五、
大切な人と出会った、大切な場所。
それゆえに、夢に現れ、それゆえに、寂しさが募る。
「……やっぱり、会えないのは寂しいよ」
「それはすまない」
ふと、月美の耳に懐かしい声が届いた。
声がした方を見ると、狩衣をまとった少年がいた。
しかし、その顔の上半分は狐の仮面に覆われ、素顔を見ることができない。
それでも、声だけでわかる。
目の前にいるのは、この桜の木の下で出会った少年だということが。
月美は思わず駆け出し、少年に、護に飛びついた。護はそれを避けることなく、しっかりと抱きとめ、そして包み込んだ。
「……今まで、ごめんな」
「ううん……信じてた」
生きていることを、きっと、会いに来てくれることを。
しばらくの間、二人は、互いの存在を確かめ合うかのように、会うことのできなかった時間を埋めるかのように、抱きしめ続けていた。
不意に、二人のあいだに一陣の風が吹いてきた。
それを合図に、二人は腕の力を抜き、密着させていた体を離した。しかし、その手は互いの手をしっかりと握っていた。
ほんの数秒、二人は無言のままでいたが、その静寂を破ったのは、護の方だった。
「話さなきゃ、いけないことがある」
「うん……」
「俺……九尾に、会ってみる」
「……うん」
月美はその言葉に、驚くことはなかった。
勇樹から、吉江が、九尾と会談の場を設けるかもしれないと話していたことを知っていたから。
だが、その理由がわからない。
護がそんなことをしなくても、陰陽寮がしかるべき人員を派遣しようとしている。だから、現状、行方不明扱いになっている護が、わざわざ敵の総本山に向かう必要はないだろうに。
「何で、そんな危険な橋を渡ろうとするの?」
「俺が半妖だからってこともあるけど……九尾の、天狐一族の目的を知ったから、かな?」
護は、隠れ里で聞いたことを、全て月美に話した。月美は、護の話を、ただただ静かに聞いていた。
全て話し終えて、月美は目を伏せ、ぎりぎり聞き取れるくらいの声で話し始めた。
「……でも、あなたひとりだけで行かせるなんて、できるわけないじゃない……」
「けど、陰陽寮の連中が九尾と対面したら、必ず戦闘になるだろう」
人間と妖が共生できる世界が九尾の、天狐一族の悲願なのだから、こちらが喧嘩腰になって交渉に当たるのは、彼らに、自分たちがその理想を受け入れないという意思表明になりかねない。
これ以上、この戦争を長引かせるわけには行かない。
そのためにも、陰陽寮が出向くことは避けるべきなのだと考えているのだろう。
「それに……これは、チャンスなんだ。人間がもう一度、自然とのつながりを思い出すための」
所詮、人間も淘汰し続けてきた動植物たちと同じ、この星に住む、無力な存在なのだろいうことを、思い出すための。
――だから、俺は行くよ。たとえ、その場でどちらかの勢力の手に落ちたとしても
護のその言葉が月美の耳に届いた瞬間、彼女の視界から、護の姿も桜並木も消えていった。
月美が目を覚ますと、いつもの天井が目に入っってきた。
――『どちらか』って、どういうこと?
月美の脳裏には、護が最後に残した言葉が響いていた。
護がこれから向かおうとしている場所にいる敵は、九尾だけのはず。それなのに、「どちらか」というのは、どういうことなのか。
――護が、危ない……
月美は、飛び起き、着替えもそこそこに、翼がいるはずの会議室まで、駆け足で向かっていった。
護が目を開けると、金色の長髪をした美少女が入ってきた。
彼女がまとう気配から、彼女が人間でも妖狐の変化でもないことは、すぐに察することができた。
「お目覚めですか。護様」
「……天一か……つなぎは?」
「太裳に頼みました……私は、あなた様のそばから離れるわけには参りませんので」
「……そうだったな」
護はぐっと背伸びし、立ち上がった。
十二天祥と契約を交わしてからこっち、護は十二天将に様々なことを頼むようになっていた。
今回のような、月美とのつなぎを頼むこともしょっちゅうだ。
しかし、今その十二天将の半数は、護のもとにいない。護自身が命じて、勾陣、騰蛇、太陰、太裳、六合、玄武には月美のもとへつき、彼女を守護させていた。
隠れ里に身を隠させてもらう以上、こちらができる限り、脅威となるものを持ち込まないことは、至極当然の礼儀と考えたからだ。
そのおかげで、護の戦力も半減しているわけだが、それは里に入っているあいだ、安全を保証してもらっている対価と考えれば、安いものだ。
「……さて、行くか」
「どちらへ?」
「……九尾のところだ」
護の言葉に、天一は驚愕の色を隠せなかったが、すぐに平静を取り戻した。
しかし、一切、止めようとはしない。
護の意思の固さはよくわかっているし、なにより、今から護がやろうとしていることは、本人が望んでやっていることだ。
配下である十二天将が口出しできることではない。
「しかし、本当に行くのですか?」
「行くしかないのさ……九尾の悲願を知ってしまったからな」
「……人と妖をつなぐ存在として、ですか」
「あぁ……」
今後、陰陽師として陰陽寮に籍を置くと決めている以上、人間と妖の関係を改善しなければならない。
そう言った意味で、今回、護が取ろうとしている行動は合理的と言えなくもなかった。




