一、
陰陽寮の暗躍により、東京のいくつかの地域は、妖の侵略を受けずに済んでいた。
しかし、東京以外の地域も同じような状況だった。
特に、神域の多い地域が中心であったため、ひとつの地域に多くの人間が集中するという事態になっていた。それは、出雲の地にある各寺社仏閣も同じことだった。
そして、地域住民にはあまり知られていない風森神社も同じ状況に陥っていた。
「さぁ、どうぞ」
「あぁ……ありがとう……」
友護は避難してきた若い男性に、湯呑を手渡した。男はそれを受け取りながら礼をいい、湯呑の中身を飲み干した。
そっとため息をつき、友護に湯呑を返し、つぶやく。
「……いったい、どうなっちまったんだ。ここは……」
友護はその言葉に答えることができなかった。
正直なところ、友護自身もこうなることは予想できていなかった。
いや、予想できなていなかった、ということはない。何かが起こる、という兆はあった。それを感知していながら、今に至るまで、何も対策を講じることができなかった。
――本当に、何が起こっているんだ。この国に
その言葉を飲み込み、友護はその場を立ち去った。
避難所としている境内を抜け、友護は本殿の裏にある鎮守の森に足を踏み入れる。
境内とは打って変わって、静かな雰囲気が友護を包み込んでいった。
友護はそっとため息を吐き、近くにあった木にもたれかかる。
本来、この土地は陽の気に満たされているはずだった。しかし、避難してきた人々の陰鬱な雰囲気の影響を受けてか、陰の気に満ちている。
「早いところ、この事態を解決してくれよ……護、月美」
天を見上げ、そっとため息を吐きながら、友護はそうつぶやいた。
その顔は、手助けできないことからくる悔しさなのだろうか、どこか切なそうな、遠い記憶を探るかのような表情をしていた。
人間界の様子は、神々の住まう異界にも届いていた。
そのことを、いや、土御門家の安否について案じていた女神が一柱、いた。その背には、いや、どちらかといえば、腰のあたりに近いだろうか。そこから、一本の白銀の尾が生えていた。
それは、紛うことなき狐の尾だった。
彼女の名は、葛葉姫命。
土御門、いや安倍一族が強い霊力を持つきっかけとなった女神。安倍晴明の母親にして、信太森に住まう神狐、「葛の葉」の別名だ。
そして、土御門家の氏神であり、護の魂の最奥に眠る、神通力の起源でもある。
「白狐、これへ」
「葛葉様、ここに」
いつのまに現れたのだろうか。葛の葉の呼び声に答え、白狐の仮面をかぶった若者が彼女の傍らに控えていた。
「若の様子は、どうだ?」
「確実に、我らに近づいております……このまま行けば、おそらくは晴明様の再来になりえるかと」
若、とは護のことを指しているのだろう。
白狐は、いままで護のなかに眠る神通力の扱い方を指導していた。
現状、護は彼が求める段階の半分まで到達していると言えるだろう。しかし、ここから先は護が人間と人外の狭間の存在へと変貌する可能性があるため、護の意思が固まるまで現在までの段階を完全に使いこなせるよう、反復練習をさせるにとどまっている。
実のところ、白狐も迷っている、という状態だ。
「……いかがなさるおつもりです?我が主」
「……正直なところ、私も迷っています」
晴明が、我が息子が人と人外の狭間にある存在となったがために苦しんでしまったという事実ゆえに。
同じ苦しみを、今の世代に強いることになってしまうのではないかと、心配しているのだろう。
それゆえ、ある段階まで、神狐の神通力が人間の血に馴染まない段階までに至ったら、一度、そこまでの段階を反復させるよう、指示したのはそのためだ。
「若は……護は、どちらを選ぶのでしょうか?」
「わかりません。しかし……」
葛の葉は白狐の方へ向き直り、悲しげなほほ笑みを浮かべ、続けた。
「信じましょう。我が血を継ぐ、若き命を」
願わくば、彼が選ぶ道が、彼にとって、そして彼を取り巻く全ての人々にとって最善の選択とならんことを。
葛の葉は静かに微笑み、再び前を見つめた。




