八、
月美たちが江戸城に向かって走っていた頃。
護は江戸城の内部に侵入し、人の姿に化けている九尾と対面していた。
「……久しぶり、というべきか?」
「確かに久しいな。神狐の力を持つ術者よ……さて、名はなんと申すのかな?」
「あんたほどの妖に教えると思うか?」
「ふっふ……それもそうよな」
くっくっ、と喉の奥で笑いながら、九尾は護の言葉に答えた。
名前は、その存在を縛る呪いであり、楔。
人間同士が互いに名を名乗る分には大した影響はない。しかし、術者や妖にその楔を握らせるということは、自分という存在のあり方を、そのものに委ねるということ。
だからこそ、術者のあいだでは、互いに偽名を名乗ることが常識となっている。最も、互いに信頼に足ると判断したときになって初めて、本名を名乗り合うのだが。
だが、妖はその限りではない。それこそ、使鬼として使役しない限り、本名を名乗ることはない。
だからこそ、護は本名を名乗らず、九尾と相対しているのだ。
「……あんたの同族からは土御門の若君って呼ばれてるからな。そっちで頼む」
「ほぅ?土御門、か」
ならば、その力があるのも納得だ。
九尾はくっくっと笑い、腰掛けた。護もそれに続いて、床に座り込む。
「では若君。何の用でここまで来たのか、最初にそれを尋ねてもいいかな?」
「よく言うな。ここまで『誘い込んだ』のは、お前さんだろうに」
「ほほぅ、さすがにわかったか」
ここに来てから、ずっと違和感を覚えていた。
今の江戸城は、言ってみれば、妖の総本山であり、本拠地だ。そこに、敵方の人間がのこのこと一人でやってきたというのに、何も仕掛けてこないというのは、まったく奇妙な話だ。
これがもし、人間同士の戦争だったら、大将はよほど人望がないか、あるいは阿呆だ。
しかし、目の前にいる相手は人間ではないが、阿呆でもない。
侵入してきた敵を、あっさりここまで通すほど、甘いものではない。
そこから考えられることはただ一つ。九尾がわざと、「ここまで誘導した」ということ。
護は、そのことには、今より少し前に気づいていた。だが、あえて、誘いに乗った。
もともとの目的が九尾との対談であり、戦闘ではないということもそうなのだが、自分と九尾が同じ血を分けた一族だということを思い出すと、できる限り戦いたくはないという感情が生まれていたのかもしれない。
もっとも、血を流す争いを避けたいというだけで、言葉での争いはまったく気にしていないようだ。
「わかっているのだろうが……陰陽寮の人間と話をしたい。つなぎをとってはくれまいか?」
「それは、妖側の使者となれ、という解釈になるのか?」
「そうとってもらって構わんさ」
再び、九尾は喉の奥で声を殺して笑う。
護が陰陽寮に九尾の意向を伝える。それは、護が九尾の側から送られた使者ということになり、同時に半妖を討伐したいと願う武闘派集団に、彼らの思想をゴリ押しさせる口実となってしまいかねない行為でもあった。
先日の作戦で、護は一応、安否不明の行方不明状態になっている。しかし、その作戦からもうすでに一ヶ月近くの時間が経過している。
そろそろ、死亡扱いになっていてもおかしくないはずだ。
むろん、月美と彼女の警護に当てた十二天将が、護の生存を強く訴えている可能性はなくはないが、おそらく、それは通らないはずだ。
そんな、一応仮にも死んだことになっている人間が、再び目の前に現れたら。
想像するだけで、護は何か薄ら寒いもの以外、何も感じることはできなかった。
そんなわけで、護の答えはひとつしかなかった。
「協力したい気持ちは山々だが……断る」
「ほぅ?」
「あんたの悲願は、人間と妖の調和だろうが。死んでいることになっている俺が、あんた側の使者になってみろ」
その時点で、あんたの仕込んだ対談がお釈迦になるぞ。
護は現在陰陽寮が一枚岩ではないことを、そして、陰陽寮側には妖を快く思っていない連中もいるということを暗に伝えた。
無論、九尾もそれには気づいているはずだ。
だが、彼女はさも不愉快そうに顔を歪め、立ち上がった。
「……同じ血を分けたお前ならば、我が理想を理解してくれると思っていたのだがな……」
残念だよ。
瞬間、九尾から、はっきりとわかるほど強い殺気が護に向けられた。
それを感じ取った護は、素早く身構え、九尾の攻撃に備えた。しかし、予想以上の速さで九尾の尾が一本、護に向かって飛んできた。
紙一重でそれを回避し、符を懐から取り出し、九尾に投げつけた。
符は、九尾に向かって飛ぶ中で自ら炎を発し、その炎に包み込まれた。しかし、炎は消えることなく、猛禽の姿を形取り、九尾に襲いかかった。
向かってくる炎の猛禽に視線を向け、九尾は目を見開き、怒号を飛ばした。
「喝っ!」
少女の体から出たとは思えないほどの音量の声が、大気を震わせた。その衝撃は、炎をかき消しただけでは飽き足らず、護にも襲い掛かってきた。
護は両腕を前で交差させ、吹き飛ばされないよう、足に力をいれ、その場に踏みとどまった。
衝撃をどうにか耐えて、護は右手で拳を作り、左の手のひらに打ち付けた。
ぱん、と柏手にも似た乾いた音が部屋中に響いた。
そして、護の足元から光が現れ、魔法陣が描かれ、打ち付けられた手と手の隙間から、魔法陣と同じ色の光が溢れてきた。
その瞬間、護は左手と右手を素早く引き離し、体内にしまっていた霊剣を顕現させた。




