<甲賀の里・過去> ~カワセミの唄~
斎藤道三。
初めて聞く名前だった。
黒トカゲの、知り合い――おそらくは顧客――のようだ。
俺は彼の全身をざっと見た。
武士のようだ。
身分はそれなり。
年齢は45才くらいだろうか。
だが、全身からにじみ出る胆力は、彼がその身分のままでは終わらないという決意を表しているようだった。
俺は、来客用の湯飲みに水を入れて部屋に運んだ。
「6歳ほどの、女の忍を探している」
道三が言った。
黒トカゲが、目線を床に落とした。
「……花鳥姫の事は……。
お悔やみ申し上げます……」
長い沈黙の後、道三が、声を詰まらせるようにして答えた。
「美しく育ってほしいと願い、花鳥風月から花鳥と名付けた――
だが、今思えば。
鳥は死ぬし、花は散る。
なぜ七年前、『風月』と名づけなかったのか。
今でも悔やまれる……」
道三が静かに、目頭を押さえた。
黒トカゲは、俺の運んできた湯呑を、道三の前に置いた。
「……ですが、甲賀の里ではくのいちは育てません。
それに……たとえ育てていたとしても……。
どれほど優秀なくのいちが化けたとしても、けっして花鳥姫の代わりにはなりますまい」
「それは無論――分かっている……」
絞り出すように、道三が言った。
しばらくして、遠慮がちに、黒トカゲが口を開いた。
「……養女を、お迎えになってはいかがでしょうか?」
道三は黒トカゲを見た。『儂が養女を探さなかったとでも思っているのか?』顔に、そう書いてあった。
「娘には――。やらせたいことがある。
温室で真綿にくるむようにして育てられた軟弱な姫では、儂の『娘』は務まらぬ」
「先ほども申し上げましたが、甲賀の里では、くのいちは育てません。くのいちを探すなら、伊賀の里へ行かれると良いでしょう」
「伊賀の忍は、任務が終われば主を変える。
儂が欲しいのは。意志が強くて賢くて。
何度嫁いだ後も変わらずに、儂の『娘』であり続ける者だ。
『そんなくのいちは、伊賀の里には、いない』と言われた」
「甲賀の里は、女人禁制――」
「ただいま戻りました!」
カゲロウが、勢いよく小屋の中に駆け込んだ。
俺も黒トカゲも、ぎょっとして動きを止めた。
俺たちは、来客中は決して小屋に入るなと厳命されている。
それに、4年前、大けがをして土間で寝ていた時を除けば、カゲロウが小屋の中に入るのは初めてだ。
自分から誰かに話しかけるのも。
「あら、お客様ですか。こんにちは、初めまして」
カゲロウは、道三の目を見て明るく言った。
「――あっちへいけ」
不機嫌そうに黒トカゲが言った。射殺すような目でカゲロウを睨んでいる。
カゲロウは、黒トカゲの方を見ないようにしている。
「いるじゃないか。娘が」
道三が言った。
カゲロウはまさに『6才くらいの女』だ。
黒トカゲは沈黙した。
カゲロウは、恐ろしく耳が良い。
だからこうしてカゲロウが、このタイミングで小屋に飛び込んできたのは、偶然なんかじゃない。カゲロウの意志だ。
黒トカゲも、それは分かっているはずだ。
「――お客様の馬、調子が悪いのでは?」
にこにこしながら、カゲロウが続けた。
道三の眉がピクリと動いた。
カゲロウは続けた。
「右の後ろ脚を、庇って歩く音がします。
怪我をしているか、蹄の内側にとげが刺さっているかもしれません」
ほう。というように道三の口が動いた。
カゲロウは頭を下げた。
「カゲロウ、と呼ばれております」
「斎藤道三だ」
カゲロウは顔を上げた。
顔に笑顔を浮かべ、斎藤道三に向かって軽い調子で話しかけた。
「失礼ながら、道三さまは、先ほど嘘をおっしゃいましたね。
伊賀の里には行かれていないのでは?
伊賀に行かれたのであれば、甲賀には南からいらっしゃるはず。
ですが、馬の足音は、北西から聞こえてまいりました」
俺はカゲロウを観察した。
彼女がとてつもなく緊張していることは、指先の震えから一目瞭然だった。
それでも、カゲロウは震える指先を、道三の目から死角になる位置に隠すだけの冷静さは持ち合わせていた。
「ほほう」
道三は、カゲロウを上から下まで眺めた。
「悪くない推理だ。
確かに伊賀には行っていない」
カゲロウの顔がぱっと輝いた。
道三は続ける。
「だが、儂は嘘を言ったわけではない。
あの話は美濃にいるときに、伊賀の忍から聞いた。
――もう少し、腕を磨く必要があるな」
カゲロウはみるみる顔を曇らせた。
「修業不足の身で、出過ぎた発言をいたしました。
失礼いたします……」
カゲロウは後ろを向いた。
俺の位置からは顔は見えない。
肩を落とし、小屋の外へ出ようとする。
斎藤道三がその背中を呼び止めた。
「――儂のもとで、修業するつもりはあるか?」
カゲロウが、はっと息をのんで目を上げた。
「儂に仕えないか?
忍術も、行儀作法も、教養も、最高の師匠をつけてやる。
厳しい修行になるだろう。
それでもついてこられるか?
儂のくのいちとして、死線をくぐる度胸はあるか?
死ぬまで儂の娘として、生き抜いていく覚悟はあるか?」
カゲロウは振り返った。
着物の襟元をはだけて、胸元の傷を見せた。
苦しんだ蛇が、のたうち回ったような醜い傷。
「これでも――。
道三さまは、わたくしを、娘として、受け入れてくださる覚悟はおありですか?」
道三は驚いたように胸の傷を見つめた。
次に、鋭い眼差しでカゲロウを見た。カゲロウは揺るがなかった。
道三は目を細めた。
道三はもう一度、上から下までゆっくりとカゲロウを眺める。
カゲロウはみじろぎひとつしなかった。
やがて道三はゆっくりとくちびるを歪め、顔いっぱいに迫力のある笑みを浮かべた。
「カゲロウ、と言ったな。
気に入った――連れて行く。
死ぬまで、儂の娘として生きよ」
「はっ! ありがたき幸せ!」
カゲロウは、膝をつき、体の脇に垂らした両手を地面について頭を下げた。
「この命尽きるまで。
誠心誠意、命を懸けて、道三様にお仕えいたします!!」




