91話 激戦②
――場所は移り、屋内フィールド中央に位置する小さな庭園にて。
全体的に緑を基調としたその造りや配置は高い水準で完結され、さぞ絵に映えるであろう。加えて、きっちり整備された地面や花壇には、手入れの行き届いた色とりどりの花々が咲き乱れ、色彩豊かな光景を生み出していた。
東西南北の建物から伸びる舗装路の間には水路が引かれており、ゆったりと流れる水のせせらぎが耳に心地良い。陰鬱で飾り気がまったく無い屋内と違い、ここには訪れる者の心を自然と落ち着かせる安らぎが存在した。
……もっとも、そんな静謐と調和を重んじる緑の庭園では、
「おらおらおらおらおらぁアアアアアアアアアアア――ッ!!」
「はぁああああああああああああああああ――ッ!!」
静謐? 調和? 何それ美味しいの? と裂帛の気迫を漲らせ、アイリスとディランによる至近距離での乱打戦が繰り広げられていた。優雅さや気品とはかけ離れた真っ向からの殴り合いで、地面は無残に踏み荒らされ、ぶつかり合う魔力の衝撃で花々は虚しく散っていく。
(当たらない……ッ!)
まばたきすら許されぬ高速拳撃の応酬の中、全力全開で拳を振るい続けるアイリスの額に、徐々に焦燥の汗が滲む。
(当たらない、当たらない、当たらないッ!!)
アイリスの動揺も無理はなかった。元来の超人的な身体能力に加え、日頃の鍛錬でようやく扱えるようになった魔力放出による行動強化を乗せた剛速拳の悉くを、ディランは躱し、受け止め、受け流し、弾き落とす。
(この感覚は前にも……アクト先輩と同じっ!)
遠征学習の一件で己が血と向き合い、自分の道を進み始めたアイリス。それでも、武人という面ではまだまだ素人同然。暴走せずまともに扱えるようになったとはいえ、レパルドの強大な力で罪なき者に危害を与えないようにするためにも、一刻も早く力のコントロールを体得する必要があった。
という訳で、アイリスは校内選抜戦に参加する事が決まってからこの数週間、ひたすらアクトと近接戦の訓練を行っていたのだ。そして、今彼女が感じているのは、訓練中に幾度も自分を叩き付け、投げ飛ばしたのと同種の、鮮烈な「技」と「駆け引き」の冴え。
たとえ身体能力強化魔法を使用していたとしても、純粋な「力」でレパルドの血を引くアイリスに並ぶ者もそうは居ないだろう。だが、その純粋で圧倒的な「力」をも封じる「技」と「駆け引き」を、目の前の相手は確かに持っていた。
アイリスも抜群の反射神経と身体能力を以て、ディランの攻撃を薄皮一枚の差で躱し続ける――が、ここは互いの息遣いすら聞こえる近接格闘戦の間合い。いつまでもそんな芸当が続く筈もなく、
「オラァアアアアア――ッ!!」
「ぐぅぅぅ……ッ!」
回避の挙動を見切ったディランの右拳が、遂にアイリスの身体を捉える。アイリスは咄嗟に腕を引き戻してガードするが、痺れるような重さが腕から伝い、彼女の全身を軋ませる。
「まだまだッ!!」
「ッ!?」
しかし、ディランの攻撃はまだ終わってはいない。高密度魔力が付呪された拳で威力を殺したアイリスが跳び退ろうとした瞬間、ディランの右拳に宿った雷の魔力が壮絶に弾け、爆発的な衝撃がアイリスの身体を吹き飛ばした。
「魔練闘術」使いの攻撃を、何の手段も無しに受けてはならない。インパクトの瞬間に魔法をゼロ距離で炸裂させ、ただの拳打の威力を底上げする事こそが、「魔練闘術」の常套手段だからだ。
「か、はっ……何て重い一撃……!」
派手に吹き飛ばされたアイリスが、ごろんごろんと地面を転がっていく。されど、転がりながらその勢いを利用し、地面を手で付いて直ぐに体勢を立て直す。
それでも殺し切れない勢いが、彼女をその体勢のまま数メトリア押し滑らせていく。ただ、取り柄の頑丈さと、技量の関係で攻撃に転用出来ない余剰魔力を防御に回したお陰で、大したダメージは負っていなかった。
(次――えっ?)
追撃に備えてアイリスは身構えるが、ライネルの姿がどこにも無い……その認識の誤りが故に、反応が一拍遅れてしまった。
「遅ぇッ!!」
(後ろ!?)
ディランは魔練闘術でアイリスを吹き飛ばしたのと同時に、優れた魔力操作で《剛力ノ解放》の身体強化を脚回りだけに限定して強化。瞬間的に超強化した脚力で、一瞬にして彼女の背後に回り込んでいたのだ。
アイリスの頭上に、まるで鉄槌のような踵落としが振り下ろされる。その左脚には、燃え盛る爆炎が凄まじい熱気を放ちて漲っている。普通なら、もう反応は間に合わない――
「やらせません――ッ!!」
だが、この一瞬の攻防における反応速度の高さこそ、レパルド族が大陸最強の戦闘民族と言われる所以。最早、脊髄反射と言っても過言では無い超反応を以て、アイリスは振り返り様に腕を回して受け止めた。
「マジか!? 今のを間に合わせるかよ!」
「私も、まだ負ける訳にはいかないんです!!」
神速の如き反応を見せたアイリスに、ディランは驚愕と歓喜が混じった表情を浮かべる。拳と脚がぶつかり合った瞬間、高密度魔力と爆炎が激しく競り合って弾け――
「――うっ!!」
常人ならば元より間に合いもしなかった防御に回ったことで、不安定だったアイリスの体勢はインパクトの瞬間に大きくのけ反り、崩れる。
「ぉおおおおおおおおおおおおおお――ッ!!!」
その隙を見逃さず、ディランはここぞとばかりに両拳による怒涛のラッシュを繰り出す。攻撃に一点集中し、防御も回避も捨てた渾身の連打は、まるで拳の壁のようであった。
「はぁあああああああああああ――ッ!!」
対するアイリスも咄嗟に拳を繰り出し、その連打を躱し、受け止め、弾き落とす。拳と拳が打ち合う度、互いの纏う魔力が派手に爆ぜ、周囲がその余波で抉れていく。
(このままじゃ、押し切られる!?)
一見、辛うじて捌き続けているように見える。だが、未熟な「技」しかないアイリスには、次々と迫る拳撃を受け流す手段が無い。息つく間も無い手数の暴力に身体が軋みを上げては、徐々に後方へ押し込まれていく。
守ってばかりじゃ駄目だ、反撃に出ないと――とにかく一度体勢を立て直すべくディランの一撃に全力の拳を合わせ、その反動で大きく跳び退ったアイリスの足に、突如、冷たい感覚が走った。
(しまった!?)
刹那、アイリスはディランの狙いと自身の失態を悟った。距離を取ることに必死になるあまり、彼女は自身の後ろが水路である事に気付かなかったのだ。慌てて水から足を引き上げて反対側に逃げようとするが、
「逃がさねぇ――ッ!!」
水に足を取られて思うように動けなかったアイリスの鳩尾を、強く踏み込んだディランの右拳が貫き――炸裂。漲る紫電が弾け、その華奢な身体を水平に吹っ飛ばした。
「~~~~~ッ!??」
浮遊感すら与えない強烈な横殴りの衝撃。魔力放出による防御の上に叩き込まれた言葉にならない痛みに悶え、アイリスは庭園の小さな植え込みに激突した。人間の重量と風圧がのしかかり、草木や花びらが勢いよく宙を舞う。
「ごほっ……! ぜぇ……ぜぇ……げほっ……!」
さしもの頑丈なアイリスも、これだけの攻撃を受ければダメージは決して少なくない。腹を抑えながら血反吐を吐き、何とか歯を食いしばって立ち上がろうとする。
この戦闘を外から観ている観客達には、まだ中等部の少女に目を背けたくなるようなキツイ一撃がモロ入ったように見えただろう。そして、普通なら今ので死亡判定を取られるところだが……審判のコールはしばらく経っても上がらない。
「敢えて自ら後ろに倒れむことで、直撃を避けやがったか……流石、審判の先生もよく見てるな。それに……」
そう呟いたディランの身体が、不意によろける。そして、殴られたような痕が残る脇腹を反射的に抑えながら、彼は先の状況を振り返った。
あの一瞬、アイリスは何と自ら攻勢に打って出たのだ。回避も防御も不可能だと判断したからこそ、自分が殴り飛ばされるのもお構いなしで、ディランに一撃を喰らわせにいった。
生と死が隣り合わせにあるような実戦において、そんな真似は無謀な特攻でしかない……だが、結果的にディランの拳打は鈍り、彼女に衝撃を逃がす余地を与えてしまった。
野生の勘に基づく超反応とそれに付いていけるだけの肉体を持つレパルド族にしか出来ない芸当。アイリスは自分の耐久力を信じたからこそ賭けに出て、正解を引いたのだ。
「はぁ……はぁ、はぁ……わ、【我が爪牙よ・原初の光灯りて・鋭き刃となれ】……」
息も絶え絶えになりながら、アイリスはこれまでの攻防で削られた無系統《魔光昇華》を掛け直しし、両腕に高密度魔力を再度、付呪する。まだ戦う意思は折れていない。
「……やるじゃねぇか。そこまで考えて俺に一撃喰らわすとはな。ってか、お前、なんつー頑丈な身体してやがんだよ? 本気で殴らないと、逆にこっちの腕が持っていかれちまいそうだ」
「はぁ、はぁ……ありがとうございます。攻撃の威力を殺す事だけは、散々身体に叩き込まれてきましたので……」
ディランの賞賛に、アイリスは精一杯の笑みを浮かべて応じる。日頃、アクトとの訓練で教えられた衝撃の威力を殺す技術、何度も何度も地面に叩き伏せられ、投げ飛ばされた衝撃の感覚、それらの経験があったからこそ出来たものだった。
(ここまでの戦いではっきりした……この人は、絶対に向こうへ行かせちゃ駄目……!)
作戦通りにいけば、この屋内フィールドでは、コロナ、リネア、ローレンが「賢しき智慧梟の魔道士」の三人と戦っている筈。彼ら彼女らの実力はほぼ伯仲しており、そこにディランが加われば、形成は一気に逆転してしまう。
向こうには、シルヴィ=ワインバーグという集団戦の権化のような魔道士が居るのだ。自分以外に接近戦をこなせるアクトが別働で動いている今、絶対に目の前の相手だけは行かせてはならない。
(ディラン先輩に勝つ為には、もっとレパルドの力を引き出さないと……)
ただでさえ自分は、「技」と「駆け引き」において圧倒的に劣っている。唯一勝っている「力」をぶつけたとしても、前者二つが未熟であれば宝の持ち腐れだ。明らかに押されているこの状況で活路を見出すには、やはり更なる力の解放しか方法は無い。
(先輩達との訓練のお陰で、ここまでならほぼ無意識に引き出せるようになりはした。でも……)
これ以上力を引き出し、もし制御を誤って殺してしまったら――戦闘中でもずっと脳裏を過ぎっていた、暴走への恐怖心。そんな考えがアイリスの頭にずっと付いて回っていた。
制御を失い暴走した「神獣」の、レパルドの力は、一挙手一投足が凶器となり得る。ただそこに居るだけで周囲を傷付けてしまう存在……そんな自分が大嫌だいったからこそ、かつてアイリスは血を否定しようとしたのだ。
(もうこの力を否定しようとは思わないし、力を引き出さないとディラン先輩には勝てない……でも、解放すればまた暴走してしまう可能性が……あぁ、アクト先輩、私は一体どうすれば……!?)
迷っていても、敵は待ってくれはしない。思考がどん詰まり、やり場を失ったどうしようもない焦燥と悲壮感に表情を歪ませ、アイリスは拳を構え直した。
(――力も速さも大したもんだが、攻撃が直線的過ぎる。防御行動に何者かの教えが所々見られるが、せいぜいが付け焼刃も良いところだ。訓練を初めてまだ数週間ってところか)
一方、堂々巡りの思考にハマっていたアイリスと対峙するディランも、相手の戦力を冷静に分析していた。まだロクな魔法教育や戦闘教練すら始まっていないだろうに、自分とここまで渡り合える中等部の少女に覚えた違和感を探るためだ。
身体能力強化魔法すら使わずその華奢で小柄な身体からは想像出来ない身体能力と耐久力。死角からの攻撃にも見てから対応出来る驚異の反応速度。「技」は素人同然にも関わらず咄嗟の場面で的確な一手を指す判断力。
こちらが優位に立てているのは、積み重ねてきた「技」と「駆け引き」によるもの。恐らく、根本的な能力では自分を上回っている。彼我の能力差がそのまま戦闘に直結するものではないとはいえ、まったく気の抜けない相手なのは間違いない。それに――
(眼が、死んでない)
何やら迷っている様子だが、その眼は未だ勝利への熱き渇望に燃えている。経験上、揺るぎなき信念と覚悟を持つ者は、どんな相手よりも手強い難敵だ。そう、自分が全幅の信頼を寄せる仲間のように。
……ただ、一つ疑問があるとすれば、
(これだけ戦えるってのに、何をそんなに怖がってるんだ?)
拳を交えながらずっと感じていた、少女に付きまとう恐怖の感情。
単にこちらを恐れているだけなのなら分かる。なのに、その恐怖の矛先はこちらに向けられたものではなく、少女自身に向けられているようのだから、謎である。
どういう心境なのかも、恐怖の理由も分からない。だが、今の自分達は敵同士。手心を加えるなど不要、全力で眼前の相手を打ち倒すのみ――そうディランが判断したのは、彼の中に沸いた二つの感情……すなわち疑念の感情よりも、歓喜の方が勝ったからだ。
相手は中等部生、歳はそれなりに離れている。にも関わらず、このガラード帝国魔法学院で一人、魔練闘術を極めんとしていたディランにとって、自分以外に近接格闘戦を得意とするアイリスの存在は、まさに好敵手を得るのにも似た感覚だったのだ。
「アイリス、だったっけか? 面白ぇ、面白ぇよ、お前! こんな戦いは、入学以来初めてだ! これまでも俺に格闘戦を挑んでくる奴は居たが、どいつコイツも不利になったら魔法ばかり使いやがる中途半端な奴らばかりだった。けど、お前とならやれる! この約六年間、一度も味わえなかった血沸き肉躍る本物殴り合いよぉ!!」
「……ッ!!」
刹那、牙を剥いて獰猛に笑うディランから、一際鋭い気迫が放たれ、アイリスの全身を切りつけた。意識的か無意識的にか、それは物理的な質量でも持っているかのように、アイリスの足をほんの僅かに押し滑らせた。
(な、何て気迫……!? 私は、こんな人に勝とうとしてたの!?)
やはり、今のままでは勝てない。手段を選んでる場合じゃない、もっと力を……頭では分かっているのに、どうしても心の深い場所でブレーキがかかってしまう。
(余計な事を考える暇も無いくらい、徹底的に追い詰めてやる――その上で、アイツらの為にも、絶対に勝つッ!!)
(負けられない、負ける訳にはいかないのに……!!)
両者、それぞれ譲れない想いを抱き、壮絶な殴り合いの第二ラウンドが開幕するのだった。
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