四、
「その後は、大体が伝説のとおりだ。九尾は討たれ、その怨念と妖気を瘴気に変えて吐き出す『殺生石』となり、再び力を蓄えた」
「……そして、肉体を取り戻し、今に至る、と」
「まぁ、そういうことだ……だがな、別に九尾は人間社会を破壊したいわけではない」
「というと?」
九尾が日本に渡ってくるまでのいきさつを話した里長は、手元に置いていた湯呑に手を伸ばし、口をつけた。
護もまた、いつの間にか置かれていた湯呑の中身を口に含む。
中身は白湯だったらしい。熱も若干残っているらしく、普通の水とはまた違う味わいだった。
「我ら神狐一族……いや、天狐の悲願は『調和』にある。おそらく、野狐に堕ちたとはいえ、九尾もその悲願は同じのようだ」
「つまり、人間と妖の調和、と」
「そういうことだな」
老狐の同意に、護は沈黙した。
思い返せば、確かに九尾を含めて、彼女が率いていた妖は人間を極力殺さないようにしていた。
彼女がその気になれば、陰陽寮を全滅させるとまではいかなくとも、戦力を半減させることは容易だったはずだ。しかし、彼女はそれをしていない。
そこに、彼女なりの真意があるのだろうが。
――やっぱり、直接話し合わないとわからない、か……
これから先の局面で、彼女に出くわすこともあるだろうし、なにより、決着をつけなければならない。
そうなると、彼女と対面することもまた、必然。
護は、その時、果たして自分が無事でいられるかどうか、それを心配していた。
護自身、はっきり言って、自分の立場に迷っている部分がある。
人としてあるべきか、それとも、妖としてあるべきか。
元々は、人と妖の狭間にある存在となることで、力を得たい。それだけの理由だったのだが、今になって、その選択がどれほど重要なものだったのか、思い知らされる。
人間は嫌いだ。
自分たちだけが、まるで神に作られ、愛された唯一の存在とでも言いたげに、他の生き物を必要以上に淘汰し、星を汚し、自然との、精霊や妖とのつながりを断ち切った。
それだけではない。
昨今は、ただでさえ土に還り、生命の一部となることができないというのに、無益な争いを繰り返し続け、自身の利潤のためだけに、人を騙し、破壊の限りを尽くしてきた。
そして、つながりを断ち切ったはずの霊的存在すら、その利潤のために捕獲し、淘汰した。
だが、護もまた人間だ。そして同時に、人としての心を持っている。
だからこそ、見捨てることができない。
九尾と対面した時に、はたして今の理論武装で言いくるめられないとは言い切れない。
――さて……どうしたものかな
護はそっとため息をつき、これから先のことを考えていた。
――さて……こちらもそろそろ妥協点を見つけなければならないか
江戸城の内部にある一室。
そこに居座っている九尾は、畳に目を落とし、これからのことを考えていた。
正直なところ、ここまで人間との戦闘が長引くとは思えなかった。
しかし、考えてみれば、同じ妖狐の血を引く一族の、それも神として祀られている空狐の加護を受けた陰陽師一族がいるのだから、当然といえば当然なのだ。
そしてなにより、半妖の陰陽師と四大精霊と契約を交わした精霊使いがいる。
それは、人間側にとって、大きな戦力だ。
――とにかく、誰かと話をつけなければならないか
その誰かは、すでに決めていた。
同じ一族の血を引く、人間と妖の狭間の力を持つもの。そして、もう一人。四大精霊全てと契約を結んだ、精霊と人との間に立ちうるもの。
どちらも、自分が理想とする世界の未来を体現したかのような存在だ。
彼らならば、あるいは自分の理想を理解し、協力してくれるかもしれない。
しかし、いくつか問題があった。
その中で最も重要な問題。こちらが差し出す対価は、何が最もふさわしいか。
その一点だけが、彼女を悩ませていた。
だが、それをなすためにはもう一つ、不安要素があった。
――……あの魚面連中、はたして何を仕掛けてくるのか……
すでに同盟を組んでいる妖のあいだでは、すでに旧支配者とその配下の魚人たちについて、裏切り者とつして処分してはどうかという議論がなされていた。
そして、今回のこの戦争も言ってみれば、彼らが仕込みをしたため、仕掛けることができた。だが、その後、全くと言っていいほど、何もしていない。
ただ、気まぐれに人間をさらい、ひとつの建物にこもっているだけ。
何を考えているのか、本当にわからない。それゆえに、唯一の不確定要素、と言える。
――会合の邪魔を、されなければいいんだが……
九尾はそっと息をつき、再び、今後の自分の動きを改めて考え始めた。
その晩。
月美は、自分が桜並木の中にいることを認識した。
布団に入ったところまでは覚えている。だから、これは夢なのだということも認識できた。
だが、ここ最近見る夢とは、違う。
――ここ……私がいつも渡る場所だ……
月美はゆっくりと、桜並木の中を歩み始めた。
桜を見ていると心が和む。
それは、いつも遊びに行っていた、鎮守の森にある御神木が桜だったからなのかもしれない。あるいは大切な人と出会った、大切な場所だからかもしれない。
そのことを思い出すと、心が痛んだ。




