スティーグ、韜晦する
ハンソン魔法店は、景気の良い商店が並ぶラミレント街の真ん中にある。店の奥には、普段は店員達が食事をしたり、夜にはゲームに興じたりする部屋がある。今は営業時間中で店員が出払っているので、とても静かだ。裏庭に向かって開く小さいが明かり取りには十分な窓から、庭の緑が返す日の光が入り込んでいる。レナの祖父スティーグは、そのやわらかな光の中で、一人でお茶を飲んでいた。息子のニルスに商売を譲って引退したので、今は悠々自適の生活である。たまに助っ人で仕事をすることもあるが、大抵家でお茶を飲んだり、友人と出歩いたりしている。
スティーグは、お茶に向かって、独り言を言っていた。
「なんでお茶ってのはぬるくなってしまうのかねえ。ゆっくり味わって飲むと、いつの間にかぬるくなってしまう。ぬるいお茶はあまりおいしくない。難儀なものだよねえ」
こんなことをつぶやきながら、冷えたお茶に向かって呪文を唱え、温度を上げる。そんなことを三度もやって、ポット一杯のお茶を飲んでしまうのだ。魔術で温め直したお茶が旨いかどうか、分らない。
そこに、カールを引き連れたレナがどかどかと入ってきた。少し遅れて、戸口からイェルドが部屋をのぞき込んだ。
レナは、イェルドの口車に乗せられた気がしてならない。なんでこんな面倒くさい男を拾っちゃったんだろう。成行きとはいえ、祖父に紹介してやると約束してしまった。まあ、会わせるだけ会わせて、ちゃっちゃと追い返してしまえばいいわ。
「おじいちゃん、この人、カール・ネッケルって言うの」
単刀直入と言えば聞こえはいいが、露骨にさっさと済ませてしまおうとしている。
スティーグは、レナの態度を気にもかけず、ゆっくりとカールに目をやった。
「カール・ネッケル? お前の幼馴染のお店屋さんの子かい?」
「ちがうわよ、それはイェルドでしょ。ほら、あのネッケル家のご子息よ」
「あの英雄ネッケルかい?」
「それよそれ、そのご子息が来てるの」
スティーグは、ゆっくりとカールの品定めをしてから感想を述べた。
「ずいぶんと若いねえ。あんたが生まれたとき、ニクラスはいくつだったのかね」
「六十歳でした」
「そりゃあ、すごいねえ。精力絶倫だ、あっはっは」
いきなり脱線気味である。しかも、レナの紹介の仕方が悪かったので、勘違いしている。
「ニクラスは、私の祖父です」
「おや、変だと思った」
レナは、どうして私の周りの男たちは、こう間の抜けた会話ばかりするのだろうと思った。自分が話を進めてやらないと、いつまでも的外れな世間話を続けかねない。レナは、いきなり本題を切り出した。
「カールがね、おじいちゃんに弟子入りしたいんだって」
スティーグは、勘弁してくれというふうに手を振った。
「ご依頼事なら、ニルスに言っとくれよ。わしゃ、もう引退したんじゃ。長らく魔術なんか使っておらんよ」
「嘘ばっかり。そこのお茶を温めるのに魔術を使ってたでしょ。いつもそうじゃないの」
「お客さんの前でばらしちゃあいかんよ。まったく商売を覚えない子だね、お前は」
「だから、商売の話じゃないってば。よく聞いててよ、もう。おじいちゃんに弟子入りしたいんだって」
「弟子? だから、わしゃ引退したんだよ。人に教えるのは疲れるから嫌じゃ」
けんもほろろの反応である。レナの予想通りだ。だが、これで約束は果たした。
「そういうわけで悪いんだけどさ、おじいちゃんが弟子をとらないっていうんじゃ仕方ないわよね。一旦ホルミントルに戻ったらいいんじゃない?」
「うーむ」
考え込むカール。
そこに突然イェルドが割り込んだ。
「レナのおじいさん、そこを何とかお願いできませんか。我が殿は、自らの力を高めてから国王陛下にお仕えしたいと仰せなのです。何とか願いをかなえて差し上げていただけませんでしょうか」
「何よ、イェルド、あんたいたの」
「我が殿が心配なので、ここまでご同行申し上げたのだ」
「いつの間にカールがあんたの主君になったのよ」
「いや、なってないけど、つい」
まだ先ほどの感動が尾を引いているみたいね。イェルドがこんなに単純な奴だとは思わなかったわ。
レナが渋い顔を作ると、イェルドが落ち着かなくなった。
「なにをきょろきょろしてるのよ」
「あー、避難口の確認」
「なんですってぇ」
そんなやりとりをにこにこと見ていたスティーグは、それとなくイェルドに助け船を出した。
「イェルドや、この御仁は仕官しに来たと言ったかな?」
イェルドは、今にもつかみかかりそうなレナの手をすり抜けて、素早くスティーグの前に出た。
「はい。ところが、ルブレヒト子爵の護衛士にしてやられまして」
スティーグは、それを聞いたカールが悔しそうな顔をするのを見ながら、苦笑いした。
「あそこの護衛士にやられるようではしょうがないのう」
カールの顔が赤くなった。
スティーグの気を引くのに成功したイェルドは、力説する。
「それが、剣の勝負では、あっという間に我が殿がお勝ちになったのです。ところが、その護衛士めは、姑息にも靴を押さえる魔術を使いまして、剣士の勝負で魔術を使われるとは思っていなかった我が殿は、まんまとひっくり返されてしまったのです」
「おうそうよ、最近の剣士は魔術を使うんじゃったな。それで、どうした?」
「あれやこれやで、その剣士は、逃げてしまいました」
イェルドは、レナが暴れた下りを省略した。小さい頃から、うっかりしゃべっては、親に言いつけるなとレナにとっちめられていたからだ。今も、レナが睨んでいることには気づいていた。レナの雰囲気が少し緩んだところを見ると、どうやら、今くらいにごまかせれば良いらしい。イェルドは、少し安心して説明を続けた。
「我が殿は、剣の腕は一流なのです。でも、魔術の訓練が足りないとおっしゃっています。このままでは仕官してもお役に立てない、魔術を覚えて十分な力を身につけてから仕官したいと」
イェルドの心に先ほどの感動がよみがえってきた。説明に、さらに力がこもる。
「おお、立派な心がけじゃな」
スティーグも感心したようだ。イェルドは、我が意を得たりと、身を乗り出してスティーグに迫った。
「そうなんですっ。おじいさん、我が殿に魔術をお教えいただけませんでしょうか。ぜひ、ぜひっ」
スティーグは、イェルドがひっくり返しそうになったお茶のカップを素早く持ち上げた。
カールは、イェルドが話している間、じっと直立不動の姿勢で立っていた。身動き一つしないが、イェルドの説明の結果を固唾をのんで見守っている様子は、ありありと伝わってくる。スティーグは、お茶をすすりながらその様子を観察した。なかなかよさそうな若者だ。
「カールとおっしゃったかな」
「はい」
「魔術を身につけてから仕官したいというのかね」
「はい。今までは、剣術を鍛えてきました。しかし、それだけでは剣士として十分でないことが分ったからには、魔術も身につける必要があります」
返事は、簡潔にして明確。武士としては理想的である。
「仕官するために?」
「仕官するからには、直ちにお役に立てるようにしておきたいのです」
「しかし、わしゃ、もう魔術など使えんよ」
「レナ殿からは、お若い頃は王軍魔術師だったと聞いております。お歳を召されたとしても、十分なお力があるものと確信しております」
スティーグは思った。なかなかくすぐったいような物言いをしてくれるわい。まるで昔に戻ったようじゃ。さすがはニクラス・ネッケルの孫だけあって、肝も据わっとる。真面目そうじゃし、魔術の修行をさせたら、手を抜くようなことはないじゃろう。こりゃ、まともに付き合うと身が持たんな。
「レナ、おまえが面倒を見てあげなさい」
突然話を振られたレナは、目をぱちくりさせた。せっかく自分に弟子入りしたいなどと言っているのをごまかして矛先を祖父に向けさせたのに、これでは元の木阿弥だ。
「ちょ、ちょっとおじいちゃん。カールはおじいちゃんに弟子入りしたいって言ってるのよ」
慌てて抗議しながらちらっとカールを見て、目を戻した時には、すでにスティーグはいなかった。
「おじいちゃん、逃げた・・・・・・」
いつもながら見事な姿のくらませ方だった。レナは、一度も祖父が逃げ出すところを目でとらえたことがない。いったいどうやってるんだろう? 王軍魔術師団の秘技だろうか?