《楽園の果樹》5
オーバーラン失礼
『リーダー、シナノ隊から報告入りました。』
表で通信を担当していたレオンの声。
カズマは室内の熱気に頭をくらくら振りながら答えた。
「あぁ……向こうもなにかあったって?」
ここは粗方片付いたが、それでもここに詰め込まれている謎の機材の山はただ事ではない。
調査にしろ処分にしろ、出来れば応援がほしい。
『何かってレベルじゃないですよ、errorとやりあったとか』
「マジでか!?」
カズマが大声を出すと、クラマが額を拭いながら歩いてきた。
「どうかしましたか?」
「errorっすよ、error!シナノさんの所でまた出たって!」
「……やはり、でしたか」
「え?」
カズマが振り向く先を見ると、そこにはしゃがんで何かを見下ろすイナリの姿があった。
その目線の先、時折指先で触れているのは、この部屋に入った時に吊るされていた黒い袋だ。
火炎放射の直撃は免れていたようだが、所々熱で焦げ付いている。
「あれ……結局、中身はなんだったんですか。」
「それを確認して貰っているのですが……どうやら特殊アバターのようです。」
「特殊アバター?」
「ええ。ですが、イナリくんは『errorの気配がする』と言っています。」
どういう理由か、彼には『errorの気配』というものを感知する力が備わっているらしい。
errorの"正しい攻略法"を知っているのも彼で、今までのerrorを撃退でしてきたのも殆どが彼だ。
現段階では最もerrorに近いプレイヤーとも言える。
「てことは……あの特殊アバターはerrorに?」
「"なりかけ"のようです。ちなみに、先程拾ったこれを見せたのですが……」
クラマが取り出したのは、小瓶に詰められた薬品。
今回の騒動の種、巷で出回っている"クスリ"である。
「これにも同じ反応を見せました。」
「この薬もerrorに?」
「ええ」
カズマは大きく首をかしげる。
「うん……じゃあね」
イナリの語りかけるような声が聞こえた。
振り向くと、中身を失った黒い袋だけが焦げた床に落ちていた。
「もう終わった。」
彼の言葉で、"彼女"が息を引き取ったことを知った。
クラマに倣う形で、カズマが手を合わせる。
短く目を閉じると、クラマは再び小瓶へと視線を戻した。
「カズマくんは、このことについてどう思いますか?」
カズマは首を捻り、長く唸る。
「……まだ点と点が繋がりませんよ。ヒントが少なすぎる。」
「そうですか。……ですが、私はこんなことを考えました。『errorに人の手を加えているとしたら』と。」
「え……?」
「おっと、これはあくまで単なる思い付きですよ。間違っても他所で喋らないように。」
クラマの一言に、カズマは大きく頷く。
「……ったりまえじゃないですか!巷に流れてるドラッグが、実はerrorを作るための薬だなんて……こんな話が広まったら……!?」
「そこまでは言っていません。もしかすれば、これは"error化を抑制するための薬"だったのかもしれませんし、"errorの成分を抽出しただけの薬"かもしれない。ですが、この情報だけでは10人に8人はカズマくんと同じ考えに至るでしょう。一度噂が蔓延してしまえば、円卓でも手に負えません。魔女狩り……いいえ、特殊アバター対プレイヤーの戦争です。」
クラマは話を閉じるように小瓶を仕舞うと、釘を打つように口元に指を立てた。
「この件は私から直接団長に。他言は無用ですので、くれぐれも、お気を付けて。」
「……言われなくても……こんなおっかない話、誰に喋れるってんですか?」
カズマが顔を歪めていると、がつんと何かを叩く音がした。
「リーダー、そろそろ開きます」
「こんな暑いとこ、とっとと出ましょ」
ロウとトニが、熱で変形した扉と格闘している。
それを横目に、やれやれとクラマは腕を組んでいた。
「……errorを人の手で操作しようと目論む連中がいることはたしかなようです。事態は単なるドラッグ騒ぎじゃ収まりそうもありませんね。」
「……全く、勘弁してほしいっすよマジで」
「ん」
イナリの首が雫を垂らしたようにぴくりと動いたのは、その時だった。
聞き耳を立てるように、左右に首を動かしている。
「イナリさん、どうか……?」
カズマが言いかけたその時、イナリが突然銃を取り出した。
ソ連製のRPK軽機関銃だ。
他のメンバーが驚く間もなく、イナリが無造作に引き金を引く。室内に激しい銃声を轟かせ、部屋の奥へ撒き散らすように弾丸を浴びせ始めた。
45発の7.62ミリ弾を休みなく撃ち切ると、辺りは一転水を打ったような静けさに包まれた。
暫しの沈黙を置き、イナリは部屋の奥へと問いかける。
「だれ?」
その問いに答える声はない。
イナリは空の機関銃を棄て、また新たにイギリス製のブレン軽機関銃を取り出す。
「だれ?」
二丁目の銃口を向けながら繰り返したその時、拍手の音と共にやっとそのプレイヤーは現れた。
「いやいや、驚き半分、感心半分だよ。」
丈の長い白衣に、黒い手袋。男か女か、一見区別のつかないような体つきと振る舞いで、顔は厚紙で自作したような赤鬼のお面で隠している。
その手には、武器の代わりに分厚い本が開かれていた。
「もしバレなかったら、どうやって登場しようかと悩んでいたところだから、何となく助かったかもしれないね。」
「あぁ、そう」
「イナリくん」
構わず引き金を引こうとしたイナリを制止し、クラマが前に出た。
「円卓の者です。名を名乗り、その場で両手を上げなさい。指示に従わない場合、鎮圧の対象とします。」
鋭い言葉に臆することなく、白衣のプレイヤーは首を傾げて見せた。
「申し訳ないけど、名前を明かす気はないね。どうしても必要なら、いまそちらで着けてくれても構わないよ。そういうのは得意だろう。」
クラマの放った拳銃弾が、その足下を叩いた。
「これは警告です、脅しではありませんよ。」
「そうかい……わかった、名前は僕が考えよう。そう、自己紹介は大切だからね。」
お面を外さないまま、深々と一礼。
「こんな格好で申し訳ない、如何せん顔を隠すものがなくて……手元にこの前みんなで"節分ごっこ"をしたときのが残っていたんだ。
……そうだね、『白蛇』なんて名はどうだろう。"蛇"は案外よく当てはまってると思うし、なんと言っても響きがかっこいい。他のみんなからは、『先生』と呼ばれてるよ。」
「では、白蛇さん。」
拳銃を"白蛇"へと向けると、クラマは冷たい表情をつくる。
平生の笑みは、そこには存在しない。
「顔を見せて、両手を上に。無駄な抵抗はやめなさい。」
しかし、白蛇は小さく笑いながら、ぱたりと本を閉じた。
「嫌だ、と言ったら?」
「殺す」
直後、イナリのブレン機関銃が火を吹き、無数の弾丸で白衣を切り裂いた。
大量のダメージ演出が弾け、その体がぐらりと傾く。
「イナリくん!」
鈍い音を立てて倒れた体は、ぴくりとも動かない。
白蛇が、死んだ。
クラマの声に、イナリは首を掻きながら目を逸らした。
「彼が情報を持っていたのは確かです!」
「……目を見たら分かるよ。こいつ、言うこと聞かない。」
「ですが……」
「それに……」
遮るように口にし、イナリは再び機関銃を構えた。
「……なんなんだろ、こいつ。」
視線の先で、何かがもぞりと動いた。
「……あはは、まさか本気で……撃ってくるなんてね……」
白衣に空いた穴を手で叩きながら、白蛇が再び立ち上がる。
「っ!?」
驚いたのはクラマ一人ではない。
イナリ以外の全員が、その場から半歩退いた。
「僕だったからよかったものを……ね?」
今の演出は、確かに即死だった筈だ。
治療アイテムを使ったとしても、LPの減少に間に合うはずがない。
そのようすに、白蛇は肩を竦めて笑う。
「そこまで驚かれたら、一度死んで見せた甲斐があるよ。じゃあ、ついでにもうひとつ見せてあげよう。」
足下にあるのは、先程死んだパペットの体だ。
LPは0で死亡判定が下っているが、まだアバターは消滅する前だ。
白蛇はその傍らに膝を着くと、囁くように言う。
「遅れてごめんね。大丈夫、すぐ助けてあげよう。」
白蛇の両手、黒く分厚い手袋が一瞬弾けるような音を立てた。
「……まさか……!?」
両手を一度擦り合わせ、パペットの胸へと押し当てる。
「さあ、甦っておいで」
黒い亡骸の胸が、見えないなにかに突き上げられるように跳ねた。
『……あ、先生。』
眠りから目覚めたような声。
真っ黒な体が、ゆっくりと起き上がる。
その様子を見ると、白蛇はその頭へ優しく手を乗せた。
「お帰り、エトくん。それと猫くん。」
常軌を逸した光景だった。
目の前で、死人が二人も甦ったのだ。
銃口を向けられながらも、白蛇はパペットの手を引き立ち上がらせる。
『あ……先生、猫が……猫が……!』
「大丈夫、猫くんも後で手当てしよう。きっと元気になるよ。」
『でも先生……掃除、できなかったよ……失敗した』
肩を落とすパペットに、白蛇は明るく背中を叩いた。
「心配ないよ。もういい具合に焼けてるし、君も無事だ。少し運が悪かっただけさ。」
「冗談じゃないって!?」
強敵の復活に、カズマたちがカービンを手に前に出る。弾は残り僅か。イナリはいるが、敵は謎の能力を持っている。
再び銃を向けるその姿に、パペットのガスマスク越しの目に怒りの炎が宿った
『……今度こそ、燃やす……!』
重いブーツを鳴らして踏み出したパペットを、白蛇が止める。
「もういいよエトくん。部屋もずいぶん片付いたし、そろそろ黒霧さんとリリムも戻る。それで引越しはおしまいだ。」
『でも……!』
「ほら、もうきた」
イナリが突然、銃口を別へと移した。
黒い煙のような物が沸き上がり、人間の形を作る。
「先生!先生~!」
まず飛び出してきたのは、白蛇と同じく白衣を来た女だった。
甘えるような鼻にかかった声で呼びながら、その腕へと飛び付く。
「先生、やりました!引越しには邪魔が入ったけど、でもでも、またerrorのデータが手に入りました~!」
「おかえり、リリム。でも今は少し静かに、大事な場面だから。お面が落ちたら困るよ。」
続いて煙の中から現れたのは、全身黒装束の背の高い女。
そのようすに、白蛇は満足そうに頷いた。
「さて、黒山羊くんと、あと"あの人"以外は全員集合だ。」
「もう、あんな何考えてるか分かんないツノなんて、いなくてちょうどいいですよ~!」
「まあまあ」
リリムと呼ばれた女を黒装束の方へ押しやりながら、白蛇は手をならした。
「さて、絵にかいたような形勢逆転だけど、何か聞きたいことは?」
その問いに、クラマは銃を向けながら表情を険しくする。
それもそのはずだ。
目の前で起こる現象の全てが規格外だ。
「あなたたちは、いったい何者ですか?」
その質問に、白蛇は顎に手を当てる。
「そうだね、改めて考えるとまた名前を考えた方がいいね……みんな、何か案は?」
『……わからない』
「先生が決めて!」
残りは無言。
白蛇は頷くと、落とした本を再び拾い上げた。
「そう、じゃあとびきりかっこいいのにしようか。50秒ほどもらおう。」
ぱらぱらとページをめくると、やがて手を止める。
暫くその文を眺めると、やがてぱたりと閉じた。
「うん、ばっちりだ。では、ご清聴願おう。」
閉じた本を背に回し、白蛇は詩を読み上げるように言う。
「"我は『エデンの樹』、楽園に終わりをもたらす者なり"
"無垢なる箱庭に、悪と善を与えよう"
"我は忌まれる、人類最古の罪となり"……」
「どうだろう?」と閉じると、リリムとパペットから小さな拍手が起きた。
「雰囲気は百点だね。まあ、そう言うこだから、後はそっちで考えてみるといい。」
それだけ言うと、「みんな帰るよ」と踵を返した。
「待ちなさい!」
クラマの声に振り向くと、白蛇は肩を竦めるように笑った。
「嫌だよ。僕たちは"悪者"だからね。アデュー、正義の味方!」
白蛇が手を振ると、黒い煙が視界を遮る。
「くそっ、撃て!」
カズマが声を張るが、イナリが銃を放る音で射撃は止んだ。
「もう、いない。」
エデンの木……蛇……
一応答えに繋がるような配置がなされてますが、この時点では絶対わからないですね、ええ。




