《楽園の果樹》3
「ほら、ほらほらほらっ!避けて♪避けて♪避けて♪」
鼓膜を痺れさせるようなエンジン音が、体を反らすようにして避けた私の鼻先を掠めていった。
現実でこんな曲芸じみた真似を披露しようもんなら、腰の三つや四つは間違いなくやられていただろう。仮想現実、閉鎖世界様々である。
目標を外したチェーンソーはタイル張りの壁を大きく削りながらも止まるというこを知らず、破片を散らしながら横一文字の派手な溝をこしらえた。
最早、滅茶苦茶である。
「野郎ッ……!」
私はそのままブリッジの形で両手を着き、両足を跳ね上げるようにしてチェーンソー女を蹴り飛ばした。
「きゃははっ!いった~い!!」
悲鳴なのか歓声なのか、少女は甲高い声を発しながらよろめく。だがリアクションはそれきりに、またすぐにチェーンソーを唸らせ始めた 。
全くもって化け物じみた奴だ。あれが筋力値A++の蹴りを受けた奴の反応だろうか。
「……いい加減にしろよ、このッ!」
背筋をバネに立ち上がりながら反撃の引き金を引くが、私の放った弾丸は少女の構えたチェーンソーを前に火花と散った。刃とハンドルの間に鍔の様に増設されたシールドを煙らせながら、少女が肩を揺らして笑っている。
「ざんねんでした!」
やはり、あのシールドもケースと同じく完全防弾仕様だ。スラッグがいくら打撃力に優れた弾でも、システムの定めた掟には逆らえない。
「どうしたの?もうあきらめる?ねえねえねえ!!」
「クソッ」
徐々に、徐々に、部屋の隅に追いやられていく。打つ手だてがないのだから、こればかりは最早どうしようもない。
有効打にならない散弾銃を一応向けながらも、私は冷たいタイル張りの壁へと手を触れる。
表面は硬い感触だが、拳で叩くとその向こう側は空洞のようだ。隣の部屋か、もしくは通路か。
狭いフィールドは得意だが、こんな化け物と殴り合える程ではない。こんなところからはさっさと抜け出すに限る。
「付き合ってられるか、このサイコ女!」
牽制で三発のスラッグ弾を撃ち込み、そのままタックルで壁を突き抜けた。
「痛え……」
私のお家芸とはいえ、やはり生身で壁をぶち抜くなんてそう何度もやるものではない。
頭を揺すりながら、周りを見渡す。
壁を破った先にあったのは狭い通路だった。暗い一本道を配管剥き出しの天井からぶら下がる電球が、辺りを頼りなく照らしている。
さて、ここまで来たがどうやって逃げるか。
ここへ来るまで暗い道を滅茶苦茶に進んできたお陰で、自分がどの方向から来たのかさえ怪しい。
右左と首を巡らせながらの思案を邪魔するように、エンジン音が壁を貫いてきた。
壁から突き出たチェーンソーの刃が、騒音混じりに道を抉じ開けている。
「やるよなそりゃ……」
考えている暇は無さそうだ。
騒音に背を向けて、私は一目散に駆け出した。
「なに、いなくなっちゃうわけ?ダメダメ、あなたは私のなんだから!」
後ろで壁が砕けて崩れ落ちる音が聞こえた。もうじきあのヒステリー女がチェーンソーを振り回しながら追ってくるだろう。こんなときだというのに、いよいよ先の見えない鬼ごっこの始まりである。
「おいかけっこ?なら追いかけるから逃げてよね!あはははは!!」
けたたましい笑い声と騒音が通路に反響してやたら大きく聞こえる。
まだ口を動かしている辺り本気で追いつめる気はないらしいが、だからといっていつまでも逃げ延びられるとは思っていない。
行き止まりにでも当たれば今度こそ袋の鼠。道が分からない今、私は既にそのリスクを背負っているわけだ。
だとしたらおちおち逃げ回ってもいられない。
壁に手を着きながら角を曲がり、私は通路を見渡す。
いくつか扉が並んでいる。
私はそのひとつに滑り込み、音を立てないように閉じた。
ここでやり過ごして、通りすぎたところを後ろから叩く。古典的な子供騙しだが、あの手の頭のネジが飛んだ奴にはこれが一番だ。
エンジン音がドアの向こうから迫ってくる。
「あれ、いないの?今度はかくれんぼ?いいわ、付き合ってあげる!」
あれだけうるさい得物を抱えているのだ。目で見なくとも位置は測れる。
背中に背負っていたショベルを握り、扉の前で息を潜める。
私の筋力値と体術強化スキルなら、弾よりも殴る方が早い。
「きゃはは!どこかな~?どこかな~?」
ヒステリックな笑い声とエンジンの振動が、扉一枚を隔てて目の前を通りすぎていく。
ここで見誤れば、またあのチェーンソーと正面からぶつかるはめになる。それだけは避けたい。
「ここにもいな~い?どこかな~?」
扉の前を音が通過した、その直後に私は扉を蹴破った。
何もかもがスローモーションに見えた。
合成板の扉が砕け散って、破片が床を跳ねている。
狂気に光る目が振り返るが、まだ遅い。
勝った
ショベルを振り上げながら、そう確信していた。
だがそれも束の間、その発想の甘さを呪うことになるのを、私は予測していなかった。
振り下ろしたショベルが、空中でがちりと固まった。
両手に力を込めて、押しても引いても、まるで動かない。
そこで、やっと私はなにが起こったのかを理解できた。
少女がチェーンソーを片手に、振り向き様の空いた手で私の振り下ろしたショベルの柄を掴んでいた。
私の渾身の一撃が、片手で止められた。
何かの間違いかと疑ったが、ショベルの柄を掴む手は銅像のように微動だにしない。
「……クソッ!?」
「つかまえた♪」
直後、びくともしなかった腕が動いた。
握ったショベル共々私の体を持ち上げ、まるで人形でも扱うように壁に叩き付けた。
全身を衝撃が突き抜けて、背中の裏で壁が砕けた。
全身から力が抜けるといった、そんなレベルの話ではない。まだ自分が人の形を保っているのか、それも疑わしくなるような感覚だった。
「が……あっ……!?」
呼吸さえままならず床の上を転がると、何かが私の体を持ち上げ、壁へと押し付けた。
ぐらぐらと揺れる視界に現れたのは、目を細めて笑うあの少女の顔だった。
「ボロボロになって可哀想!でもまだまだだから、がんばってね?」
○●○●●●
廃ビルの一階から上がった煙は、屋外から指揮にあたっていたシナノの目にも入っていた。
errorとの遭遇。
二週間前、その存在を知らしめることとなった対error戦が脳裏を過る。
"彼女ら"にはこの世界の法則が通用しない。プレイヤーやエネミーキャラのようなLPや耐久度といった概念が存在せず、その行動はこの閉鎖世界のシステムを真っ向から否定するようなものばかりだ。つまり、他のエネミーとは対策が根本的に違ってくる。
前回はイナリの介入で隊員への被害は押さえられたが、現状の戦力で相手にならないのは火を見るより明らかだ。
本部への報告は回したが、応援の到着には時間がかかるだろう。
とにかく今は、団員を一秒でも早くあのビルから脱出させる必要がある。
「ジェット、スルガ!他隊員を援護しながら脱出!急げ!」
『ああ、悪いがシナノ、すぐには無理だ!』
銃声で割れた声は、ジェットのものだ。
『逮捕者がまだ取り残されてる!』
「おいジェット、正気か!?」
『大丈夫だ、全員生かして引っ張り出してやる!』
シナノはその声に額を打つ。そういえば、奴はそんな男だった。
数秒迷ったが、やがて返答を出した。
「死んだらクラマさんが黙ってないからな!」
音声通信越しにジェットが吹き出す。
『さすがにそれは勘弁だ。任せろ、すぐ済ませる!』
「オイオイ、どんだけ弾貰ってると思ってんだあいつ?」
「班長急いで!こいつ、ダメージ通ってない!」
銃声を轟かせながら叫んだのは、ジェットの部下である第四班のウェストとギルだ。
次世代アサルトライフル、SCAR-Lの放つ小口径弾が、半透明に濁ったゼリーのような怪物に次々と突き刺さる。しかし、弾丸はその表面に達した瞬間に黒く半透明な流動体に溶けるように消失する。
両腕のない怪物は甲高い悲鳴のような声をあげるばかりで、堪える様子がない。
「もう少し堪えてくれ!ウェスト!」
ジェットは逮捕者たちを縛るナイロン製のハンドカフをナイフで次々絶ち切りながら、自分のポーチに収まっていたSTANAGマガジンを床を滑らせるように投げた。
踵に触れたそれを爪先で蹴りあげるように取ると、ウェストは素早くマガジンを取り替える。
「ったく、人使いが荒いったらねえ。クソ、おとなしくしろってのお化けコンニャク!!」
雄叫びと共に弾丸を浴びせ続けているが、このままでは長くは持たないだろう。
ジェットはナイフを動かしながら、隣のもう一人の部下を見る。
その視線に気付くと、彼は顔をひきつらせるように笑った。
「急げって言うつもりなら、もういっぱいいっぱいっすよ」
今回の作戦ではショットガンナーを担当していたリクだ。持ち込んだ散弾銃ベネリM3を傍らにナイフを取っているが、その肩には黒く炭化したような傷が走っている。
あのerrorに触れてしまった傷だ。
普通のダメージとは全く違う演出だ。
errorの攻撃による傷だ。これもerrorにしか見られない現象で、LPやステータスへの干渉は発生しないが、生身と同じような痛みを伴い、回復アイテムなどの効果も受け付けない。
「傷の心配なら、今のところ平気っすよ。だいぶ痛みますけど……動かない程じゃない。」
「ここで言うのもなんだが、無茶はするなよ。」
ジェットはそう言いながらまた一人解放し、その背中を叩くように押し出した。
「いいか、下までエスコートしてる余裕はない!隙を見て自力で逃げろ、できるな!」
「おまえら……」
解放された男が戸惑った表情で振り向く。
「何で逃げない、正気か……?」
その問いに、ジェットは手を止めずに鼻を鳴らした。
「仕事だからな。」
「こんなクズどもの為に命張るのが仕事だってのかよ」
「いいや、違う。」
ジェットは断言する。
「クズなんてもんは存在しない。俺たちの仕事は、一人でも多くの人間を救うことだ。……回ってくるのが殺しばっかりなのは不本意だがな。」
そう言うと、背を向けたまま小さく頭を下げた。
「そろそろ取り返す仕事もさせてくれよ。あと、悪かったな、大勢殺して。」
「……。」
男は拳を握りしめる。
開け放たれた部屋の扉を一瞥したが、やがて意を決したように足を踏み出した。
「どけ!」
「なっ」
男はジェットを突き飛ばすと、そのナイフを奪い取る。
「何の真似だ!!」
ジェットがホルスターから抜いたM9A3素早く向ける。
しかし、男はジェットのナイフを握ったまま腕を振るう。
「こっちじゃねえ!!」
銃口に怯みながらも、男はやがて近くにいた仲間のハンドカフにナイフの刃を通し始めた。
「あんたはあの化け物を黙らせろ!」
すると、解放された仲間もまたリクのナイフを取り、仲間たちを解放していく。
「……どうしますか班長」
ショットガンを拾ったリクが、ジェットの隣に並ぶ。
「決まってるだろ。おまえら、気合い入れ直せよ!化け物を部屋から押し出す!四人ならやれる!」
「了解っ!!」
「待ってました!」
その声を合図に、アサルトライフル三丁の集中放火が始まる。
ダメージが通らないとはいえ、弾丸そのもののもたらす衝撃は足止めになる。
その好きに、リクが正面から突進する。
「うおおおおおっ!!」
突然の接近にerrorは奇声を上げながら両足を踏み締める。
正面からぶつかるつもりらしい。
「そう来ると思ったぜ単細胞!」
リクはニヤリと笑うと、突然腰を低くする。
そのまま両足からスライディングの形で床を滑ると、広げたerrorの股を潜り抜けた。
素早く背後に回り込むと、背中にドアの蝶番や閂を破壊するスラッグ弾を撃ち込んだ。
「こっちだ!」
不意に背中を攻撃された異形の怪物は狂ったように全身を震わせ、ドアを抜けて逃げ出すリクを追い始めた。
『成功、目標部屋から出ました!で、班長このあとは?』
リクからの音声通信に、ジェットは狭い通路を埋め尽くすような背中を追いながら応じる。
「できるだけ部屋から離れる!だが表には出すな!とにかく、逃げまくれ!!」
『冗談キツイって!?』
リクが悲鳴のような声を上げた。
ジェットは、作戦前に頭に叩き込んだ見取り図を思い出す。
「下は駄目だ、脱出に影響が出る!上だ、上に逃げ続けろ!」
『屋上まで上がっちゃったら?』
「その時考える!」
『ハハッ、最高だこりゃ!』
リクへの通信を終えると、今度はビルの外のシナノへと繋げる。
「シナノ!状況は?」
『ああ、お前らが逃がした連中はきっちり捕まえてある。安心しろ。』
「応援はまだか!」
『まだ確認が取れん。使えそうな連中は全員出払ってるらしい。』
「クソッ!」
どうにか時間を稼がなくては不味い。
「現在八階、最上階まであと四階。非常階段を使うルートならぎりぎりまで距離が稼げますけど、どう誤魔化してもあと五分持つか……。」
隣を走るウェストが舌打ちしながら報告する。
「班長どうします?これ、リクの奴マジで死ぬかもっすよ。」
「安心しろ、その時は俺が飛び付いてでも止めてやる。」
「あれ相手に?ははっ、それ聞いてすごく安心しましたよ。」
皮肉ったらしく笑うギルに、ジェットは同じく笑って返した。
「俺がやらないと、おまえが真っ先に飛んでっちまうだろ。」
「それじゃあ一緒にやりますか、え?」
errorの後を追うのは難しくない。
例え姿を見失っても、破壊された通路を辿れる。
虫の息で点滅する非常口の標識が見えた。
分厚い非常口の扉が強い力でねじ曲げられて、外側へと倒れている。
「リクの奴、ノックのしかた忘れたのか?」
「ふざけてろ」
建物の祖とを走る非常階段を見上げると、手摺や段が所々破壊されている。
ここをあの化け物が通ったのは間違いないらしい。
「急ぐぞ!」
「了解、階段が落っこちる前に!」
屋上まで、もう距離がない。
「リク、無事か!?」
『ーー班長ッーーはやーー』
激しいノイズの中で銃声が轟いている。
どうやら既に屋上まで追い詰められたようだ。
「本気でやりあうことになりそうですね」
室内戦闘を想定した装備のため、errorと正面からぶつかるには圧倒的に火力不足だ。
「リク!」
非常階段を上り切ると、足元に古びた配管が走るだけの屋上にたどり着いた。
四方を囲むものは一切なく、地上まで約40メートルの高さが延々広がるばかりだ。
いくらSOGOのアバターが屈強であり、彼らがそのなかでも特別鍛え抜かれた円卓の精鋭であったとしても、この高さから落下すればひとたまりもない。
「リク、生きてるか!!」
ギルが叫ぶのと同時に、巨体に跳ね飛ばされたリクが床を滑るように飛んできた。
「お陰さまで死にそうだ……」
「まだ生きてるってことだな」
各々銃を構えると、異形の怪物は緩慢とした動きで振り向く。
「班長、屋上着きましたけど、次の策は?」
「すまん、まだだ。」
策もとい、弾も底をつきはじめている。
このままではこの決して広くない空間であの化け物とぶつかることになる。
ノイズを纏った巨体がじわりじわりと迫ってくる。
しかし、硬いコンクリートを踏む地鳴りのような音に、何かを叩くような音が遠く混じった気がした。
「……何だ、この……」
誰ともなく溢した、その直後だった。
激しい轟音と共に、黒い巨体に三本の杭のようなものが突き刺さった。
「ロケット弾……ッ?」
「……くそ、次から次へと……今度は何だ!?」
衝撃と煙に顔を覆うのと、羽音の主が姿を現すのはほぼ同時だった。
分厚い装甲と重厚な兵器を積んだ大きなヘリが、爆音を放ちながら宙に浮いている。
機体に刻まれているのは円卓の白いエンブレムと、牙を剥き出したオオカミのペイントだ。
初めにその正体に気付いたのはジェットだった。
「十三班!なんでおまえらが!?」
その声に答えるように、機首に増設された巨大なスピーカーが、その羽音にも負けない大音量で吠える。
『お待たせ、先輩。アパッチしかなかったんだけどいいかな?』
閉鎖世界において最大のアドバンテージとなる航空火力。
円卓の虎の子AH-64Dアパッチ・ロングボウと、その性能を最大限に発揮するべく編成された精鋭、特務隊第十三班。
円卓最大の戦力と称しても過言ではない。
そんな物が、今目の前に現れたのだ。




