94話 それぞれの決着②-1
コロナ、リネア、ローレンと、シルヴィ、ライネル、エイラ……互いの死力と死力を尽くした全力のぶつかり合いが始まる少し前、屋内フィールド中央の庭園にも動きがあった。
戦闘開始前は色とりどりの花々が咲き誇り、丁寧に整備が行き届いていた緑豊かな庭も、今は見る影も無い。戦闘の余波だけですっかり荒れ果ててしまったそこには、
「はぁ、はぁ……おいおい。これだけ打って、まだ倒れないのかよ? どんだけ化け物みたいな体力してやがんだ……?」
手慣れた様子で呼吸を整えながら、半ば困惑したように魔力を漲らせた拳を構えるディランと、
「ぜぇ……ぜぇ……ごほっ……わ、【我が刃に光輝を灯さん】……」
肩で大きく息を吐きながら、本日何度目かの無系統《魔光昇華》を、この短時間に熟達した一節詠唱で付呪し直すアイリスの姿があった。
ほぼ無傷のディランに対して、アイリスの身体には無数の青い打撲痕が残っている。両者に刻まれた傷の数の多さが、彼我の間に存在する懸絶した実力差を如実に表していた。
(この程度では、倒れない……)
だが、あれだけの攻撃を受け、呼吸は乱れているにも関わらず、アイリスの体力にはまだ余裕があった。大量の生傷に反して、ダメージは少ない。レパルド族特有の強靭な肉体と自己再生力が、彼女の戦闘不能を許さないのだ。
動けなくなる程の致命傷さえ貰わなければ、無尽蔵の継戦能力で半永久的に戦い続けることも出来る。それこそが、レパルド族が世界最強の戦闘民族と恐れられてきた所以である。
(けど……勝てる気がしない……!)
とはいえ、身体が未成熟なアイリスにそんな真似は出来ない。動きは見切られ、攻撃は当たらず、反撃を貰う数も増えた。「技」も「駆け引き」も、圧倒的に格上なディラン相手に戦い続けられる自信は無い。
繊細な身体能力強化魔法の制御、強力な魔練闘術」、卓越した格闘センス。正式な訓練を積んだ者とそうでない者に絶対的な差があるように、アイリスが唯一勝る身体能力を以てしても埋められない差が、ディランにはある。
「……やっぱりそうだ。最初は気のせいと思ったが、間違いない」
ふと、確かめるように拳を握ったり開いたりを繰り返すディランは、アイリスにも聞こえる音量で呟く。そして、戦闘が始まってから己が内でずっと燻っていた疑問を、相対する少女に投げかけた。
「なぁ、アイリス……何をそんなに怖がってるんだ?」
「――ッ!?」
図星を突かれた人間とは、きっとこういう顔をするのだろう。唐突に告げられたディランの問いに、アイリスは取り繕う間もなく明らかな動揺を示した。
「……その反応を見るに、どうやら俺の勘は外れてはいなかったみたいだな。それと関係があるのかは分からないが……お前、もしかして力を抑えてるんじゃないのか? しかも意識的に」
「――ッ!??」
間髪入れず襲い掛かる、二度目の驚愕。察しが良過ぎる……いや、これが優れた武人の洞察力か。普段はとことん鈍いのに、訓練では心を覗かれているかのように胸中を見透かしてくるアクトと同じ感覚を、アイリスは味わっていた。
「拳を交えた俺には分かる。お前の拳には、‟重さ”が乗ってない。パワーは《剛力ノ解放》抜きで俺よかずっと強いのに、俺を身体の内側まで揺るがす鮮烈な重みがまるで伝わってこない。そんな芯の無い攻撃を何回も捌いてたら、手加減されてるのかと思うだろ?」
「……っ!」
「なぁ、教えてくれよ。一体、何がお前の力を縛っているんだ?」
ディランの指摘は、全て的を射ていた。真の武人たる彼に中途半端な力で戦ったところで、隠し通せる訳がなかったのだ……誤魔化しても仕方無い。そう判断したアイリスは、自身の秘密を明かさない程度に事実を打ち明ける事にした。
「……私は、決してディラン先輩の事を侮っている訳でも、勝つつもりが無い訳でもありません。何より、私の力を縛っているのは、私自身なんです」
「お前自身?」
「はい……先輩の仰る通り、確かに私は力を抑えていて、本来はもっと大きな力があります。でも、それは今の私では扱い切れない力なんです。無理矢理引き出す事は出来ますが、許容上限を超えた力の制御を誤ると……暴走してしまいます」
圧倒的な実力差がある以上、普通に戦えばディランにはまず勝てない。唯一の活路があるとすれば、レパルドの力をさらに解放して戦う事だが……それを試みようとして、ここまで何度躊躇してきた事か。
より苛烈さを増していくディランの攻撃に付いていくために力を高めようと思っても、心の底にある暴走への恐怖心がブレーキとなって無意識のうちにそれを拒んでしまう。
このままディランの当て袋になる訳にはいかないと分かっているのに、アイリスはどうしても後一歩、心の境界線を踏み出せないでいた。
「前にもそういう出来事があったから……怖いんです。もし、制御を誤って暴走した力を振るってしまい、ディラン先輩を、その……殺してしまったらと思うと……!」
「……」
自身の存在そのものが、容易に人を殺せてしまう武器である事を、アイリスはよく知っている。ディランは倒すべき相手ではあるが、むやみやたらに傷付けるべき憎い敵では無い。そういう要素も彼女の心理的ハードルとなっていた。
アイリスは暴走する事が怖いのではない。暴走した事によって他者を傷付けてしまい、ようやく目を逸らさず生きていこうと思えた世界で、周りから冷たいを向けられるのが怖くてたまらないのだった。
「絶望の淵であの人に救われて……自分と向き合って、もうこの力から逃げないって決めたのに……全然変われてない……! まだ、私はぁぁぁ……っ!!」
「……」
同情を得ようとしたつもりは無い。ただ、自ら声に出すことで、押し込めていた色んな感情が張り裂けてしまった。今にも消え入りそうなか細い声で吐露されるアイリスの弱音を、黙って聞いていたディランは、
「何だ、そんな事かよ」
呆れ果てたように、それを一蹴した。
「……えっ?」
「お前に昔、何があったのかは知らんし、どういう葛藤があるのかも知らんが……要するにお前は、まだ本気で人を殴る覚悟が無いってだけだ」
まぁ、まだ中等部の奴にそんなのを求めるのも酷な話か……と、ディランは付け加える。身を焦がすような自身の苦悩をあっさりと切り捨てられられたアイリスは、呆然とした。
強さ以前の、覚悟云々の問題。経緯やアイリス自身の思いはどうであれ、彼女が最終的に抱えている苦悩とは、非常に俗っぽいモノに過ぎないと、ディランはそう断言したのだ。
「本気の、覚悟……」
「あぁ、そうだ。意思の込められてない拳なんざ、虫の一匹も殺せない。たとえお前が暴走状態とやらになったとしても、そもそも本気で戦う覚悟の無い奴は、俺には絶対に勝てないぜ」
そして、自分が告げた言葉を反芻するアイリスを敢えて挑発するかのような、不敵な笑みを浮かべる。
「てな訳で、手加減なんざこっちからお断りだ。難しく考える必要もねえんだ。安心しろ、仮に俺が死んだとしても、お前に責任はこれっぽっちも存在しない。殺すつもりで殴ってきな!」
「む、無茶苦茶な……!?」
事はそう簡単な話では無いのだ。いくら相手にその覚悟があったとはいえ、自分がやったという事実は残る。アイリスはその事実に耐えられる自信がまったくなかった。
「殺すつもりでなんて……私には、そんな――」
「ああもう、まだるっこしいッ!!!」
「~~~ッ!?」
いつまでも煮え切らないアイリスの態度に、先程から悶々とした感情を募らせていたディランは、声を荒げて叫び出した。突然の大声にアイリスの肩がびくりと震える。
「良いか!? チームの為に勝つ事も大事だけどよ、それと同じくらい、俺は血が沸騰するような熱い戦いを求めてんだ! なのにお前が舐めプされちゃ、こちとら溜まったもんじゃないんだよ!」
「え、えぇ……?」
「暴走? 俺を殺してしまう? 上等だ、本当にお前にそれだけの力があるってんなら、是非とも見せてもらいたいもんだぜ! そっちの方が燃えるだろうからなぁッ!!」
戦闘中毒者ぶりを露わにして本音をぶちまける彼の剣幕に、アイリスは完全に混乱していた……しかし、それとは別に、心の奥底で抜け落ちていたとある記憶が呼び覚まされる。そして、
「だから、手加減も遠慮も必要ねえ。全力でかかって来いや!! それとも……ここまで散々お前を殴り飛ばしてきた敵は、お前がちょっと本気を出せば折れちまうような弱っちい相手なのか?」
「っ……!」
最後のその言葉が契機となった。心を大きく突き動かされたアイリスは、必死にあまりすっかり忘れていた大事な記憶……先日の出来事を思い出していた。
◆◇◆◇◆◇
思い返されるのは、決勝戦当日の二日前。チーム「奇なりし絆縁」が、来たる決戦に向けた最後の作戦会議を行っている時の事だ。
その日は試合前の決起会も兼ねているという事で、エルレイン邸の住人達はアイリスとローレンを屋敷へ招待し、一行は揃って賑やかな食卓を囲むことになった。
誰かの家でご馳走になるという経験が今までなかったアイリスにとって、あの時間はとても新鮮で、心安らぐ一時であった事を、彼女は鮮明に覚えている。
「――以上が、決勝戦でチーム『賢しき智慧梟の魔道士」に勝つ為に、私が考えられる最高の作戦よ」
そして、食後のゆったりとした雰囲気からいきなり緊張感を帯びた作戦会議にて、これまでの話し合いから最終的にローレンが打ち立てた作戦は……はっきり言って、博打に近いものだった。
「アタシとローレンで相手の魔力を消費させ、シルヴィ先輩が《茨苑》を解除せざるを得ない状況を作り出し、後方支援のリネアが詰めの一手を担当する、か……基本的な作戦としては納得よ。でも、これって……」
「言いたい事は理解してるつもり。私自身、この作戦が相当な綱渡りの上にギリギリで成り立っているという自覚はある。どれか一つでもしくじれば破綻するし、成功したとしても勝率は……三割ってところかしら」
「まぁ、大体そんなところでしょうね。なら――」
銀の燭台に灯される火が照らす中、片付けが終わった食堂で繰り広げられる激しい議論。チームメンバーの意見も取り入れつつ、ローレンは作戦をさらに練り上げていくが、やはり安定しない。しかし……
「……残念だけど、これ以上の作戦は思いつかないわ。私達も学院ではトップクラスの実力者だという自負はあるけれど、彼らは最上級生の中でも飛び抜けて強い。それも、一年前の『若き魔道士の祭典』より遥かに。だから――」
「分かってるわよ。これぐらいやらないと、アタシ達があの三人に勝つことは出来ないって事でしょ?」
「試合の流れを上手く変えて、その先に生まれた細い勝ち筋を辿っていくしかないって事なんだね」
自分が言わんとしている事を代弁したコロナとリネアに、ローレンは無言の首肯で応じる。相手は学生離れした実力者揃いの学院最強チーム、元より安定した勝利などあり得ないのだ。
故に、出し惜しみしている余裕など無い。己が全てを出し尽くして臨まなければ、この戦いには勝てない。
「……良いわ、この作戦でいきましょう。一年前は手も足も出なかった相手にリベンジするんだもの、これぐらいやってこその勝利でしょ。燃えるじゃない!!」
「うんっ、そうだね!」
考え得る最高の作戦はローレンが立ててくれた。ならば、今度は自分達がそれに応える番だ。コロナとリネアは気合十分に声を張り上げるのだった。
「さて、こちらの方針は固まったとして……次の問題は貴女よ、アイリス」
そんな頼もしい様子の二人に笑みを浮かべたローレンは、続いてアイリスの方へと向き直る。
「正直、貴女の方もかなり分の悪い戦いを強いてしまう事になるわ。私達が知る限りのディラン先輩の能力や戦法は伝えたつもりだけど、参考にはなったかしら?」
「え、えーっと……その、パワー以外なら、完全に私の上位互換、という事しか……」
事前情報があるのと無いのでは、戦い易さは雲泥の差だ。しかし、最近武人としての道を進み始めたアイリスに細かい分析なんてのは出来ず、ディランに対してはただただ格上の強敵、以外にはなかった。
「……スタイルは違うけど、同じ近接戦特化としてアクトはどう思う?」
言い淀むアイリスの心中を察してか、コロナはこれまで会議の成り行き静かに見守っていたアクトに話を振った。
「時々、アンタがやってる朝の訓練を見てはいるけど、アタシ達は生粋の魔道士。集めた情報からだけじゃ分からない事もあるだろうし、専門家の意見を聞きたいわ」
「え? まさか隠れて見てたのか? まったく気付かなかったぞ。居たなら色々と教えてやれたのに」
「ち、違うわよ!? たまたま朝の支度で中庭を通りかかったら、アンタがあんまりにも熱心に取り組んでるから思わず夢中に……って、何言わせんのよ!?」
思わぬところで墓穴を掘り、逆ギレ気味に顔を真っ赤にして慌てふためくコロナ。アクトの方は何が何やらといった様子だったが。
「とにかく! アタシ達は武に関しては素人同然だわ。アンタから見て、ディラン先輩をどう思う?」
「お、おう……前に試合を見たけど、あの先輩は本物だ。学院の連中と違って、恐ろしく戦い慣れてる。そういう点ではライネルって先輩も相当だが……あれ程の手練れは、『軍団』から探したって中々見つからない」
「軍団」と言えば、帝国軍が誇る最強の魔道士実働部隊。精鋭中の精鋭を引き合いに出され、アクト以外の者達の表情が強張る。
「俺が代わってやりたいところだが、ローレンが立てた作戦は、まだチームを組んで日が浅いアイリスを単騎運用し、情報の少ない二コラに俺を当てることで、初めて成立するものだ。そうだな?」
「え、えぇ……私達はあの三人の相手で精一杯になる。貴方達にはディラン先輩と二コラを何としてでも止めて欲しいわ」
「だったら尚更、不確定要因には不確定要因でぶつかるしかない。ヘレナの情報が正しければ、魔法の相性的にアイリスに二コラの相手は厳しそうだしな。てな訳で、頼んだぜ」
「は、はい……!」
この数週間、自分をみっちり鍛え上げてくれたアクトの言葉に、アイリスは緊張と不安が混じった面持ちで頷きを返した。
「よし……どのタイミングで言おうか迷ってたが、今だその時だな。アイリス、事が上手く運べば、お前はディラン先輩と一対一でやり合なきゃならねえ。その上で、幾つか伝えておきたい事がある」
「……? はい、何でしょうか?」
話題を変えたアクトは、小首を傾げるアイリスを真っ直ぐ見据え、続けてその口を開く。
「まず一つ。訓練でお前に教えた戦い方や技だが……最悪、全部無視しちまっても構わない」
「……え? で、でも、それじゃ訓練した意味が……」
いきなり訓練内容を放棄しろと言われて、アイリスは本気で困惑した。そんな彼女を、アクトはとても初々しくて可愛げのある者を見る目で話を続ける。
「んな事はねえよ。現に、無駄だらけだった動きは格段に良くなってる。それは、小手先の技術以上にお前を支えてくれる筈だ。……参考程度に俺の動きを真似るのは構わない。だが、俺の動きに染まるのはダメだ。俺とお前じゃ、根本的に違うんだからな」
「私と先輩とでは、違う……?」
「ああ。戦闘スタイルの違いもだが、俺達には無いモノが、お前にはあるだろ? それを上手く使い、自分だけの武器、自分だけの戦い方を確立していく事こそが重要だ」
「!」
全てを明かしていないローレンが居る手前、言葉を濁してはいるが、アイリスはアクトが言わんとしている事を瞬時に察した。即ち、「神獣」の力、レパルド族の力の事だ。
「私だけの、戦い方……」
「直ぐには難しいだろう。心の片隅に留めておくくらいで良い……それよりも、もう一つ。こっちの方が大事な話だ」
アクトは机の水差しから水をグラスに注ぎ、一気に飲み干して喉を潤す。そして、真剣な眼差しでアイリスを見つめた。
「良いかアイリス……お前は、一度遠慮というものを忘れてみろ」
「遠慮、ですか……?」
「決勝戦では、予選のような力の誤魔化しは通じない。ディラン先輩と戦えば、お前は間違いなく窮地に立たされるだろう。そうなった時、お前は、現状自分が制御出来る以上の力に頼らざるを得なくなる」
アクトが告げた言葉の意味を理解した途端、アイリスの表情に目に見えて暗いが影が差す。
まともにレパルドの力を扱えるようになったとはいえ、許容上限以上の力を引き出せば、精神が「神獣」の凶悪な獣性に呑まれて暴走する恐れがある。
未だ暴走のリスクは消えない。つまり、アクトは懸念しているのだ。暴走への恐怖心から、アイリスが敵に攻撃するのを躊躇って本来の力が発揮出来なくなる事を。
「お前が他人を傷付けるのが嫌いなのは分かってる。でもな、魔道士でも武人でも、闘争の道を進む者には、他人を傷付けてでも、蹴落としてでも我を通さなきゃならない時が、いつか絶対に来る。自身の為に、自身が大切に思うモノの為に」
「っ……」
「悪い、説教臭くなっちまったな……だが、本当の強さを得る為に、その覚悟はなくてはならない物だ。だから、アイリスにはお前自身の願いの為に、躊躇わず全力でぶつかっていって欲しいと思ってる」
ぽん、と深刻な顔つきのアイリスの頭に、アクトの手が乗せられる。意思と覚悟に揺れる後輩に慈しみを込めて、彼は紫炎色の長髪を優しく撫で始めた。
これにアイリスは抵抗しない。ただなされるがまま、アクトの手を静かに受け入れた。
「……私は、怖いんです。私の過ぎた暴力で、何の罪も無い人達が命を落としてしまうんじゃないかと……」
「なんだ、そこを心配してたのか。心配すんな、少なくともあの先輩の実力は本物だ。きっとお前の本気にも、全力で応えてくれると思うぜ」
そんな予言めいた事を言いながら、アクトは穏やかな手付きで、アイリスが落ち着くまで撫で続けるのだった。
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