七、
突然走り出した月美を制止しようと、勇樹は彼女に声をかけたが、それで止まるほど月美は落ち着いていられなかった。
もう止められないと悟ると、勇樹は白狐に向き直り、問いかけた。
「……どういうことですか?」
「ほぅ?さすがに態度をわきまえるほどの理性はあるようだな」
「うっ……先程は、知らぬこことは申せ、もうしわけありませんでした……」
初対面でいきなり喧嘩腰になってきたことを根に持っているのか、白狐はにやりと笑い――仮面をかぶっているから表情はわからないが、おそらく笑ったのだろう――ながら、勇樹の問いかけに言葉を返した。
その態度に、勇樹は若干の気まずさを感じ、謝罪の言葉を伝えた。
白狐は、まぁいい、と呟き、本題である護の動向について説明を始めた。
「若君が、陰陽寮の下から離れ、我ら神狐の隠れ里に身を寄せていることは知っているな?」
「はい。定期的に風森を通じて連絡を取り合っていますから」
「そうか……話を戻すが、若君はそこで九尾の、いや、我ら神狐一族の悲願を知ったのだよ」
神狐の悲願。
それは、護にとって、そして勇樹とっても理想的な世界。人間と神霊が、精霊が、そして妖が再び共存できる世界の実現。
「それを知ったが故に、若君は単身、九尾のもとへ急いだということさ」
「なるほど……いや、しかし……」
だとしたら、月美の慌て方はおかしい。
護は、仮にも土御門の直系だ。そして、十二天将を翼から引き継いだ時点で、実質的には土御門家の現当主ということになる。
それだけの実力があるのだから、九尾を討伐できなくとも、生きて彼女の下から逃げ帰ることは可能のはずだ。
「……お話、ありがとうございました。お……私は、風森を追います」
「うむ。向こうで若君にあったら、対価の支払を忘れるなと伝えてくれ」
「……はい」
ここでも対価が必要なのか、と心中で呟き、勇樹は月美の背を追いかけた。
白狐は、勇樹のその姿を見つめ、そっとため息をついた。
――若君も若君だが、巫女も巫女か……まったく
互いを思い合うがゆえに、自分のことを顧みなくなるのは、絆の深さが……いや、愛がなせる業なのだろうな。
心中でそう呟くこの神使は、人と人とが紡いだ絆がたどり着いた先にあるものが、愛情が、人をここまで突き動かすものなのかと、感心しながら姿を消した。
廊下をかける月美の脳内には、護の名前だけが響いていた。
昨夜、護が夢殿を渡って会いに来てくれた時に、不穏な言葉をつぶやいていた。
そのことを、目覚めてすぐに翼に話した。
しかし、そのことについては特に対策を立てる必要はないと判断したらしく、ただ一言、護を信じてやってくれ、としか言わなかった。
九尾のもとへ行くことも、護がどちらかの勢力に殺される可能性も、翼はわかっていて、放置しようというのだ。
それは、護に対する全面的な信頼といえば、聞こえはいいだろう。しかし、それは裏を返せば、護に今後、何が起きたとしても、翼は、陰陽寮の幹部は関与しない、ということでもあった。
関与しない、と言われた以上、その時はそれ以上何も言うことはできず、そのまま図書室で引きこもっていた。
――シロ様が言ってくれなかったら、気づくこともできなかった……
月美は唇を噛み締めながら、自分に星を詠む力がないことを、未来を読むことができないことを憎らしいと感じた。
もちろん、それらの力が陰陽師としての才からくるものであり、巫女がその力を望むことはおこがましいことだということはわかっている。それでも、護と同じ力があれば、彼の助けになることはできたはずだ。
それを思うと、自分の不甲斐なさが腹立たしくて仕方がない。
けれども、今の彼女にはそれを気に止める時間はない。
図書館から飛び出して、戦闘準備をすることなしに、月美は江戸城へ向かって走り出した。
「かのものを絡めとれ、アビラウンケン!」
後ろか響いてきた呪歌と真言で、月美の体は不可視の鎖に拘束させられた。
かろうじて動く首を、声の響いてきた方向に向けると、月美の視界に清の姿が目に入った。
「……勘解由小路くん……邪魔しないで」
「邪魔をするつもりはないさ。ただ……そのままで行くのか?」
清が何を言いたいのか、理解できないわけではない。
けれども、もうすでに護が九尾のもとへ向かったとするならば、今現在、何かしらの話し合い、ないしは戦闘が行われているはずだ。
それを考えると、準備している時間もおしい。
もちろん、それをわかってやれない清ではない。しかし、なんの準備もしないまま、九尾のもとへ行ったとしても、自殺行為以外の何者でもない。
「そんなこと……」
わかっている。わかっているけれども、いてもたってもいられない。
それだけ、護の安否が気にかかっていた。
「……まぁ、別に行くなとは言ってないだろ……というか、俺らも連れていけ」
清がそう言うと、彼の後ろから桜と明美、そして勇樹が陰陽寮から出てくる姿が目に入った。
そして、桜の手には、月美が使用している呪具一式があった。
「さ、行くよ月美」
「……うん!」
月美は桜から手渡された道具を受け取り、頷いた。
かすかではあったが、その目には涙が滲んでいた。
月美が落ち着いたと判断し、清は彼女にかけた呪縛を解除する言霊を呟いた。そして、呪縛が解けた瞬間、月美は走り始めた。
彼女の後ろに続いて、清たちも走り始めた。
――護、お願いだから死なないで
私たちが行くから、絶対行くから。
江戸城に向けて走る月美は、心の内で、ただひたすら、護の無事を祈っていた。




