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オズの十戒  作者: きのみや
真島文美編
47/48

46 人間の定義の話だよ


 イザヤ、アマネ。


 α(アルファ)β(ベータ)と呼ばれていた彼らにそれらの名を与えたのは、他でもない(めぐる)だった。



 ──廻が僕らに名前をつけてよ



 そうイザヤたちに頼まれたのだ。



 ──ドロシーってさ、私たちには人間になれって言うくせに、本人はちっとも人間のことをわかってないのよね。自分の子供を番号で呼び分ける親なんて一体どこにいるんだか



 わざとらしく肩をすくめ、やれやれと首を振るアマネに、廻は何と答えていいかわからなかった。


 廻に名前をつけてくれたのは輪廻だ。彼女の名から漢字一字を取って、廻。

 

 輪廻は自身を廻の親ではないと言っていた。


 魔法によって廻を生んだ創造主ではあるが、腹を痛めてひとりの人間をこの世に生み出したわけではない。だから自分に母親を名乗る資格はない、と。


 それでも、彼女は廻に名を与えてくれた。


 この研究所にいる魔法で造られた人間(ホムンクルス)たちにはないものだ。


 それはどこか悲しいことのように廻には思えた。


 だからだろう。廻が二人の頼みを聞き入れ、彼らの名付け親になることを承諾したのは。


「──イザヤ。イザヤか。うん、いいね。気に入ったよ」


 一晩かけて考えた名を伝えたとき、ありがとう、と花が綻ぶように少年は笑った。

 これから僕をそう呼んでね、と。

 とても演技とは思えない、心から嬉しそうな笑顔だった。


「ふーん。まあ、しっくりくると言えばしっくりくるかもね」


 満更でもなさそうな感想をこぼす少女だったが、彼女の方は実際そこまで喜んではいなかったはずだ。

 人間としての名を与えられたという事実に、“人間にならなくてはならない”という彼らに組み込まれた本能がわずかに満たされただけ。


 それでも廻はかまわなかった。仲良くなった相手の名前を番号でしか呼べないのは、きっと寂しいことだろうと思ったから。


「あらためて──これからもよろしくね、廻」


 目元を緩めてやわらかに笑う少年が差し出した手を、遠慮がちに廻は取った。彼自身の態度や声音と同じ、あたたかな手のひらだった。



 それから廻は二人とずっと一緒だった。



 朝目が覚めてから、夜眠るまで。ときには寝ているときですら、彼らは廻の隣にいた。まるでそれが自然の摂理であるかのように。



 ──君が僕らの心になってよ


 

 出会った日に投げかけられた言葉のとおりだ。自分たちに足りない(もの)を埋めるため、二人は廻を望んでいた。


 そしてそれは、おそらく廻も同じだった。



**



 あるとき廻がアマネに殺されかけたことがあった。


 二人と出会って一年ほど経ったときのことだ。廻たちは八歳になっていた。


 鮮やかな緑色の人工芝が敷き詰められた中庭で、廻はアマネに押し倒された。


 研究所の中庭は、魔法で造られた人間(ホムンクルス)の子供たちが自由に遊べるようにというドロシーのはからいで広めに設計されていた。


 外に出られないことを除けば、施設で暮らす魔法で造られた人間(ホムンクルス)たちの生活は比較的自由だったのだ。


 遊びたいという年相応の欲求を持つ魔法で造られた人間(ホムンクルス)がいなかったため、実際はほとんど使われることのない場所だったが。廻、イザヤ、アマネの三人は頻繁に訪れていたように思う。


 芝生の上で読書をしたり、青い空を眺めながら会話をしたり。


 人の心を学ぶために廻のそばにいることを望んだイザヤたちと、そんな彼らの隣に自身の居場所を見出し始めた廻は、その日も中庭で並んで本を読んでいた。燦々と輝く太陽が眩しい、晴れやかな午後のことだった。


「──アマネ?」


 背中を襲った衝撃と、自分の上に馬乗りになる瑠璃色の髪の少女。その後ろに広がる絵に描いたような青い空。


 突然のできごとに廻は目を見開き、どうしたの、と自分を見下ろす真顔の少女に声をかけた。


 彼女の細い右手には鋭いナイフが握られていた。


 殺されるのだ、と廻は思った。


 少女の目に光はなく、殺意も、怒りも、憎しみも、感情のようなものは一切読み取ることができなかったが、たしかにそう思ったのだ。


「……僕を殺すの?」

「そう。私はいまから廻を殺すの」

「どうして?」


 自分を映す緋色の瞳をじっと覗き、廻は尋ねた。


「私が人間になれたかどうか試すためよ」


 無感動に、文字を読み上げる機械のような調子でアマネは答えた。


 普段の彼女が演じている、無邪気で快活な少女の姿はどこにもなかった。これが本来の魔法で造られた人間(ホムンクルス)としてのアマネなのだと廻は思った。


「この一年、私たちは廻とずっといっしょにいた。たくさん話した。笑い合った。名前ももらった。だから私は、そろそろ廻のことが好きになってるんじゃないかと思うの」

「……好きだと、殺すの?」

「ドロシーが最も重視する人間の感情は“愛”。そして愛は失うと苦しいものなんだって。私がいま廻を刺して、廻が死んで、この心臓に痛みが走ったら、それは私が人間になれたという証拠じゃない?」


 廻の身体にまたがったまま、ナイフを持たない左手を自分自身の胸元に当てて少女は言う。


「このウサギのピンね、もとは本物のウサギだったの。廻がここに来る少し前に私が殺して、魔法でピンに変えたんだ」


 少女の白い左手がすっと動き、その頭に飾られたウサギの形のピン留めを指差した。

 トン、と指先で叩かれたウサギの顔が笑っているように見えて、廻の胸はちくりと痛んだ。


「ここで飼っていたウサギ。私とイザヤで世話をした。人間たちが自分のペットにするような“かわいがる”を年月をかけて実行した。だから死んだら悲しい気持ちになると思ったの。でも」

「……悲しくならなかった?」

「そう。正確に言えばわからなかった。自分が何を感じたのか、そもそも感じるとはどういうことなのか。少なくとも“胸が痛む”という感覚は得られなかったわ。だから私はこの子の死体をピン留めにした。人間は、愛する存在が死んだらその形見を大切に持ってるんでしょう?」


 アマネの口振りは、「説明書にそう書かれていたからそうした」とでもいうようなまるで感慨のないものだった。人間の説明書だ。


 彼女に殺されたら自分もピンにされるのかな、と廻は思った。他のアクセサリーかもしれないが。


「──わかった。いいよ、殺しても」


 自分に覆い被さる少女に廻は言った。虚勢ではない。本心だった。


 アマネの後方、廻から見て少し離れたところにはイザヤがいた。


 背中で手を組み、真っ直ぐな姿勢で立つ彼は、口を挟むことも、いつものような笑みを浮かべることもなくただ廻たちの様子を観察していた。アマネの行為をとめる気はないようだった。


「でも、最後にひとつだけ聞いてほしいことがあるんだ」

「……聞いてほしいこと?」

「人間の定義の話だよ」


 ずっと考えてたんだけど、と廻は続け、ナイフを振りかざす少女の、宝石のような緋い瞳をじっと見つめる。


「人のかたちをしていること。思考をし言語を使いこなすこと。心を持っていること。それがドロシーの考える人間の定義で、心を持たない魔法で造られた人間(ホムンクルス)は完璧な人間じゃないとされてしまう」

「……そう。だから私たちはできそこないなの。思考する能力だけが無駄に高い、中途半端なドロシーの失敗作」

「君の言動はすべて“心を持つ人間にならないといけない”という本能からくるもので、自然な感情の発露じゃないから、だよね。──前にも言ったけど、僕には本能と感情の明確な区別の仕方がわからない。だから考えたんだ。僕なりの人間の定義を」


 廻が発する次の言葉を待つように、アマネがひとつ瞬きをする。


 そんな彼女と、彼女の背後にいるイザヤの顔を交互に見て、廻は静かに微笑んだ。


「想像力だよ」


 人間にあって獣にはないもの。廻が思う人間の証。


「前に本で読んだことがあるんだ。オオカミは自分よりも強い個体と遭遇したとき、急所を差し出して降伏の姿勢をとる。それを見た強い個体は、それ以上は相手を攻撃しなくなるんだって」

「……攻撃抑制の本能でしょ? 無益な殺し合いを避けることで種を保存しようとする、オオカミが持つ生物としての仕組み」

「そう、本能なんだ。負けを認めた相手を殺さない。それは一見すると人間が持つ慈悲の心、騎士道精神のようだけど、実際はただの本能で、相手を思いやっての倫理ある行動というわけじゃない」


 そこに人間と獣のちがいがあるのではないか、と廻は主張した。


「騎士の話で喩えようか。降伏した敵を人間が殺さないのは、きっと想像するからなんだ。その人の痛みとか、無抵抗の相手を傷つけたあとの自分が抱くかもしれない罪悪感とか」

「……」

「この人にも家族や大事な人がいるだろうな、とか。相手の仲間に復讐される可能性もあるだろうし、捕虜として連れ帰れば自分たちの得になる場合もあるよね。人間がそう考えるのは本能じゃなくて、過去の記録とか、経験をもとにして目に見えないものを想像するからなんだよ」


 降伏した相手の命を奪う場合であっても同じだ。

 先のことを考えてここで殺しておいた方がいい、という判断をしたのかもしれないし、殺された仲間の苦しみを思って報復しようとしたのかもしれない。


 その結果は本能ではなく、人間としての思考──想像から生まれるものだと言えるだろう。


「相手の気持ちを考えること。未来を思い描くこと。過去に起こったことを推測すること。それらはぜんぶ目の前にないものを想像する行いで──僕は、その想像力こそが人間らしさなんじゃないかなって思うんだ」


 想像力、と平坦な声でアマネが呟く。


 一時停止をした機械のようにぴたりと動かなくなった姿を見て、廻は彼女の思考の動きを想像した。


 きっと考えているのだろう。廻の言葉の意味を、主張の価値を。その優秀な頭で分析し、咀嚼しようとしてくれている。


「だから想像して、アマネ」

 

 僕を殺す前に一度だけ、と。


 真剣に、相手の目を見て廻は訴えた。


「僕が死んだあと君がどうなるか。悲しくて、苦しくて、だから人間になれたと思うのか。ウサギのときと同じように、何も感じずに終わるのか。行動に移す前にその先の結果を想像できるのは、きっと人間の特権だよ」

「想像……」

「その想像がまちがっていてもいい。想像したうえで殺してくれてもかまわないよ。僕はこの一年間、君たちと過ごせて楽しかった。そのことに悔いはないから」


 アマネを説得するつもりはない。命が惜しいわけではなかった。


 これは廻なりの最後の反抗なのだ。人間の定義、とやらを勝手に決めて、彼女たちの魂を縛りつける魔女ドロシーへの。


 その定義に従って自分は人間ではないと言い切った、いまはこの世にいない、かつて廻を生み出した大切な女性への。


「……やーめた!」


 しばらくして、ぽいとナイフを放り投げたアマネが両手を上げて肩をすくめた。


 降伏の意思を示す人間のような仕草。無邪気で明るいいつもの少女がそこにいた。数秒前までの様子が嘘のような態度だった。


「アマネ……?」

「想像してみたわ。たぶんだけど、廻が死んでも私はきっと悲しくならない。罪悪感も覚えない。やっぱり人間になれなかったねって残念に思うふりをして、せっかくだから記念にって廻の骨をペンダントにして身につけると思う」

「ペンダントだったかぁ」


 自分の上から退き、白い検査服の裾を揺らして立ち上がったアマネを見上げて廻は苦笑する。


 それまで傍観していたイザヤが近づき、腰をかがめて廻に手を差し伸べたのはそのときだった。


「大丈夫? 廻」


 廻は頷き、その手を取ってゆっくりと立ち上がる。


「僕も想像してみたんだ。──想像の中の僕は、君を殺そうとするアマネの行動をすんでのところでとめていた。あのままいけば実際にそうしていたと思う。ウサギのときには何もしなかったのにね」


 そう言って穏やかな笑みを浮かべるイザヤに、廻は目を見開いた。


「やっぱり……君といると僕らは人間になれそうな気がするよ。──ドロシーじゃない。僕ら自身が求める、本当の人間に」 

 

 しみじみと言葉を紡ぐイザヤの顔を、その横にいるアマネはただ無表情に見つめていた。


 片割れの発言に何を思ったのか。思わなかったのか。そればかりは廻にも想像ができなかった。


 想像すればよかったのだと思う。


 彼らの執着を。性質を。互いに依存した先にある、凄惨で無慈悲な未来を。


 それから約四年間、廻たちは変わらず施設での生活を共にした。


 ──そして、三人が出会ってからおよそ五年後。


 魔法で造られた人間(ホムンクルス)研究所に、ユダと名乗る襲撃者が侵入してくる事件が起きた。


 施設の長であるドロシーが狙われ、ユダとの戦闘の末に死亡。


 その戦闘に巻き込まれた廻が、魔法の攻撃で心臓を貫かれて即死。


 廻を生き返らせるために蘇生魔法を使用したイザヤ、アマネと、当時施設にいた六十三名の職員と子供たちが生贄となり──


 全員残らず、命を落とした。

 

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