抱き締められて
「ねぇ、五月ちゃん……悪いんだけど、兄貴起こして来てくれる? 私が起こすよりも五月ちゃんの方がいいと思うし…」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、美樹ちゃんは私の方を見た。
「え? 私が?」
サラダの準備をしていた私は驚いた。
「やっぱり彼女が起こす方が嬉しいと思うけど? ね、お願い」
そう言って私を台所から追いやる。
私はしぶしぶと、朝倉君の眠る寝室へと入って行く。
部屋の中はカーテンが閉め切られている為、ルームランプのほんのりとした明かりが部屋の中を照らしている。
私はそっとベッドに近づいた。彼はぐっすりと眠っている様で、穏やかな寝顔がいつもの彼より幼く見えた。その寝顔を見ていると少しだけ脈が速くなる。私はそっと声をかけた。
「朝倉君? 夕ご飯出来たから起きて……朝倉君」
だけど、彼は起きる気配が全くない。どうしよう?
もう一度、さっきよりも強い口調で声をかける。
「朝倉君、ねぇ起きて。朝倉君」
すると、彼が目を覚ました様で、薄らと目を開けて私の方を見た。
視線が合うが、彼はまだ眠りから覚めてないようで焦点はあってない。
まだ、熱があるのかな?
私がそんな事を思っていると、彼の手が伸びてきて私の頬をそっと撫でる。驚いた私に、彼はフッとほほ笑んだ。その微笑みは今まで見たこともない甘い---まるで恋人に笑いかける様な笑みだった。そして頬を撫でていた手が私の髪に触れたと思った瞬間、私の後頭部に手が回り引き寄せられた。
「え?ち、ちょっと……朝倉君っ!−−−っや…っ!」
そのまま、彼のベッドの中へ引き込まれた。私は彼の腕の中に抱き寄せられ、逃げようともがくと更に強く抱き締められた。
「離して…朝倉君っ!」
抵抗しても彼の抱きしめる力は弱まることはなく、彼の胸元に顔を埋める体勢になっている私はその心臓の音を聞いていた---と同時に、汗の匂いと共に微かに彼の匂いが鼻腔をくすぐる。自分の心臓の音が聞こえそうなほど、私はドキドキしていた。
どうしよう? 離れたいのに…この体制だと無理……
どうやら彼は再び眠りについた様で、呼吸が落ち着いた一定のリズムに変わった。
私が困っていると、部屋の入口から大きな声が聞こえた。
「兄貴! 未成年が家にいるんだから、ちょっとは節制してくれない? 五月ちゃんも困ってるでしょ!」
次の瞬間、一気に目が覚めたらしい朝倉君が、腕の中にいる私の方を見た。
「−−−っ! ごめん、寝ぼけてた!」
そして今まで抱きしめていた腕を解く。彼の気まずそうな表情に微かに胸が痛んだ---おそらく、好きな子と間違ったんだと思う。私はすぐに彼から離れて、ベッドを出た。
「……びっくりした…起きたかな? と思ったら、いきなり引っ張るんだもの」
「まったく……仲が良いのはいいけど、私の存在忘れないでよね!」
美樹ちゃんはそう言って、台所へと戻って行った。
寝室の中には私と朝倉君の2人だけになり、気まずい沈黙が流れている。
私はその沈黙を破るように、さり気なく彼に話し掛けた。
「美樹ちゃん−−−私達の事誤解してるみたいね……私がちゃんと説明しとくから」
そして、そのまま彼の寝室を出た。
美樹ちゃんは何故か上機嫌で、学校の事や付き合っている彼氏の事を話していた。
「え? 美樹ちゃん、彼氏いるの?」
驚いた私に彼女は、呆れた様な…でも嬉しそうに答えた。
「五月ちゃん、今時の高校生なら彼氏いても不思議じゃないって! まぁ……私は中学校から付き合ってるけど---五月ちゃんも知ってる人だよ」
「私が知ってる?」
思わず首を傾げる。美樹ちゃんの彼氏? 誰?
「洸太……覚えてない? 幼馴染で時々、家にも遊びに来てた男の子。五月ちゃんも何回か会ってるし、遊んでもらったよ」
美樹ちゃんの言葉に、女の子の様な可愛い顔の男の子が脳裏に浮かんだ。
「あぁ! 洸太君? 美樹ちゃん、洸太君と付き合ってるの?」
はにかみながら美樹ちゃんは頷いた。頬はほんのりと赤く染まってる。可愛いな。
「中学生の時に、洸太に好きって言われて、私も好きだったから」
「そう、良かったね。2人なら可愛いカップルだよね。洸太君が今どんな感じか見てないから分からないけど、あの頃可愛かったしね、今はカッコよくなってるんじゃない?」
「うん、洸太ね、わざわざバスケする為に、バスケが強い高校に進学したんだよ---でも、そのせいでなかなか会えないんだけど---だから、休みの時に兄貴の家に泊まって会いに行くの」
美樹ちゃんのキラキラ輝く瞳は、恋する女の子の瞳だった。
「今度……洸太君に会いたいな。私の事覚えてないとは思うけど」
「ううん、五月ちゃんの事は時々、2人で話するもの。忘れてないよ」
「じゃ、今度デートの時に少しだけお邪魔させてね? 挨拶したらすぐに帰るから」
笑いながら私がそう言うと、美樹ちゃんは真剣な表情で首を振る。
「だめ! その時は3人で、一緒にご飯食べて遊ぶの!」
「それは…洸太君が嫌だと思うわよ……」
苦笑しながら言うと、美樹ちゃんは名案を思いついた様に手を叩いた。
「じゃ、兄貴も一緒でいいよ! 洸太の事、知ってるし--- 一緒にデートしよ!」
自分のアイデアに満足したのか、1人頷きながら料理を次々に盛り付けていく。
私はそれに関しては何も答えなかった。
夕食がテーブルに並んでも、朝倉君はなかなか寝室から出て来なかった。
痺れをきらした美樹ちゃんが、寝室に乗り込んで行く。
中から彼女の声が聞こえてきた。
「全く…邪魔したのは悪かったけど、仕方ないでしょう? 臍曲げないでよね! 子供じゃないんだから−−−ご飯冷めちゃうじゃない!」
やっと出てきた彼は、片手で顔を押さえていた。
「美樹ちゃん…朝倉君は病人なんだから、もうちょっと優しく…」
私が美樹ちゃんを宥める様に言うと、朝倉君は私の方を見た。
思わずにっこりとほほ笑む。気にしてないという想いを込めたつもりだった……気づいてくれるかどうか解らないけど。
彼が安堵したように、微かに笑みを浮かべた。大丈夫---気づいてくれたみたい。
「ほんとに仲良いんだねー 見てるこっちが当てられちゃう!」
美樹ちゃんが、熱いと言う様に手で顔を仰いでいる。
あ、誤解を解かなきゃ---私は美樹ちゃんに話し掛ける。
「あ、あのね−−−美樹ちゃん、私達は…」
「とりあえず、食べようぜ。腹減った」
私が美樹ちゃんに話し掛けようとした途端、朝倉君が『いただきます』と言いながらご飯を食べ始めた。その為に、話すきっかけを逃してしまった。
「よく言うよ−−−兄貴がなかなか来なかったんじゃないの!」
チラッと彼の方を見ると、黙々と食事をしている。
言うタイミングを逃してしまった私は、美樹ちゃんと話をしながら食事を始めた。
食事も終わり後片付けが済んで、美樹ちゃんに帰る事を告げたら引き留められた。
「えーっ、五月ちゃん、今日泊ってってよぉ!」
彼女は私の腕に自分の腕を絡めて、見上げてきた。それは---ごめんなさい、無理です。
「それは無理だよ…ごめんね」
「だったら明日、私と1日付き合ってくれない?」
あぁ、それなら大丈夫---私は笑いながら頷いた。
「いいわよ! 明日は休みで特に予定もないから…どこ行きたい?」
「五月ちゃんのお奨めの所!」
私は頭の中で、ショッピング、食事、映画といろいろプランを考えた。
「わかった! じゃ、明日またここに来るね。何時がいい?」
「9時は? 一緒に朝ご飯食べてから出かけようよ。私が準備しとくから…お昼はどこか外で食べよう」
「美樹ちゃんもどこか行きたい所考えててね? それじゃ、明日9時に来るから」
「兄貴は明日はどうするの?」
唐突に美樹ちゃんは、朝倉君に話し掛けた。
「……ん、もし明日までに熱が下がっていたら仕事だけど、熱が下がらなかったら休むかな……」
いつもと違う---何かボーっとした感じで返事をする朝倉君を、美樹ちゃんは心配そうに見ている。
「そっか…もう、寝たら? きついんじゃないの?」
美樹ちゃんがそう言うと、彼はゆっくりとソファから立ち上がった。
「悪い……先に寝る…麻生、今日はわざわざお見舞いに来てくれてありがとう……帰り気をつけろよ」
「うん、朝倉君も早く良くなってね」
私が彼に微笑むと、彼は微かに口元に笑みを浮かべるとふらつく足で寝室へと戻って行った。
「それじゃ、五月ちゃん、明日は1日よろしくお願いします」
「うん、明日楽しみにしてるね」
私は美樹ちゃんにそう言うと、朝倉君の家を後にした。




