九、
雷光が護の相手をしていた術者二人に襲いかかると、術者に用意されていた三つの形代のうち、二つが破壊された。
――正直、手加減できてたみたいでよかった……
護は形代が割れた数を遠目に確認して、そっとため息をついた。
雷神召喚は、様々な局面で護を助けてくれた、護が現在習得している術の中では、最強の術だ。
ゆえに、人間相手に使用する場合、手加減にかなり気を遣っている。
しかし、今の護は肉体が変貌していないとはいえ、ある程度、神通力で術を強化している。
手加減ができるかどうか不安だったのだが、形代が二つ破壊されたということは、少なくとも目の前の術者たちはまだ生きているということだ。
だが、これ以上の戦闘を続けることはできないようだ。
確かに、死んではいない。肉体へのダメージも皆無に近い。
しかし、精神の傷までは、形代はカバーしきれない。
どうやら、護の雷神召喚を見てしまい、そして間近で受けてしまい、戦意を完全に喪失してしまったらしい。
それを察した監視員は、護の勝利ということにして、術者二名を救護室まで運ぶよう指示を出した。
監視員と職員がいなくなり、護たちだけになった訓練場には、誰からとなしに、呟いた。
「化物」、と。
模擬戦の結果は、すぐに吉江の耳に届いた。
――ある意味、私の目論見は成功といったところかしらね……あとは……
吉江は煙管を離し、そっと紫煙を吐き出した。
護が半妖化することなく、職員に勝利したことは、はっきり言って吉江の計算通りだ。
しかし、まさか相手をしていた職員が精神的なダメージも受けることになるとは、想定もしていなかったし、考えてもいなかった。
正直、半妖化しない程度に神通力を解放したとしても、せいぜいが形代を一つ破壊するくらいかと考えていた。
しかし、護は元々、土御門家の人間であり、神狐の神通力を自分の霊力とほぼ同じように扱うことができるいうことを失念していた。
――このままだと、陰陽寮の人間を全員敵に回すことになるわね……
護に対する処分をはっきりとさせないと、穏健派であれ、武闘派であれ、陰陽寮の職員を敵に回すことになるのは目に見えている。
そうでなくとも、土御門家を敵に回しかねないことをしたのだから、これ以上敵を作りたくはない。
――さて……どうしたものかしらね……
はっきりいって、護が排除されるのは、今後の展開的には避けたいところだ。
安倍晴明と同一視するつもりは全くないが、人外の狭間にある存在がどれほど心強いかは、吉江もわかっている。だからこそ、排除させるつもりはない。
だが、今ここで陰陽寮内部が分裂するのは、妖たちに付け入る隙を与えることになる。
それだけは、避けなければならない。
交渉次第で、おそらくどうにでもなる九尾や酒呑童子たちはともかく、旧支配者討伐を果たす上でも、陰陽寮が分裂する事態も、戦力を失う事態も避けなければならない。
――やっぱり、護くんをどうにかしないことには始まらないかしらね……
そっとため息をつき、吉江はソファーに寝転がり、煙管をくわえ、タバコを呑み始めた。
しかし、愛飲しているタバコの力を借りても、護の今後の対応についての考えは一向に浮かんでこなかった。
数時間後、どうにか立ち直った職員は、護に再戦を挑もうとしたが、監視員と保通がそれを止めた。
形代をこれ以上用意できなかったということもあるが、職員たちがあまりにも殺気立っていたため、試合終了を受けても、それこそどちらかが死ぬまで護と戦い続けることは、すぐに予想できたためだ。
そのため、護の模擬戦は、護の勝利ということで終了という扱いになった。
というわけで、護は現在、観客席にいた。
次の模擬戦は、月美が出ることになっていたためか、どことなく不安そうな眼差しをしている。
形代があるため、怪我をしたり死んだりすることはないとはいえ、恋人が戦うのだから、心配するのは無理もないといえば無理もない。
「護様、ここで心配をしても何も変わりませんよ?」
「いや……わかってるんだけどな……何がおかしいんだよ、翡翠」
くすくす、という笑い声を聞き取り、護は傍らに控えていた翡翠にむかって、やや怪訝そうな目を向けた。
その視線に臆することなく、翡翠はくすくすと微笑み続けた。
正直なところ、あまりいい思いはしないが、彼女も悪気があって笑っているわけではないことは、自分が一番わかっているため、あまり強く言えない。
「まぁ、あいつなら大丈夫だと思うんだが、な」
護は頬杖をついて、そう呟いた。
その視線の先には月美がいた。その視線に気づいたのか、月美は護のいる方へ顔を向け、手を振った。
護はその様子を愛しげに眺め、サムズアップで答えた。
護が答えたことを知ると、月美は手を振るのをやめ、相手の方へ向き直った。
相手の術者は、護が相手をした術者とは別の人間だった。
やはり、ある程度のインターバルを置くため、数名の術者が交代で訓練生の相手をする形をとっているらしい。
両者の準備が整ったことを確認した審査員は、護の時と同じように右手をあげ、始め、の掛け声とともに、振り下ろした。
合図と同時に、月美は懐から何枚もの符の束を抜き出し、刀印を結び、言霊を紡いだ。
言霊に合わせ、符は一枚一枚、ふわりふわりと飛び出し、別々の方向へ飛んでいった。
術者は自分たちに即座に被害が出るわけではないことを悟り、一気に勝負をつけようと、月美との距離を詰めた。
しかし、突如、彼らの前に大量の桜吹雪が舞い上がり、その進行を妨げた。
桜吹雪が止むと、月美と術者たちの間に一人の青年が立っていた。
「……少しの間、相手させてもらおうか」
青年は身構え、術者たちに向かって、鋭く拳を突いた。
術者はそれを回避して、突き出された拳をつかみ、投げ飛ばした。しかし、青年は空中で体をひねり、猫のように華麗に着地した。
その瞬間、着地した足を軸にして、青年は近づいてきていたもう一人の術者の胴を蹴り上げた。
鋭すぎる蹴りで、着ていた服が破けた。その下に見えた皮膚には、微かに血が滲んでいた。
青年が蹴りを放った瞬間、もう一人の術者に向かって、細い光が飛びかかってきた。
「ちっ!」
術者はそれを紙一重で回避し、光が飛んできた方向へ目をやる。
そこには、月美がばらまいた符が、淡い光を放ちながら浮いていた。周囲を見わたすと、同じような符が、いくつも浮かんでいる様子が目に入った。
肝心の術者である月美の方を見ると、いつの間に取り出していたのだろう、強い霊力を放っている弓を構えていた。
――霊力の矢か
術者は、月美が何をしてきたのかを悟り、再び身構えた。
月美は再び弦を引き、意識を相手に集中させた。瞬間、月美の霊力が一本の細い光へと変換され、矢をつがえているような姿勢になる。
霊力の収束が終わったことを悟り、月美は弦を離した。
すると、光がまっすぐ術者の方へ飛んでいった。
術者はそれを回避し、月美に向かって符を放とうとした。しかし、その符は再び襲ってきた光の矢によって、破壊されてしまった。
――何っ!
符を破壊されたことに驚愕し、術者は光が飛んできた方向を見た。
その視線の先には、この模擬戦が始まったときに月美がばらまいた符があった。
「……そういうことか」
術者は憎らしそうに顔を歪め、その場から飛び退いた。
その瞬間、別の方向から矢が飛んできて、床をえぐった。
すると、式神の青年からの猛攻を回避していた、もう一人の術者と背中合わせになった。
どうやら、相方はかなり混乱しているようだ。
「くっそ、一体何がどうなってんだ?!」
もう一人の術者は、憎らしそうに顔を歪め、舌打ちした。
無理もない。
式神ひとりを相手するだけでもかなり面倒だというのに、感知できない方向から光の矢が飛んでくるのだ。
混乱と焦りで、平常心を失いかけていたのだ。
「……落ち着け。符の方を先に片付けるぞ」
術者はやや取り乱していた相方を落ち着かせ、この状況を少しでも改善しようと試みた。
しかし、そう考えた頃には既に遅かった。
「謹請し奉る、東方守護、降三世明王、我が怨敵退散の願いを聞き届けたまえ」
彼らの耳には、月美が何かの言霊を紡ぐ声が届いていた。
その言霊の影響なのか、光の矢がかなりの速さで増殖していた。
そして、その矢尻は術者たちに向いていた。
「悪鬼を退ける幾多の破魔矢、幾多の言の葉、我が敵を退け、魔を祓いたまえ!急急如律令!!」
言霊を紡ぎ終え、月美は結んでいた刀印を掲げ、振り下ろした。
その瞬間、増殖していた矢は術者に向かって、次々と飛んでいった。
全ての矢が刺さった瞬間、術者たちの形代は、全て破壊された。




