93話 それぞれの決着①
各魔法教育機関から最強の魔道士チームを決める学生大会「若き魔道士の祭典」予選、ガラード帝国魔法学院校内選抜戦決勝。学院を代表する両チームの熾烈な戦いは、今まさに佳境を迎えようとしていた。
外部から招かれた多くの来賓も含め、観客達の盛り上がりは試合開始直後の熱狂とは打って変わって、実に静かだった。
大声で騒ぎ立てる者は一人としておらず、全員の視線はフィールド上空に投影された試合映像に釘付けになっている。唯一の音は、試合映像から流れ出る激しい戦いの音だけだった。
目を逸らす者は誰も居ない。皆、見届けようとしているのだ。多くの者達が栄光と願いを懸けて臨み、そして虚しく散っていった校内選抜戦。敗北していった者全ての願いを背負ってぶつかり合う者達の、戦いの結末を……
◆◇◆◇◆◇
「……認めよう。俺達をここまで苦戦させたのは、お前達が初めてだ」
屋内フィールド内部の大ホールにて。火の粉が舞い、空気が凍てつき、紫電が弾け、クレーターが形成されたりと、壮絶な魔法戦が繰り広げられたのであろう痕跡が多々見られる広大な空間の場所で、ライネルは賞賛の言葉を相手へ告げた。
「だが、ここまでだ。既に勝敗は決しているも同然」
そして、賞賛から一転してきっぱりと断言するような厳しい物言いに変わる。学生とは思えない大人びた顔つき、その鋭き双眸が見据える先には、
「はぁ……はぁ……くっ……!」
「ごほっ……ぜぇ、ぜぇ……」
無数の小さな傷で全身ボロボロになり、息も絶え絶えにフラフラと立つコロナ、ローレンと。
「うっ……けほっ……」
二人と比べて外傷こそ少ないものの、度重なる魔法行使によって、魔力枯渇寸前で顔を青くするリネアの姿があった。
序盤こそほぼ互角だったチーム「奇なりし絆縁」と「賢しき智慧梟の魔道士」の戦いは、途中からは終始「賢しき智慧梟の魔道士」有利の一方的な試合運びとなっていた。
要因は様々だ。戦闘開始から猛威を振るっていたシルヴィの眷属秘術《茨苑》、エイラの信仰系統魔法の万能性、ライネルの卓越した状況判断と魔法能力。何より、チームとしての総合的な練度の差が、如実に戦況として表れていた。
戦闘で負った傷を少しでも癒すべく、合間を縫ってリネアは治癒魔法をコロナ達に施していたが、その効力はとっくに治癒限界に達している。故に、これ以上の治癒は望むべくもなく、三人は文字通りの満身創痍であった。
シルヴィ、ライネル、エイラも長期戦によって少なからず消耗しているとはいえ、その度合いの差は明白。個々の実力がほぼ伯仲している状態でこの消耗具合では、勝敗が既に決まっていると言っても過言では無いのだろう。
――もっとも、長きに渡る魔法の歴史の中で幾度も成し遂げられてきた大前提、魔法戦の華を無視すればの話ではあるが。
「降参しろ。これ以上は無益な争いだ」
「「「……!」」」
自分達の状況を再確認させる時間を与えたところで、ライネルは本題を切り出した。‟降参”の二文字を聞いた瞬間、三人の表情が明らかに強張る。だが、彼にはその感情が何なのかは分からなかった。
「ここで敗北したとしても、お前達なら次の『第二出場枠』も余裕で獲得出来るだろう。今いたずらに戦いを続け、不要な怪我を負えば、そのチャンスすら失う事になる。お互いにとって無益な争いは、魔道士の忌避すべき行いだ」
ライネルの主張は、至極正論だ。これだけ戦えば、観客や来賓への示しも十分に付く。状況だけ見れば完全に劣勢のため、降参したところで名誉や尊厳が傷付く訳でも無い。
正当な理由と逃げ道を用意した、絶妙なラインの降伏勧告。普通なら誰しもが心折れて、諦めるところだろう。
「敵に降参を促すなんて随分と優しいんですね、ライネル先輩……それとも、とんだ甘ちゃん野郎と言った方が良いですか?」
「先輩方にも譲れないモノがあるように、私達にも譲れない願いがあるんです……!」
「私達は、まだ……負けていません!!」
だがしかし、彼に返ってきたのは若干の中傷混じりの続行宣言。三人共、ボロボロの満身創痍でありながら、その瞳に宿る勝利への渇望は微塵も揺らいでいない。
むしろ、敵に降伏勧告を突き付けられたことで、余計、闘志に火が付いたような勢いだった。
――少女は思う。この程度の苦境、自分が「騎士」と認めた黒髪の少年にとっては、きっとピンチの内にも入らないのだろう。ならば、こんな所で躓いていられない。「主」として彼と対等であるために、在り方を示すために、乗り越えてみせる。
――少女は思う。かつてその背中に憧れ、超えたいと願った好敵手がまだ、折れていない。ならば、自分もまだ膝を折る訳にはいかない。たとえ彼女が先に倒れようと、意識果てるまで足掻いてみせる。
――少女は思う。この大会に懸ける想いや情熱は、他と比べて希薄なのかもしれない。けれど、かけがえのない親友二人が身体を張って今も必死に戦っている。ならば、苦しくても、痛くても、最後まで二人を支え続けてみせる。
先を見据えた選択という意味では、あまり賢くない選択なのかもしれない。それでも、どれだけ高い壁であろうと、時として己が望みのために死力を尽くして道を切り拓く、それが魔道士という生き物なのだ。
「アタシ達の覚悟を、舐めてんじゃないわよッ!!」
「……そうか。俺とした事が愚問だったな。すまない、今のは忘れてくれ」
凛然とした表情の三人から膨れ上がった怒涛の気迫に当てられ、ライネルは素直に非礼を謝罪する。
「交渉は失敗……シルヴィ、《茨苑》はどれくらい持つ?」
そして、自身の大柄な背中の後ろに半分ほど隠れたチームメンバーへ、小声で話しかけた。
「はぁ、はぁ……大丈夫、と言えば、嘘になりますね。やはり魔力消費が激しい……持って後五分、といったところでしょうか」
「分かった。エイラの方はどうだ?」
「えぇ、こちらは問題ありませんわ。ただ……わたくしの信仰系統魔法は、使う度に効果が弱まっていきますので、残りはいざという時の為に取っておきたいですわね……」
外面こそ何ともないような平静を取り繕っているものの、ギリギリのバランスで戦闘を続けていたのは、「賢しき智慧梟の魔道士」一行も同じだった。
消耗具合の差は歴然。しかし、それはダメージや体力といった表面的な部分だけのもの。残存魔力量や魔法の使用制限など、内面的な部分はその限りではない。
これまで、勝負を決められるだけのチャンスは何度もあった。当然、彼らは決着を付けるべくその好機を利用して、何度も激しく攻め立てた……が、結果は見ての通り。敵は誰一人欠けず、必要以上の消耗によって彼らは確実に余力を削られていた。
ライネルの降伏勧告も、彼が代理リーダー兼参謀として、チームメンバーの状態から万が一を考慮してのものだった。彼は単に降参して欲しかったのではない。リスクを抱えるこれ以上の戦闘を嫌ったのだ。
(俺達も相当に削られてはいるが……問題無い。その前に向こうが先に尽きる)
かといって状況は依然、「賢しき智慧梟の魔道士」有利な事には変わらない。それは純然たる事実であり、ライネルもそう結論付けた。だが、むやみやたらに攻めれば、たちまち枯渇してしまう。
よって、功を狙って果敢に仕掛けられるだけの余裕は、どちらにも無い。睨み合いの中から、少しでも相手方の隙を窺うべく対峙する両チームの間を、極限の緊張感が張り詰める――その時だった。
こつ、こつ……コロナとローレンの背後で、小さくかかとを鳴らす音が聞こえた。敵の一挙手一投足に注意を払っているお陰か、その音は向こうには聞こえていないようだった。
(来た……!)
(待ってたわよ!)
それは、二人が待ちに待った反撃の合図。そのために、彼女達は「賢しき智慧梟の魔道士」の猛攻を身を削りつつ必死に凌ぎながら、作戦の遂行に足るだけの魔力を温存していた。
「……先輩、さっき言いましたよね。私達は、あなた方を研究し尽くしていると。そして……分かってたんです。今の私達では、まともな手段であなた方を倒すのは難しい事が」
ふと、一歩前に進み出たローレンが、おもむろに口を開く。まるで初めから結果が分かっていたかのような事実を告げるその声音は、どこか穏やかで、自分自身に対する呆れの感情が混じっていた。
「まったく、あれを聞かされた時はアンタの正気を疑ったわよ……でも、このまともじゃない作戦こそが、アタシ達の唯一の勝機だものね」
ローレンに続き、コロナも一歩前に進み出て彼女の隣に並ぶ。こちらも、ローレンと自分自身に対する呆れからくる苦笑を浮かべていた。されど、何かを押し通そうという強い意思を感じる。
「まともじゃない作戦……?」
少女二人から発せられる謎の迫力。何をしてくるのか分からない不気味さに、「賢しき智慧梟の魔道士」の面々が警戒心を強め……
「要するに、私達が何をするつもりなのかと言うと……」
「それは……こういう事よ!!」
直後。二人はそんな彼ら目掛けて、地を蹴って一直線に駆け出した。
「「「なっ……!」」」
彼らは、逆の意味で面食らった。無理もない。一体、何を仕掛けてくるのかと思えば、二人がやってきたのは策の欠片も感じられないただの突撃。疲弊したこの状況では最悪手と言える選択だった。
(この期に及んで、強引な中央突破だと? どういうつもりだ?)
揺さぶりにしても、もっと他に良いやり方があるだろう。なのに何故……無謀としか思えない突撃の意図を図りかねたライネルは、怪訝な表情を浮かべながらも、冷静に左手を構える。
「【唸れ風よ】――【唸れ】――【唸れ】!」
風魔《風戦鎚》の三連射。このまま考えなしに突っ込んで来るようなら、突風の直撃で決着。防御に回れば足を止められ、相手が一方的に消耗しただけで振り出しに戻る。
どちらにせよ、意味の無い行動だ。故にライネルはその先の意図、彼女達の狙いをギリギリまで自分達に接近してからの回避であると推測。一呼吸で精神を整え、注意深く様子を見ながら次なる呪文の詠唱に入る――筈だった。
「頼んだわよ!」
「信じてるから!」
ライネルの予想を大きく裏切り、二人は駆ける足を止めようとはしなかった。そこへ、渦巻く三撃の突風が猛速度で迫り――
「二人とも止まらないで! 【光の障壁よ・三重の輝きにて・彼の者等を守れ】――ッ!!」
――その寸前。後方のリネアが、防御《守護光壁》を即興改変で唱える。すると、吹き抜ける突風と二人の中間に、正方形状の魔力障壁が三重となって出現した。
着弾と同時に荒ぶる風の衝撃、時間差で生じる三つの破砕音。硝子が割れるような音と共に魔力障壁が砕け散り、消滅していく。だが、二人はまったくの無傷だ。
(ここにきて、土壇場の即興改変……! いや、手を隠していたのか!)
回避するだろうと踏んでいただけに、それを覆されたライネルのショックは大きかった。そして、動揺による詠唱がほんの少し狂ってしまい、その僅かな狂いから彼が組んでいる最中だった魔法は強制的に解除された。
(今しかチャンスは無い!)
(決めてみせる!)
「賢しき智慧梟の魔道士」の中で、直接的な攻撃魔法を多用するライネルの攻撃を二度も空振りさせた。これで彼の事象干渉強度は大きく負に振れ、しばらく戻らない。
今、「奇なりし絆縁」の反撃の狼煙が上がる!
「【幼き紅竜よ・――」
「【吹雪け銀風・――」
二人は横並びになり、それぞれ呪文を唱え始めた。それと同時に、互いの指を絡める。コロナの右手とローレンの左手の、掌がピタリと合わさる。彼女達は互いを引き寄せて正面から向かい合い、もう一方の手も繋いだ。
「【小さき火の吐息以て・――」
「【麗しき氷精に従い・――」
コロナの左手からローレンの右手に、活性化した魔力が流れ込む。ローレンの左手からコロナの右手に、活性化した魔力が流れ込む。
「【汝が威を示せ】――ッ!!」
「【激しく踊れ】――ッ!!」
繋ぎ合った手と手を通して、二人の魔力が二人の身体を循環する。それぞれの呪文が同じタイミングで完成したのと同時に、そのサイクルの速さは徐々に、徐々に、徐々に……際限なく高まっていく。
「まさか――同調詠唱を!?」
内から張り裂けんばかりに二人の身体を巡る強大な魔力の高まりから彼女達の意図を察したシルヴィは、いつもの冷静沈着な彼女達しからぬ驚愕の声を上げた。
「同調詠唱」。魔法行使の際、相方となる術者の魔力に自身の魔力を重ねることによって魔法式の規格に干渉し、相乗的に互いの魔法の威力を増幅させる魔導技だ。
魔力を燃料と例えるなら、同調詠唱とは言わば互いの燃料への引火。下手をすれば循環する膨大な魔力を制御出来ず内側から暴発する反面、ただ二つの魔法を別々に行使するのとは比べ物にならない威力の底上げを可能とする。
(そんな超高等技法を、この大一番でやろうとするなんて……!?)
確かに、まともじゃない作戦だと自分で言うだけの事はあると、納得するシルヴィ。それぐらい、彼女の心中において二人の選択は常軌を逸していた。
熟練の魔道士達でも成功率は半分程度と、同調詠唱を成立させるのは非常に難しい。他者の魔法を自らの魔力で増幅させるという作業には、より繊細な魔力制御は勿論、人によって千差万別な性質の魔力を適応させる霊魂の親和性が必要となる。
故に、同調詠唱とは魔力の性質が似通った血縁者同士か……もしくは、自分の全てを他者に預けられるという極限の信頼関係がなければ成功しない技なのである。
――チームの切り札として、この技自体は一年前も練習を重ねていた。しかし、成功した事は一度もない。……成功しなくて当然だ。仲間として共に戦っていながら、当時の自分達はお互いに他人行儀だったのだから。
――けど、今は違う。様々な葛藤を乗り越え、戦いの中で互いの想いをぶつけ合った今なら……!
(一人を狙って倒せないのなら!!)
(全員一度に倒してしまえば良い!!)
そう、チーム「奇なりし絆縁」の狙いは各個撃破などではなく、初めから一掃作戦にあった。その狙いを悟られないように、他チームのように誰か一人を狙うという平凡な立ち回りを、延々と繰り返し続けた。
少しでも余力を削るべく果敢に攻撃を仕掛け、反撃にはギリギリまで粘ったところでお茶を濁す。各個撃破を匂わせることで警戒させ、向こうの立ち回りを集団戦軸に絞らせる。
全てはこの瞬間、一箇所に集まった彼らをまとめて薙ぎ払うために!
「シルヴィ、止めるんだ!」
「わ、分かってます……!」
魔力の同調・増幅が不完全なためか、呪文が完成しても魔法の発動には若干のタイムラグがあった。その僅かな間を狙い、シルヴィは《茨苑》の魔法妨害効果を以て同調詠唱の分断を試みるが……
(――ッ!? 固い、何て固い術式防御なの!?)
この場に仕掛けられた結界を介して返ってくるあまりの手応えの無さに、シルヴィは愕然とした。
行使される魔法が強力で複雑な術であればある程、細かな術式の制御には隙が生まれるものだ。非殺傷系の初等魔法に限定された戦いでも十分厄介だが、《茨苑》はそういう高度な魔法にこそ有効なのである。
同調詠唱で組まれた魔法など粗だらけの隙だらけ、《茨苑》の格好の的……の筈なのに、二人が組み上げた魔法は、外部からの介入を一部も許さぬような堅固な術式だったのだ。
それは、彼女達が互いを受け入れ、一体化と呼べる域にまで意識と魔力を同調させているからに他ならない。そうなった以上、話はまるで変わる。純粋に二人分の魔法抵抗力が込められた術式防御だ、簡単には崩せない。
「これで――ッ!!」
コロナとローレンの身体を循環する魔力の高まりが、最大に達する。直後、二人がそれぞれ突き出した手の先に形成されたリング状の円法陣が、身を寄せ合う両者の中心で噛み合うように二つ重なって回転を始め――
「終わりです――ッ!!」
コロナの左手から猛き炎の噴流が、ローレンの右手から収束冷気の波動が――エネルギーの振動と停滞、相反する概念が融合したかの如き氷炎の奔流が、爆発的な勢いで高速回転する積層法陣の中心を貫くように放たれた。
――駄目だ、間に合わない。
初等魔法単体の規格を超えた大威力の魔法を前に、シルヴィとライネルは瞬時にそれを察した。全力で回避行動を取ったとしても、あの魔法には余波だけでも十分自分達を戦闘不能に追い込めるだけの威力がある。
生半可な魔法では相殺すらままならないし、あれだけの威力では防御魔法すらも容易くぶち抜かれてしまうだろう。
まさしく八方塞がり。全滅必至の状況で、やがて自分達を襲うであろう強烈な衝撃を前に、彼らは緊張の面持ちで身を固くする――エイラ=フローレス、ただ一人を除いては。
「【天にまします我等が主よ・至上なる御光の下・禍ッ不浄より我等を守り給え・弱きを救い給え】……」
氷炎の奔流が迫る中。ライネルとシルヴィの前に踊り出たエイラは、ひっ迫した表情で呪文を高速詠唱しながら祈るように胸元で両手を組み、自身が持つ最硬の守りを切った。
「願わくば、我が祈り聞き届けたまわん事を……《災禍祓う不可侵の聖域》――ッ!!」
最後にそう締め括り、素早く胸元で十字を切る。次の瞬間、エイラ達三人をぐるりと取り囲むように、翡翠色に神々しく光り輝く半球状の魔力障壁が、何層にも渡って出現した。
――轟音。氷炎の奔流と、多層障壁の最外殻が激しく競ってぶつかる。指向性を失い四方八方に散らされた炎と冷気が彼らの側面へ回り込むが、全方位に展開された障壁が隙間なく到達を阻む。
「エイラさん!?」
「言った筈です、通さないと……! この身が尽き果てるその時まで、わたくしのお仲間は誰一人傷付けさせはしません!!」
両手を前に突き出し、エイラは残った魔力の全てを注いで障壁を維持しようとする――だが。
「「はぁああああああああああああああ――ッ!!」」
破壊音、破壊音、破壊音――押し寄せる大火力の氷炎に押し負け、輝きを失った障壁は外側から次々と砕け散っていく。障壁が消滅する度、周囲を包み込む炎と冷気が少しずつ内側へと侵食していく。
「あぐぅぅぅぅぅぅ……!! なんの、まだまだぁあああああ――ッ!!」
奥底から力という力を捻り出し、エイラも必死に抵抗する……それでも、氷炎の勢いは収まることを知らず、障壁の枚数は凄まじい勢いで減っていき、あっという間に残り三枚というところまで追い詰められた。
《災禍祓う不可侵の聖域》は、確かに並の防御魔法を遥かに凌ぐ強固な守りの魔法ではある。だが、彼女は展開を急ぐあまり、信仰系統魔法の行使に重要な「主」への祈りを疎かにしてしまった。
「これでも駄目……!? な、何て力……いけない、破られる!?」
結果として多層障壁は、本来の防御性能を十全に発揮出来てはいない。故に、コロナとローレン渾身の一撃を防ぎ切るには、まだ足りない。
まだ足りないのだ――ただし、それが一人だけの力ならば。
「やらせんッ!!」
残り二枚の障壁も砕け散り、とうとう最後の一枚を残すのみとなったその時。熱波と冷気に晒されながら抵抗を続けるエイラの左肩をライネルが、右肩をシルヴィが、がっしりと掴んだ。
「早々に諦めるなど、俺とした事が不甲斐無い! エイラ、お前だけに背負わせはしないぞ!! 」
「えぇ、私達はチームなのですから! この一撃さえ防いでしまえば……!」
掴んだ手を通して、二人の魔力が直接エイラへとなだれ込んでいく。
「皆さん……ありがとうございます。わたくしは、わたくし達は、絶対に負けませんッ!!」
二人分の魔力ブーストを受け、エイラはさらに《災禍祓う不可侵の聖域》へ魔力を込める。その単純な力の増幅によって……消えかかっていた最後の障壁は、元の神々しき輝きを取り戻した。
「これなら、どうです!?」
ダメ押しと言わんばかりに、シルヴィはずっと維持してきた《茨園》を解除した。一度魔法として成立し、事象として発現した以上、そこに《茨園》が介入する余地は無い。
どうせ、防げなければまとめて戦闘不能になる。ならば、結界を維持するのに割いていた魔力すらも全て……!
それぞれが己の全てを注ぎ込み、互いに一歩も引かぬ場の趨勢が――覆る。より輝きを増した翡翠色の障壁が、氷炎の奔流を徐々に、確実に押し返していく。
しかし、障壁の出力が上がるにつれて、負けじと氷炎の火力もさらに勢いを増していく……
「「いっけぇええええええええええええええええええ――ッ!!」」
「「「はぁあああああああああああああああああああああああ――ッ!!!」」」
全力と全力、死力と死力を尽くして繰り出される魔法が、両チームの中間でせめぎ合い――
――爆発。臨界点に達したことで氷炎と障壁に込められた膨大な魔力が、純粋なエネルギーの塊となって大炸裂し、行き場を失った魔力が、炎が、冷気が、暴力的な嵐となって屋内フィールドを震撼させた。
ぷつん――と、壮絶な魔力の激突によって、霊脈を介してフィールド内に張り巡らされた映像拡散の術式が一時的な機能不全に陥り、フィールド上空に投影された映像が途絶えた。
……。
……。
――。
……やがて。観客達が固唾を呑んで見守る中、霊脈を流れる魔素の揺らぎが修復され、映像が復旧する。再度、上空に投影された映像に映し出されたのは……どれだけの力がぶつかればそんな事になるのかという、見るも痛ましい破壊の痕跡であった。
石造りの床は剥がれ、崩壊防止のために強化素材が使われている石壁すらも粉々に吹き飛ばされ、ホール内や外側の通路のいたるところに無数の傷跡が刻まれている。それほど、暴走した魔力がもたらした被害は甚大だった。
ぱらぱら……そして、暴走魔力の爆心地、両チームが渾身の魔法を撃ち合った場所では、立ち込める土煙と冷気の残滓がようやく晴れた。その場所の光景を拾った映像には、
「ごほっ、ごほっ……ごふっ……!」
「あぐっ……げほっこほっ……」
精も根も尽きた様子で呆然と佇む、コロナとローレンの姿が映し出された。直前に防御魔法か何かを張ったのだろう、あれだけの爆発が起こったにも関わらず、二人の立ち位置は殆ど変わっていない。
両者、魂を削るような魔法行使に身体が悲鳴を上げ、苦しげに喘ぐ口端からは鮮血が伝っている。辛うじて、気力だけで立てているといった状態だった。これ以上の戦闘続行は、どう見ても不可能だ。
対する「賢しき智慧梟の魔道士」は――
「…………うぅ……」
周囲が真っ黒に焦げ付き、かちこちに凍て付いた場所で、エイラが力なく地に倒れ伏していた。制服と端正な顔は埃と傷に塗れ、普段の彼女の神聖さを感じさせる美貌は見る影も無い――だが。
「ぜぇ……ぜぇ……くっ……!」
「はぁ、はぁ……ごほっ……」
後ろに控えて魔力を供給していたライネルとシルヴィは、無事だった。同様に著しく疲弊しているとはいえ、コロナとローレンよりもダメージは明らかに軽微、戦闘続行は可能だ。
宣言通り、エイラは自身の守りの術を駆使し、最後まで仲間を守り抜いたのだ。
(エイラ……お前のお陰で助かった。これで、終わらせる!)
いつ倒れてもおかしくない程に消耗しているが、まだライネルには攻撃魔法を一、二発分撃てる程度の魔力が残っている。立て直される前にとどめを刺すべく、彼は左手をコロナとローレンの方に向けた。
彼女達には回避するだけの体力も、対抗魔法を発動するだけの体力も残ってはいまい。それでも確実に意識を刈り取れるだけの威力を出すため、ライネルは魔力を集中させていく。
「ごほっ、ごほっ……ふ、ふふ……」
狙われていても何も出来ず、重度の疲労と魔力枯渇症の虚脱感に苦しむコロナが……突然、含むように笑いだした。
「ふふふ……ごほっ……ホント、笑っちゃうわよこんなの……」
苦しみながら笑い、意味の分からない事を一人呟く様は、ある意味で狂的だった。
この絶体絶命の状況で気でも触れたか、映像を観ていた観客達はそう思ってしまった……しかし、実際に対峙するライネルの背中には猛烈に嫌な予感が走る。……ただ、‟ソレ”を認識するのは、少しだけ遅かった。
「はぁ、はぁ……先輩、教えて差し上げます……戦術とは、常に先を見据えて組み立てるものなのですよ」
コロナに続き、ローレンが勝ちを確信したかのように、強気な笑みを浮かべた――次の瞬間。ライネルとシルヴィの足元に、一つの円形法陣が展開された。
「な、何だ――ぐぉおおおお!?」
「きゃあっ!?」
ずん! 直後、法陣の内部に強力な重力場が発生し、二人の身体は地面に縫い付けられたかのように崩れ落ち、その場に両手両膝を付いた。
(魔法罠、だと!? 馬鹿な、一体いつ仕掛けられていた!?)
罠への警戒は怠っていなかった。というより、場はシルヴィの《茨苑》が制圧していたし、先程の真っ向勝負の間にこんな物を仕掛ける暇もなかった筈――そんなライネルの疑問に答えるかのように、コロナとローレンの背後から一つの人影が姿を現す。
「私を忘れていませんでしたか? 先輩」
土煙の中から現れた人影――リネアだ。魔法を制御している最中らしき彼女が、ゆっくりと二人の元に歩み寄って来る。
「ホント、こんなに上手くいくなんてね。けど、リネア大丈夫? 先輩達が復活しても魔法罠が起動しないから、心配してたのよ」
「ご、ごめんね。二人を守る為に防御魔法を張ってたら、私の方の防御が間に合わなくって。実は巻き込まれてさっきまで気絶してたの……でも、無事間に合ったみたいだね」
「私達を……? そうか、当初の作戦では私達は戦闘不能になる筈だったのに、だから私達は無事なのね……ありがとう、リネア」
などと、三人揃って「奇なりし絆縁」の面々が話す僅かな時間、結界魔法に深い造詣のあるシルヴィは、自分達を縛る重力結界の効果を速やかに分析していた。
(これは、私が《茨園》を解除することで発動する、リネアさんが後書きで仕掛けた条件起動式の魔法罠……まさか、ローレンさん達は、こうなる事まで予測していた……!?)
見抜いた魔法罠の効果から背筋が凍るような事実に気付いたシルヴィは、眼前に立つ青髪の少女の、想定を遥かに超えた予測能力と作戦立案能力に戦慄した。
各個撃破作戦も、同調詠唱による一掃作戦も、全ては囮。本命は、このたった一つの魔法罠を絶好のタイミングで最大限発揮させる事であり、これまでの戦闘はその布石でしかなかったのだ。
(彼女達は知っていた。同調詠唱の魔法がエイラさんの最大防御を打ち破る事も、あの局面を戦いの分水嶺と判断した私達がエイラさんを援護する事も! そして、まだ魔力が足りないと判断した私が後を捨てて《茨苑》を解除する事も、全て読み切って……!?)
信じられない。そこまで読み切れるのも恐るべき能力。だがそれ以上に、全て読み切った上で大した効果を得られるかも分からない魔法罠のために渾身の一撃を撒き餌に使うなど、何という胆力と実行力だろうか。
戦いの勝敗は始まった瞬間に決まっているとはこの事。一方的に追い詰めているつもりが、戦闘開始の時点で自分達は初めから踊らされていたのだ。
「……なるほど。俺達は、最初から最後までお前達の掌の上だったという事か……」
遅れてシルヴィと同じ結論に至ったライネルが、苦々しく呟く。冷静に対処していたつもりが、いつの間にか相手の術中に嵌っていた。自身の全てを出し尽くした一撃を放ちながらも、彼女達はひたすら勝利のための一手を狙い続けていたのだ。
決め手がリネアである事を悟らせない手腕も見事だった。コロナとローレンが表立って大立ち回りを演じ、リネアも支援と治癒に専念することで、確たる攻撃能力が無い事を自分達に印象付けさせ、要警戒対象から外させた。
……いや、そもそも侮って良い相手など一人も居なかった。相手は自分達をかつてない接戦に持ち込ませた猛者ばかりなのだから。序盤から局面的有利を維持することで、気付かずの内に驕ってしまっていたのだ。
もしくは、そこまで彼女達の計算の範囲だったのかもしれない……兎にも角にも。今言える事実は、自分達が膝を屈し、彼女達が立っている。重要なのはそれだけだ。
超重力の力場に押さえつけながら、ライネルはちらりとシルヴィの横顔を見つめる。それに気付いたシルヴィは、仕方無いといった様子の苦笑を浮かべて頷き、またライネルも小さい頷きを以て彼女に応え――
「俺達の負けだ」
潔く、その言葉を告げた。
『エイラ=フローレス、意識消失につき戦闘不能。シルヴィ=ワインバーグ、ライネル=フォスター、降参宣言につき敗北』
拡張音声による監督官の裁定が下った後……今の今まで静まり返っていたフィールド外周の芝生の観客席から、割れんばかりの大歓声が上がった。
読んでいただきありがとうございました!よろしければ評価・ブクマ・感想・レビューの方、お待ちしております。