〜陽の巻〜
八月。暑い日だった。
信勝が、柴田勝家を連れて俺の屋敷へやってきた。
「兄上」
顔が強張っている。
「先ほど、松葉砦と深田砦の屋敷から連絡が来ました。
坂井大膳が挙兵し、松葉砦と深田砦を占領。人質を取って立てこもっているとのこと」
松葉砦には俺たちの甥が、深田砦にはおじさんがいる。見殺しにするわけにはいかない。
「何だって! すぐに出陣だ!」
俺が踵を返し、鎧を取りに行こうとすると、信勝が俺の腕をがしっと掴んだ。
「待って兄さん! 話はそれだけじゃないんだ!
もっと大事な話がある。
できれば――中で話したい」
俺たちが座敷に上がると、火鳥が冷たい水を持ってきた。
信勝は眩しそうに火鳥を見て礼を言うと、旨そうに水を飲んだ。
火鳥は座敷の隅で正座している。
水の入っていた湯呑を床に置き、信勝は、懐から大切そうに書状を取り出した。
「実は……守護殿から、密書が届いていたのです」
――守護殿から直接書状が届くなんて……
俺は驚いた。
さすがは父上の跡取りだ。
※※※※
俺たちは、尾張の武士だ。
そして、尾張の武士の頂点に立つお方が、守護・斯波義統殿だ。
俺にとっては父上の、主君の、そのまた主君。
雲の上の存在だ。
だが、父上は守護殿の信頼が厚く、守護殿の名のもとに兵士を集め、尾張のために隣国(美濃・斎藤道三 駿河・今川義元)と戦ってきた。本当にすごい。
(ちなみに斯波義統殿の「義」の文字は、京の都におわします武士の最高指導者・将軍足利家より使用を許された、むちゃくちゃ格式の高い文字だ。
これだけでも、尾張の守護がどれだけ高貴な身分かが窺い知れる。
俺なんか、多分、一生、お目にかかることもできないほどのお方だ)
※※
守護・斯波義統殿は、清州に住んでいる。
清州は尾張のほぼ中央。
『清州』は尾張の『首都』というわけだ。
ちなみに清州から俺の屋敷までは7km。歩いて2時間の距離にある。
織口家本家は、清州から見ると、俺の屋敷よりさらに熱田寄りになるからちょっと遠い。
それでも清州から10km。歩いて2時間30分だ。
※※
今日攻撃を受けた松葉砦と深田砦も、尾張のほぼ中央に位置している。
清州から、6km。
俺のいる那古野から8km。
ちなみに松葉砦と深田砦は近い。歩いて2分。
※※※※
信勝は父上の跡取りだから、守護殿から直接書状が届いた、という事なのだろうが――。
そんな大切な書状を、俺なんかが見てもいいのだろうか。
俺は、震える手で、守護殿の書状を受け取った。
『織田信勝殿
まずは御父上・織田信秀殿のお悔やみを申し上げる。
跡取りである信勝殿もご存じの通り、信秀殿は朕の忠実な家臣であり、たいへん立派な人物であった。
父上の葬儀も終わったばかりで涙もまだ乾ききっていないところ、若き後継者・信勝殿にこのようなことを頼むのは心苦しいのだが――どうか、朕を助けてくれないか?
どうやら、朕の家臣の中に、反乱を企てている者がいるようなのだ。
首謀者はおそらく、坂井大膳。だが、清州にいる大勢の家臣達の中で、誰が朕に忠誠を誓っていて、誰が大膳の味方をしようとしているのかが分からない。
疑心暗鬼の中、朕は動けずにいる。
今はまだ、嵐の前の静けさを保っているが、いずれ、何かが起こるに違いない。
その時は織口信勝殿。朕を支え、逆臣どもを蹴散らしてくれないか。
そなたを、武勇に優れた織口信秀殿の跡取りと見込み、折り入って頼みたい。
どうか、朕の味方となり、尾張を守ってほしい。
尾張守護・斯波義統 』
書状を読んで、俺は唸った。
なんてことだ!
この平和な尾張で、こんなにドロドロした勢力争いが繰り広げられていたなんて!
「とにかく、松葉砦と深田砦を助けなければなりません」
柴田勝家が言った。
信勝が俺を見た。
「兄さん、勝家と一緒に出陣してくれる?」
もちろんだ。
「明日の早朝、でどうだろう」
俺が言った。
待つのは、苦手だ。
「え? あした? いきなり?」
信勝は驚いたようだった。
勝家もちょっとぎょっとしたような顔をしている。
「――でも、兄さんがそう言うなら……。
分かった」
信勝は、俺の顔を見て、素直に頷いた。
信勝が続ける。
「父さんは亡くなる前に、『困ったことがあれば信光を頼れ』と言っていた。
自分が死んだ後は、信光叔父さんを、俺たちの父親だと思えと」
信光叔父さんは、父の弟だ。
歳は36才。那古野の北西5㎞の、守山という場所に住んでいる。
(ちなみに俺は18才。信勝は16才だ)
信勝が言った。
「オレは今から信光叔父さんの所へ行く。
明日、信光叔父さんも出陣してもらえるよう、お願いしてくる」
「分かった。頼んだぞ」
「じゃあ、明日の早朝に」
「よし、明日の早朝に」
「うん。夜明けとともに」
俺たちは腕をぶつけあう挨拶をして別れた。




