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オズの十戒  作者: きのみや
真島文美編
43/48

42 わかりません


 ──いまでもふと思い出すことがある。


 いや、思い出すというのは少しちがう。それはいつでも(めぐる)のすぐ近くにあった。


 忘れない。忘れたくない。忘れられない。


 記憶と呼ぶのも憚られるほど身近で、鮮明な、罪の記憶。


 夜眠るとき。

 朝の空を染める橙色の光を目に映すとき。

 魔法を使うとき。

 呼吸をして、規則正しい自分の鼓動を確認するとき。

 

 廻はいつも実感する。


 ああ、そうか。自分は今日も生きているのか、と。


 そして必ずあの日の光景が頭をよぎるのだ。


「──イザヤ、アマネ」


 目の前に、同じ顔をした二人の子供が倒れている。


 瑠璃色の髪の少年と少女。彼らはぴくりとも動かなかった。


 二人だけではない。廻のまわりには、力なく床に伏せる何人もの子供たちの姿があった。


 は、と震える息がこぼれる。

 両手で胸のあたりを掻きむしり、瞼が潰れるほど強くふたつの目をつむる。


 整わない呼吸と向き合うことを諦め、ゆっくりと目を開けた廻が見た光景は、やはり始めと変わらなかった。

 

 廻を囲う子供たち。全員が白い検査服に身を包んでいた。


 その中心に倒れる二人──瑠璃色の髪の少年と少女の首がぐるりと回り、ぱちりと開いた緋い瞳が、立ち竦む廻の姿を静かに映した。


『憶えておいて、廻』


 ──僕らは、君のために罪を犯したんだよ


 機械のように動く少年の口。その隣で微笑む少女。


 廻は再び瞼を閉じ、うつむき、胸を掴む両手にいっそうの力を込める。


 ドクン、と。


 大きな音を立てる心臓は、たしかに廻自身のものだった。




 **




「──真島先輩!」


 姿を消した真島を追って廻が辿り着いたのは屋上だった。


 結界によって灰色に染まった空。古びたフェンスを揺らす生ぬるい風。


 本来なら校則で立ち入りを禁止されているはずのその場所に、廻がさがした少女はいた。


「何を……しているんですか」


 真島はフェンスの前に立ち、廻に背を向けるようにして屋上から見える町の景色を眺めていた。


 廻の質問に真島は何も答えなかったが、彼女が持つ水晶の魔力の濃度が先程よりも増していることから、聞かずともその答えは明白だった。


 明白だが、信じられない。信じたくない。


「……先輩、だめです。そんなことしたら……」

「この学校の人たちが死ぬんでしょう? 私自身も。──べつにかまわないわ」


 父が生き返るならなんだっていい。


 そう迷いなく答えた真島に廻は息をのむ。


 冗談ではないとすぐにわかった。彼女は本気なのだ。


「父は理不尽に殺された。だから私は理不尽に父を生き返らせる。それのなにがいけないの?」

「……っ」

「父は優しかった。正しい人だった。でも死んでしまった。正しいか正しくないかなんて、生きものの生死には関係ない。なら私は……正しくなくても父が生きている方を選ぶ」

「……優香さんは、友達はどうするんですか。先生やクラスメイト……先輩にとって大切な人たちが、この学校にはたくさんいるんじゃ」


 廻は知っている。彼女が桜倫高校を愛していることを。


 校風を、歴史を、生徒を、教師を。この学校のすべてを真島は大事にしていた。厳しく風紀を取り締まるのもそれが理由であったはずだ。


 あの入学式の日に聞いた彼女の言葉は、いまでも廻の中にある。


「僕は先輩の正義に憧れていました。きまりは人を縛るものだけど、同時に守るものでもあるって教えてくれたのは、他でもない真島先輩です」

「買い被りね。私はただ父の真似をしていただけ。幼い子供のごっこ遊びよ。実際は疎まれることの方がずっと多かった。いつまで前の桜倫の厳しさを引きずってるんだって」

「先輩……」

「本当の私はこんなふうに身勝手で、自分のために友達を生贄にすることを厭わないような最低な人間なの。……私は父のためなら殺人鬼にだってなれる。異端だって、なんだってかまわない」


 真島の長いスカートがぶわりと浮き上がり、左右に分かれた三つ編みの髪の毛がばさばさと宙を踊る。


 その足元には淡く輝く光の紋様──魔法陣が出現していた。


「……っ、先輩! だめです!」

「邪魔しないで!」


 この学校から出て行って、と真島は叫んだ。


 あなたは魔法使いなんでしょう。ならこの結界から出て行けるはず。

 死にたくないなら私の前から姿を消して、と。


 その震える背中を見て廻は思った。


 やはり彼女にその魔法を使わせてはいけない。人殺しなんてさせるものか。


 異端審問官(インクイジター)としてではなく、真島文美という人間に救われたひとりの後輩として、自分は彼女を守りたいのだ。


「先輩、やめてください。こんなことしたって先輩のお父さんは喜ばない。他人を犠牲にして自分の命を取り戻したって──」

「あなたに父の何がわかるの!」


 勢いよく振り向いた真島が、眉をつり上げて激しく廻を睨みつける。


「小津佐くんにはわからない! 私の気持ちも、父の気持ちも! なのに勝手なことっ……」

「わかりません!」


 相手の声を遮るように廻は叫んだ。


 息が苦しい。喉が震えて頭が痛む。どうしようもないほど吐き気がする。


 ──それでも。


「先輩の気持ちも、先輩のお父さんの気持ちも僕にはわからない! わからないけどっ……」


 伝えなくてはいけない。


「だれかを犠牲にして生き返ることのつらさはわかる……!」


 真島が大きく目を見開く。


 廻を映す黒い瞳が衝撃に揺れ、言葉をなくした唇から声にならない吐息がこぼれた。


 ──そのときだった。

 廻の背後で、金属を殴打したようなけたたましい音が鳴り響いたのは。


 空間を揺さぶるような風圧を受け、不意を突かれた廻の身体がフェンスの方に吹き飛ばされる。


 杖を握ったまま空中で体勢を整えた廻は、そのまますたんと真島の前に着地した。


 彼女を自分の背中に隠し、屋上の入り口を見る。


 そこにいたのはハンスだった。


 白い長杖を右手に持ち、乱れた茶色い前髪を左手で押さえながら、彼は廻を睨みつけていた。


「テメェ……随分とコケにしてくれんじゃねぇか」


 鎖の拘束を抜けてきたのだろう。


 本来は彼自身の魔法であることに加え、操作権を奪った廻は真島とのやりとりに気を取られていた。その隙をついた彼に追いつかれてしまうのも無理はない。


「……オレは、自分の魔力量には自信があってな。ミュンヘンのオズでは歴代トップと言っても過言じゃねぇと高い評価を受けてきたんだ。魔力だけなら姉貴にも負けてねぇってよ。……だからありえねぇんだよ。このオレがただの魔力の競り合いで、日本のガキに負けるなんざ」

「……」

「だがおかげで思い出した。──どうやら噂は本当だったみたいだな」


 ハンスはふっと口角を上げ、意味ありげな視線を廻に向けた。


「さっきのお前の目──赤く光ってた。オレの魔法を乗っ取ったときだ」


 それは魔法で造られた人間(ホムンクルス)の証だろう、と。


 相手を嘲笑うような冷たい声でハンスは言う。


魔法で造られた人間(ホムンクルス)は普通の魔法使いより魔力の保有量が多い。肉体そのものが魔法でできてるんだから当然だが、テメェの場合はそんな甘い話じゃねえ。テメェの中には──」


 鋭い光を宿す灰色の瞳が、黙る廻をまっすぐに貫いた。


「テメェ自身を含めた、魔法で造られた人間(ホムンクルス)六十三人分の魔力が流れてるんだから」


 廻の後ろで真島が息をのむ気配がした。


 魔法使いでない彼女が魔法で造られた人間(ホムンクルス)についてどこまで知っているかはわからないが、廻たちが何か普通ではない話をしていることは察したのだろう。


「四年前、ユダと名乗る人物にドロシーの魔法で造られた人間(ホムンクルス)研究所が襲撃された。ユダの狙いはドロシーだったが、運悪く巻き込まれた魔法で造られた人間(ホムンクルス)がその場でひとり死んじまったらしい」


 淡々と話すハンスだったが、その口調は基本的に伝聞のかたちだった。


 ()()()()何が起こったのかを知る人物はかぎられている。


 ハンスがどこでその噂を聞いたのかはわからないし、ドロシーが詳細を話しているとも思えないが、彼の立場的に最低限のことは把握していてもおかしくはない。


「だが──最終的に生き残ったのは、その殺された魔法で造られた人間(ホムンクルス)ただひとり」


 魔法で生き返ったんだ、と。


 結論を口にするハンスの声は、嵐の前の静かな夜のように凪いでいた。


「そのときの蘇生魔法の使用者は、当時ドロシーの最高傑作と呼ばれていた二人の魔法で造られた人間(ホムンクルス)α(アルファ)β(ベータ)


 廻の脳裏に、あの日の彼らの姿がよぎる。


「生贄となったのは全部で六十五名。施設にいた職員三名と、αとβを含む魔法で造られた人間(ホムンクルス)六十二名だ。……なあ、そうなんだろ?」


 死体の海の中に立ち尽くす自分の──破裂しそうな胸の痛みを思い出す。


「罪によって生まれ、罪によって蘇った魔法で造られた人間(ホムンクルス)──それがテメェだ」


 ハンスの言葉を受けた廻は、何も言わず、ただ静かに瞼を伏せる。


 ドクン、と心臓が大きく鳴った。

 

 あの日──彼らの命を犠牲にして手に入れた、この世でただひとつの廻の心臓が。

 


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