心するに越した事は無い」
(マズイ!!)
背筋に悪寒――動揺を投げ捨て、アクトは全力のバックステップでその場から退避。半瞬遅れて、フェリドの周囲の床から無数の「影杭」が突き立った。
剣山が広がりきる前に、アクトは範囲の外まで逃げていた――だが。
「がっ!?」
直後、アクトの左肩口から血霞みが吹き上がる。
激痛と苦悶に表情を歪める彼が見れば、黒剣を緩やかに一閃し終わったフェリドの姿があった。魔法による不可視の斬撃だ。
……いや、今はそんな事よりも、アクトには先程の不可解な現象について確認すべき事柄が沢山あった。
傷の確認よりも先に、脳を爆速で回転させ、「魔道士殺し」として戦ってきた経験も総動員し……思考の果てに、アクトは二つの謎の現象についてのある推測を得た。
『マスター。先程の攻撃の一瞬、敵性対象の周囲に空間位相の変異を検知しました。恐らくこれは――」
「ぐっ……あぁ、俺にも分かった……読めたぞ、絡繰りが」
そして、その推測はエクスの分析とも一致する。傷口を抑え、荒い息を吐きながらも、アクトは半ば確信に近い推測を胸に抱き、フェリドへ問いを投げかけた。
「テメェ……‟空間”を斬ってるんだな?」
「――お見事。よくぞそこまで見抜けたものだね」
ぱちぱちぱち……アクトの問いに、フェリドは信じられないくらいあっさりと彼の指摘を認め、再び賞賛の拍手を送った。
「……やけに早く認めるんだな?」
「どうせバレただろうからね。空間そのものに‟斬った”という事象を因果として刻み付ける事こそが、《彼方を薙げ、血潮の斬断者》の本質。斬撃の間合いが伸びるのは、単にそう見えるだけの副次的な現象に過ぎないのさ」
事も無げに、さらっととんでもない能力を明かすフェリド。口では簡単に言うが、アクトは戦慄を禁じ得なかった。
恐らくは時間差での細かい制御が可能なのだろう。アクトを襲った見えない攻撃は、彼の周囲の空間に予め刻み付けていた‟斬った”という事象を後で成立させたから。
更には攻撃だけでなく防御にも。アクトの斬撃が通らなかったのは、両者を隔てる空間が‟斬った”という事象の影響で断絶されていたからだ。
「とんだチートじゃねえか……!?」
「万能という訳でも無いよ。斬った空間が断絶するのは少しの間だけだし、さっきやったみたいに、予め斬っておいた場所に敵を誘導して傷を負わせるぐらいしか使い道が無いんだ。少なくとも今はまだ、ね」
魔法単体ならそれでも十分チートだろうが……自分が必死に捌いていたのは、副次的な物でしかなかったのだ。
フェリドは口にしていないが、空間そのものを斬るという事は、空間上に存在する物体すらも切断するに等しい。つまり、どれだけ強固な魔法障壁を張ろうと、より高次の領域から破壊されてしまう可能性がある。
つまりは防御貫通の特性。アクトが相殺出来たのは、‟空間を斬る”という事象そのものを斬る《魔道士殺し》の性質と、聖剣の存在規格が強固だったからだ。
(駄目だ、能力の幅が多彩過ぎる! どれだけやっても懐に入れない……!)
これが、吸血鬼の真の恐ろしさか……失血と負傷が重なり、動きが重くなってきた。視界は時折霞み、身体の芯が冷たくなっていくのが分かる。
日頃の訓練で《限界突破》の魔力もかなり制御出来るようになったとはいえ、持って後、三分といったところか。そもそも、再生能力持ちに短期決戦を持ち込めなかった時点で劣勢は必至だったのだが。
(……もう、アレに賭けるしかねえか)
出来れば使いたくなかった。アレは一発逆転の切り札と言うべき強力な手段である反面、リスクが大き過ぎるからだ。本来は駄目押しの一手に使うべきで、未だ能力を測れ切れていない相手に使うべきではない。
この試みが失敗したその時、自分は間違いなく殺される。だが、このまま戦い続けてもいずれ敗北する未来は変わらない……ならば、何も迷う必要は無い。やる事は一つだ。
(エクス、俺に一つ考えがある。乗ってくれるか?)
意識すれば、アクトは契約精霊のエクスと思考が共有出来る。契約で繋がる魂の奥底にて、彼の思考がそのままトレースされるかのように作戦がエクスへと鮮明に流れ込む。
『……確かに。マスターがお考えになった作戦なら、敵を無力化しつつ空想結界から脱出するのも可能かと』
(ああ。肝心なのは、最後の詰めの部分だ。俺が何としてでも奴の隙を作ってみせる。だからエクスも、俺を信じてそっちに集中してくれるか?)
この作戦を成功させるには、エクスは《限界突破》に割いていた権能を別に回す必要がある。よって、彼は単独でフェリドから勝機を奪い取らなければならない。
エクスが少しでもアクトに力を回しても、アクトが少しでもエクスに力を求めても駄目だ。それぞれが役割に徹し、尚且つ互いを信じなければ成功しない。
『私はマスターの剣。貴方を信じ、どこまでも貴方と共に』
アクトの問いに、エクスは迷いなく答えた。それは決して思考放棄などではなく、真に主を思うが故の無条件の信頼。主の力を微塵も疑っていない証拠だった。
(分かった……よし、往こう)
ならばこちらもそれに応えなければならない。意を決したアクトは、燃え上がる銀色の魔力光を解き――呪文を唱え始めた。
「【剣閃の頂に昇りし汝・神をも喰らう我が剣・天より確と照覧あれ・終の先に刃は残らず・我、三千世界の悉くを斬討せんと・破の道を進む者が故に】」
六節からなる長文詠唱、その最後の一節を括った――刹那、アクトの纏う雰囲気が変わった。
弱々しく霧散していく魔力の猛りとは対照に、アクトの武人としての存在感が、威圧感が、唐突に圧倒的なまでに膨れ上がったのだ。
「……!」
「いくぞ、吸血鬼ッ!!」
相対する敵から爆発的に生じた気迫に目を見開くフェリド。まるで鬼か化生に類する「鬼気」を纏ったアクトは、聖剣を突き出すように構え、フェリド目掛け疾く駆け出した。
「始の剣にて翼を割る――《縮地》ッ!!」
そして、魔力を集中させた二の足で床を蹴って超加速。用いた魔力は、あくまでエクスの力を借り受けない範疇で出せる本来の総量。先程までの派手さは無い。
――にも関わらず、初速ですら姿が霞んで見えたアクトの踏み込みは、先程の《縮地》よりも数段、速かった。
(速い……が、無駄な事を!)
尋常でない速度で迫るアクトにフェリドは面食らうが、この距離ならば対処は容易。フェリドは作用範囲を彼が駆ける直線上に絞り、足元の影から特大密度の「影杭」を打ち出した。
轟音を上げ、天井近くの高さまで現れた漆黒の大剣山。範囲こそ広くないが、あの速さでは急停止はおろか急旋回も不可能。跳躍先も封じられ、串刺し確定だ。
――しかし、それは避けようとすればの話。元よりアクトに避ける気などなかった。
「ニの剣にて尾を落とす――《破槍・一角獣》ッ!!」
アクトは動きに制動をかけると同時に膝を沈み込ませ、身体を低くする。そして、踏ん張り効くように速度を落としたところで、限界まで曲げた下半身の発条を魔力と共に一斉解放。
爆発にも似た炸裂音を背後に全力で床を蹴り、突き出した聖剣の切っ先に全体重、全膂力、溜めた力を一転集中させ、迫り来る「影杭」の壁に真正面から突っ込んだ。
「うぉおおおおおおお――ッ!!」
「何……!?」
アクトが持つ剣技の中で最大の突破力と最強の攻撃力を誇る九之秘剣。全てを穿つ一条の剛槍と化したアクトは、そびえ立つ大剣山を根本からぶち破った。
「三の剣にて脚を断つ――《雲耀》ッ!!」
「影杭」を突破したアクトは、突きの勢いを走力に転じてフェリドに肉薄し、雷光が如き最速の斬撃を見舞う。
こちらも《限界突破》を使っていた時より数段、鋭い。だが、そこは流石の吸血鬼。剣技で劣っていても、人外の身体能力と膂力を以てフェリドは銀の剣閃と斬り結ぶ――だが。
(罠を正確に避けて……!?)
フェリドは予め《彼方を薙げ、血潮の斬断者》によって、自身の周囲に断絶空間を作っていた。近接戦を仕掛けてきたアクトの刃が止まり、隙だらけとなった胴に反撃を入れるために。
しかし、アクトは見えているかのように断絶空間を避けて聖剣を振るう。理屈としては単純。彼は卓越した観察眼で戦闘から得られるフェリドの思考を読み、断絶空間を配置する位置を予測していたのだ。
「四の剣にて腕を狩る――《迅風閃・廻》ッ!!」
断絶空間を避けるために変則的な軌道で斬撃を放つアクトに、フェリドの対応が遅れる。アクトがそこを逃す訳もなく、彼は虚空を薙いだ黒剣の横っ腹に聖剣を叩き込み、武器を跳ね上げた。
瞬間的に無防備になるフェリド。その隙にアクトは側面や死角に回り、あらゆる角度から波状攻撃を浴びせる。これにフェリドはまったく対応出来ず、多数の深い斬痕が総身に刻まれた。
「くっ……!」
(よし、通った!)
この戦闘において、フェリドが初めてダメージらしいダメージを負った。吸血鬼の再生能力なら一分で完治する傷だが……その一分が戦いの命運を分ける。
(僕の思考を読んで……さっきから何だこの動きは!?)
フェリドは信じられなかった。先刻までは圧倒していた相手に押されている。いくら‟騎士王”を継ぐ者とはいえ、生物界の頂点者たる自分が、力もロクに引き出せずにいる人間一人に翻弄されているという事実に。
同じ距離に居るのに向こうの斬撃だけが当たる。この剣速でありながら断絶空間を避け続ける。謎の呪文を唱えてから、深手を負っている筈の敵の動きは格段に研ぎ澄まされ、速くなっていた。
「五の剣にて目を抉る――六の剣にて首を裂く――ッ!!」
「が、ぐぅぅ……ッ!?」
一度通れば次々と、浅くない斬撃を貰うフェリドの動揺も、納得だった。アクトが行使した術とは、そういう精密な動作を行うのにうってつけの術なのだから。
道術《修羅の八刀》。その効果は、‟術が発動してから八回の行動精度を限界まで引き上げる”というもの。術の発動中、強烈な自己変革の作用によりアクトは無双の剣士と化すのだ。
ただし、恩恵と代償は表裏一体。この道術には大きな弱点がある。それは、八回分の行動が終わって術の効力が切れれば、反動で術者の運動能力が著しく低下する事だ。
発動中は鬼のように強くなるが、終われば赤子のように無力と化す。そんな無敵と欠陥が合わさった力。術が切れるまでに相手を倒さなければ、敗北がほぼ確定してしまうのである。
「七の剣にて心を砕く――《緋色吹雪》ッ!!!」
故に、絶対にここで決めなければならない。決着を付けるべく、アクトは自身が出せる最高の技を切った。
「はぁあああああああああ――ッ!!」
「ッ……!!」
再生させる暇など与えんとばかりに、アクトは烈火の如く斬撃と刺突をつるべ打つ。速い、ともすれば《雲耀》を凌ぐ速度。際限なく放たれる連撃の嵐に、フェリドは身を守るので精一杯だった。
驚異的な回転――それこそが、十之秘剣《緋色吹雪》。全四十撃から成る連続攻撃だ。一人の剣士が編み出した、一刀目から四十刀目まで、打ち込む角度から強さまで事細かに定められた効率的な型。
その型を何千、何万回と繰り返し、動作を骨の髄まで刻み込むことで、一切の思考を排し肉体が出せる最高速を発揮。圧倒的な手数と速度で相手を圧殺する、初見殺しの極致と言うべき技だ。
《修羅の八刀》で数えられる行動回数は、その動作の終了時に対してのみ。連続攻撃を一動作と術を定義すれば、制約に引っかからない。アクトは術の本質を理解した上でこの技を選んだのだ。
さらに……アクトはフェリドの度肝を抜く、驚くべき行動に出た。
「終の剣にて命を斬る――【精霊解放・――】」
絶え間無い超高速の連撃を放ちながら、アクトは静かに歌を紡ぎだす。それに応じ、断絶空間を避けながら疾く閃く純白の刀身に、黄金の光が満ち始めた。
「【束ねるは光の息吹・大いなる意思の輝き・――】」
「まさか……その『精霊武具解放詠唱句』は!?」
アクトが唱えているモノの正体に気付いたフェリドの、真紅の瞳が凍りつく。聖なる言葉が紡がれるにつれ、その眩き光は徐々に、徐々に……どこまでも高まっていく。
聖剣カリバーンの「奥の手」。邪悪を滅する必殺の一撃を、アクトはこの高速戦闘中に為そうとしていた。威力が大き過ぎるために使用の機会には恵まれなかったが、ここはフェリドが作り出した異空間。加減は必要無い。
別の行動と並行しての詠唱は、魔道士に必須の技能だ。どれだけ長文の呪文であろうと常に状況を把握しながら、氷の判断力と鋼の精神でこなさければならない。
その上、ここはまばたき一つ許されない剣戟の間合い。至近距離で命のやり取りをしながら、複雑な発声法と音階を要する呪文を唱えなければならないのだから、難易度は段違いだ。
普通なら絶対に不可能。思考時間ゼロで繰り出せる《緋色吹雪》と、《修羅の八刀》で一つ一つの行動精度が極限まで高まっているからこそ出来る芸当だった。
「【幾星霜を超えて煌めく不朽の聖剣よ・――】」
詠唱を止めようにも、フェリドには何も出来ない。アクトの斬撃のあまりの速さに黒剣を攻めの姿勢に持っていく事すら出来ず、ひたすら彼の猛攻を躱し、受け流すのに専念させられていた。
元より《緋色吹雪》とはそういう状況に持ち込む事を目的とした技。過剰なまでに最適化・高速化した連続攻撃により、相手の動きを封殺し、何もさせない。
防戦一方。反撃どころか逆に身体を切り裂かれる。フェリドは《緋色吹雪》の必勝パターンに陥っていた。
「【数多の苦難、障害を打ち払いて・――】」
その時、フェリド=ル=ノスフェラトゥスは、久方ぶりに恐怖した。
昔とは比べられないくらいにぬるくなったこの世界で、かつての自分に濃密な恐怖を味わわせた二つの存在……‟彼ら”に似た身を震わせるような何かを、目の前の人間は持っている。
確信した。この人間は、美味なる血を持つだけの獲物、ただの弱者では無い。近い将来、必ずや大きな障害となって自分の前に立ち塞がる正真正銘の敵だ。
ならば、もう同じ轍は踏まない。今ここで、その芽を完膚なきまでに刈り取る!
「【常勝たる希望の星となれ・――】」
「ぐっっ、はぁあああああああああああ――ッ!!」
そして、フェリドは防御を捨てた。総身に夥しい斬痕を刻まれるのもお構いないしに、全力で地面に足を叩き付け――爆発。けたたましい音をかき鳴らし、自身の周囲に無数の「影杭」を射出した。
近接戦で防御を捨てての範囲攻撃。こんな真似、人間には出来ない……だが、強靭な生命力と再生能力を誇る吸血鬼は違う。
人間には十分致命傷となり得る攻撃も、吸血鬼にとってはなり得ない。やっている事はただの悪足掻きにしか見えないが、吸血鬼の強みを活かしたこれ以上無い反撃だった。
「~~~~~ッ!?」
零距離で解放される影の「地雷」。漆黒の杭がアクトを呑み込み、腕を、足を、頬を、耳を削ぐ。墓標の如く次々と生まれる「影杭」の山が、全方位から彼の肌を貫き、殺到する。
聴覚が意味を失くす連続の射出音、血と肉片を舞い散らせる剣山。アクトの身体を抉る黒の突起が真っ赤に染まっていく。
まだだ、まだ敵は完全に死んでいない――フェリドは限界まで「影杭」に力を注ぎ込み、命を削り取られていく敵の全てを削ぎ落とさんとする――だが。
「っ……! 【いざ我は高らかに・手に執る奇跡の名を謳う・――】ッ!!」
「ぐあっ!?」
アクトの詠唱は止まらなかった。数多の杭に総身を裂かれようと、不屈の精神を以て勝機を繋げる。さらには前方の「影杭」を斬り飛ばし、尚もフェリドに食い下がる。
――一体、何がこの人間をここまで突き動かすのか……だが、次はそうもいくまい。
先程は周囲に神経を張り巡らせ、致命傷となる杭だけを分けて回避していたようだが、これだけの重体なら攻撃と詠唱で処理能力が飽和する筈。もう次の一撃は躱せない!
防御を捨てたフェリドは更に身体を刻まれるが、最早、関係無い。斬られた端から再生能力を全開で働かせるという荒業で、アクトの意識を捨て身で自分に向けさせる。
(終わりだ……!)
ありったけの殺意と力が込められた一本の杭が影から射出され、アクトの無防備な腹部を貫かんと伸びて――
ガキィンッ!!
その寸前。アクトの腹部の前面に薄く展開された銀色の魔力障壁が、激しく競り合いながらも杭の到達を阻んでいた。
(これは、さっきの!?)
咄嗟にフェリドが見れば、制服の下から血に濡れたアクトの左腕が淡く発光していた。
一度目は吸血行為の時。二度目は今まさにこの瞬間。致命となる攻撃を二度も防いだのは、一人の少年が友人に託した贈り物であった。
その銀色の輝きを見たアクトは、血塗れの相貌にふと薄い笑みを零し――
「【其は――】ッ!!」
遂に四十刀目の渾身の袈裟懸けが、がら空きとなったフェリドの胴体を薙いで吹き飛ばした――刹那、黄金の光満ちし聖剣から、比類なき極光の魔力が噴出した。
魔力の嵐が閃光として荒れ狂った後、溢れ出す魔力の輝きは、やがて指向性を持って直線的に集束していき……一振りの巨大な剣を形作る。
この異空間に空は無いが……天を衝く程に巨大な光の剣の威容に、吹き飛ばされたフェリドは圧倒されていた。
「終わりだ……!!」
白日の太陽が如き眩きで、異空間に満ちる闇と影を消し去った光の剣を、アクトはゆっくりと振りかざし、
「《極光輝く破邪の聖宝剣》――ッッ!!!!」
フェリド目掛け振り抜いた。まるで光が落ちてくるかのような金色の一閃が、吸血鬼の頭上に叩き付けられ――
「……ぁ……」
光が、光が、極光が、世界を奔流する――
全てを真っ白に染ま上げる眩き極光の中へ、溶け消えていく……
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